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悲愴の魔術師  作者: 黒錆 聖
序章
2/13

虚飾


 動揺を隠し切れないヴォルトとルナを気にも留めず、ノードと名乗る気怠げな男は這い出た瓦礫から軽快に飛んで砂利道に着地した。余裕といった表情で赤いコートを片手で軽く払い、煤を落とす。


 ヴォルトは焦りながらも立ち上がるが、ルナは腰が抜けたのか座り込んだまま動けなくなっている。そんなルナを庇うようにヴォルトは一歩前に出た。

対炎特殊兵装(フレイムブレイカー)。そいつだけは紛い物じゃなかったのか……」

 対炎特殊兵装(フレイムブレイカー)――ノードが身に着けている赤いコートの正式名称だ。表面には炎を防ぐ魔術が施されている為、その防炎性能は確かなものだ。ボタンに魔石と呼ばれる魔力の結晶化した石が使われており、そこから魔力供給をする事で炎を防ぐという、魔術を活用した装備となっている。

 それが機能しているという事は、胸元にある騎士団のエンブレムも本物だという事だ。

 ヴォルトの言葉を聞いたノードが、

「聞き捨てならないな。下に着ている制服だって本物だぜ? 身分はだけはどうか分からないがな」

 そう言いながら見せびらかすようにフレイムブレイカーの前を開け、真っ白な騎士団の制服を晒す。

 解けたネクタイ、開襟されたワイシャツから覗く首元にタトゥーが掘られている。

 ――それが目に入った瞬間――ヴォルトは目を見開いた。


 眼がなく無数の鉤爪上の歯を持つ蛇の様な怪物が描かれたそれは不気味以外の何物でもない。

「盲目龍のタトゥ―……セロイドの悪夢を引き起こした――ザルクスの罪人……」

 ヴォルトは喉を鳴らして生唾を飲んだ。

「お父さんとお母さんを殺した……」

 ルナは込み上げる吐き気に口元を手で覆う。


 かつて、ラカリナの属する大国――ペイオルカルナの東には、灰の小国と呼ばれるセロイドという国があった。

 それは王城を囲うように作られた街――首都セロイディアと、その回りに小さな集落が点々とあるだけの極小規模な王国で、聖典戦争時代から同盟を結んでいた事もあって、ペイオルカルナにとっても関わり合いの強い国だった。


 今から九年前――その小国の首都は一夜にして、瓦礫と血溜まりに変わった。その事件はセロイドの悪夢と呼ばれ、犯人とされたのは仮面の男――フィリアルの率いるザルクスの罪人という組織だった。

 セロイドの悲劇が起こった時、ヴォルトもルナもそこ(セロイディア)にいた。


 ヴォルトの脳裏にあの時の記憶が蘇る。夜の空に閃光の様に瞬いた赤黒い魔力――すぐ傍にいた子供も、大人も、声を上げる暇もなく一瞬にして溶けて消えた。残されたのは彼らが着ていた衣服と大量の鮮血だけだった。砂の様に粉砕された孤児院、何も考える事ができなくて、靴も履かぬまま瓦礫と化した街を走って逃げた。

 ルナに出会ったのはその道中だった。血溜まりの前で泣きじゃくる幼い日のルナ。血溜まりの主は恐らく両親だったのだろう。ヴォルトは見ず知らずとはいえ泣いているルナを何故か放っておけなくて、その手を引いて街の外に逃げた。

 あそこにあったのは本物の絶望だった。

 あの時の記憶が、鼻を衝く埃と血の臭いを思い出すほど、鮮明に呼び起こされた。


 あの惨劇を引き起こした犯罪集団の一員。それを示しているのが『盲目の地龍を象ったタトゥー』だ。

 ザルクスの罪人のメンバーは身体のどこかにこれと同じものを掘っている。

 目の前にいる男の首元にあるのは、その大罪人たちの証とも言うべきものだ。


「今度はこっちの番だよな」

 そう言い放ったノードは先ほど魔術を行使したヴォルトと同じように右手を突き出す。その先に赤い魔力が軌道を画いた。

 ヴォルトの背筋が凍る。相手は恐らくラカリナに火を放った張本人。小さな村落とは言え、その全域焼く程の魔術の使い手だ。

「遊んでやるよ。使えるんだよな? 魔術が」

 含みのある言葉と共にノードの右手の前に、赤い魔力で描かれた魔術陣が完成する。しかし、その魔術陣の外観は――ヴォルトが使用した様な複雑な見た目とは違い、丸の中に三角形が二つ縦に並んでいるだけの簡素な作りをしていた。

