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『異世界』

キィィィィン……高い金属音のような高周波が、耳鳴りのように鳴り響いている。

それが、実際の音なのか幻聴なのかはわからない。

ただただ、その不快な音から逃れたくて、僕は起き上がろうとした。


「動かない」


身体が、まるで動かなかった。

全身がヘドロのようにとろけてしまっているかのように、体の自由が奪われている感覚。


「痛い」


とにかく頭が痛かった。

酒飲みでもないのだが、二日酔いの痛みにも似た、ガンガンと頭の内から叩かれるような痛みが、キィィィィンという高周波と共に響いていた。


「うぅ……」


なんとか目を開くと、目の前には、巨大な木の幹が見えた。

辺りを見回すと……そこは草原。

空が赤く染まっている。

明け方? もしかしたら夕方かもしれない……。


「あれ? ここはどこだ? 僕はこんなところで……何を……」


その疑問が脳裏をかすめた刹那のことだ。

一瞬で、自分に何が起こったかを思い出した。


琥珀(こはく)さんが見つけたという儀式の再現……。

黒いタールの様な円環……。

その中から飛び出してきた無数の手……。


「ここは!?」


ゾッとするような心細さに心が支配されたような気がした。

白々とした周囲の景色を見て、その心細さは増していった。

ただ、さっきよりも明るい。地平線に太陽の先端が出てきたようにも見える。


「どうやら夕方ではなく朝のようだな……」


 時間がわかったところで、何も問題は解決していない。

ここは、どこかの小高い丘の上にいるようだったが、周囲に人の住む気配はない。

どこまでも広がる草原のただなかに、一本立つ巨木という光景が広がっている。


日の出の方角を東とするならば、西には、巨大な山脈が北に向かって続いていた。

こんな山、日本では見たことがない。アルプス山脈にも似ているような気がするが、そんな規模ではなく、最も高い山の山頂は、雲の中にあり、伺い知れないほどに高かった。


朝日が、地平線の向こうに現れ、周囲を、照らしていく荘厳な光景。

南も北も、草原の向こうには、どこまでも続く森が広がっているのが見えた。


「どこかに行くにしても、あの森を越えなくてはいけないのか?」


しかし、その選択肢が浮かんだ時点で、もう生きられる可能性は無いかのように感じるほどに、それは美しくも絶望的な光景だった。


それでも、このままここにいても、腹が減るなり、脱水症状なりで死ぬことは間違いない。だとすれば、生きるためには移動する他ないのだ……。


「もしも、人がいる世界なのだとしたら、街があり、道があるはずだ。とにかく、人の痕跡を見つける他ない……」


僕は腹をくくった。

それから僕は、ただただひたすらに歩き続けた。

遠くから聞いたこともない鳥や獣のような鳴き声が聞こえるたびに、僕の体はビクっと怯え縮まる。

時計が無いからわからないが、日は登り、真上に来ていた。


「もう昼くらいだろうか……だとすると、6時間以上は歩いたということだろう……」


 すでに、足は棒のようになり、それでも道らしきモノは見当たらず、そもそも平原を歩いている時は、山の位置を見れば、なんとなく方向もわかったのだが、うっそうとした森に入った途端、自分がどっちに向かっているのかよくわからない……。


木々の種類はわからないが、なんとなく見たことのない木ばかりのような気がする。

光景から推測するに、日本というよりも、ヨーロッパ的な光景に見えるが、実際のところは、わからなかった。


しばらく歩くと、小川にたどり着いた。

生水は飲むと腹を壊すと知識では知ってはいるが、朝から歩きどおしで何も口にしていない。

水を飲まなければ、それこそ死んでしまう気がして、構わず水をすすった。


「こんなところで死んでたまるか……」


 水を飲んだとたん、生に対する執着が湧いてきたようだ。

やみくもに森の中を歩くよりは、川沿いの方が迷うことはないだろう。

僕は、小川に沿って、下流へと向かうと決めた。


それからは、川にそって歩いた。

徐々に川が太くなり、いくつかの支流との合流を果たしながら、日没する頃には、土手がはっきりとわかる程度の規模の川になっていた。


夜に歩き回るのは危険だとは理解していたが、この場に留まることの方が恐ろしく感じ、僕はひたすら歩いた。

日没からどれくらい歩いただろうか?

