『海の怪』
まだ僕はドラコニス大陸のほぼ中央に位置するドラコニス王国の旧王都・ドラコブルトの街に滞在していた。
ずっと、通っていた老舗酒場ドラコバールトでは、常連という扱いになっていた。
おかげでウエイトレスのアンゼルマから、変わった体験を持ってる人を紹介してもらえるほどになってた。
「冒険者のデボラさんなら、絶対にルークスさんの好きそうな話を持ってると思いますよ」
デボラとは、ドラコブルトを根城にしている銀等級の女冒険者で、腕利きで知られていた。
「なんで、そう思うんですか?」
「だってデボラさん、ドレスデネ近くの漁師町の生まれだって言うのに、山しかないこのドラコブルトから絶対に離れようとしないんですよ。海とか恋しくないんですか?って聞いたことあるけど、海なんて見たくもないって言ってたもの」
「へぇ~何か、あったのかな……」
僕の嗅覚は、すでに、このデボラさんに何かありと感じていた。
そうこうしているうちに、ちょうど店にやってきた女冒険者のデボラさんを紹介してもらい、僕のテーブルに通してもらった。
「なんでも、海には行きたくないって言っていたとお聞きしたんですけど?」
「あぁ……ちょっと思い出したくもない思い出があってね」
「それって……怪異……としか言いようのないことですか?」
「ふふん……それを聞かせろってことなんでしょ?」
「えぇ、ここでおごることを条件でよろしければ……」
「いいわ」
そういうと、デボラさんはアンゼルマを呼び出し、大量の料理を注文していった。
「これはさ、アタシがまだ、駆け出しの冒険者だったころの話さ……」
そう言うと、彼女は静かに語りだした。
まだ冒険者になりたてだった頃、ドレスデネ近郊でジャイアントアントの巣を駆除する依頼を受けてね、荷物も多かったから馬車で出かけたのさ。
その時は相棒のニコラスと、猟犬のドンが一緒だった。
季節は、冬でね……とにかく寒かったのを覚えているよ。
馬車に、窓をつけておくんだったって後悔したよ。
依頼自体はすぐに終わった。
錬金術師に頼んでいた大量のアリ駆除の薬が効いてね。
大量に積んでいた薬の樽もなくなり、帰りは気楽なもんだったよ。
あの村に着くまではね……。
そこは、海沿いにある小さな漁村だった。
地図にものってないような小さな村でね。
ちょうど日も暮れかかった頃、その辺は街道の整備もロクにできてない場所で、馬車を引く馬が寒さにやられて歩けなくなってしまったのよ。
仕方ないので、通りかかりの村に立ち寄って一休みさせてもらおうと思ったんだけどね……。
村の宿屋も、酒場もどこもかしこも閉まってる。
そもそも、誰一人外を歩いちゃいない。
まるで無人の村に見えたくらいだったわ。
何故か、どの家も玄関にローズマリーの枝が玄関の上ぶら下がっている。
これじゃ、ドアの開け閉めがしづらそうだし出入りに邪魔だな……と思いながら、それを掻き分けて宿屋のドアを叩いてみた。
「すんませーん。ちょっと休ませてもらえませんか?」
館の中から、わずかに人の気配がしたが、返事はなかった。
「あのーお金ならありますけどー」
それでも返事はない。
「なんで、無視するんだろうな?」
「確かにムカつくわね」
「すんませーん!」
しつこく呼びかけると玄関の前に人がやってきた気配がして、声が聞こえた。
「誰だ?」
「あの……馬が寒さにやられてしまって……宿に一泊させてもらいたいんですけど」
「今日は休みだ」
アタシが言い終える前に、苛立ったような声が返ってきた。
「いや、そこを何とか……お金なら」
言いかけた言葉を遮るように、
「今日は開けられない」
と、まるで取り付く島もないまま玄関の前から男は去っていった。
アタシたちは、諦めて馬車に戻ったわ。
