〜片翼飛行〜
空を見ている。
端が見えない、大きな空を。
空同様に青々とした広い草原。
その真ん中に生える大きな木の根元に座り込んだり、寝転んだりして。
目の前に広がる、同じモノを持たない広大な空を、私は今日も見つめている。
空は、いつも違う。
太陽の光で色が違う。
雲のある無しで形が違う。
輝く星は数が違う。
この空の中で同じなのは宙に浮かぶ花の形の『島』だけ。
その名も『天の花園』。
生きとし生けるもの全てが憧れる『天の花園』に行く方法はたった一つ。
この大空を飛ぶ事だけ。
でも私は飛べない。
『片翼』だから。
空と同じ、『片翼』だから。
私たちは「木」から産まれてくる。必ず背中に翼を生やして。
この背中の翼は一対ではなく「片翼」しか生えていない。地上にはたくさんの人が住んでいるけれど、どの人も翼は一つだけだ。
そしてこの片翼は空と一緒でみんな違う。
羽の色も、形も、数も。
自分と同じ翼を持っているのは地上でたった一人『片翼の人』だけ。私達はその『片翼の人』を見つけて、心を通わせることで、初めて『一対の翼』になることが出来る。一対の翼になれば大空を飛んで『天の花園』に行くことが出来る。
でもそれはこの広い世界の中から『片翼の人』を見つけられたら、の話だ。
私はもう産まれてから何年も経っているけれど、まだ片翼の人を見つけてはいない。それどころか自分の片翼が見えないから、どの人の翼が自分と同じ片翼なの分からない。翼はとても小さくて、自分で自分の翼を見ることが出来ないから。
もちろん大きさだって人それぞれだから大きな片翼を持っている人もいた。けれどどれだけ大きな翼だったとしてもそれは背中に隠れてしまうほどの大きさ。自分で見ることが出来るほど大きな片翼を持った人を私は今まで見たことがない。
そんな理由で片翼の人を見つけるのは難しいのだ。
でも「絶対この人は違う」、と分かる時がある。片翼が全然見えなかったり、色が薄くて輪郭だけだったり、ぼんやりと透けて見えたりする場合の人。私の経験上、大抵そういう人とは気が合わない。性格や考えること、興味を持つモノとかが違いすぎるのだろうと思う。
私はずっと、この広い広い大空を飛んでみたかった。
だからこれまで一生懸命になって片翼の人を探した。
でも探し方なんて全然知らない。
例え片翼の人が近くにいても分からない。分からないから、諦めてしまう。諦めて探すのを辞めてしまう人は結構居るのだと聞いたことがある。
結局私もそんな一人になってしまい、最近はずっと空ばかり眺めている。
空を見ているだけでも色々と分かることがあった。
一、二週間に大体一人、いや正確には二人が、翼を広げて空に浮かぶ天の花園に飛んで行く。そして一ヶ月に二組くらい、花の良い香りを纏って天の花園から降りてくる。地上に降りてくる理由のほとんどは自分を産んでくれた木の様子を見に来たというもの。
天の花園はとても良いところだけれど、地上にいる「おかあさん」に時々会いたくなるのだと、みんな照れながら言っていた。
飛んで、空へ、天の花園に行くーーー。
それはつまり、母たる「木」から離れるということ。
空に向けていた目を木に向けて、ぎゅっと太い幹を抱きしめた。
あぁーー確かに、恋しくなるかもしれない。
時々でいいから、会いたくなるかもしれない。
だっておかあさんはこんなにもーーあたたかいから。
私は座り込み、また空を見上げた。
今日の空は真っ白な雲一つない快晴。風は心地よい強さでそよぎ、私の髪と周りの草木を揺らしながら静かに過ぎ去っていく。空は一面水のように澄んだ青に染まっていて、それがどこまでもどこまでも、果てし無く続いていた。
今日は特に、空と島が輝いて見える。ピンク色の花のような島はそんなの空の中にとても映えて、キラキラと煌めいている。透明な青と淡いピンク色がまるでお互いに引き立てあっているかのようだ。
