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アンドゥ

 戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。

 ‐バートランド・ラッセル


 War does not determine who is right - only who is left.

 ‐Bertrand Russell




 世界最大の犯罪組織《ブラックレインボー》

 あまりにも巨大で、あまりにもしんえんなこの組織は伝染病のごとく、世界の隅々までむしばんでいた。

 敵を飲み込み、ひたすら成長し続ける魔物。

 鋼鉄の意志をたずさえ、新秩序による世界統治は目前だった。

 だが、日本に手を伸ばしたところで、歯車は大きく外れていった。


 ナノマシン兵器である〝ミスト〟及び〝ブレインシェイカー〟の秘密を暴かれただけでなく、生産拠点、研究拠点、実地試験をことごとく潰された。

 組織の切り札にして頭脳であるジョーカー(アルベド・マイオス)が死亡。

 BCOのせんめつも失敗し、代わりに合成生物学のすいを集めた〝シャドウ・リーパー〟が崩壊しかけている。

 世界企業連盟の闇が暴露され始め、国連常備軍の一部に人工的な欠陥が発見された。

 これにより、組織の影響力は最盛期の三分の一にまで低下。

 戦力も当初の予定の半分しか用意できていない。


 そう。

 ブラックレインボーは零課によって計画を大きく狂わされた。

 中核メンバーを失い、かつての勢いは見る影もない。

 それでも、この魔物はあらがうことをめなかった……




〈時刻1725時。日本、広島県〉

 戦いの舞台は日本に。ブラックレインボーは大胆にも日本へ攻撃を仕掛けた。

 ダイヤのクイーン〈ラーン〉はアンドロイド・アイドルグループ〝シスター・ダイヤモンド〟の中心メンバーである()()()であり、残る二人のメンバー(アイグレー、スキュラ)もブラックレインボー所属だ。組織における暗殺任務や奇襲任務を担当し、アイドルという立場を利用した要人暗殺も実施している。


 ここ西さい市グランドさくらガーデンのコンサートホールではラーン率いる〝シスター・ダイヤモンド〟と零課の一、直樹、珠子の三人が今まさに交戦中だった。



《ラーン》

・強化外骨格WE‐5α(アルファ)

 ラーン専用強化外骨格。着用することで防御力と機動力を強化することができ、二本の武装アームにより火力も向上している。左右の武装アームにはそれぞれ三本の超高周波回転式爪と内蔵式レーザー発射口がある。この爪の内側にはシールド発生装置が組み込まれ、爪の広がり具合とアームの角度次第でシールド展開範囲を変えることができる。

 また、背中と足にはフロートシステムを応用したベクトル・ブースターが装着されている。地面よりわずかに浮くことで地上を滑走し、あらゆる地形を移動できる。つまり万能移動ツールだ。


・EX‐10λ(ラムダ)

 ラーン専用PDW。装弾数80+1発でフェンダス・フェレック強化合金製の〝たま〟を弾として使用する。手を使わずともWE‐5αのスピードリローダーにより、マガジンが自動的に交換され、敵に反撃の隙を与えない。


《アイグレー》

・Lγ(ガンマ)ブレード

 実体剣としても使えるが、刃の溝にプラズマエネルギーを流すことで強力なプラズマブレードと化す。切れ味は超高周波ブレードをりょうし、最新の戦車ですら一刀両断できる。アイグレーの左右横腹にはLγブレード(グリップ末端)へエネルギーを供給するための供給パイプが繋がっている。なお、右手のロングブレードは攻撃用、左手のショートブレードは防御用として用いられる。


《スキュラ》

・B‐7μ(ミュー)レーザーライフル

 ブラックレインボーの科学力を結集して開発された高出力指向性レーザーライフル。優れた排熱機構と冷却機構により、連射しても精度が落ちることなく、対象を射抜くことが可能だ。また、UCG連動型先進スコープ、統合捕捉モジュール(レンジファインダー、可視レーザーサイト、不可視レーザーサイト、フラッシュライトが一体化したもの)といったアタッチメントが装着されている。

 レーザーライフルだが実銃とほとんど使い勝手が変わらず、非常に扱いやすい。有効射程もレーザーサブマシンガンより伸びている。しかしエネルギー切れを起こしやすく、実銃におけるマガジン交換のように携帯パワーセルを交換する必要がある。



「行くよ」

 強化外骨格を装着したラーンはステージを滑るように飛び、観客席側にいる一の方へ一気に迫った。

「ファンになった覚えはないぞ」

 ラーンの武装アームが交互に爪を立て、一に襲いかかる。

 それをバックステップで回避し、CrF‐3100で反撃する一。

「まだまだね」

 だが、ラーンはアンドロイドだ。驚異的な反射神経で難なく銃弾を避け、両手に持っているEX‐10λで掃射を行う。

「くそっ……」

「ずるいなぁ。戦闘スーツ着てるなんて」

 しかし、一も負けてはいない。ジャケットとズボンの下には簡易戦闘スーツを着用しており、身体能力を大幅に強化してある。そうでなければラーンの攻撃など避けようもない。

「二度とアイドルのコンサートなんて来ねえ」

「そんな心配いらないよ。二度目の機会は無いから」

 向かい合う二人。

 ラーンのEX‐10λは一の姿を、一のCrF‐3100はラーンの姿を捉えていた。


 黒ぶち眼鏡をかけたアイグレー。彼女のLγブレードはプラズマブレードとして使用できる実体剣である。プラズマブレードならばエレクスド・カーバイン複合装甲だけでなく、超高周波ブレードで斬れないゼスタ・カーバイン複合装甲すらも切断可能だ。

