『廃墟の街・アーベンロット』
巨漢のフロレンツは、ドラーテム王国の首都、ハルスベルグの城下町で風呂焚きをしている。
雪深いハルスベルグの冬は厳しく、公衆浴場【竜の泉】は併設された酒場で食事もできるとあって、領民憩いの場である。
風呂焚きの仕事は、朝から斧で薪を割り、かまどに火を入れて風呂を焚く。
過酷な重労働だが、戦争で足に怪我を負い、戦働きも冒険者もできないフロレンツには、ほかの仕事を見つけるよりも、この労働に甘んじていた方が気楽だったのかもしれない。
それに、巨漢から繰り出される、オーガが使っていたという巨大な薪割り斧は、どんな薪も一撃で割ることが可能であり、半日もあれば、納屋の薪を全て割ってしまうほどだった。
こうなると、フロレンツにとって、今の仕事は天職と言っても過言ではなないだろう。
その日の仕事を終えて、竜の泉の酒場で食事を取っていたフロレンツに僕は話しかけた。
「その足の傷は、何で負ったんですか?」
しばらく僕の顔を見ていたフロレンツだったが「矢だよ。矢を膝に受けちまったのさ」と言って、再び僕の顔をジッと見つめていた。
その沈黙に耐えきれなくなった僕は「何か僕の顔についてますか?」と、思わず聞いてしまうほどだった。
「冒険者か?」と、僕の質問には答えず、問われたので「いいえ、僕は怪異収集家です」と、この世界で不可思議な話を集めていると自己紹介をした。
「何か不思議な、お話を聞かせてくもらえたら、エールを一杯奢りますよ」
「エール二杯なら話してやる」
この世界の人は、本当にエールが好きだ。
エールというのは、麦を発酵させた醸造酒で、ビールの一種らしいが、僕は苦くてあまり好きになれない。
これだったらワインや蜂蜜酒のほうが美味いと思うのだが、この世界の人々は、やれ祝いだ乾杯だと何かというとエールを飲むのだ。
こんなもんをガブガブ飲むから、太るのだと思った。
「わかりました。エール二杯で手を打ちましょう」
フロレンツは、すでに飲みかけていたエールのジョッキを飲み干し空にすると、
「カタリーナ! この怪異収集家様の奢りでエールをくれ。ジョッキ二つだ」
そう言って給仕のカタリーナにジョッキ二つを追加注文した。
「じゃ、俺の話を聞いてもらうことにするかな」
「こいつは、俺がドラーテム王国軍の斥候部隊にいた頃の話だ」
そう言って、古傷が痛むのか、膝をなでながら語り出した。
俺はドラーテム王国軍の正騎士団に所属していた。
ドラーテムの正騎士は五つ、五大神になぞらえ、【火炎】【鏡水】【疾風】【大地】【虚空】の名が付けられていた。
俺が所属していたのは最速の機動力が自慢の疾風正騎士団、中でも重要な斥候部隊だ。
斥候ってのは、敵地や戦地に深く入り込み、索敵や敵陣の特定など情報収集が任務の最も危険な仕事だ。
だからこそ、馬の扱いってのが重要になる。
ん? その巨漢で馬に乗れるのか?って顔してやがるな。
まぁ、今じゃブクブクとふとってこのありさまだけどよ、騎士団にいた頃の俺は、こう見えても、痩せていたんだぜ。
ひょろひょろのガリガリ、ガリノッポなんて呼ばれていたくらいだ。
それに早駆自慢が多い分隊の中でも、俺は誰よりも若く速かった。
その日の任務は、廃墟の街・アーベンロットの探索だった。
アーベンロットはドラーテム王国の西部の湾岸部にあった、かつての王都だった。
貿易で栄えた港町だったが、百年戦争が始まった時、レッドウェイブスのゴブリン共の奇襲を受けて滅んでしまったのさ……。
その後、百年の戦争の間、ずっとこのアーベンロットを取ったり取られたりを繰り返した結果、今じゃ復興も出来ないほどの廃墟となっちまった。
今じゃ、野盗やら蛮族やらアンデッドの巣窟と化してる魔窟だよ。
だからこそ王国として、この辺りは、常に探索し、把握しておく必要があるんだ。
分隊は、ライナルト分隊長と俺を含めた5人だった。
俺たちはアーベンロットのかつてのメイン通りを進んでいた。
王都だったころは、市場が並んでいたはずのこの通りも、今では雑草に覆われ、燃え落ちた家々が点々と並ぶ不気味な光景が広がっていた。
「おいガリノッポ、早駆は得意かもしれんが、もっと静かに馬を操れんのか? そんなんじゃ、すぐに敵に見つかるぞ」
「了解しました。ライナルト分隊長殿。ただ自分にはフロレンツという親に貰った名前がありますので、そう呼んでください」
「ガリノッポはガリノッポだ! 名前で呼ばれたいなんてのは、一人前になってから言え」
分隊で一番若かった俺は、いつも怒られていたよ……確かに速さは認めてもらっていたが、馬の扱いが雑だって言われてね、蹄の音がバタバタしちまうのさ。
俺も気を使って、馬を操り、廃墟の中を進んでいった。
だが、結局誰も現れなかった。
そもそも、アーベンロットの捜索なんていうのは、各正騎士団が持ち回りで月に一度は行われている定例行事になっている。
