序章 『異世界へのゲート』
序章 『異世界へのゲート』
僕の名前は怪異収集家ヒカリ。
売り出し中の動画配信者だった。
ま、今となっては全てが過去形だけどね……。
まだ、そっちの世界にいた頃の僕は、日本中の怪異を求めて事故物件や廃墟、幽霊スポットを撮影、レポートした動画をアップしアクセス数を稼いでいた。
動画配信上のモットーはやらせは無し。
何も起きなければそのままを紹介し、何かが起こればそれを紹介した。
こうした姿勢を貫いたおかげで、いつしかアンチも減り多くの有志から怪異の情報が集まるようになった。
ギリギリではあったけど、この動画配信だけで生活できる程度の小銭を稼ぐ程度にはなれた。
だけど僕には霊感がまるで無いようで、よく耳にする誰もいないはずの場所で人の声を聞いたり、気配を感じたりしたようなことは一度もなかった。
それでも時には、この世のものではないと思われる人影や、科学的に説明のつかない謎の現象の撮影にも成功したこともあった。
おかげで怪異収集家ヒカリと言えば、恐怖映像系のユ―〇ューバーとしては、そこそこ知られた存在だったと思う。
ネタ元は、ネットで集まる玉石混合の怪異情報だった。
誰でも知っているようなベタな肝試しスポットの情報が5割、ガセが4割、それでも1割弱は、ガセとは言い難い情報が混じっているから、この世界は沼の様に奥が深い。
そんなある日、俺の元に一通の怪異のたれ込み情報がもたらされた。
それは、信頼のおける常連であるの琥珀さんからの情報だった。
琥珀さんの情報を元に実際に撮影しに行ったスポットも多かったので、今回も、その情報に注目した。
メールで送られてきた文章は下記の通りである。
「ヒカリ様。耳寄りな情報があり思わずメールをしてしました。ついに異界とこの世を繋げるゲートを見つけてしまったようなのです。正確に言うと、ゲートの開き方を見つけたと言った方がいいのかもしれません。とにかく詳しくは一度、お会いしてからお話いたします 琥珀」
文章から興奮が伝わるようなメールには、異世界のゲートとも呼べる存在に関することが書かれていた。
近年は「キ〇ラギ駅」や「地下の〇穴」といった異世界モノのブームもあって、アクセス数が稼げそうだという計算もあった。
もちろん、これまで異世界系の投稿が無かったわけではない。
しかし、今回は情報提供者として実績のある琥珀さんから、もたらされた情報だ。
俄然、期待値も高まるというものだ。
そして、近々、この琥珀さん自身が、この異世界ゲートの儀式を執り行うというのである。さらには、その様子を是非、撮影して欲しいというのだ。
たとえこれがガセだとしても、情報提供者との関わりは、いつも見てくれているユーザーにとっても楽しいスペシャル版の動画になるだろうと僕は思った。
それに北関東に琥珀さんのお宅までは、僕の住む東北の街からは電車で1時間。ちょっとしたオフ会気分でもあったのだ。
ところが具体的なスケジュールを詰める段になり、突然、琥珀さんとの連絡が取れなくなってしまった。
ネットという希薄な人間関係の中ではつきものだが、いきなりカットアウトというのは、あまり気持ちいいものではなかった……。
それからしばらくは、日々の動画投稿を欠かすことなく、日々を過ごしていた。
ところが、その一か月後、事態は突然、動き出した。
というのも、琥珀さんのお姉さんを名乗る人物からメールが届いたのだ。
しかし、そこに書かれていたのは、にわかには信じがたい話だった。
琥珀さんは忽然と姿を消し行方不明になってしまったのだという。
それは一カ月前のこと、僕が最後に琥珀さんと連絡を取った翌日のことらしい。
話の流れから考えれば【琥珀さんは一人で異世界の扉を開き、異世界へと旅立った】ということになるのだろうが、そんなできた話があるはずもない……。
僕は内心、琥珀さんに担がれている可能性も感じながら、僕はこの話に乗ることにした。
ヤラセなし、リアルにこだわる僕は、担がれていたのなら、ドッキリに嵌められたことも含めてネタにしようと考えたのだ。全てはアクセス数のため。
結局は全て僕の収入、養分となるのだ……。
メールが届いた翌日、僕は電車を乗り継いで琥珀さんの家の最寄りの駅へと向かった。
そこは田舎ではないが、都会でもない。
特急は止まらないが、急行は止まるくらいの規模の地方の駅。
割と大き目なスーパーマーケットが駅前に建ち、電車の中からその看板が目に留まった。
そして改札を出ると、琥珀さんの姉を名乗る女性が話しかけて来た。
「ヒカリさん? ですよね」
スマホを自撮り棒にくっつけて歩いているので、目立ったのだろう。
彼女は明美さんと名乗った。
どこか生活に疲れたような、儚げな印象を与える女性で、薄幸の美人というたたずまい。
悪くない……こういう出会いから何か運命的なものを感じたりして……。
そんなことを、思ったりしていた。