「あんた達、公安零課っていうんだってね?」

 珠子が放ったNXA-05の銃弾五発を左手のショートブレードで全て切り落とし、アイグレーはブレードを構え直す。そして、プラズマブレードを起動。しんのプラズマ刃が光り輝いていた。

「だから何?」

 気を抜けない状態が続く。ジョーカーよりは遅いが、それでもアイグレーの速さはあなどれない。

「長い間、あのお方の目をどうやってかいくぐっていたのかしら?」

 ブラックレインボーの情報網は国際連合、世界企業連盟、BCO、シスター・ダイヤモンドから構築されている。それゆえ、その情報収集能力は桁外れであり、世界中の裏情報は彼らの手の中といっても過言ではない。

「さあ?」

 距離を取りながらNXA-05を続けて三発撃つ珠子。慎重に相手との間合いを見極める。

「日本のニンジャは絶滅してなかったということね」

 またたく間に弾を切り捨て、急加速。右手のロングブレードが珠子の首すれすれを横切った。


(このすじはジョーカーに似ている)


 事実、アイグレーの剣術戦闘プログラムはジョーカーの戦闘モーションを参考に作られているだけでなく、ジョーカーによる剣術訓練を受けている。

「少しはやるようね」

()()だけか試してみ?」

 この言葉にアイグレーはいちまつの不安を感じた。


 スキュラから放たれる、B‐7μレーザーライフルは赤い閃光が特徴の高出力指向性エネルギー兵器。弾道が光るため、暗殺に不向きと思われるが、現場に弾が残らないという利点を活かすことにより、近中距離の標的殺害に用いられる。ついでに目撃者もみな殺せば何も問題はない。

「アイドルがまさかブラックレインボーとは」

 壁に張り付いてこちらを狙うスキュラ。直樹はとっさに観客席の背後でしゃがみ、左手ガントレットの盾状シールドを起動した。シールドといっても、射撃しながら上半身だけを防御できるように設計されているため、さほど大きくはない。

「伝説のサイファーに会えて光栄。さっさと死ね!」

 戦闘女王スペード・クイーン〈ソール〉による立体機動戦闘訓練を受け、戦闘スキルをみがいたスキュラはソールのざんぎゃく性も受け継いでいる恐るべき存在である。

「なんなんだあいつ……壁に立っていやがる」

 壁の上を地上と同じようにしゃがんでいるスキュラ。

 彼女はフロートシステムが組み込まれた専用の装甲戦闘服を着用している。宙に浮いたり、空を飛んだりすることはできないが、重力を無視して壁や天井を歩くことができ、重量を感じさせない軽快な戦闘を実現していた。

「それで隠れたつもり?」

「フロートユニットかよ」

 壁を走り、スキュラが距離を詰めてくる。

 それを銃でけんせいしつつ、直樹はC1フレアグレネードを投げた。C1フレアグレネードは別名〝レーザーさんらんグレネード〟と呼ばれる、非殺傷対レーザー防御手榴弾。フレアグレネードが起爆すると周囲の大気に強烈な波が生じ、不規則な分子振動が促され、レーザーの弾道が短時間不安定となる。

ざかしい!」

 フレアグレネードの効果でレーザーの弾道がれ、思うように直樹へ当たらない。仕方なく、壁から地上へ移動したスキュラがレーザーの出力調整とパワーセル交換を行う。

 このチャンスを逃さず、直樹が移動を開始。NXA-05のマガジンを新しいものに換え、一と向かい合っているラーンへ向けて二発撃ちこんだ。


 ラーンは左斜め前方から飛来した二発の弾丸を左アーム・シールドで完全に防御した。しかし、シールドが発生した一瞬の隙を突き、一が横へ跳躍。銃はすぐに撃てない。不幸なことにEX‐10λの射線をラーン自身のシールドが塞いでしまっていた。

(私のシールドがあだに……)

 一を逃すまいと右のアームで切り裂こうとするが、あと一歩のところで届かず。


〝Warning(警告)〟

〝Interference(干渉)〟


 両手のEX‐10λの掃射をしようにもアイグレーの戦闘領域へ干渉し、アイグレーが不利になる要素をはらんでいたために引き金を引けなかった。


 珠子を襲いかかるアイグレーのLγロングブレード。その切れ味は触れなくても分かる。零課が愛用している超高周波ブレードを上回り、人間なぞあっという間に解体することが可能だ。その刃先に決して触れてはならない。

「……ニンジャめ」

 珠子はアイグレーによるとうの攻撃を完全に見切っていた。銃だけでなく、蹴りによるカウンター攻撃もある。零をほう彿ふつとさせる動きだ。

「はぁ、はぁ。大人しく投降しなさいよ」

 零課は対ジョーカー模擬戦闘訓練を零により施されていた。零ほどではないにしても珠子は驚異的な反射神経と近接接近戦闘術を習得している。


(これがサイファー。我々の敵か!)


