完全円状計画都市
ペイオルカルナの首都――ペイオリティは先の戦争である聖典戦争の初期に首都を遷す目的で作られた。半径一キロメートルという広大な土地に完全なる円状の都市が一日にして築き上げられたという逸話を持つ。完全円状計画都市と称される所以はそこにある。
都市をたった一日で作り上げる――そんな不可能を可能にしたのは魔術を用いた建築だった。
魔術による建築のメリットは工期の大幅な短縮と建築費用の格安化にある。極端な例を挙げれば、通常は建築に数カ月を要するような建築物でも魔術陣さえ書いてしまえば、ものの数秒で外観は完成してしまう。インフラなどの事まで言ってしまうと、この限りではないものの、人件費や材料費を含めた諸々が手頃な価格に収まり、かつ超短期間で建築が完了してしまう。
しかしそこにはデメリットも存在する。それが維持費である。自然界に存在する魔力は『魔力の更生』という、自身を元通りにしようとする自己再生能力を持っている。しかし魔術に使用された魔力はこれを失い、反転、消滅傾向に陥るようになる。これは更生剥離と呼ばれる現象で魔術の最大の欠点とも言える。
端的に言えば魔術で建築した建造物は長く持たないという事だ。いずれ魔力を失い崩壊する。それを食い止める為には魔石による魔力充填が必要不可欠となる。このペイオリティという都市の建築業界は今や魔石商と化している。
魔石産業によって潤う都市、それがこのペイオリティの現在の姿だ。
ペイオリティへの遷都が行われた当時から既に五十年という時が経ち、今ではその外周にさらに建造物や外壁が追加されて、当時以上に巨大に膨張してこそいるが、最初期に建てられた都市は今も中央区として存在し続けている。
時刻は夕方。中央区から真南に向かって走る南大通りを、沈みかけの夕日が照らす薄明りの中、ヴォルトとルナは騎士団本部を目指して歩いていた。
魔術による建築で簡素化された白くて四角い似たり寄ったりな建物が石畳の道沿いに窮屈に立ち並んでいる。そんな退屈な街並みを見てヴォルトは複雑な面持ちで呟く。
「またここに戻ってきたんだな……」
三年前まではこの街にサタナやルナと一緒に住んでいた。訳あってラカリナに移り住む事になったのだが、彼にとってペイオリティはあまり良い思い出のない、戻りたくない場所だった。
ラカリナではありえない数の人々がみんな無関心にこの場所を往来している。群衆の喧騒が三年前を思い出させて、ヴォルトは表情に暗く影を落とした。
突然、ヴォルトの前にルナがぴょんと飛び出して問いかける。
「やっぱりジルフさんに会うのは、嫌?」
その問いにヴォルトはどこを見るでもなく真上に視点をやって、ジルフという男の事を思い浮かべ――すぐにそれをやめて苦い顔をした。
「あの男はどうしても苦手なんだ」
それを聞いたルナは無邪気に笑みを浮かべていた。
「大丈夫。今度は私が守ってあげるから」
頼もしげに振舞うルナに反撃したくて、ヴォルトは彼女の事を茶化すように口を開く。
「とか言って、結局俺の陰に隠れる羽目になったりな」
ヴォルトは列車で言われたあの時の言葉のお陰でなんだか心が軽い気がしていた。
そうこうしている内に二人は目的地の目の前にまでたどり着いていた。
中央区のど真ん中に聳え立つ銀色の城――ヘンゼラルド、かつて王制国家だった名残である。黄昏時の夕日を反射してオレンジ色に染め上げられたその城の正面に、まるで神殿のような建造物が鎮座している。扇状の土地に聳える神聖な雰囲気を放つその建物こそ、レイジス騎士団本部本館である。
本部本館へと続く白い石畳、その両脇に立ち並ぶ騎士の彫像と本館の入り口前に掲げられた騎士団のエンブレム。正門から望む景色は、その威圧感から入り辛さすら感じる。
そんな正門の手前に、赤のネクタイを締めたワイシャツに黒のプリーツスカート姿の少女が立っているのが見える。金髪のロングヘアで金色の右目と蒼い左目のオッドアイが特徴的なその少女は、何故かヴォルトの事を凝視していた。
二人は特に知り合いでもないので、無視してその少女の横を通り、騎士団本部の敷地内に入ろうとする。そのすれ違い様に少女は消え入りそうな程小さな声で、
「変な格好……」
ボソッとそれだけ呟くと、ふらふらとその場を立ち去っていった。
ヴォルトとルナは二人して顔を見合わせ首をかしげる。
「俺、そんな変な格好してるか?」
「普通だと思うけど……」
困惑しながらも、まぁいいかと聴こえなかった事にして、二人は騎士団本部の本館に入るためにその敷地内をまっすぐ進んだ。
本部本館の入り口の前に見覚えのある男の姿が見えてヴォルトは軽く溜息を吐く。
