軋む音
風が強い、ある夜。
女はベッドの上で溜息を吐いた。
眠れない。その原因は
――ギィィィィィギィィィィ
……この軋む音。正体はわかっている。
このマンションの隣の部屋の住人がベランダの物干し竿につけたままにしている
ピンチハンガーの音だ。
風が吹くたびに揺れ、軋み、嫌な音を出している。
無神経な隣人。とは言え今は深夜遅くだ。
インターホンを鳴らして注意しては、こちらが非常識。
しかし、窓を閉めて眠るには暑い季節。
かといってクーラーもまだ早い。
――ギィィィィギュイイイイイイイギィギシッ! ギシッ!
これまでで最大の音。もう我慢できない。
女は寝室から出てリビングに向かった。
ベランダ伝いに乗り込み、下に投げ捨ててやろうと考えたのだ。
だが、風が吹き、リビングの白いレースのカーテンがめくれ上がると
その考えは吹き飛んだ。
――ギィィ! ギィイイギシッ! ギィィィ!
軋む音。
それはそこにいる背を向けた男から出ていた。
一瞬、かなりの長身と見紛えたが、それは足が着いていないに過ぎない。
が、それが問題。
首から飛び出た脊髄のようにピンと張ったロープのその先は見えない。
幽霊。首吊り男の。
そう理解すると、それを肯定するかのように
女に背を向けていた男の体がビクンと揺れた。
そしてゆっくりと動く。
目が合う。
そう思った瞬間、女は寝室に戻り、頭まで掛け布団を被った。
そして必死になってうろ覚えの念仏を唱えた。
音はまだ聞こえる。激しく、何度も。
そして……朝、目を覚ました女はこめかみを揉んだ。
いつの間にか眠ってしまったのか。
頭痛がする。熱中症かも知れない。
眉間に皺を寄せ、喉を潤すために冷蔵庫に向かおうと
寝室のドアノブに手を伸ばした。その時だった。
インターホンが鳴った。
何度も。何度も。そして激しいノックの音までも。
寝室を出た女は震えながら玄関に向かう。
その間、思い起こされるのはあの首吊り男の霊。
まさか、ドアを開けたらそこに……。
ああ、まただ、また軋む音が。まさか事故物件だったなんて……。
女は耳を塞ぎしゃがみこんだ。すると
「警察です!」
ドアの向こうからそう聞こえた。
戸惑いつつ女がドアを開けると、警察官がホッとした様子で立っていた。
さらに隣人とマンションの管理人の姿もそこにはあった。
「あの……一体なんですか?」
女の問いかけに口を開きかけた警察官よりも先に隣人が言った。
「あらやだ! あなた、気づいてないの!?」
「え?」
警察官が咳払いで隣人を制した後、言った。
「実は、上の階の男がこちらに侵入しようとしたようで。
ですが恐らく、体に巻いたロープがずれて――」
その先の言葉は女の耳に入らなかった。
苦しみ、もがく様な軋む音が耳の奥で蘇っていた。