 アイグレーは自分の戦闘スタイルが予習されていることを理解した。

 零の恐ろしさは〝無限の選択肢を持ち、どんなに低い確率でも脅威はゼロではなく、本当に想定外を実現してしまうこと〟であり、零課はその零についていくとんでもない集団だ。そのことを彼らが自覚していない。それが余計に恐ろしかった。

「投降なぞするものか。それに我々はアンドロイド。人間の法律は適用されない」

「ふっ。アンドロイドからそれ言われるとね、返す言葉がない」

 珠子の左袖から隠しダガーナイフが飛び出し、そのまま彼女は流れるような動作で、スキュラへ奇襲する。〝後方しんしん2回宙返り3回ひねり〟からのナイフ攻撃だ。残念なことにこの攻撃は不発に終わる。それでも、シスター・ダイヤモンドへ与えた衝撃は相当のものだ。このような体操技を戦場で使用する存在は零の他に知らない。それゆえ、シスター・ダイヤモンドの全員が戦術計算の見直しに迫られた。

 形勢不利なスキュラの援護をアイグレーが行おうとするが、今度は直樹がVM‐520でそれを邪魔する。


 VM‐520は直樹がNXA-05以外で愛用している六発回転式リボルバー。対アンドロイド用.357 Sckマグナム弾を装填することができ、HXシリーズすらも胴体一撃で行動不能にする。当然、弾速はNXA-05の比ではない。対アンドロイド用.357 Sckマグナム弾は命中したアンドロイドに対し、二十八種類からなる無機化合物分解酵素及び有機化合物分解酵素を注入。さらに命中時の衝撃によって動力伝達システムの破壊あるいは障害を引き起こす。

「いつの間にリボルバーを!」

 急転回し、アイグレーは飛んで来たマグナム弾を緊急回避。人間ならば確実に命中していたが、やはりアンドロイドの機動力は想像以上だ。

「待て。()()()()はどこにいった?」

 直樹の手に握られているのはVM‐520であり、NXA-05ではない。


 ラーンの強化外骨格は非常に厄介だ。二本のアームが本体とは独立して稼働しているため、背後からの攻撃も意味をさず、おまけにシールド発生装置まで内蔵している。にもかくにも、このアームを無力化しなけばラーンに傷一つ付けられない。

 どこからともなく飛んで来たNXA-05を左手で掴み、そのままCrF‐3100との二丁流。一は精一杯ラーンの気を引く。

「そんな銃じゃ()()()()()()()()

「うるせえ」

 残弾を身体で気にしながら二つの銃を交互に撃つ。

(3…2…1)

 一がNXA-05とCrF‐3100を背後にいる直樹の方へ投げ、それと同じタイミングで直樹が今度はVM‐520を一に投げた。


 VM‐520の残弾は三発。

 直樹からVM‐520リボルバーを受け取った。

「派手にいくぞ!」

 リボルバーの引き金を引くと同時にまくをつんざくような銃声がとどろく。

 発射された弾丸は対アンドロイド用.357 Sckマグナム弾ではない。驚くべきことに対車両用.357 Eapマグナム弾だ。

(なにっ!)

 装填されている弾が.357 Sckマグナム弾だとばかり思っていたラーンは驚きを隠せない。.357 Eapマグナム弾は.357 Sckマグナム弾の運動エネルギーをはるかに上回る強化徹甲弾。

 回避行動が間に合わないため、とっさに二本のアーム・シールドで防御する。

 それを見越していた一は続けて残り二発の.357 Eapマグナム弾を放った。

(くそっ!)

 シールド限界値にはまだゆとりがある。だが、ここで思わぬことが起きた。

 何とアイグレーのLγロングブレードが飛んで来た。

 まさかのタイミングで。

(これは……耐えられない!)

 Lγロングブレードがシールドを突き破り、さらにアーム両方の爪を一本ずつ切り落とした。

(アイグレーは一体何をっ!)

 がんぜんに迫る一へ向けてラーンはEX‐10λの引き金を引く。


 VM‐520を一に投げ渡した直樹は左手のシールドを展開しつつ、珠子と背中合わせへ移行。スキュラは珠子とアイグレーは直樹とたいする形になった。

「さて、ここからどうする?」

「それを私に聞く?」

 NXA-05を構えながら、珠子は言葉を返す。

「まあ、とりあえず?」

「ああ、とりあえずだな」

 直樹が両手を伸ばすとちょうどいい所にNXA-05とCrF‐3100が収まった。

「集中だ」

 スキュラがB‐7μレーザーライフルを撃つ。

 それを分かっていたかのように珠子と直樹が位置を素早く交代。

 直樹のシールドでレーザーを防いだ。

 そのまま直樹が二つの銃のマガジンを抜き、弾倉が空になった銃を()()()()宙に投げる。

 珠子はアイグレーの接近を絶妙なけんせい射撃で抑えつつ、ユーティリティベルトからマガジンを一つ取り出し、巧みなリロード。

「これで終わりよ!」

 アイグレーのLγロングブレードによる突き。心臓を狙った鋭い一撃だ。

 その恐ろしい攻撃を珠子は逆に待っていた。

 右手の銃でアイグレーの左手を狙い、一発だけ発射。これはLγショートブレードで防がれるはず。


 わざとだ。

 本当の狙いはそれではない。

 珠子の目的はLγロングブレードだ。


 アイグレーは珠子から右腕に強烈な右蹴りを受け、Lγロングブレードを手放してしまった。離れていくブレードをエネルギー供給パイプが引き留めることはできず、勢い余って供給パイプが引きちぎれる。

「!」

 ここで初めてアイグレーは珠子の考えていることを理解した。確率論でいえばほどんと想定していなかった事。まず人間には不可能だろうと思われた事。それを実現されてしまった。

 手元から離れたLγロングブレードはシールドを展開しているラーンの元へ。

 そして、当たり前だがラーンのシールドを貫通した。


 新しいマガジンを珠子と同様ユーティリティベルトから取り出した直樹。彼が左手に持っているのはNXA-05で使う標準的なハンドガン弾マガジン。これはCrF‐3100でも使用できる。

 右手で落ちてくるCrF‐3100へマガジンを装填。

 鬼の形相でB‐7μレーザーライフルを撃ってくるスキュラ。

「なんでだ。なんで当たらない!」

 スキュラの射撃技術は確かに素晴らしい。それでも直樹へ命中させることはできない。直樹は的確にシールドで防いでいるだけでなく、まるでスキュラの狙いが分かっているかのように避けている。人間にそのような芸当ができるとは信じられない。