ほとんど星明りしかない中、ボロボロになった体を引きずるように歩いていると、ぼんやりと、川にかかる何かが見えて来た。


「橋!?」


この地に来て初めて目にする人工物であった。

近づくと、丸太で組まれた粗末な橋だった。

それでも、間違いなく、人の手によって作られたものであることは、見てわかる。


「橋があるなら、近くに町があるんじゃないか?」


僕は、橋に繋がる道を、さらに下流に向かって歩いた。

そして、しばらく道沿いを行くと、ようやく人影が見えて来た。

ここに来てから初めてあう人だ。


「人?」


 それだけで、救われた気がした。


「すみませーん。助けてください」


僕は、手を振りながら人影向かって走った。

だが、すぐに異変を感じ、僕は足を止めた。

 まず暗闇の中で感じた異変は、その匂いだ。


「腐臭?」


 その臭いは、一度、嗅いだことのある臭いだ。

かつて、心霊スポット巡りをしている時に、自殺の名所と呼ばれる大樹の下で見つけた遺体。

おそらく、木にロープをかけての首つり自殺だったのだろうが、すでに死後数週間が経ったその遺体は、体の重さで、首がちぎれ、すでに地面に体と首は離れた場所に転がっていた。

夏の暑さで腐り、それはそれは物凄い臭いを発していた。


「あの時と、同じ臭い……」


 だいたい、街灯もない、真っ暗な道を、この人は、こんな時間に何故あるいているのか? 突然、頭にいくつもの疑問が浮かんできた。


さらに、僕の声に反応して振り向いた、その人物を見て、僕は絶望を感じることになった。

星明りに照らされたそれは、明らかに生ける人間ではなかった。

体中に矢が刺さり、いたるところが腐敗していた。

腐敗した皮膚には、無数のウジ虫がうごめき、歩くたびに、ブジュブジュと嫌な音を立てて腐汁が噴出していた。


「ぞ、ゾンビ?」


 映画でしか見たことのない状況に、自分が置かれているということが受け入れられず、現実味の欠いた光景に見えた。


「ウゥゥゥゥ……」


 その腐った死体は、うめき声をあげながら、こちらに手を伸ばしてくる。

完全にヤバイ。映画的に言うと、掴まったら殺される。

僕は、走って、そいつを避けてそのまま道沿いを走った。


「どうなってんだ? ここはなんだ? 夢なのか? 頼む夢であってくれ……」


 そんなことを祈りながら走った。

腐った死体は、走れないのか、徐々に見えなくなっていった。

でも、止まれば、追いつかれると思い、僕は、そのまま走り続けた。


 すると、目の前に、明かりが見えて来た。

誰かがランプを持って歩いているようだ。


「今度こそ、人間だ!」


 僕は走って、その灯りに近づいた。

それは、間違いなく人だった。

綺麗なビロード生地のマントをつけた女性のようだった。


「あの……助けてください」


 振り向いたその人は、黒い髪をした女性で、色は驚くほど白かった。

どこか、明美さんに似た面影があった。


「も、もしかして琥珀(こはく)……いや和美さんですか?」


彼女は僕を見て、軽く微笑んだ。

その微笑みは、僕を安心させるのに十分だった。


「ヒカリさん? 来てくれたんだ……」

「はい……明美さんに言われて……」


安心した僕は膝から崩れ落ちた。


「あの、ここは……どこですか?」


 琥珀(こはく)さんは、目を細め嬉しそうに微笑んだ。


「つまり……あなたが死んでも誰も気づかないわけね」

「え?」


 琥珀(こはく)さんの目の色が、サッと変わった気がした。

そして、その口をニカっと開くと、そこには、鋭い牙が二本生えていた。

まるで、ゴシックホラーに出てくる吸血鬼そのものだ……。


「ちょ、ちょっと待ってください」

「大丈夫、ヴァンパイアに生き血を吸われるのは気持ちいいらしいわ」

「え? え?」

「ちょうど、喉が渇いちゃって……」


 琥珀(こはく)さんは、こちらにユラリと近づいてくる。

本能が、僕に逃げろと告げる。

でも、体が動かなかった。


「苦しみは与えないから……」


 動けない僕の首筋に、二本の牙が近づいてくる。


「あ……あぁ……」


 こんな時、ジャ〇プの漫画だったら、誰か助けに来てくれるんだよな……。

そんなことを考えながら、首筋に二つの激痛を感じた。

 動けないまま、声も出なかった。

このまま、僕は死ぬんだろうと思った。

せめて、夢であって欲しいと、それだけを願っていた。


ドサっと僕は地面に落とされた。

身体は全く動かなかった。


「ヒカリさん……ごちそう様。大丈夫、復活できないように血を吸いつくしたから……まもなく、死ぬわ」


 そう言うと琥珀(こはく)さんは森の闇へと溶ける様に消えていった。


「なんだよ……いきなり死ぬのかよ……」


徐々に視界がぼやけていく。これが死か……これが……。

再び全ては漆黒の闇に包まれた。


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