だからこそ、まとまった敵なんて現れるもんじゃないんだ。
この時の俺は、安心しきっていたよ。
とはいえ、アーベンロットは広いからな、一日じゃ捜索しきれない。
だから、元々広場だった場所で野営することになったんだ。
野営は、見張りを交代しながら休みを取った。
そして、深夜に分隊長の声で叩き起こされた。
「敵襲っ!!」
俺は抱きかかえて寝ていた両手持ちのロングソードを手にライナルト分隊長の元に走った。
分隊長の元にいたのは俺を含めて4人。
射手のバルテルがいない。
「固まれ! 周囲に警戒しろっ!」
俺たち4人は背中を合わせて周囲を警戒した。
「分隊長殿! バルテルは?」
「そ、そこだ……」
視線の先に、ボロボロの何かがあった。
そこには手足も頭もない、胴体だけとなった死体が転がっていた。
「!?」
一体、どうやられれば、そうなるのか? まったく想像もできなかった。
「て、敵は!?」
「わからん! だが、どこかにいる……」
俺たちは目を凝らして闇の中に意識を向ける。
何も見えない。
4人の、息遣いだけが響く。
「ハァハァハァハァハァ……」
だが、俺たちの息遣いの他に、別の声が聞こえる。
「グフゥ……グフゥ……グフゥ……」
かすかだが、俺たちの息遣いとは別の息遣いが聞こえる。
闇に眼を凝らす。
そして、耳を澄ました。
その息遣いは、俺たちの周囲をグルグルと回っているように聞こえた。
「か、囲まれてるのか?」
デニスが声をあげた。
次の瞬間。
闇の中から真黒い影が、伸びた煙のようにデニスの周囲に伸びた。
そして、そのまま闇の中へと引きづり込んでいった。
デニスは声を上げる暇もなかった。
闇の中からグチャグチャと肉が引き裂かれる音と、むせるような強烈な血の匂いがした。
ライナルト分隊長は、俺の耳元で囁いた。
「ガリノッポ……馬まで走れるか?」
「は、はい……」
「お前の馬は速い……なんとしてでも生きて北のラクリマ砦まで走れ……そして、この街の異変について知らせろ」
「はい……分隊長殿は?」
「俺とガルツで敵を引きつける」
「早く行けよガリノッポ」
無口なガルツは、震える声で言った。
俺は無言でうなずくと、馬を繋げた廃墟の柱へと走った。
「グフゥ……グフゥ……グフゥ……」
闇の中から息遣いが近づいてくるのが聞こえた。
殺される!
俺の背筋は凍りついた。
その時、背後から分隊長の声が聞こえた。
「化け物! お前の相手は俺だ!」
途端に、息遣いは遠のいていった。
「ぐわぁぁぁ」と叫ぶガルツの声。
そしてライナルト分隊長の叫び声が聞こえた。
「行け! フロレンツ! 生き……」
その先の声は途切れて聞こえなかった。
俺は必至で馬の元までたどり着くと、繋いでいた綱をロングソードで断ち切り。
そのまま馬にまたがり闇の中を走りだした。
がむしゃらに走り、廃墟となった街を抜け、道なき平原をひたすら走った。
だんだんと、余裕が出てきた俺は、ライナルト分隊長が最後の最後で、自分の名前を呼んでくれたことに涙したよ……。
だが、安心するのは早かった。
闇の中から「グフゥ……グフゥ……グフゥ……」という声が聞こえてきた。
そして、猛スピードで、その声が近づいてきたのだ。
光も何もない闇の中だ、敵の姿が見えない。
だが、声だけは確実に近づいてくる。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
闇の中、ロングソードを振り回したよ。
ただ空を切るだけだったけどな……。
だが、確実に声だけは近づいてくる。
「グフゥ……グフゥ……グフゥ……」
俺は馬に鞭打ったが、声から逃れることはできなかった。
突然、ガツンッと足に激痛が走った。
真黒い影がいつの間にか下から伸びて俺の足に噛みついていやがったんだ……。
風で、真黒い煙が掃われていった。
俺の足に噛みついていたもの……それは人間の顔をしていた……。
バキンっと聞いたこともない音が響くと、奴は俺の足を噛み切っていたのさ。
そのまま馬の上で気を失った。
フロレンツは、膝をさすりながら一杯目のエールを飲みほした。
「気がつくと、歩く馬の上で朝日を浴びていた。だがラクリマ砦に辿り着いた俺を待っていたのは、荒野でコヨーテの群れに襲われて、仲間を見捨てて逃げ帰った男という不名誉なレッテルだった」
すぐに二杯目に飲み始めた。
「結局、俺は騎士団を除籍された。ま、残っていても、この足じゃ戦働きはできなかったけどな」
僕はフロレンツに問いかけた。
「その闇の中の影っていうのはなんだったんですか?」
「わからねぇ……アンデッドにも見えなかったしファントムなんて代物でもねぇ……ただ、俺に噛みついてきたのは……ライナルト分隊長だったんだよ」
そう言うと、フロレンツは二杯目のエールを一気に飲みほした。