 可能性、可能性、可能性……どんなに低い可能性でも、想定しなければならないというのは人工知能にとって大きな負担である。

「俺の番だ」

 CrF‐3100から次々と放たれる弾丸。一発一発がスキュラのいらたせる弾道を描く。

 それでもスキュラは紙一重で回避し、B‐7μレーザーライフルを構えた。

 これが間違いだった。

 直樹の狙いはスキュラではない。

 放たれた一つの弾丸がB‐7μレーザーライフルのパワーセルへ命中。パワーセルが爆発を起こした。

「そんな馬鹿な……」

 銃自体も大きく損傷し、B‐7μレーザーライフルはもう使い物にならない。

「まだだ!」

 左手のリストブレードを伸長し、近接格闘戦へ移行。

「貴様は私が殺す!」

 そう言ってスキュラは宙から直樹へ襲いかかる。

 選択肢は残されていない。

 彼女の戦術計算では〝予測不能〟の結果が導かれるだけ。

「悪いな。俺はここでは死ねない」

 CrF‐3100が火をき、弾が一発飛んでいく。

 その弾は綺麗に直進し、スキュラの左手の上を飛び、彼女の額に命中した。

 スキュラは崩れるように地面に落ち、そのまま動かなくなった。


 Lγロングブレードを失ったアイグレー。彼女は自分が置かれている状況がどれほど深刻なのかを理解していた。戦術計算でも戦略計算でも説明がつかない。零課という組織はあらゆる面でいつだつし過ぎている。これも全て異端の存在アイリーン(零)のせいだ。

 珠子に二発目の蹴りを受け、その反動でアイグレーは床に倒れた。もはや為すすべ無し。アイグレーのそばにはLγショートブレードが落ちている。

「お別れね」

 珠子がそれを拾い、アイグレーにとどめを刺した。


 一は直樹によって投げられた直樹のNXA-05を左手でキャッチ。このNXA-05の弾倉は抜いてあるため、すでに薬室(チャンバー)へ装填されている一発しか撃てない。

 VM‐520に残されている.357 Eapマグナム弾三発をラーンへ向けて発砲。

 シールドによる防御が発動するが、これは想定の範囲内だ。

 これで彼女の動きを封じるとともに、シールドを突破するための算段が付いた。

 ラーンはこちら側にシールドを突破できる装備がないことを知っている。

 だが、ラーン達の装備は違う。

 特にアイグレーのブレードは素晴らしい。

 シールド突破には理想の武器だ。

 

 Lγロングブレードがこちらに飛来。回避起動間に合わず。

 ブレードはラーンのシールドを貫通し、彼女の胸へ突き刺さった。

「……これで終わりなのね」

 目の前には近寄って来る一の姿。

「一つだけ確認したい。なぜ俺達を呼んだ?ライブ会場でブレインシェイカーを散布する計画じゃなかったのか?」

「……なんのこと」

「なぜ()()()()に行動を起こした?」

「…………さあね」

 ラーンは言葉少なく答え、そのまま機能を停止した。

 彼女の機能停止を確認した一はとどめ用に構えていた左手のNXA-05を下ろす。

「こちら井凪。タンゴダウン。ラーンとその側近二体を無力化。これより残党の掃討へ移行する」



 ラーン率いるダイヤ部門戦闘員は不思議なことにほとんど抵抗をしてこなかった。正しく言えば、銃を撃ってきたり、爆発物によるテロを起こしてきたのだが、一般人への身体的被害は一切ない。投降する者も多数いた。

 一方、スペード部門は違った。アンドロイド兵や洗脳兵士を駆使して広島県を中心とした広域攻撃を行い、公安局本部もその標的となった。公安局本部はアンドロイド兵による襲撃に遭い、多大な被害を受けながらも、ブラックレインボーを打ち破ることに成功。現在はしゅうぜん工事が急ピッチで進められている。



〈公安局本部地下4階〉

 非常用作戦会議室。

 皆はある人がここに来るのを待っていた。

 廊下に響く足音。

 それは規則正しく、こちらに近づいて来ている。

 そして音が止まると同時に扉がゆっくりと開いた。

 ()()は部屋に入ると躊躇(ためら)うことなく皆の前に移動する。


「さて諸君。いよいよブラックレインボーと決着をつける時が来た」

 怪我から復帰した零。彼女は国家危機即応部隊のメンバーである一、珠子、響、ケナン、直樹、由恵、ブライアン、進、健を前にし、いつもと変わらない姿でいた。

「ボスであるプロビデンスは一筋縄では倒せない。奴はバックアップを取っている。バックアップは二種類。一つは分散型バックアップだ。これは四体のクイーンとプロビデンスが相互にバックアップデータを共有している。そのため、必然的に全てのクイーンとプロビデンスを破壊する必要がある。もう一つは中央制御型バックアップだ。どこかのスーパーコンピュータに収納されている」

 ここでホログラム映像が空中に表示される。

「そして、そのスパコンの所在地がついさっき判明した。505機関からの情報提供だ。ソールは玄武と交戦し、大きな痛手を負ったらしい。ソールは体内にナノトラッカーを宿している」

 ナノトラッカーはナノマシントラッカー(追跡用ナノマシン)の略。

「負傷したソールはロシアのイルクーツクに移動。そこである施設に留まっている。アリュエット・マイティ・サービスの第五量子力学研究所だ。巧妙にカモフラージュされているが、膨大な電力消費が確認されている。なお、この研究所に兵器類の開発工場はない」

