三白眼で目つきの悪い伯爵令嬢は、婚約破棄されたくないのです
お恥ずかしながら。わたし、シルヴァは三白眼なんです。
伯爵令嬢という身分でありながら、目つきが悪いんです。
どうしてお母さまじゃなくって、お父さまに似てしまったのかしら。
どれくらい目つきが悪いのかと申しますと。
木の枝にとまって、美しく囀る庭園の小鳥。まぁ、なんて愛らしいと微笑んでいると。
「いけません。焼いても蒸しても食べられませんよ」などと道行く人に肩を掴まれる始末。
通りすがりの男性は、ふつう婦人の肩に手なんて置きません。
わたしはもう怖くて怖くて、ぶるぶる震えていると。
その男性は「ひぃっ。ぼくも美味しくないです。むしろさっきの小鳥の方が美味しいはずです」なんて、さっさとてのひらを返す始末。
ええ。結局その男性は、わたしの側仕えにこんこんと説教され、伯爵であるお父さまの元に引っ立てられていきました。
春になると花や鳥が美しいものですから。つい立ち止まって愛でるんですけど。
その所為で、いったい何人がいらぬ騒動に巻き込まれてしまったのでしょう。
仕方がないので、わたしは黒い前髪を伸ばすことにしたんです。
これなら目つきの悪さを隠すことができますからね。
◇◇◇
「シルヴァお嬢さま。大変です」
馬車に乗って屋敷に帰る途中、突然侍女がわたしに覆いかぶさってきました。
何事? そう思い侍女に抱きつかれながら、窓から外を見ると。
まぁ、大変。賊が商店を襲っています。
あれは山から下りた山賊なのかしら、それとも陸に上がった海賊なのかしら。
見るからに野蛮な風体に、ガラの悪い顔つき。ああ、馬車の扉も窓も閉まっているのに、男臭いにおいまで感じられて、わたしは卒倒しそうになりました。
自警団の男性たちは、おろおろとなす術もなく。ああ、ひどい。おかみさんが突き飛ばされたわ。
道に転がっていく林檎が、馬車に轢かれて潰れています。
「お嬢さま、隠れていてください。伯爵令嬢が乗っているとばれたら大変です」
「きっと大丈夫よ。伯爵家の紋章がついていない馬車ですもの」
「いいえ。あいつらは鼻が利くんです」
声まで震わせながら、侍女はわたしを守ろうと必死です。
もしこの馬車まで襲われたりしたら。きっと侍女はわたしを守ろうと盾になるでしょう。
ああ、どうしましょう。わたしの為にぼろぼろにされて、殺される未来しか見えません。
駄目です、そんなの。絶対に。
こんな日に限って侍女しか連れてこなかったことを悔いました。
「お嬢さまっ?」
立ち上がったわたしに侍女が悲鳴のような声を上げます。
「ここで身を隠していなさい。大丈夫、何かあったら馬車をこちらへ。御者に命じてくださいね」
「いけません、お嬢さま。お嬢さまには大事な婚約者が。御身を危険にさらさないでください」
いいのよ。わたしは大丈夫。
にっこりと微笑んで(といっても目が隠れているので、口許しか侍女には見えていませんが)わたしは馬車から降りました。
砂埃の混じった風が、わたしの巻いた黒髪とアフタヌーンドレスの裾を揺らします。
背中には、侍女がわたしの名を叫ぶ声が届いています。
怖いけれど、恐ろしいけれど。
御者だって、わたしを引き留めるけれど。馬を駆けさせる者が怪我をしたら、退路を断たれてしまいます。
道には散乱する林檎。通りを行く人達は巻き添えにならぬよう、身をひそめています。
わたしは土で汚れた林檎を手に取り「あなた方!」と、声を張り上げました。
伯爵令嬢として、見て見ぬふりはできないのです。
