『ステンドグラス』
バンスベルク領内のガルテンシュタットの村に立ち寄った時。
僕は、クラウスさんという年老いた男性に会った。
小さなガルテンシュタットの村には宿は一軒しかない。
そういう村では、たいていこの宿が地域の飲み屋も兼ねていて、村の交流の場となっているのだ。
村という閉鎖された空間と、外界から訪れる旅人という存在が交わる交差点の役割も果たしているのである。
旅人である僕に興味を抱いたようで、クラウスさんの方から話しかけてきた。
彼は、引退した元御者だという。
御者というのは、馬を御し、馬車を運転する、いわば運転手である。
シュヴァンツブルグ王国に属する名家バンベルク伯爵家の専属御者として長年勤め、当主であるバンベルク伯の移動には欠かせない存在として、全ての旅路に帯同したという。
今は伯爵の代替わりに合わせ息子のルーカスに御者の仕事を引き継いだ。
クラウスさん自身は隠居の身として、バンベルク領内のガルテンシュタットの村に移り住み妻と共に余生を過ごしているという。
そんな彼が、僕の要望に応え忘れられない怪異を語ってくれた。
あれは……私がまだ御者だった頃の話です。
年に一度、シュヴァンツブルグの宮廷で名家の皆様が集められて執り行われる宮中舞踏会がございます。
主人であらせられた、バンベルグ伯も奥様を連れ立ち、シュヴァンツブルグまで馬車で向かうのが恒例でありました。
その年は、シュヴァンツブルグの王位に、ロタ女王が就任し始めての舞踏会ということもあり、名家の皆様は、それぞれの家の持つ力を誇示せんと、それはそれは着飾っておりました。
バンベルグ伯も、例にもれず、馬車まで新調されたのでございます。
馬車というのは、基本的に装飾は最低限にして機能を重視したものが多いのですが、この新たな馬車は、それはそれは贅を尽くしておりまして、まだ入手が難しく、お館にも、それほど使用されない珍しいガラス窓を採用したほどでございます。
その窓ガラスは、なんでも太陽神イリョスを祀った寺院に使われていたという由緒正しいステンドグラスでございました。
それはそれは色とりどりで、美しいガラスでしたよ。
バンベルグ伯と奥様が、こちらの新調した馬車に、従者や供回りの皆様は、それぞれ馬と古い馬車に搭乗され、街道を連なってシュヴァンツブルグへと向かいました。
バンベルクから都までは、馬車で2日という距離ではございましたが、シュヴァンツブルグ領内は、先の百年戦争の幸いにも戦禍を被ることもなく、街道も整備されておりましたので、快適な旅路でございました。
ところが従者らを乗せた古い馬車の方が、車輪が外れてしまうトラブルに見舞われまして、伯爵を乗せた、私の馬車だけが先を急いだのでございます。
ところが、そのトラブルで時間を取られたせいで、宿にと予定して宿場村に、日没までに到着できなかったのです。
そこで、速度を落としながら、ランプの光を頼りに、進んだのでございます。
街道が整備されておりますので、それほど危険はなかったのですが……ランプをつけた途端、何か違和感と申しますか……奇妙なことが起こり始めたのです。
私は外で馬を御しておりますので、夜風のゴウゴウという音と、車輪の回る音だけを聞いていたのでございますが、その音に交じり、どこからか……。
「つい……つい……」という声が聞こえるでございます。
気味が悪くなった私は、闇の中、目を凝らして声の元を捜しましたが、それらしき何かを見つけることはできなかったのです。
ところが、その時、馬車の中から奥様の叫び声が聞こえたのでございます。
「ギャッ!」
そして「クラウス!」という私を呼ぶ、バンベルグ伯の緊迫した声も聞こえてまいりました。
急いで、馬車を止め、伯爵の元へ向かいました。
ところが、鍵などついていないはずの、馬車の扉が開かないのでございます。
「旦那様! ドアをお開けください」と言っても、中からは奥様の錯乱した様子の叫び声と「早く開けてくれっ!」という混乱した様子の伯爵の声も聞こえるだけで、ドアはまったく開きませんでした。
周囲からは「つい……つい……つい……つい……つい……つい……つい……つい……」という声が大勢の声で聞こえてきます。
すると、突然。
バンバンバンバンバンバンバンバンバン
と、馬車を無数の人が叩くような音が響いてきたのです。
「ギャァァァ」と奥様の叫び声が響きます。
馬車を見ると、ステンドグラスにバンバンバンという音に合わせて無数の黒い手形が現れたのです。
私は、渾身の力を籠めると、ようやくドアが開きました。
その時です。
耳元でハッキリとささやかれました。
「熱い!」
馬車に入ると、伯爵も奥様も気を失っておられました。
私は、目が覚めた時にお二人が気味悪がられないようにと、ステンドグラスについた無数の手形を消そうと手ぬぐいでこすったのですが……。
気づいたのです。
手形は、外ではなく……馬車の中についていたのですよ。
僕が「その後、馬車はどうなったんですか?」と問うと、舞踏会で自慢した後、その馬車が欲しいと持ち掛けてきた、とある男爵家に譲られていったそうです。
なんとも不思議な話だが、クラウスさんは「ふき取ってみると、手形は全て焦げ臭い煤だったんですよ」と教えてくれた。
「あのステンドグラスが使われていたという寺院で、何か、あったんでしょうかねぇ……」
クラウスさんは僕が奢ったエールを美味しそうに飲みほしたあと、つぶやいた。