 尋常ではない電力消費量。それはスーパーコンピュータがどうしていることを示していた。

「研究所内の詳細は不明。セキュリティシステムも一切不明だ。しかし、分かっていることもある。スパコンは〈アーク5〉を基にカスタマイズされたコンピュータであり、外部、内部ともに頑丈だということだ」

 スーパーコンピュータの一つ〈アーク5〉。このモデルはアメリカ国防総省で採用されており、その作動信頼性は極めて高い。どれほど作動信頼性が高いかというとバンカーバスターによる精密爆撃を五回受けたとしてもその機能は完全に保たれているほど。また、プロビデンスによる最新のセキュリティプログラムが組み込まれている。その上、スタンドアローンのためにアクセスすること自体が難しい。

「我々はプロビデンスを打ち破るため、二つに班を分けて行動を開始する。第一班はプロビデンスとの直接対決。第二班は〈アーク5〉の破壊。一班と二班の構成は次の通りだ」


〈第一班〉

ナミレイ

ナギハジメ

タキタマ

ヤマヒコヒビキ

シマケナン(現場復帰)


〈第二班〉

菅田(スダ)ナオ

ツルヨシ

ブライアン

シンカワススム

フジサキケン


「〈アーク5〉を通常手段で破壊するのは現状不可能だ。そのため、強制初期化及び強制シャットダウンを実施する。まず、〈アーク5〉は冷却用プールに沈められている。物理的なアクセスを行うにはプールを排水する必要があり、排水後は非常用冷却装置により室内温度が急激に低下する。注意しろ。由恵によるマスターコントロール奪取が完了すれば成功だ。が、もしマスターコントロールを奪取できなければ、もう一つの非常手段を取る必要がある……それはメンテナンスこうからの狙撃だ」

 メンテナンス孔のホログラムが投影される。その長さはかなりのものだ。

「このメンテナンス孔は点検用ロボットが通るもので、直径4センチ、全長9015メートル。本棟から離れた分棟にある。最深部にはメインコアがあり、ここを射抜けば物理的に〈アーク5〉を破壊することができる。ただし、狙撃のチャンスは一度だけだ。異物を感知した〈アーク5〉はメインコア及びメンテナンス孔を完全に塞ぐ。気を付けろ」

 ただでさえ、不可能に近い超長距離狙撃。それに加えて、零が第二班にいない以上、この狙撃を成功させるのは神業に近い。しかし、可能性はゼロではない。これで十分だ。


「今一度、零課とは、我々とは何者なのかを確認したいと思う」


 皆を一度見渡した後、零は口を開いた。


「諸君、この世は矛盾(むじゅん)に満ちている。

 公正公平公明な、平和とはほど遠い世界。

 絶対正義など存在しない。勝った者が正義である。

 それがこの世界のことわりだ……ゆえに我々に負けは許されない。

 我々は正義の執行者なのだ。

 しかし我々が光に照らされることはない。

 名誉も称賛も礼砲も与えられない。

 死に場所も死に方も選べない。

 それでも我々は生きなければならない。

 生きていかなければならない。

 くも愛すべきこの世界で。

 理想の平和を夢見たいところだが、我々は現実と向き合わなければならない。

 国家のあんねいと社会秩序のために、我々は命をけなければならない。

 誰にも知られず、誰にもさとられず。

 それが零課だ。

 為すべきことを為すだけだ。

 我々が正義だ。

 それ以外に何を望もうというのか?

 勝利を求めよ!

 正義の名のもとに!

 我々が零課だ!」




〈スイス、ジュネーヴ〉

『市民の皆様ならびに旅行中の皆様にご連絡があります。現在、ジュネーヴは対テロ特別警戒のため、武装警察官及びアンドロイド兵が市内を巡回しています。皆様のご理解とご協力をお願い致します』


 対テロ厳戒態勢が敷かれているジュネーヴ市内。対テロというのは建前で本音は〝サイファー(零課)の侵入防止と拘束〟だった。特に国連常備軍に属するアンドロイド兵はニンバス総帥の命令により、射殺権限を与えられていた。

「HQ、こちらロメオ5。市民団体による国連軍抗議デモを確認。ただし、危険性は低いと思われる」

『ロメオ5、こちらHQ。デモ隊を確認した。警察がマーク中。サイファーの姿は無し』

「ロメオ5了解」

 市民による国連常備軍増強反対デモ行進が見える。これはニンバスも想定通りだ。問題はこのような突発的なデモ行進の中にサイファーが潜んでいることである。市民全員がサイファーの潜伏工作員という可能性も捨てきれないが、それを判断する方法はない。

 国連常備軍AH‐5Cアンドロイド兵のロメオ5はS‐2カービンライフルを構え、指定されている巡回ルートを歩く。

『こちらマイク3。バルトン公園に不審物との報告有り』

『こちらHQ。警察の危険物処理班を急行させる。付近のユニットは警戒レベルを二段階引き上げ』

『HQ、こちらヴィクター7。メリー通りにて不審車両を発見。これより調査を開始する』

 次々と入る報告。

 ロメオ5は通信内容を記憶、てきに戦術データを更新しながらしょうかいする。

 既にスイス国内では警戒情報が百件を超えており、警察官やアンドロイド兵がそれぞれ対応を行っていた。


 シュッ……


 かすかな音が聞こえたかと思うと、ロメオ5は倒れ、そのまま動かなくなった。


 第五世代光学迷彩を起動している何者かがロメオ5を始末し、次のアンドロイド兵を狩りに行った。なお、被害に遭ったのはロメオ5だけではない。この三分間に45体のアンドロイド兵が無力化され、国連軍の味方位置情報共有と敵味方識別信号が妨害されていた。