「あぁー? なんだぁ? このお嬢さんは」
「顔がよく見えねぇが、いいとこのお嬢さんだな。ドレスも売れるし、中身も高く売れるぜ」
下卑た笑いを洩らしながら、無精ひげを伸ばした、とてもとても臭そうな男達が近づいてきます。
いえ、実際にとても臭いの。
鼻が曲がってしまいそう。
武芸の心得? そんなもの、わたしにあるはずがありません。
いっそ急所を狙う? わたしのひ弱な力では、そもそも阻止されてしまいますし。ブーツの踵が折れてしまうわ。
ああ、どうかわたしに勇気を。
天を仰ぎながら、わたしは神さまではなく婚約者の姿を思い描いていました。
わたしが一歩踏み出すと、男達はさらに一歩踏み込んできます。
そうよ、もっと近づいて。
わたしのことがよく見えるように。
「勇気あるお嬢さんだ。散々嬲ってから、売り飛ばすとするか」
もう、その言葉だけで卒倒してしまいそう。
でも、だめ。気絶したら目を閉じてしまうもの。
わたしは大きく息を吸って、長く伸びた黒い前髪を手でかきあげました。
辺りを沈黙が支配しました。
「ひ……っ」と引きつった声。
男どもの顔が恐怖に強張ります。彼らがに手にしていた袋が地面に落ちて、硬貨が零れ落ちました。
「そのお金を、返しなさい」
わたしが一歩近づくと、賊も一歩下がります。
「ま、魔女? いや、違う。そんな可愛いもんじゃねぇ」
「古代の悪の女神か。俺達を滅ぼしに来たんだな」
「目を見るな。呪われるぞ。こいつは邪神だ」
まったく、失礼ですね。こっちは年頃の娘なのよ。女性の顔をそんな風に批判するものではないわ。
ただでさえ三白眼でつり上がった目なのに、それをさらに険しくします。
氷の伯爵といわれるお父さまにそっくりの瞳。
お前が男だったら騎士団に入れるものを。そうすれば一睨みで敵も戦意を失うだろう、とお父さまに何度か言われましたけど。
それも相当失礼ですよ。
「の、呪わないでくれぇ」
「金は返すから」
おどおどと腰の引けた賊は、後ろに下がっていきます。
でもね、容姿を気にしているのにそれを散々コケにされて「あら、いいんですよ」なんて言えません。
「返すですって? それだけで充分だとお思いなの? 廃棄するしかない林檎の代金、めちゃくちゃになったお店の修理代金、それから迷惑料。すべて払ってお行きなさい」
「そ、そんな金……あるはずが」
「あら。どうせ博打をしたり、お酒を飲んだりするお金でしょう? 呪われない為にも献金だと思って置いていった方が身の為でしてよ」
「呪う……やっぱり邪神か」
賊の声は震えています。
もうっ。邪神って何よ。せめて魔女くらいにしてほしいものだわ。
そんな失礼なことを言う輩には、お仕置きが必要ね。
わたしは黒い前髪をかき上げ、顎を上げて男どもを見下ろしました。
本当は、とても怖いけれど。
恐怖心を見せてはなりません。
そうよ。子どもの頃からいかに相手を威圧するか。その練習を鏡の前で重ねてきたはず。というかお父さまに叩きこまれてきたわ。お母さまは「シルヴァは女の子ですから、そのような特訓はおよしになって」と懇願なさっていたわ。
目つきの悪さをさらに増大させる。そんな訓練が何の役に立つのかと、訝しんでいたけれど。
分かったわ、お父さま。
今、この時の為ね。わたしは領民を賊から守らなければならないのよ。
わたしはここぞとばかりに、三白眼のつり目を細めて、唇を鎌の刃のように歪めて微笑んで見せました。
効果てきめん。賊は悲鳴を上げて逃げていきました。