 それはヴォルトにとっても正直拍子抜けしてしまうような代物だった。

「定形型魔術? どうしてそんな簡易的な魔術を……?」


 定形型魔術――主に魔術知識を持ち合わせない人間や、魔術を覚えたての見習い魔術師が使う様な簡易的な魔術の総称だ。

 今の状況で定形型などというチープな魔術を使う意味が解らず、思考が鈍くなりながらも、ヴォルトは対抗手段を講じる。


 魔力には火、水、樹、銀、土、風、雷、氷、光、闇の十の属性が存在し、異なる属性同士で有利・不利の相関関係を持っている。

 魔術同士の衝突が生じた際、この属性関係の影響はその結果に大きく関わる事になる。

 赤の魔力である火属性に対して最も有利な属性は水。

 

 ヴォルトはそれを見越して、ノードの魔術に相対するように右手を前に出し、青い魔力で複雑な魔術陣を描く。素早く構築された魔術陣が、瞬間眩く光を放ったかと思うと、半透明の青い光の壁が両者を隔たるように聳え立った。


 定形型魔術には、こんな簡素な見た目をしておきながら、魔力の処理速度が極端に遅いという欠点がある。それもあってか遅れてノードの定形型魔術が発動する。鈍く光った赤い魔術陣の先に拳大の炎の塊が形成される。途端、それは弾丸の様に高速で射出され、その速度故に流線形に形を変えながら、ヴォルトを目掛けて飛翔した。


 が、その向かう先には既に構築された魔力の壁――魔術壁が待ち構えている。衝突の勢いで魔術壁の表面がまるで水面に水滴が落ちた時のように円状に波打つ。なおも直進を続ける炎の塊を水の魔術壁が遮り、完全に防ぎきる――はずだった。

 だが結果は違った。拳大の炎の塊は直進を止める事はなく、バリンというガラスが割れるような音と共に魔術壁をいとも簡単に穿った。魔術壁を突き破った勢いで弾道が逸れた炎の塊がヴォルトの顔面すれすれを掠めて燃え盛る森の中に消えていった。


「そんな馬鹿な……」

 蜘蛛の巣状にひび割れて穴の開いた青い魔術壁がボロボロと崩れ去る。

 ヴォルトには何が起こったのか理解できなかった。思考が纏らない。頭の中が真っ白になる。今の彼は混乱しきっていた。

 

 うつむいた彼の視線の端に、背後でうずくまって震えているルナの姿が映る。

(取り乱している場合じゃない)

 ヴォルトは腹を括ったとばかりにキッとノードの事を睨むと、再び水属性の魔力で魔術陣を目の前に描く。出来上がった魔術陣が瞬いたかと思うと、その光は――徐々に消えていった。

「魔術が――使えない……」

(まただ……昔経験したのと同じ。魔力が――重い、上手くコントロールができない――)


「肝心な時にいつも魔術を失敗する――やっぱり、三年前から変わっていないんだな。ヴォルト=シュヴァルツァ」

 ノードの発したその言葉にヴォルトは驚きを隠せなかった。名乗った覚えはない。それ以前に三年前の事も知っている様な口ぶりだ。

 三年前の事をどこまで把握しているのか――そもそもヴォルトの事を知っていて近付いてきたのか? 彼の頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。もう訳が分からないとばかりに顔をしかめる。

 そんな彼の思考を遮る様にルナの声が聞こえた。

「ヴォルト――右手が……」

 その声に自らの右手に視線を移す。ヴォルトの右手の先から手首にかけて――半透明になっている。


「魔力欠乏……もう限界なのか……?」

 魔力が尽きれば、それは即ち――死を意味する。肉体は原型をとどめる事ができず崩壊してしまう。今の彼の身体は、その一歩手前まで来ているのだと、消えかけの右手は警告でもするかのように明滅していた。