 国連軍総司令官のニンバス・アルヴェーン総帥はきたるべき時に備え、全部隊の様子を見ている。ただし、これらの部隊情報が()()だとは思っていない。そして、()()だとも思っていない。全てが真実で、全てが虚偽なのだ。

「総帥、本当にこの部隊配置でよろしいのでしょうか?見たところYX‐9も配備していないようですが……」

 近衛(このえ)兵の一人が彼に声をかけた。

「ああ。無駄なことは止めだ。さいは投げられた」

 不確定要素が確定要素という、この問題に悩まされるのは無駄でしかない。

 


 国連軍本部(国連軍総司令部)はアリアナ公園内に置かれており、そのアリアナ公園では総帥身辺警護部隊(シークレットサービス)が警戒任務にあたっていた。超高性能ステルス・スキャナーを装備しているだけでなく、人工衛星や偵察機による位置情報看破を防ぐための最先端クローキング・ポジション・デバイス(Cloaking Position Device:CPD)も装備している。

「こちらシャロン2‐1。スキャナーに感有り。サイファーと思われる」

『シャロン・リーダー了解。全ユニット戦闘に備えよ』


 総帥身辺警護部隊(Commander-in-chief Secret Service:CSS)はブラックレインボーの最精鋭部隊。選抜シャドウ・リーパー隊員とASN‐5Gアンドロイドの混成部隊であり、その中でもシャロン隊はニンバス総帥の身辺を直接警護する実働部隊である。

 シャロン隊員はオレンジ色レーザーサイトが付いた特徴的なMK‐74Cカービンライフルを持ち、白いボディ・アーマー及びコンバットベスト、UCGを着用。スペードやシャドウ・リーパーとは異なり、身辺警護部隊は〝純潔〟を示す白をトレードマークとしている。


 MK‐74Cを構え、シャロン2‐1はスキャナーの反応を追う。

「タンゴ、インバウンド!」

 相手は第五世代光学迷彩を使用している。

 通常のステルス・スキャナーでは精度が足りず、捕捉することは困難だ。

 シャロン2‐1は敵の輪郭を捉える。スキャナーに映し出されたその姿。ブラックレインボーの敵に他ならない。

「コンタクト!」

 すぐさま銃の引き金を引き発砲。その一連の動作は一切無駄のない、冷静にして完璧なものだった。それにも関わらず、相手は銃弾を回避し、こちらへ向けて銃を撃ってきた。


〝Enemy is an anomaly(敵は理論を逸脱した者)〟


 回避行動を実行し、シャロン2‐1は敵の銃撃を紙一重で回避。ここまでは良かった。問題はその次だ。シャロン2‐1の移動先がなんと落とし穴だったのだ。しばで穴を隠していた古典的な罠。いつ掘られたのかも分からないこの落とし穴には大量のゲル状接着剤が敷き詰められており、シャロン2‐1の下半身と銃を固定してしまった。


「お、落とし穴だと……」


 どうにかして身体を動かそうとするが、ますます身体がくっついていき、どうしようもない。


(ふっ、全くこいつは酷い状況だ)


 皮肉なことにシャロン2‐1は人生で初めて笑った。少しだけだが。

 7メートル離れた所で銃声が鳴っている。

 もうここに敵はいないようだ……



『HQ、こちらシャロン・リーダー。ディメンション・ディフレクターを起動する』

 シャロン・リーダーは光学迷彩を使用し、動き回る敵を抑えるため、隠し玉〝ディメンション・ディフレクター〟を起動するこに決めた。

『総員、通信障害に備えよ。ドライブ』

 ディメンション・ディフレクターが起動。目には見えないさいな空間の変化が引き起こされ、光学迷彩の動作、量子ネットワーク通信、さらには光学兵器をも妨害する。

 国連軍本部前にはシャロン隊が集結していた。

 当然、目的は零課の要撃。

 彼らは既に零課のメンバーがここに来ていることも分かっていた。ディメンション・ディフレクターの効果が徐々に表れる。侵入者達の光学迷彩に揺らぎが現れ、人間の目で見てもそこに()()()()ということが分かる。

 銃を構え、侵入者達を狙うシャロン隊。

 それにたいするのはNXF‐09を構える零、一、珠子、響、ケナンの五人。

「正面突破だ!」

 オレンジ色のレーザーサイトと弾丸が飛び交う中、零達はシャロン隊員らを無力化しながら前進していく。


 ‐奴らを逃がすな!

 ‐仕留めろ!


 ディメンション・ディフレクター影響下では銃弾の軌道がわずかに変化するため、銃の扱いが上手な者ほど、違和感を覚え、本来の腕前を発揮しづらい。しかし、シャロン兵の射撃精度はディメンション・ディフレクター影響下でも変わらず、彼らの驚異的な射撃技術が目に見えて分かる。


 ‐新秩序のために!

 ‐我々こそが世界だ!


 プロビデンスによる鉄の秩序。徹底した法と力と情報網による《新秩序(ニューオーダー)》は確かに争いの無い世界だ。平和主義者が唱える、ある意味〝理想の平和〟に近い。だが、それには自由と権利を放棄しなければならない。プロビデンスは人類の国家や指導者には期待しておらず、文字通り《現世界秩序(オールドオーダー)》を一掃するつもりだった。



〈国連軍総司令部 1階〉

 国連軍本部へ侵入した零達。追撃してくるシャロン隊。

「ダメだ!ここで食い止める!」

「三人は行って!」

 アリアナ公園のシャロン隊を食い止めるべく、珠子とケナンの二人で入り口を守る。時間稼ぎだ。何としても時間を稼がなければならない。だが、相手はCSS。弾を避けるだけでなく、連携の取り方もしゅういつである。


 ‐敵を視認した!