地面には、彼らが投げ捨てたコインの入った財布が落ちています。
まぁ、お店の修理代くらいにはなるでしょう。
「伯爵家のお嬢さま。本当にありがとうございます」
商店のおかみさんが、おずおずと出てきてわたしに頭を下げます。
「助かりました。シルヴァお嬢さまは義に厚く、弱い者を決してお見捨てにならない強いお方なのですね」
違うの。わたしはただ睨んでみせただけ。
強くなんてないし、ドレスの下の膝はがくがくと震えていたわ。
ただ相手が勝手に怖がっただけなんです。
「いえ、わたしは別に、何も」
そう、ただ単に賊を睨んだだけなのです。
おかみさんは、大量の林檎と杏と、それに卵に茸、さらにはベリーまでくださったので、侍女と御者が懸命に馬車に積み込んでいました。
「シルヴァさまは、なんとお優しい令嬢なのでしょう」
「危険も顧みず、我々を守ってくださるとは。護りの女神さまです」
わたしは「はは……」と、力ない笑いを洩らしました。ちょっと品がないですね。ついさっき悪神だの邪神だのと罵られたところなので、心が荒んでもいたようです。
でも、こんなわたしにも婚約者がいるんです。
とても素敵な殿方で、いつも優しいまなざしのヨハンネスさま。
だから、彼には知られたくないの。わたしの目つきがとてもとても悪いことを。
そうよ、一生前髪を伸ばしておけば。ヨハンネスさまに三白眼がばれることもないわ。
なのに、屋敷に帰ったわたしを待っていたのは、そのヨハンネスさまでした。
彼の馬車が車寄せに止まっているのを見て、わたしは隣に座る侍女にしがみついたの。
「ねぇ、引き返しましょう」
「引き返すって。お嬢さまのお屋敷ですよ」
だって、怖いんです。
わたしはさっき賊に散々、邪神と罵られたところなんですもの。
わたしの馬車が止まる音を聞いたせいか、ヨハンネスさまが表に出ていらしたの。
とても晴れやかな笑顔で。
ああ、ヨハンネスさまが現れると、曇り空ですら一瞬で晴れ渡ってしまいそう。
それほどに爽やかで、好青年なんです。
「お帰り、シルヴァ」
馬車の扉をヨハンネスさまが開いて、わたしに手を差し伸べてくださいました。
いやー、来ないで。
「さっき自警団の人があなたの父上を訪問してね。あなたが賊から商店を守ったとを聞いたよ」
いやーっ。どうしてご存じなの?
わたしは硬直して、その場を動くことが出来ませんでした。
しかも「ほら、ヨハンネスさま。ご覧ください。お嬢さまの勇気を讃えてこんなにも」と、御者が山のような果物を見せるんです。
「自警団の人が言うには、かなりタチの悪い賊だったらしいよ。怖かっただろうに、よく頑張ったね」
むしろ今怖いんです。
「わたしは本当に何もしていないんです」
「なんて謙虚な人なんだ。その心の美しさ、そして心の強さ。本当にぼくはあなたの許嫁になれて良かった」
仰らないで、そんなこと。
だって、貴方はわたしの目を間近で見たことがないでしょう?
でも、そんな風に考えたのが間違いだったのかもしれません。
「シルヴァ。今日こそは、ちゃんと顔を見せてくれるね?」
「む、無理を仰らないでください」
ぐいっと身を乗り出してくるヨハンネスさま。
わたしは顔を背けて、一歩下がりました。
「あなたのお父さまが自慢なさっていたよ。娘は誇りだと。幼い頃より、娘を怖がる男どもに何が怖いのか、どうすればより怖いのかを聞き取りしていたのが、功を奏したと」
え? 昔、わたしに「食べないでください」と懇願した男の人は、お父さまにこっぴどく叱られたのではないの?