白い軍帽と右胸に三つの勲章を吊り下げた白の軍服、左肩を覆うように取り付けられた黒い布の装飾がひと際目立つ。副騎士団長仕様の制服を身に纏った、金髪碧眼の男。副騎士団長――ジルフ=バロックラートその人である。
ジルフは自分の部下であろう騎士団員と何かを話し合っている様子だったが、ヴォルトたちが向かってきていることに気付くと、部下との会話を止めて、二人を満面の笑みで出迎えた。
「やぁ、久しぶりだね。ヴォルト君。ルナ君――。あれ? サタナさんは一緒じゃないんだね」
ジルフの目の前にやってきた二人は一緒に立ち止まったのだが、ルナはヴォルトを背に匿うように前に出る。
「こ、こんばんは。あ、あの――おじいちゃんは――まだペイオリティには来ていなくて……」
先ほど啖呵を切った手前、彼女はヴォルトを庇うように振舞おうとしたのだろうが、緊張のためか妙にあたふたとしている。
そんなルナの話の腰を折るように、
「その様子だとラカリナの件でボクを頼るように言われたのかな?」
なんでもお見通しとばかりにジルフはニヤついていた。ヴォルトがこの男に会いたくなかったのは、こういういけ好かない態度が苦手だったからだ。
「どうしようかな。いっそのこと断っちゃおうかな。サタナさんに恩はあるけど、君たちには特にないからね。ボクも誘いを断られてるし、そのお返しに頼みを聞かなくても問題だろ?」
「えーっと、あのぉ――」
今度は私が守ってあげる――そう意気込んでいた事もあってそれまで黙っていたが、慌てふためくルナの姿に、見かねたヴォルトが割って入る。
「言っておくが、俺は騎士団には入らないぞ」
「三年も前からラブコールしてるのに、そんなにきっぱり振られちゃうと流石に傷付くなぁ」
そう言った後、今までふざけたような口調だったジルフの声が突然真面目な声色になる。
「今のペイオリティは魔術を使う犯罪者が多すぎる。最近じゃあ魔石盗なんて厄介な輩もいる。だから魔術師不足の騎士団は、猫の手も借りたいような状態なんだ。君みたいな人間が必要なんだよ。魔術知識を持った君みたいな存在がね……」
魔術を使えなくても――と言わないのはジルフなりの優しさなのかもしれない。彼は夕日が沈み切って闇色に色変わりした銀の城を見上げながらさらに続ける。
「ボクは欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。そういう質の人間なんだ」
呆れて溜息を吐いたヴォルトがルナの手を取る。
「埒が明かない。今日は宿に泊まろう。ルナ」
踵を返してルナの手を引き、歩き出そうとするヴォルトの背中に、突き放すような声色で、
「いいのかなぁ。この時間じゃあ宿に空きがあるかも分からない。昨今のペイオリティは危険だよ? 特に夜なんかザルクスの罪人にゴロツキ、不審者どもがわんさかいる。そんな所にルナちゃんみたいなかわいい子が野宿なんかしたらどうなっちゃうだろうね」
それは完全に脅しだった。だが今更そんな話を聞くほど、ヴォルトの意志は弱くない。無視して立ち去ろうとした。
だが、そのタイミングでヴォルトはふとある事を思い出した。すぐに足を止めて、
「そういえば」と言いながら振り返る。
「ノード=イングフォードとかいうラカリナを焼いた放火犯が言ってたよ。騎士団の奴らによろしくってな」
それはラカリナを去る間際にノードに言われた言葉だった。
ジルフの眉がピクッと跳ねる。表情こそ変えないが何か思う事があるようだ。
「ノード――イングフォード――? 聞いた事のある名だね。確かボクが副騎士団長に選出された時、一緒にその候補になっていた男がそんな名前だったかな? 彼は候補に選ばれた直後、なぜか騎士団を辞めると言い出してね」
情報過多で理解が追い付かない。繋いでいたはずの手を思わず放して、ヴォルトもルナも混乱の面持ちで固まっていた。同時にジルフが身に纏っていた得体のしれない空気感に、寒気を感じていた。
コツコツと軍靴を鳴らしながらヴォルトの傍までやってきた彼は耳元でささやく。
「ボクが言いたい事がわかるかな?」
ヴォルトの右手首に金属製の何かが当たる感覚がした。辺りにカチャッと冷たい音が響く。徐に見下ろしたヴォルトの視界に手錠がはめられた自らの右手首が映る。そのまま鎖につながれたもう片方がジルフによって左手首にもはめられる。
「君たちは騎士団にとって、外部に漏らされたくない情報を持っている」
首狩り鎌の如く不気味に裂いた口元でジルフは不敵な笑みを浮かべていた。
『欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる』少し前に聞いたその言葉がヴォルトの脳内で不快に反響していた。