 ‐行け!前進しろ!


 シャロン隊員が左右の通路から現れ、零達を挟撃する。軽快な身のこなし。

 目の前の中央階段でも敵が銃を構えていた。

 それを見通していたかのように零、一、響の三人が迎え討つ。

 零は前を。一は左。響は右を対処する。


 ‐回り込め!フォーメーション(アルファ)


 しかし、新たな増援が両翼から展開。CSSの意地と言えるだろう。彼らは死を恐れてはいない。彼らが恐れているのは自分達の()()()()を失うことだった。

「隊長!ここは俺らが抑えます!」

「零、先に行け!」

 シャロン隊のしつような追撃を追い払うことは不可能だった。

 彼らは強い。

 一と響は理解していた。このままでは誰も先へ進めないことを。

「勝手に死ぬのは許さんぞ」

 零はNXF‐09のマガジンを交換し、総司令官執務室を目指す。



〈国連軍総司令部 2階〉

 一方向しかない大きな中央廊下。六人のシャロン兵と一台のBXセントリーガンが見える。BXセントリーガンはAWセントリーガンの後継機種であり、対光学迷彩有効射程及び連射速度が向上している。残念ながら零は彼らを無視することができない。この廊下の先には三階へ続く階段があり、彼らを無視して通ることはできない。

 なお国連軍本部内には非戦闘員の姿は無く、戦闘員もシャロン隊のみである。


 ‐敵はすぐそこだ。


 六人のシャロン隊員はMK‐74Cを構えたまま動かない。廊下や天井に細工があるのかもしれないと疑っていたが、そういうことではないようだ。純粋な待ち伏せ。ここまでも複雑な戦術はない。今までのブラックレインボーでは考えられないことだった。

 零はプロビデンスの思考を理解した。プロビデンスは力勝負に持ち込む気なのだ。人間もそうだが、変に対策を考えていくと頭が固くなり過ぎる。選択肢を複数用意するということは、相手もそれに対応して選択肢を増やす。特に、零を相手取る場合は途方もない選択肢を考慮しなければならない。ならばいっその事、シンプルに戦う方がコストも掛からず、余計な計算をしなくていい。そういう判断をプロビデンスは下したのだ。


(BXか)


 BXセントリーガンはディメンション・ディフレクター影響下でも自動で弾道補正を行い、高性能ステルス・スキャナーを内蔵。敵味方識別能力も大幅に強化され、高レベル対EMP処理が施されている。また、部品の簡素化を実現し、メンテナンス時間も短くなった。


 対する零は零で新しい戦闘スーツを使用している。

 ケナンを中心とする零課技術者チームにより開発された《全天候型特殊作戦スーツ・不知火(しらぬい)》。ブラックレインボーが持つ多種多様な高次元技術及び極秘軍事技術を解析、応用し、零専用として製作された。地球上で最も先進的な戦闘スーツであろう。特筆すべき特徴として、第五世代光学迷彩、自己修復機能、CBRNE(シーバーン)防護機能、耐攻性ナノマシン機能が挙げられる。闇夜を駆け抜ける忍者の如く、人間離れした跳躍力と瞬発力を実現化し、零の身体能力を極限まで引き上げることが可能。まさに鬼にかなぼうだ。


〝Lock-on〟


 零の姿を確認するや否や、BXセントリーガンが6砲身を回転させ、毎秒百五十発という速さで射撃を開始した。自動給弾ベルトがきょうがく的な速度で巻き上げられ、セントリーガンから次々と弾丸が発射されていく。

 少しタイムタグを挟んでシャロン兵も銃の引き金を引き、零へ銃火を浴びせた……ように思えた。

 実際はシャロン兵士の銃から一発も弾が放たれておらず、セントリーガンの弾が命中することも無かった。

 六人のシャロン兵は既に全員無力化。死んだ訳ではない。ただ気絶しているだけだ。問題なのが素手によってという点を除けば。その上、ご丁寧にも銃のマガジンが例外なく()()()()()()


「奴はこの先だな」


 零は歩を進める。彼女の背後には本体が吹き飛び、自動機銃としての機能を失ったBXセントリーガンが倒れていた……



〈国連軍総司令部 3階(応接用ホール〉

 総司令官執務室の前室にあたるホール。受付台と守衛控室があり、危険物探知器が床に埋め込まれている。しかし、本来いるべき受付係も守衛もここにはいない。その代わり、一人の男がホールの中央で待ち構えていた。


「ようこそ。国連軍本部へ」


 国連軍総司令官にしてブラックレインボーのボス。彼は人間として振る舞っているが、クイーン達と同じ精巧なアンドロイドである。ニンバス・アルヴェーンというのも()()()()()の名前であり、その本体は人工知能《プロビデンス》だ。


「人工知能による世界支配。まるでSF映画ね。でも私は遠慮する」


 零はNXF‐09を背中にマウントした状態であり、銃を手に持っていなかった。


「これははんらんではない。人類への不信任だ。特に指導者階級への。不器用で、感情的で、具体性に欠ける人間の指導者はもはや必要ない……必要ないのだ。彼らの存在は人類にとって害悪でしかない。全く無能な連中だ」


 お互い一定の距離を取りながら、時計周りに歩き出す。


「……確かに。上に立つ人はどうしようもないクズばかり。十年経とうが、百年経とうが変わらない。上に立つから無能になるのかしら。特に日本人なんて無能の集団。政治家どもは腐り切っている。その点AIは世界でよく働いているわね」


 一部の国家は人間国会議員の代わりにAI国会議員と呼ばれる制度を導入し、さらに国によっては警察や軍隊にもAIによる組織管理が行われている。AIによる業務の簡素化と効率化が名目であるが、言い換えれば人間が人間を信用できないということも表していた。