やはりわたしの目つきが凶悪なのは、お父さまの所為なのね。
ヨハンネスさまはわたしよりも随分と身長が高く、見上げるほどです。といっても、常に前髪の隙間から覗き見しているんですけど。
碧の瞳があまりにも美しく、しかも凛々しくていらっしゃるから。
邪神呼ばわりされるわたしには、眩しすぎるの。
「こら、逃げてはいけないよ」
「ゆ、許してください」
迫って来るヨハンネスさまの胸に手を置いて、何とか押しのけようとするんですが。
非力なわたしでは、たくましい体はびくともしません。
すっぽりと彼の腕の中に囚われてしまっているんです。
「あらあら、仲がおよろしいんですね」と微笑む侍女。
「お熱いですね」と言う御者。
たすけてー。こんな間近に寄ったら、わたしの凶悪な目つきがばれてしまいます。
わたしは瞼を伏せ、さらに顔も伏せてぼそぼそと喋ります。
「あの、中に入りませんか? 車寄せでお話なんて、申し訳ないです」
「悪い人だね。君を愛しいと思うこの気持ちをはぐらかすのかい?」
いえ、わたしの三白眼を見たら、きっとヨハンネスさまは「ひっ」と引きつった悲鳴を上げて逃げてしまわれるわ。
今日をわたしの失恋記念日にしたくないの。
いえ、出来ることならこの三白眼の秘密は、墓場まで持っていくのよ。その為なら前髪を伸ばし続けることも厭わないわ。
「賊の話を聞いた時、ぼくは心臓が止まるかと思ったよ」
「大丈夫です。怪我もないですから」
「本当に無事で帰って来てくれて嬉しいよ」
お願い、もう離してください。限界です。
「許嫁の特権だよ」
そう言うと、ヨハンネスさまの大きな手がわたしの前髪に触れて、おでこを全開にしたんです。
や、やめて……ぇ。せっかくの婚約を破棄されてしまうから。
でも、それすらも声になりませんでした。
顔を真っ赤にしてきつく瞼を閉じるわたし。
彼の反応が分かりません。
だってため息をつくわけでも、悲鳴を上げるわけでもないんですもの。
もしかしたら、驚きのあまり硬直なさったの?
恐る恐る瞼を開くと、ヨハンネスさまはなぜか頬を染めていました。
そして「うん、やっぱり可愛い」と言いながら、わたしのおでこに軽くくちづけたんです。
「み、見ましたよね。わたしの目」
「うん、つぶらな黒目が愛らしいよ」
いえ、白目と黒目の配分がおかしいですよね。
普通、可愛いというのは瞳がつぶらであって。黒目がつぶらって言いませんよね。
「そうだなぁ、正確に言うと。涼やかで格好良くて、愛らしい」
うあー、褒め言葉が増えました。
「凛々しいと可愛いは両立するんだね。あなたと出会うまでは知らなかったことだ」
あ、もう駄目。とても柔らかく微笑む彼の姿が、視界いっぱいに広がって。
わたしは顔だけではなく、耳や首筋まで熱くて、きっと真っ赤な顔をしていることでしょう。
「シルヴァ。あなたはぼくの大事な婚約者なんだ。だからこれからは無茶をしないでおくれ」
そして春風のようなキスを、唇にされたんです。
「わ……わたしは……」
「ああ、恥じらう姿も愛らしいなぁ」
もうやめてぇ。
心臓がばくばくして、胸もドレスも突き破ってしまいそう。
「わたしとの婚約を破棄なさらないの?」
「ん? なんで?」
「だって……わたしは一睨みで賊を撃退するほど凶悪なんです」
「んー?」と、ヨハンネスさまが小首を傾げます。
「それならなおのこと安心だ。ぼくとシルヴァの間に子どもが出来たら。ぼくや側仕えがたまたま近くにいなかったとしても、あなたは自らと子どもを守れるからね。とても素晴らしいと思わないかい?」
こ、こどもっ。
そこまでは考えてませんでした。
いえ、むしろ凶悪な目を見られたら、ふられるものだとばかり。或いは、伯爵令嬢という身分を慮って、形式だけの結婚になるのかと。
「ぼくは君を守るが、君は自分のことも守るんだよ。愛しいシルヴァ」
「……ぃ」
「聞こえないよ?」
ああ、そんな輝くような顔をわたしに寄せないで。
ヨハンネスさまの美しい碧の瞳に映るわたしの顔は、これまで見たことがないほどに恥じらっているんです。
「ちゃんと返事をしないと、またキスするよ?」
賊よりもヨハンネスさまの方が、わたしにとっては強敵なんです。
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