製鉄の歴史
※「製鉄技術」登場以前の鉄利用
1.隕鉄の利用
古代エジプトなどは、人工的に鉄を作り出すことができるようなる紀元前.3000年以前の文明であるが、その墓から鉄製の装身具がいくつか見つかっている。なので、これらは隕鉄を加熱してハンマーで加工したものと考えられている。 メソポタミア文明(B.C.3000年頃に都市国家を建設し、楔形文字を作成しことで知られる)のシュメール人たちは鉄を「天の金属」と呼んでいた事も隕鉄の利用を裏付けている。
隕鉄の量はかなり大きい場合がある。例えば、アメリカのアリゾナ州キャニオンディアブロにある大隕鉄孔の周辺からは30トンにも及ぶ多数の隕鉄の破片が発見されている。しかし1年間に発見される隕鉄の数は約1個程度と極めて少ない。だが人間の目の届く範囲は全地表面のごく1部分なので、実際には1日に数個、1年では2000個程度の隕石が落ちていると推定される。
そのうち石質隕石が全体の約92%、隕鉄が約5-6%、石鉄隕石が約2%ほどなので、隕鉄は年間に約百数十個地上に落下していると考えられる。それゆえ隕鉄の利用を開始した古代人にとっては地球誕生以来の40数億年分の隕鉄、石鉄隕石が存在していたので、量的にはかなりの量があったと考えれるのである。
2.自然冶金
古代人たちは技術として確立されていないが偶然に地表面に露出した鉄鉱石の上での焚火や山火事などによって鉄鉱石が「自然」に還元されて、鉄ができることもある。
※古代の製鉄技術
酸化鉄の「低温」還元(800℃程度の温度での還元)による低炭素濃度の鉄の製造法の歴史的展開。
紀元前3500年頃からの銅精錬の開始と紀元前2000年頃からの青銅精錬の技術が普及してくる。
それに対して、鉄精錬は紀元前1500年頃から始まったと考えられている。ただし実際に鉄製工具などが広く使用され、鉄器時代といえるようになるのは、鉄精錬法を独占していたヒッタイト王国が崩壊した紀元前1200年以降のことである。
《製鉄法》
低シャフト炉(ルッペ炉、レン炉など) --- 人力フイゴによる冷風送風
高さ1m前後の炉で、直径40-50cm程度の大きさで最初は谷から吹き上げてくる山腹の風を利用した自然送風であったが紀元前2~3世紀頃よりフイゴを利用した手押し送風または足踏み送風へ進歩したと考えられる。鉱石から得られる鉄の量は50%以下であり生産量は一日に数kgほどである。だいたいは炉を壊して中の海綿鉄を取り出すため炉は使い捨てである。
レン炉の炉内温度は千度前後で半熔鉄(海綿鉄、ルッペ)を生成、それを「ハンマーで叩き割り適当な大きさにしてから、加熱して金床でたたき、中の不純物を取り出すとともに、鉄を適当な形に成形する」という鍛造過程を通して鉄を精錬してゆく。
※中世~近世の製鉄技術
シュトゥック炉<高炉とレン炉の中間形態>
8世紀頃に登場、炉の高さ3~4m になり、この高さになると手押しフイゴや足踏みフイゴでは送風力が不足するため、しだいに水車動力によるフイゴ送風がおこなわれるようになった。
炉形とフイゴ能力との関連
製鉄炉の発展方向はより鉄鉱石と一酸化炭素を触れあうように進化する。
そのため炉の高さは高くなるのが基本である。
日本のたたら製鉄は人力での効率上げる為に炉を広げ断面積を増やすことで効率を上げる事にしたものである。
生成した半熔鉄(海綿鉄、ルッペ)を鍛造によって精錬するという点において、中世のシュトゥック炉と古代のレン炉の間に違いはない。古代と異なるのは、生成する半熔鉄が100kgと大きくなったこと。
半熔鉄の大きい塊を炉から取り出すことや、半熔鉄の鍛造過程に水車動力を利用したこと(すなわちハンマーを水車で駆動した)にある。
このように高炉以前の海綿鉄などを取り出す炉を塊鉄炉という。
※近世:高炉と精錬炉による二段階製鉄法(間接製鉄法)
木炭高炉(ヨーロッパ中世末期)
[木炭を還元材・燃料源とした製鉄法]
銑鉄生産量の劇的増大
それ以前が一つの炉で日産数kgから数十kgであったのが、初期のものでも日産約2t近く程増大した。
銑鉄生産量の約2倍の木炭を消費するので、木炭の大量消費が生じた。
これが木炭価格上昇の一つの要因となり、 製鉄過程で木炭の代わりに石炭を利用することにつながる。
しかし、そのためには石炭中の不純物除去という技術的問題があった。
その技術的問題の解決は、石炭の蒸し焼きによって可燃ガスとともにイオウなどの不純物を取り除いた石炭、すなわち、コークスを利用することであった。石炭をコークスにするプロセスの副産物が石炭ガスであり、これがロンドンではガス灯による照明に利用された。
塊鉄炉が高炉に負けた理由
塊鉄炉が高炉に負けた理由は、高炉の方が燃料の面で安上がりであったと言われる。では何が具体的に効率の差を決定したのだろうか?
古代の項で炉は使い捨てにされていたと述べたが、中世になると同じ炉を連続で使えるようになっていた。しかし、塊鉄炉では炉が冷えるのを待ってから鉄を取り出し、冷えた炉を加熱し直さなければならない。それに対し高炉は溶けた銑鉄を高炉の下から取り出し、すぐにも新しい鉄鉱石と燃料を高炉に注ぎ込むことができる。つまり冷えるのを待つことで生じる熱のロスをなくすことが出来る。
これによって塊鉄炉は高炉に負け、脱炭素に燃料を使用する必要がないベッセマー転炉の登場によってその敗北が完全な物になったと考えられる。
送風に変化
アフリカなどでは山地に小さな炉を作り、吹き上がる風を利用して製鉄していた。(風炉)
かなりの風が吹くためにフイゴより効率が良く近代まで使われていたようだ。
アフリカではその後、沿岸部では奴隷貿易で欧州産の工業製品を購入して
内陸部では古い製鉄と欧州から伝播してきた新しい製鉄が同居していたようだ。
フイゴを利用した送風➡水車を利用した機械的送風➡蒸気機関を利用した自然状態に依存しない送風
そして現代では、それまで煙突から逃げるだけの排熱を循環させて、あらかじめ予熱された熱風を炉内に送り出している。
炉の耐熱技術の変遷
使い捨て➡耐熱煉瓦の利用➡耐熱煉瓦と外壁の間を冷却水が循環することで炉の耐久性を高めている。
現代では高炉のあらゆるところを冷却水が循環しており炉の耐久性を高めている。
その熱を利用して様々な事に利用している様だ。
金属精錬の技術
灰吹法
銀と金の最終分離の際に行う精錬方法
鉱石から取り出された金銀の中にには銅など不純物が含まれている。
そこで鉛に銀を融かすことで分離しその後、灰に鉛を吸着することで銀を析出させる。
これが灰吹法である。ただし原型は古代ローマの時点であったらしい。アマルガム法も同様である。
ローマと古代中国すげえ
金鉱山の憂鬱
金鉱石から取れる金の量は非常に少ない。100㎏から2gも取れれば上等である。
よくフィクションの金鉱石は金の結晶が全体に付いているが、自然金は石に金粉がふってるぐらいのものが普通である。
そのため金鉱山の経営は非常に金が掛かる。