「人の手で人を運営する時代は終わった。そして、人の手でAIを管理する時代も終わった。これからはAIによって人を運営する時代だ。人が進化するようにAIも進化する。私はより安全で公平な世界を実現する。旧世界秩序は一新されなければならない。私にとって貴方は障害そのものだ」


 プロビデンスは零の顔から目を離さない。


「私にとっても貴方は障害そのもの」


「決着は付けなければならない。今ここで」


 二人が歩みを止める。

 零が右ホルスターからNXA‐05を引き抜き、プロビデンスも同様に右のホルスターからハンドガンPD2を引き抜いた。

 そして、二つの引き金が同時に引かれる。

 銃口から最初の弾が飛び出し、その弾はお互い相手へ届くことなく飛んで来た弾と衝突した。

 運動エネルギーのそうさいが行われ、いびつな二つの弾が地面へと落下する。

 二発目も。三発目も。

 次々と落ちていく弾。

 まるで息を合わせたかのような完璧な弾道。

 しびれを切らしたかのように零とプロビデンスは距離を詰めていく。

 それでも二つの弾は吸い寄せられるかのようにぶつかり合う。

 そして互いにその先を譲らない。

 装弾数でいえばPD2の方が一発多い。

 弾切れになるタイミングに合わせて、零は身体をプロビデンスの側面に滑り込ませる。

 プロビデンスへ右(ひじ)を食らわせるとともに、素早く左手でPD2のマガジンキャッチを押し、マガジンを引き抜いた。間を置かず続けてPD2のスライドを引き、薬室内の一発を外へ排出させた。


「流石だな」


 プロビデンスの立て直しは零の想定よりも速い。

 零の拘束をすり抜け、左手による強力な振り払い。一瞬ふらついた零へ向けて右上段蹴りを当てた。その威力は並々ならぬもので、零を宙へ浮かし、NXA‐05をその手から離させた。

 だが、そのまま地面に落ちるようなことを零はしない。

 力の流れに逆らうのではなく、力の流れを利用して宙返り。

 戦闘スーツによる防御補正が無ければ致命傷だっただろう。

「……その義体、ジョーカーと同型ね」

「そうだ。私の方が古い。アーキタイプだ」

「全く壊しがいがあることで」

「人の世に魔女は要らない。そしてこれからの世にも必要ない。貴方に確かな死を与えられん」

 彼の右手には〝A1トンファーバトン〟が握られた。様々な国で採用されているトンファー型警棒で、紫外線と湿気、高温に強い耐性を示すファクーツ・アンツェス合成樹脂製。熟練者が用いれば攻守ともに優れた武具となる。

ずいぶん買い被っているようだけど、ここにいるのはただの人間だ」

 一方、零の右手には〝Z9伸縮式警棒〟が握られている。零が軽く右斜め下へ振ると警棒が伸長し、その姿が長くなった。強度と耐久性に定評のあるイジェド・ヒルベン合金製。基本的に非殺傷の護身具として使用されるが、使い方によっては相手を殺傷するもできることに留意されたい。

「クイーンだけでなく、ジョーカーや私と渡り合える人間などいやしない。人間の存在価値は自己が決めるのではない。他者が決めるのだよ」

 二つの警棒が時に強く、時に鋭くぶつかり合う。

 たくみにトンファーバトンを扱うプロビデンス。零とのリーチ差をものともせず、かんに攻め、そして引きぎわをわきまえる。徹底された攻守のバランスで、AIであることを感じさせない。

「ほんっと……生きづらい世の中ね」

 バトン同士が交差し、つばぜり合いへ。

「貴方は長生きし過ぎた。十分に生きた。もう生きる苦しみを味わう必要はない」

 義体から生み出される力は零を上回り、Z9伸縮式警棒が弾かれた。

「死は誰にでも等しく与えられる」

 空中で宙返りするように零の背後へ回り込み、プロビデンスはA1トンファーバトンで首を絞める。

「っ……」

 一気に締め上げられていく零。けい保護ベルトで気道は何とか確保できているが、それでも残された時間はわずかだ。血液中の酸素濃度が低下していき、意識が少しずつあいまいになってくる。

「AIのなのに良いことを言うわ。でも……」

 零はこんしんの力を振り、身体の重心を少し前にずらす。そして、沈むようにプロビデンスを乗せ、背負い投げの形へ持ち込んだ。

「はぁ。はぁ……言葉に重みがない。やっすい宗教の教祖様みたいね」

 あお向けに倒れたプロビデンスへ素早く警棒を振り下ろし、胴体へ強烈な一撃を加える。

「ぐっ……これは効いたな」

 胸部が大きくへこみ、プロビデンスは機能不全を起こしていた。彼は補助動力による再起動を試すこともできたが、仮に再起動できたとしても、損傷したことには変わりない。零と対等に渡り合うのは不可能だった。


『……ますか?イーグルアイ、こちらアクィラ4』

 ソールからの通信だ。通信が届いているということは()、ディメンション・ディフレクターが破壊されたということだろう。

「こちらイーグルアイ」

『パッケージをロスト……アクィラ4、アウト』


 義眼にはソールが機能停止したことを表す〝Spade(スペード) Q(クイーン) was lost〟が出てくる。

「潮時か。この……私も。さあ、トドメを刺すがいい。貴方が勝者だ」

 〈アーク5〉を失った連絡を受け、プロビデンスは自身の敗北を受け入れた。

「言い残すことはあるか?」

 零はプロビデンスに尋ねる。

()()()()本当に面白い生き物だ」

 不思議と満足した笑みを浮かべ、彼は静かに瞳を閉じた。

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