馬を横にさせて干し草と水を与えて、馬車の中で休むことにした。
「これだから田舎の村っていうのは嫌だね」
「仕方ない。ここで寝るしかないよ」
「それにしても、あのぶら下げる草、なんなんだろうな?」
「なんかの祭かしら?」
「祭りにしちゃ静かすぎだろ」
そんな恨み節をブツブツと言いながら、馬車の中で毛布に包まって眠りについた。
どれくらい時間がたっただろうか? すでに辺りは真っ暗だったが、馬のおびえたようないななきで、目を覚ました。
すると猟犬のドンも、傍らで唸り声をあげている。
そしてアタシは辺りの強烈な生臭さに気付いた。
ドンは海の方に向かって牙を剥き出して唸り続けている。
普段は大人しい奴なのだが、いくらなだめて一向に落ちつかなかった。
「ニコラス、ちょっと変じゃない?」
起き出したニコラスも、闇の先に目を凝らしあたりをうかがう。
月明りに照らされた海は、先ほどまでとは違って、気味が悪いくらい凪いでいた。
すると、海から村に向かう道に、何か蠢くものが見える。
「なんだ……アレは」
ニコラスが、掠れた声で囁いた。
「何かしら?」
それは最初、海草の塊のようにも見えた。
ぬるぬると、その固まりが、ヘビのように長く長く伸びて、のたうちながらゆっくりと陸に上がっているようだったが、不思議なことに、なんの音はしなかった。
その代わりにグググ……グググ……という変な耳鳴りがずっと耳の奥でなっていた。
そして先ほどからの生臭さは、吐き気を催すほどに酷くなっていた。
それの先端は海岸沿いの道を横切り、向かいの家にまで到達しているのだが、もう一方はまだ海の中へと続いてる。
一体、どれほどの大きさのモノかわからない。
民家の軒先を、うかがうように動いている、その物体の先端には、はっきりとは見えなかったが目と口のようなものがあった。
アタシもニコラスも、そんなに臆病な方ではないつもりだが、それはどうこうできる存在には思えなかった。
一言で言えば「禍々しい」という言葉を具現化したようなモノで、一目見たときから体が強張って、うまく動けなかったのだ。
それは、民家の軒に吊るしたローズマリーの枝をジッと見つめている様子だったが、やがて動き出して次の家へ向かった。
「ば、馬車を出そう!」
ニコラスの震える声で、アタシはようやく我に返った。
アタシは、音をたてないように馬車から降りると、いなないている馬を馬車につなげ、鞭を叩いた。
バシンッ!
その音に、それが反応して、こちらを見た。
アタシは、それと目を合わせちゃいけない、と直感的に思って目を伏せた。
ニコラスも馬車の中で、五大神に祈りを捧げながら前だけを見つめていた。
アタシも必死に馬を御しながら街道を走った。できるだけ海から離れた場所へ……。
すると馬車の中で唸っていたドンが「ヒュッ…」と喘息のような声を上げてドサリと倒れる気配がした。
「ドン?」
アタシの声で思わず振り返ったニコラスが「ひぃっ」と息を呑んだまま固まった。
「ニコラスっ! 振り向くなっ!」
咄嗟に、馬車に手を突っ込んで、無理やりニコラスに前を向かせた。
ニコラスは、ガクガクと震えたまま、その目はぶっ飛んでいたわ……
それから、もと来た道を馬が倒れるまで走り続けて峠を越えると、そのまま朝を迎えたのよ。
ニコラスは、殆ど意識が混濁したまま、その後にドレスデネの病院に入院したが一週間ほど高熱で寝込んだ果てに死んだ。
ドンは、激しく錯乱して誰にでも咬みつくかと思うと、泡を吹いて倒れる繰り返しで、可哀そうだが薬で安楽死させてもらった。
「結局、それが何だったのかは分からないし、今となっては知りたくもない。
ともかく、アタシはもう、二度と海には近づかないよ」
そう言って、デボラさんは、ローズマリーのハーブ酒を飲み干した。




