『禁足地』(前編)
「祓うことのできない穢れってあるんですよ」
美しい巻き毛を持つ若き女性コリンナは、白ワインを一口飲むとそう呟いた。
ことの始まりはフローレン王国のゼーヴァルド村の酒場に滞在中、行商を営んでいるというコリンナと相席した時のことだ。
季節は秋蒔きの麦の種まきを終え、来る冬への備えを粛々と村人たちが始める頃だった。
怪異を集めて旅をしているという話をしていると、始めはあえて興味がなさそうな態度をしていたコリンナだったが、僕がこのゼーヴァルド村に、腕ききの呪術者であるダークエルフ・エルルーンに会いにきたことを伝えると急に前のめりに話を聞いてきた。
最終的には、呪術者エルルーンに紹介して欲しいと懇願してきたのだ。
エルルーンと僕は古い友人である。
僕が、この異世界であるドラコニス大陸に来て初めてできた友人と言ってもいい。
そして命の恩人でもある。
その話はいずれ改めてするが、コリンナに何か事情があるようなので、話を聞くことにした。
僕は「お話を聞かせてもらっていいですか?」と、温かいシチューを追加注文した。
それはコリンナの出身の村での出来事だという。
彼女の出身は、フローレン王国の北東に位置するマイセン辺境伯領アルトシュタット。
この雪深い辺境の渓谷にある、この小さい村だ。
「ことの始まりは10年前のことよ……」
寂しげにほほ笑んだは、小さく息を吐くと、静かに語り始めた。
ゴブリンとの百年戦争も終わり、ようやく平和になって数年。
まだ子供だった私と、グスタフ、ヴェルナー、パウラの4人は幼馴染で、いつも一緒に遊んでいたわ。
男の子のグスタフとヴェルナーは、やんちゃで、危なっかしいことばっかりして、女の子の私とパウラが、それを止めるって言う感じだったの。
そんなある日、グスタフが言い出したのよ。
「黒き山の森に行ってみないか?」
アルトシュタット渓谷を形成する山の一つシュヴァルツベルグに広がる森があるんだけど、ここは村では立ち入りが禁止されている禁足地。
でも、前日にグスタフが大きな雌鹿が、この森に入っていくのを見たっていうのよ。
季節は、ちょうど今と同じ頃で、雪が降る前に冬の備えをしておく必要があって、鹿の肉と皮があれば、だいぶ助かると思ったのよ。
パウラは「禁足地に入ったら、怒られるわよ」って消極的だったんだけど、この年は、春蒔きの麦や豆が不作で、食べ物はなんでもいいから欲しかったから、私もヴェルナーもグスタフの提案になる事にしたのね。
ヴェルナーとグスタフは家から弓と矢を持ってきた。
グスタフは、子供達の中でも喧嘩が強かったし、猟師の息子であるヴェルナーは弓の名手だったから、森の動物くらいなら何とかなると思ったのよね。
私とパウラは護身用のダガーと魔よけのアミュレットを身に着けて、黒き山の森に向かった。
禁足地と言っても、ただの森に変わりは無かった。
別におどろおどろしい草花が生えているわけでもないし、アンデッドがうろついているわけでもない……。
他の森と変わらない、のどかな風景が広がっていた。
ちょっと拍子抜けだったけど、目的は雌鹿だから、私達は森の奥へと入って行ったの。
途中、ヴェルナーが鹿の足跡と新しい糞を見つけて、そこからは、慎重に進んだわ。
そしてすぐに雌鹿を見つけたの。
ヴェルナーが弓に矢を番えると構え……。
その時だった。
キィィィィンっと何か金属音が響いた。
どこでなったかわからないけど、あまりに大きな音にみんな耳を塞いでしゃがみこんだ。
もちろん、音に驚いて雌鹿も逃げ出したのよ。
「何だ今の!?」
「わからないけど……鹿逃げちゃったわ」
「追いかけよう!」
パウラだけは違った。
「もう帰りましょう……なんか気味が悪いもの……」
今になって思えば、この時、パウラの言葉を聞いておけばよかった……。
でも、私達は進むしかないと思ってしまっていた。
雌鹿は、冬を越すために脂を蓄えていて、食べごろに見えた。
何より、あの瞬間、もう狩った気になってしまっていたのよ。
すでに狩ったと思えたモノを諦めて帰るなんて、私達にはできなかった。
ヴぇルナーは逃げた鹿の足跡を追いかけた。
でも、雌鹿の姿は見つからなかった。