「魔力が存在の力だってのは本当なんだな。向こうの景色まで透け透けじゃないか」

 他人事のように憎まれ口を叩いたノードが、薄ら笑みを浮かべている。

「先天性魔力形成異常――だったか? お前、生れつき魔力の総量が少ないんだろ? 可哀そうにな。そんな状態で健気に魔術師を目指して――待っていたのがあの結果か――神様ってヤツもヒデェ事をするよな」

 ノードは全部知っているかの様にベラベラと軽口を叩く。ヴォルトはそれを聞いている事しかできない。

 もうこれ以上ヴォルトには何もする事ができない。内心悔しい思いをしても、彼を黙らせる術がない。愕然と肩を落とし、その場に立ち尽くしているしかできなかった。


 あきらめにも似た感情がヴォルトとルナを沈黙させる。ノードは黙りこくって動かなくなった二人を見て、魔が差したように首をポキポキと鳴らしながら、

「同情ついでだ。いっそ楽にしてやるよ。そこのお嬢ちゃんも一緒にな」

 そう無情にも言い放った。ノードは腰に差した鞘から突き出た直剣の柄を徐に右手で握り締める。

 それを引き抜いた途端、ゴウッと空気を焼き切る音がした。

 金装飾の鍔の先、その刃は表面に炎を纏い、紅蓮の宝石の様に透明に輝いている。

 轟々と大げさに燃え盛るこの剣が一体どんな代物なのか――ヴォルトは知っていた。

「魔器だと……そんなもの――どうしてこんなヤツが……」

 目を見開きつつも力なく呟いた彼は、その剣身を見た瞬間最初から勝ち目などなかったのだと悟った。


 高濃度の魔力が存在する空間では、物質を構成する魔力が変質し、原型を残したまま魔石化する事がある。この現象によって変質した物質の事を一概に魔器と呼ぶ。魔器の一番の特徴は、変質する過程で魔術転用が不可能な程、制御不能な魔力を膨大に圧縮し、取り込んでいる事にある。その魔力を任意の魔術に使用できない代わりに、魔器に刻まれた図形や文字、傷跡、物質自体の形状などが通常の法則を歪めて魔術的な意味合いを持つ。ものによっては強力無比な魔術を扱う事ができる。

そんな物騒極まりないものがノードの右手には握られていた。


「コイツの名前は焼き斬る灼熱(イグニフィード)。ペイオリティの博物館から盗まれた盗品らしい。お前等なんて容易く溶かす事ができるだろう。なぁに苦しくなんてないさ。ただ一瞬で溶けて無くなるだけなんだから」

 燃え盛る刀身を自らの顔の前にかざし、虚ろな瞳でその切っ先を眺める。


 ルナは座り込んだまま腰が抜けて動けそうもない。ヴォルトがこの状況でできるのは精々、前に出て彼女を庇うか、費えそうな魔力で最後の足掻きをするかくらいだろう。無論、後者は魔術が成功する確証すらない。どの道、彼に待ち受けている結末は変わらない。そしてその後のルナの運命も――。

 ヴォルトの希望は完全に絶たれてしまっている。でも、それでも彼には曲げられない事があった。

(少しでもルナを生かす道があるのなら――それでいい)

 ヴォルトの覚悟は決まっていた。最後の魔力を使い、できる限りルナを守る事。それを果たす為、彼は左手を天高く掲げ、そこに白い光の魔力を集める。

 ビー玉程の小さな光がヴォルトの手の上で徐々に大きさを増していく。それと相反するようにヴォルトの肉体の消失は進行していく。右手首だけだった半透明化は、この時点で両手足と胴にまで広がり、首元にまで迫っていた。

 

「この状況でまだ抵抗するのかよ!」 

 彼の行動が予想外だったのか、慌ててノードは握った焼き斬る灼熱(イグニフィード)を地面に下ろし、その刃を引きずりながら疾走を始める。ノードを追従するかの如く、切り裂いた砂利道が業火を噴き上げる。

 二人の距離は約三メートル、ノードがもう一歩足を踏み出せば、その燃え盛る斬撃はヴォルトのことを斬り裂けるだろう。


(駄目だ――制御ができない――)

 手の平よりも膨張した光の玉は、無情にもヴォルトの頭上でシャボン玉のように弾けて消えた。

 すかさず、ヴォルトを斬撃の範囲内に捉えたノードが焼き斬る灼熱(イグニフィード)の炎刃を振るう。


「ヴォルト!」

 ルナが叫んだ瞬間の事だった。

 