正直、彼女いない歴が人生とイコールな僕にとって、美しい女性と話すという状況だけで、あらゆる妄想を掻き立てるのだ。
彼女の運転する軽自動車の助手席に乗り、最初に近くのファミレスに向かった。
軽自動車の車内は狭く、女性とこれほどまでに近づいたのは、おそらく学生時代ぶりのことだと思う。
彼女のシャンプーの匂いがほのかに香る。これは、ちょっと、高級なメーカーの匂いだな……上質な香りに、それだけで僕は、ちょっとドキドキした。
「狭くないですか?」
「あぁっ!? いやっぁ! とんでもないっす」
突然の言葉に素っ頓狂な声を出してしまった。
「あの……何故、僕にメールを頂いたのでしょうか?」
ごまかすために着いてから聞こうと思っていたことを思わず聞いてしまった。
「それは、最後のメールが、ヒカリさん宛のものでしたので……」
行方不明になった琥珀さんの最後のメールが僕だった……何か不穏なモノを感じざるを得ない。
ファミレスについて、共にドリンクバーだけを注文すると、一杯だけコーヒーを入れて席に着いた。
すると、明美さんはこう切り出した。
「改めて、和美の行方に心当たりはありませんか?」
「和美……さん?」
「あ、妹の名前です……ヒカリさんには琥珀と名乗ってたんでしたっけ」
明美さんの言葉で、初めて琥珀さんが女性であること、そして本名は和美さんであることを知った……。
和美に明美か……確かに姉妹っぽい。
それに演技だとしたら、凄い女優だ……若干の緊張感は感じるが、それは見知らぬ男といれば、当然のことのようにも感じた。
もしかしたら、明美と名乗るこの人自身が琥珀さんで、当然、全部作り話という可能性もある……。
生来、疑り深い性格なので、何から何まで疑ってかかる僕は、琥珀さん改め和美さんの失踪までの状況などを聞いてみた。
明美さんと和美さん姉妹は、実家暮らし。両親は数年前に事故で亡くしていて二人暮らしだったという。
失踪する前日も、共に夕食を食べ、それぞれの部屋で就寝したという。
いつもと、何も変わりは無かったという。
ここまで、彼女の証言に違和感はなく、本当のことを話しているように思えた。
そして、明美さんは、琥珀さんが残したという日記を取り出して見せてくれた。
その日記には、あえてここには書かないが異世界への門を開く儀式の方法と準備、必要な物などが具体的に記されていた。
しかし話を聞いた僕は真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「単純に家出の可能性はないんですか?」
こういうことは遠回しに聞いても仕方ない。だいたい、異世界だなんだとリアルに言い出す輩なんてまともじゃない。
大抵は中二病をひどくこじらせていることが多い。
こういっちゃなんだが、メンヘラの可能性だってなくない。
そんな人物が、衝動的に家出することなんて、いくらでもありそうだと思ったのだ。
「それは考えられないと思います」
明美さんは静かに答えた。
「なぜ、そう言い切れるんですか?」
その論拠を訪ねると一言。
「和美は、末期ガンで……ほとんど一人で歩くこともできない状態でした……」
和美さんこと琥珀さんは、若くして肺ガンを発症。
進行性のガンで病院での外科手術、投薬、放射線などあらゆる治療を試した結果、全身へ転移が広がり、最後は自宅で過ごしたいという本人の希望で自宅に戻って療養中なのだという。
その頃から、様々な文献を集め、怪しげな儀式などを一人で行っていたのだという。
最初は、民間療法に最後の望みを見いだしているのだろうと感じていた明美さんだったが、行方不明になる数日前、和美さんから、気になる言葉があったという。
「もしかしたら……治せるかもしれない」
和美さんは、確かにそう言ったのだと言う。
その時は、無下に否定もできないので「そうなるといいね」と答えたというが、今思えば、あの時、何か確信めいたモノを感じていたようにも見えたという。
ここまで聞いても、この時の僕には三文小説にしか聞こえていなかった。
ただ芝居は完璧。
でも、そんなできた話が、そう簡単に転がってるはずがない。
それでも……。
「よかったら……琥珀さん……いや和美さんのお部屋を見せていただけませんか?」
毒を食らわば皿まで……きっちりとネタにさせてもらいますよ。
僕らはファミレスを出て、明美さんのお宅へと向かった。
家は、どこにでもあるような住宅街の中にある、似たような間取りの家が並んだ普通の建売の一軒家だった。
「さっそく、カメラを回させてもらいますね」
僕は、スマホ撮影用のハンドヘルドと呼ばれる自撮り棒のような器具を手にビデオの録画を開始した。
ハンドヘルドは、スマホを設置した部分をジョイスティックで操作することで、自撮りはもちろん、カメラを任意の方向へ向けることもできるのだ。
「それでは、さっそく。行方不明になった琥珀さんのお宅に伺いたいと思います」