そのうち、ヴェルナーは、鹿の足跡が、ある洞窟のようなほら穴へと続いているのを見つけた。
「鹿がこんな洞穴に自分から入るか?」
グスタフは怪訝な顔をしたが「足跡が有る以上、ここの中にいるに違いない」
ただ、この洞穴は、どこか人口的に見えた。
石を積んだ後に、崩れたような印象を受けたのだ。
「入っちゃだめ……なんかおかしいわ」
パウラは怯えたけど、洞穴の中に鹿がいるなら、なおさら取り逃がす可能性は低く感じた私達は、パウラの反対を却下して、松明の準備をして洞穴の中へと入って行った。
洞窟の中は、ジメジメとしていて、生温かかった。
地面は苔に覆われていて、歩くとふかふかとした感触がブーツから伝わった。
感じたままに言えば、何か、巨大な生物の体内を歩いているような気持ち悪い気分だったわ。
しばらく進むと、開けた場所に出た。
と、松明の光の届くぎりぎりのところに、あの雌鹿がいるのが見えた。
鹿は、真黒な感情のわからない瞳で、ジッと私達を見ているようだった。
「やっぱり……なんか変よ」
パウラは動揺していたけど「静かにっ」そう言って、ヴェルナーは矢を番えるとグッと弦を引いて狙いを定めだ。
一瞬の間だったはずだけど、永遠の時のように感じた。
次の刹那。
シュッと風を切る音が響くと、ザンっと鹿の喉に、矢が突き刺さった。
ところがおかしい。
鹿は鳴くことも呻くことも、暴れることもなく……微動だにしないまま、私達をジッと見つめているようだった。
ヴェルナーは、すぐに次の矢を番えると、すぐさま放つ。
ザンッザンッザンッ……。
計4本の矢が突き刺さったが、鹿は微動だにしない。
ヴェルナーは、すぐに弓を腰にまわすと松明を手に鹿の元に向かった。
私達も後に続いた。
見えてきたのは、4本の矢が刺さった鹿。
ドクドクと血が流れ……地面に広がって行く。
それでも鹿は何かに抑えつけられたかのように小刻みに震えるだけで、そのまま立ちつくしている。
「なんだこれ……どうなってんだ?」
何かがキラリと光った気がして、松明をその方向に向けた。
そこにあったのは、岩で作られた祭壇のような場所に鏡が置かれていた。
「あれは……」
「祭壇!?」
「ちょっと、これまずいんじゃない?」
近づいてみると、それは祭壇ではなく、石で造られた棺だった。
巨大な棺の上に鏡が置かれていたのだ。
「なんなんだよ、これ……棺……?」
グスタフが近づいた瞬間。
キィィィィィィンっと先ほどと同じ金属音が響いた。
私たちは、その音の前に、耳を塞ぐほかなかった。
だけど、いつまで経っても、その音が鳴りやまない。
そして、バリィィィンっと棺の上に置かれた鏡が粉々に吹き飛んだ。
それでも鳴りやまない金属音。
そして、その音に合わせて、ギリギリと石の棺がずれていくのが見えた。
「!?」
ガシャンっと、棺から落ちて、ふたが砕けた。
その途端、音は止み、静寂が訪れた。
私たちは、松明を拾い上げると、棺の中を照らした……。
その中には……。
何も入っていなかった。
「か、空じゃないか……」
何かホッとしたと思ったら、バタンっと音が響く。
「!?」
「今度はなんだよ!」
4本の矢が突き刺さった鹿が突然、倒れたのだ。
そしてビクビクとけいれんを起こして口からは、血の混じった泡をブクブクとふいていた。
「もう帰りましょう。こんなところにいたくないっ」
パウラが叫ぶ。
その声で、ようやく我に返った私たちは、逃げるように洞穴を後にした……。
森に出ると、日暮れが近づいた様子が一変していた。
空気が重く、周囲から無数の視線を感じた。
誰かがすぐ後ろにいるような、そんな感覚に陥ったけど、それを口にすると、その誰かに聞かれてしまいそうで……。
私たちは、言葉を口に出すこともないまま、アルトシュタットの村へと帰った。
村の入り口で、禁足地に足を踏み入れたことは4人だけの秘密にすることを約束して、それぞれの家へと帰って行った。
家に帰って気付いたけど、魔よけのアミュレットは、ひびが入り、真黒に染まっていた。
私は怖くなってベッドの中に丸くなって眠ったわ。
でも、本当の恐怖が始まったのは、その夜のことだった……。