 ノードの斬撃はヴォルト達の真後ろから突然飛んできた黄金の魔力を纏う荊状の杭によって遮られた。続け様に同じ方向から飛んできた別の荊状の杭を回避する為にノードは三メートル程背後へ飛び退くが、更に追撃は続く、同じく三発目の杭が飛び退いたノードの着地点目掛けて放たれ、思わずノードはコケそうになりながらも、着地直後に無理やり、もう一度背後に飛び退いた。


 そんなをギリギリの回避を演じておきながら荊状の杭を避けきった彼は何故か嬉しそうに笑みを浮かべている。

「やっとお出ましか」

 荊状の杭が飛んできた方向、遠景に見えるシュヴァルツァ邸を背景にして漆黒のコートを羽織った老人が雄々しく立っている。

 黄金の瞳が特徴的なそのオールバックの銀髪の老人は、左手に白い魔石の嵌められた大杖持ち、それをノードに向かって突き出している。

 そこにいたのは聖典戦争時代の英雄と謳われた魔術師――サタナ=シュヴァルツァだった。

「おじいちゃん!」

「爺さん――」

 ヴォルトとルナの顔に安堵の表情が浮かぶ。

「大事はないか?」

 サタナはルナの元までやってくると、手を差し伸べ、その手を掴んだ彼女を助け起こす。

「うん、でも――ヴォルトの身体が、前みたいに……」

「ヴォルト――身体を戻してやる。目を閉じていろ」

 言われた通りに目を瞑ったヴォルトの頭上にサタナは大杖をかざす。すると彼の身体を覆う様に黒色の魔術陣が現れ、そして瞬いた途端に見えなくなった。半透明だったヴォルトの身体に徐々に色が戻っていく。

「もういいぞ。無理をさせて悪かったな」

 ヴォルトは目を開けて、身体が完全に元通りになっている事を確認すると、気が緩んだのか微かに笑みが零れた。

「やっぱり爺さんの魔術は凄いな――お陰で楽になった」

 サタナ=シュヴァルツァの持つ、絶大な安心感が二人に希望を与えている。ノードが目の前にいるというのに、先程までとは打って変わって暗澹とした空気は既にそこにはなくなっていた。

 

 掛け替えのない家族の時間をぶち壊す様に気怠げな男は言葉を吐き出した。

「提示した条件。飲んでくれる気になりました?」

 ヴォルトとルナにはその言葉の意味が理解できなかったが、どうやらサタナには心当たりがあるらしい。漆黒のコートのポケットに徐に右手を突っ込み、何かを取り出したかと思うと、それをノードに向かって放り投げた。

 それは鍵状の黒い魔石だった。表面には血管のように張り巡らされた溝がほられいる。ノードはそれを空中でキャッチすると、指でつまみ上げ角度を変えながら神妙なお面持ちで眺めた。

「これは?」

「お前が欲しているものの封印を解く鍵だ」

 そうノードに告げたサタナは少し苛立った様子で静かに言葉を続ける。

「孫たちを巻き込みたくない。二人を行かせてもいいか?」

 それを聞いて、焼き斬る灼熱(イグニフィード)を鞘に納めながら、

「いいでしょう。さっきの話の続きをしましょう。二人っきりでね」

 ニヤリと不敵に笑みを浮かべるノード。サタナは表情を変えず、ヴォルトとルナの方に見る。

「お前たちはペイオリティへ向かえ。ジルフなら当分はお前たちを匿ってくれるだろう。私は――後で合流する」

 ジルフというのはレイジス騎士団の副団長の名だ。つまりこの言葉は騎士団本部へ向かえ、という意味合いも孕んでいた。

「おじいちゃん……でも――」

 ルナは隠し切れない不安を――それでも押し殺すようにヴォルトの服の袖口を小さく摘まむ。

 ヴォルトは渋い顔をしながらも納得したようにサタナの言葉に頷き、

「分かった。ルナの事は任せてくれ」

 そう答えると袖口をつまんでいたルナの手を握った。

「行こう」

 後ろ髪を引かれて不安そうな表情をしているルナ。その手を引いてヴォルトは村の外へと続く砂利道を歩き出す。その進路にはノードが立ちふさがっていて、それを迂回するように二人は速足で通り抜けた。