いつも見ていたもののはずなのに、不思議。
あぁ、なんだか今日はとても良い日になりそうな気がする。
どうしてかは分からない。でも、そんな「確信」に近い、予感がする。
「こんにちは」
風が草木を鳴らす音に紛れて、中性的な声が耳に心地よく届いた。
聴こえてきた方向に顔だけを向けると、私と同じくらいの背格好の男の子がぽつんと立っていた。男の子は背中に少し汚れた寝袋をくくり付けた大きめ鞄を背負っていて(でもそれは使い込まれた本当に必要最低限の物だけを入れた物のようで)旅慣れているのだと、ひと目で分かる。
この人は、今も『片翼の人』を探す旅を続けているんだ。私のように諦めないで。
私はそんな彼に尊敬と羨ましさを感じずにはいられなかった。
「こんにちは、旅人さん」
挨拶を返すと男の子はニコッと笑って、鞄の隙間から僅かに見える片翼を羽ばたかせながら木の根元まで近づいてきた。
そして愛おしそうに木の幹を撫でる。
「この木は君のおかあさん?」
「えぇ、そう。私の自慢のおかあさん」
幹に抱きつきながら、つい声を大きくして答える。
母であるこの木は広い草原の真ん中に生えていて、少し高い丘からこの辺りを見ると、まるでこの草原が母のお陰で存在しているかの様に見える。そんな母が私にとって自慢で、その母から生まれてこられてことは、私の誇りだ。
「確かに自慢したくなるほど立派な木だよね!僕のおかあさんと形が似ているからなんだか懐かしいよ」
「へぇ、あなたのおかあさんも立派な木なのね」
「うん!あ、そうだ。君はこの話を知ってる?おかあさんのおかあさんの話!」
初めて聞く話に思わず目を見開いて驚いた。おかあさんに『おかあさん』がいたなんて。
抱き締めた木を改めて見つめる。大きくて太い茶色の幹。気持ち良さそうに上にも横にも広がる枝。光を浴びて、同じ色を持たないたくさんの緑の葉。『偉大』を体現した様なこの木にも、『母』が存在するのだ。
それは一体、どんな木なのだろう。
「あの天の花園の中央に大きな湖があってね、そこの真ん中に僕らのおかあさんのおかあさんが生えているんだって。それである時期になると木に小さな実が出来るの。その実が僕らのおかあさんの赤ちゃん時代!」
話しながら男の子も一緒になって木を見つめる。自分の母を思い出しているのかもしれない。
「実は大きくなるにつれて真ん中にくびれが出来てきて、ちょうどこんな形になっていくんだって」
男の子は両手を前に持ってきて形を作った。指を軽く握る様に曲げて、その形のまま両手を向き合わせて引っ付ける。それはハートに似た形だった。実の色は今日の空と同じ透明度の高い青色なのだそうだ。
手の形をそのままに男の子は少し興奮気味に話を続ける。
「実は数ヶ月の時間をかけて成長する。その成長にしたがって、くびれもどんどん深くなっていく。実は両手に溢れるくらいの大きさに成長すると、くびれの部分から二つに分かれて、春一番の強い風に乗って遠くまで飛んで地上に降りて来るんだって!」
「・・・まさか、それが」
二つに分かれた実。元々は『ひとつ』だったもの。
「君が想像している通りだよ。分かれて飛んでいったもう一つの実、そこから産まれたのが僕たちが探す『片翼の人』なんだ!僕たちはね、その人と一緒におかあさんが産まれた天の花園に還るんだよ!!」
胸の高鳴りが抑えられなかった。
今すぐ、飛んで、空に浮かぶ島に行きたかった。
おかあさんのおかあさんに、会いたくなった。
「おかあさんのおかあさんに会いたくなった?」
私の心を見透かした様に男の子が笑顔で尋ねてきた。島を見つめながら私は無言で何度も頷く。
「僕もこの話を聞いた時にそう思ったよ。『片翼の人』と一緒におかあさんを産んだ木を見に行きたいって。それがきっかけで旅に出たんだ。相手が会いにきてくれるのを待ってられなかった。早く、自分から会いにいきたいって思ったから」