玄関を開けると、他人の家特有の匂いがした。
これが、明美さんと和美さんの家の匂いか……給食室に似た料理の匂いがほのかにする。
この匂い……嫌いじゃないな……などと思いながら、僕はさっそく家に上がり込む。
間取りは3LDK。
一階はリビングダイニングキッチン。
二階は三部屋あり、一部屋が和美さんの部屋、一部屋が明美さんの部屋、そしてもう一部屋は、空いていて客間に使っているという。
二人で住むには広すぎる感じもするが、それは家庭の事情だからな……。
客間を僕に間借りさせてもらえないだろうか……姉妹が住む女だけの家に男一人……どこぞのエロゲー設定を想像してしまうな。
「何か?」
「! な、なんでもありませんっ」
まずい、きっと鼻の下でも伸びていたに違いない。
自撮りで間抜けな顔を撮影してしまった。編集の段階で、インサートでも入れて潰しておかなくては……。
「さ、さっそく和美さんのお部屋を見せてください……」
僕はごまかすように明美さんに言うと、二階へと通された。
二階の和美さんの部屋は、和室だった。
部屋に入った突端、シーンと何もかもが静まり返ったような気がした……。
「……」
部屋の真ん中には、万年床風につぶれた布団。
僕の布団も同じようなものなので、親近感がわいた。
部屋の角に子供の頃から使い古したような学習机が置かれていた。
そして枕元にはノートパソコンと医者から処方された薬が入った袋。
末期ガンの痛みを和らげる薬だろうか……オピオイド鎮痛薬と書かれている。
一日のほとんどを、この部屋で寝て過ごしていたことがリアルに感じられる部屋だった。
「和美がいなくなってから、何もいじっていません……」
「なるほど……」
「日記は、そこの学習机の上に置いてありました」
「なるほど……」
この時の僕は、むしろ、全てが作り話であってくれという気分にすらなっていた。
部屋に入ってから、ずっと何か違和感を感じていたからだ……。
この部屋だけ、空気が重くじっとりしているような感じ。
これまで霊的なモノなど感じたことのない僕が初めて感じる違和感だった。
まるで、そこら中から誰かに見られているかのような……。
「狭い部屋ですから……和美の布団の上に座ってください」
「あ、はい……」
カメラを回している以上、少しでも面白い映像を撮るしかない。僕は遠慮気味に、布団に座った。
すると明美さんが、布団の周りに、古ぼけた五つの像を置いていった。
「これは?」
「和美がいなくなった日の朝……この像がこのように置いてあったんです……」
なるほど、琥珀さんが消えた状況を再現するわけか……。
その像は、一見、仏像の様にも見えたが、よく見ると手足が無数にあったり、肩に目があったりと、見たことのない異形の神々であった。
「何の像なんですかね? 仏像ですか?」
「これは……ハーレルの神々……五大神と呼ばれているそうです」
「ハーレルの神? どこの神様ですかね?」
ハーレルなど聞いたことが無い。どこの宗教だろうか? 厄介な新興宗教でなければいいのだが……。
「和美は……儀式を行い、神の作りし世界へ導かれたんです」
「はぁ……神のつくりし国? そのハーレルという国ですか?」
「いえ、ハーレルは神の国です。和美が向かったのはハーレルの神々が作りし世界……アングスティア……」
「あんぐすてぃあ?」
なんか様子がおかしい。
明美さんの目つきが妖しいのだ。
話し方も、急に力が入っているように感じる。
このタイミングでいきなり伏線回収か? まだ情報も整理できていないというのに、早すぎないか?
「アングスティアなら、和美の病気も……末期のガンですら治せる術があるんです」
「あの、ちょっと待ってください。よく事情が掴めていないんですけど……」
「大丈夫です……」
何が大丈夫なのかもわからないまま明美さんは、自らの掌を目の前で祈るように組むと、呪詛のような言葉を発しだした。
「ハーレルの神々よ……ブーミ、ジャラ、アグニ、ヴァーユ、アーカーシャ、偉大なる五柱の神々に、この者の魂と肉体を……捧げます……アングスティアへの門を……開きたまえ……」
「ん? この者の魂と肉体を捧げる? それって僕のこと? 明美さん? 何を!?」
次の瞬間、ズズっと自分の体が沈む感じがした。
「え!?」
下を見ると、まさにいままであった布団が消え、黒いタールの渦のような円の上に僕は座っていた。
いや、すでに、腰のあたりまで、そのタールの中に沈んでいたのだ。
「うわっ!? 何!?」
すると、明美さんは、嬉しそうな瞳で僕を見つめ、こう言った。
「あなたは和美を捜してください……きっとアングスティアのどこかにいるはずです……」
「ちょ、なにを!? えっ!?」
最後まで言葉を聞くことなく、突如として真っ黒いタールの中から飛び出してきた無数の手によって、僕は漆黒の闇の中へと引きずり込まれた。
叫ぶことすらできないまま……。
全ては漆黒の闇に包まれた。