 ノードの横を通り過ぎる、そのすれ違い様に、彼の口から意味深な言葉が聞こえてきた。

「騎士団本部に行くんだろ? だったら団員たちによろしく伝えておいてくれ。くれぐれもな」

 その言葉を無視して、二人は逃げる様にラカリナから去っていた。



 天高く日は上り、土に生い茂る緑に光が差している。耳をすませば、そよ風が耳を撫ぜる音が聞こえそうなほど、のどかな田園風景――そのど真ん中に金属製のレールが延々と続いている。

 ペイオルカルナの首都――ペイオリティへと伸びる鉄の道を軋ませながら、その列車は高速で疾走していた。

 自然豊かな背景とはいささかながら異色な無骨で重厚な黒鉄のボディの動力車に客車が二両繋げられている。

 魔石力列車――文字通り、魔石を動力にして走る乗り物だ。魔石と言ってもその燃料となるのは安価で魔力容量の低い人工魔石ではあるが、この鉄の塊を直走らせるのには何ら問題はない。

 

 魔石力列車の最後尾の客車の内部、真ん中の通路を隔て、その両脇に列車の進行方向を向いた木製の長椅子が所狭しと並んでいる。丁度その中間辺りにある席にヴォルトとルナは隣り合って座っていた。

 今朝の一連のごたごたで疲れてしまったのか、ルナは列車の振動を揺り籠代わりにヴォルトの肩を枕にして小さく寝息を立てながら眠っている。窓際に座ったヴォルトはそんな彼女を起こさないようにしながら、外に流れるのどかな原風景をただただ眺めていた。


 列車の進路上にある山に、深淵を飲み込んだかのようにポッカリと開いたトンネルが口を開いている。そんな暗く長い闇の中に列車は自ら飲み込まれていく。車内は一瞬暗がりになったかと思うと、ランタンの中に白い魔石の入った魔石灯が、薄明るく車内を照らす。しかし、依然として窓の外には暗闇しかみえない。その漆黒を眺めるヴォルトは、闇に捕らわれるように過去の事を思い出した。


(九年前、セロイドの悲劇があったあの日――ルナの手を引いて、必死に走ったあの時――確かに俺はそれを見た。不気味な仮面を被ったあの男の姿を――。それにきっとあの赤黒い魔力は――魔術なんかじゃなかった――きっとアレは――)


「ヴォルト?」

 突然聞こえたその声にヴォルトは思わずハッとする。気付くとトンネルは終わっていて、車内に光がさしていた。

 心配そうな顔をしたルナがヴォルトの顔をのぞき込んでいる。

「また怖い目になってたよ? もしかしてあの時の事――考えてたの?」

 あの時というのがヴォルトには、いつの事を指すのか分からなかったが、変に勘繰られたくなくて、はぐらかすように彼は笑った。

「ただ、ぼーっとしてただけだよ。何も悩んだりなんかしちゃいないさ」

 誤魔化したヴォルトに、前のめりになってルナは言う。

「嘘でしょ」

「え?」

 突然指摘されてヴォルトは目を丸くして驚いた。

「心配かけないようにって嘘ついたんでしょ?」

「何でそう思うんだ?」

 そう聞かれたルナはえへへと笑っている。

「内緒。ヴォルトは私に嘘は吐けないんだよ」

 そう言って得意げに腕組みをしているルナは、なんだか少し楽しそうにしていた。そうかと思うと今度はスンッと伏し目がちになって、呟く。

「ヴォルトは気にし屋さんだから、あんまり抱え込み過ぎないようにね」

 こんな自分を心配してくれる、その気持ちが嬉しくてヴォルトの顔は自然と微笑んでいた。 

「あぁ、善処するよ」


 トンネルを抜けた先、車窓から望む見晴らしに巨大な白い壁が見える。前方の景色を全て遮るかの如く円状に聳え立ったその壁の内側に、整然と建築物が立ち立ち並んでいる。まるで羅針盤のようなその都市は完全円状計画都市(ペイオリティ)と呼ばれていた。

 二人を乗せた魔石力列車は、その無骨な黒鉄のボディを軋ませながら、白の壁の内側を目指して、ひたすら走って行った。

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