もう一度、男の子を羨ましいと思った。旅に出る勇気を私も持てたらいいのに。
「・・・なんて、カッコつけて言ってるけど、実際は片翼の人を見つけるどころか、未だに自分の翼の形も良く分かってないんだよね」
少し悲しそうに男の子は微笑む。翼も元気が無くなって、鞄の後ろに完全に畳まれてしまった。
「教えてあげようか?あなたの片翼。私見えてるよ?」
「本当!?うわぁ嬉しい!!教えて教えて!どれくらいの大きさ?どんな色?形は?」
男の子がはしゃぐと同時に背中の翼が激しく羽ばたく音が聞こえる。でも大きめの鞄のせいでよく見えない。
「教えるから、鞄下ろして背中見せてくれる?このままじゃ色は分かっても形や大きさが分からないわ」
そうか、と納得して男の子はポンと手を叩いた。少し落ち着いたらしい。
それでも本当に少しだけの様で、わたわたと慌てながら重たい鞄を下ろした。向けてもらった背中にある翼は彼の緊張と喜びを表す様に時折震えながらゆっくりと、ぎこちなく動いている。
「それじゃあ言うね?大きさは肩から腰の辺りまであって、色は薄い桃色。羽は先が丸くて細長い形。翼の下の方に一本だけ長い羽があって、それがリボンみたいにお尻の辺りまでのび」
急に男の子がこちらを向いたので言葉が止まってしまった。
彼は驚いているのと嬉しいのとが混ざった、ちょっとおかしな表情をしている。自分が想像していた通りの翼だったのだろうか?
「それ、君と同じだよ!!」
一瞬、思考が止まった。
言葉は耳から脳に届いて、理解されているのに、言葉にならない。
「僕の翼と君の翼が同じなんだ!君の翼も肩から腰まであって色は桃色、先が丸くて細長い羽、そして一本だけ長いリボンみたいな羽!!全部一緒だ!!」
頬を赤く染めながら男の子が嬉しそうに叫ぶ。頬のあたりが熱く感じるから、自分もきっと彼と同じように赤くなっているんだろう。
「・・・じゃあ、私があなたの『片翼の人』?・・・つまりあなたが私の」
「『片翼の人』だよ!!やっと巡り会えた!!」
男の子が両手を広げて喜びを表す。
反対に私はまだ、理解しているのに驚きと嬉しさのあまり理解できていないような、まるで夢の中にいる様な感覚に囚われていた。
でもそんな私のことなど気づきもせず、男の子は喜びのあまり私に抱きついてきた。
すると、
「「わぁ・・・!」
声を揃えて、一緒に驚いた。
自分たちでは見えない大きさだった筈の翼が、身長を超えるほどの大きさになって羽ばたいている。
私たちは、『片翼』から『一対の翼』になれたのだ。
顔を見合わせて、まるで悪戯でも思いついたかの様にお互いに笑いかける。
「いち、」
はじめに言ったのは私。
「にの、」
次に彼が。
「「さん!!」」
声が重なり、同時に翼を思い切り羽ばたかせる。
足から柔らかな草の感触が無くなる。自分にかかっていた重さが無くなる。
空が、ぐんっと近くなってーーー、
遠くなった。
私たちの体は草原に転がっていた。一瞬だけ離れた草の感触を背中に感じながら、優しく吹く心地よい風に身を任せる。
初飛行は、一瞬で終わりを告げた。『飛んだ』と言うよりは『浮かんだ』と言った方が合っている、そんな初飛行だった。
落ちた所為で身体中が痛いのに、何故か、笑いが込み上げてくる。
「・・・飛べたね」
「・・・一瞬だったけどね」
「でも、飛べたよ」
「うん、明日から飛ぶ練習だ」
「そうだね、もっともっと高く飛べる様にならなきゃ」
「「『天の花園』は空にあるから」」
遠い空。
でも、ほんの少しだけ近づけた。
それは、離れ離れだった『片翼』と出会うことが出来たから。
【END】
最後まで読んでくださってありがとうございました。
こちらは学生時代に書いた短編の書き直しです。感想を頂けると今後の励みになります。
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