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第一話 お寺の朝は大忙し

 ここは、とある田舎の山深くにある大山寺(おおやまてら)。千年以上の歴史を誇るこのお寺の和尚(おしょう)は、代々名の知れた高僧として歴史に名を残しています。そのため、いつもお寺には多くの弟子や檀家(だんか)さんがやって来るのでした。


 さて、そんな大山寺では、毎朝本堂で和尚(おしょう)さまと坊主(ぼうず)さまたちがお経を唱えます。お寺の坊主さまたちにとって、これは毎朝欠かすことのできない大切な日課です。


 今日も、和尚さまと坊主さまたちは本堂に集まって、一斉にお経を唱えています。彼らの目の前に鎮座するのは、平安時代の仏師が作った有名な秘仏です。熱心に唱える坊主さまたちの前で、和尚さまもお経を唱えています。

 皆でお経を唱えている最中、和尚さまがちょっと腰を浮かしました。すると……。



 プゥ~~~~ッ



 お堂中に何か高いオナラのような音がしたかと思うと、和尚さまの後ろにいた坊主さまたちは同時に鼻を押さえて倒れ込みました。


「いや、『オナラのような』じゃねーよナレーション! 本物のオナラだよ! クセェーッ! 今日のは一段と、クッセェーッ!!」


 鼻を押さえたまま、和尚さまの一番弟子の一松(いちまつ)は、和尚さまへと目線を向けます。当の和尚さまはというと、後ろで広がる地獄絵図を気にすることなく読経を続けていました。


「和尚さま、いつもいつも朝の読経の時にオナラをするのは止めてくださいよ!」


 一松の言葉に、和尚さまは読経を止めて、後ろを振り向きました。和尚さまは、禿げ上がった頭をポリポリ掻きながら、口元に笑みを浮かべて答えます。


「え~っ……ばれないと思ったんじゃけどなあ」

「ばれますよ! 何ですかこの、腐った卵とクサヤが混ざったような臭いは!?」

「えっと……? そうじゃ、ちょっと賞味期限が過ぎてた卵と、同じく賞味期限が過ぎておったクサヤの干物かのう。せっかくじゃし食べたわい」

「マジでその臭いな上に、まさかの賞味期限切れ!? もう、勘弁してくださいよ。こんなのが檀家さんや参拝客に嗅がれたら、この寺は日本で最も有名なオナラ寺になっちゃいます……」


 一松が、周りで失神している坊主さまたちを見て、深く溜息を吐きました。和尚さまも、そんな一松を見て大きく頷くと、分かった、と一言言いました。


「せめて朝だけは、オナラしないよう頑張るわい。なに、仏様も居ることじゃし、すぐ慣れるじゃろう」

「和尚さま……!」


 一松が和尚さまを尊敬の目で見つめた、その時です。



 ブゥ~~ブブゥ~~……ブビッ



 鳴り響く音を前に、一松は仰向けに倒れ込むと、鼻を力強く押さえました。そして、一松は少し赤くなった顔のまま和尚さまの顔を見上げます。


「うおおぉぉ、言ってるそばからまたッ! 臭い! 賞味期限切れの卵とクサヤが混じって、クセーッ! 目に染みる!」

「一松、お前は何を勘違いしておる!」


 和尚さまが目を見開きながら、一松へ大声で叫びました。一松が呆気に取られていると、和尚さまはその場で立ち上がり、神妙な面持ちで一松を見下ろします。


「これは、ただのオナラではない! ()じゃ!! ()が出た、究極のオナラじゃあ!!!」

「いっちばんダメなやつだろうがそりゃァーーーーッ!!!!」


 和尚さまは神妙な面持ちを崩さないまま、両手でお尻を抱きかかえるようにして歩き出しました。目的はそう、トイレです。一歩一歩、失神した坊主さまたちのそばを通るたびに、呻き声が聞こえてきますが、和尚さまはこれから重要なお仕事が待っているので――


「いやいや重要なお仕事じゃねえから! ただの便所だよ!! ……ああもう、ぼくは何であの人の弟子になったんだろう」


 鼻を手で押さえたまま、一松は深く溜息を吐きます。思えば、この寺に弟子としてやってきて早十年。一松は十八歳になり、和尚さまは七十八歳になりました。かつて一松は幼い時分に身寄りを失い、かつて高僧として知られた和尚さまの元へ半ば強引に弟子入りしたのですが、今ではその和尚さまに振り回されるのも日常茶飯事です。

 若干ボケが始まる一方で、常に破天荒な行動と言動を繰り返す和尚さまに、一松はじめ弟子たちもほとほと困っていました。


「おはようございます。今日も朝からご苦労様です」


 本堂の正面にある境内から聞こえてきた声に、一松ははっと顔を上げました。彼が顔を上げると、そこには竹ぼうきを持った小柄なおばあさんが立っていました。大山寺の檀家さんの一人、ヨシ子さんです。


「おはようございます、ヨシ子さん。ええまあ、いつも通りというかなんというか……和尚さまは今、お手洗いに」

「あらあら。あの人ったら、相変わらずなのね」

「境内の掃除ですか。暑い季節なのに、いつも毎朝本当にありがとうございます。最近は人手不足もあって、ヨシ子さんはじめ檀家さんに頼ることも多くなってしまって、本当に何とお礼を言っていいか」

「いいのよ。ワタシが好きでやっていることだから。ここまで年を取ると、いろいろなことをやってみたいと思うものなのよ」


 一松が困ったような顔で応じるのに対し、ヨシ子さんは皺だらけの顔で精一杯笑顔を作ります。ヨシ子さんと和尚さまが小学校時代からの旧知の仲であることは、一松もよく知っているのですが、どうしてヨシ子さんが大山寺にそこまで良くしてくれるのかは謎のままです。


「ああ、そうだわ一松さん。さっき境内に落ちてたんだけど、これは何かしら?」


 ヨシ子さんは、身に着けていた白いエプロンのポケットに手を入れると、手にしたものを一松へ手渡しました。一松が目を凝らして見ると、それは巷で流行っているカードゲーム『お坊さんクエスト ~この経文こそ、ジャスティス~』のものでした。カードには、金髪金眼の若いイケメン僧侶と、銀髪銀眼の若い美女が描かれており、ピカピカと装飾が施されています。カードゲームには疎い一松でも、手に持ったものがとても貴重なレアカードであることはすぐに分かりました。


「ああ、多分これは近所の子どもたちが落としたものだと思います。一応ここでお預かりして――」

「うおおお~~~~っ、待つのじゃあああああ!!」


 境内に響く足音を聞いた一松とヨシ子さんは、同時に音のする方向へと顔を向けました。見ると、二人の元へ和尚さまが全裸で全力疾走してきます。顔に大量の汗を浮かべながら、左足首の辺りで丸まったブリーフを揺らす和尚さまは、一松の目の前で立ち止まると、彼の手に握られたレアカードを素早く奪いました。レアカードに頬ずりしながら、和尚さまは猫撫で声で語りかけます。


「おぉ、探していたんじゃよ、愛しい愛しいプレミアムカードちゃん。もうわしの手元を離れては……」

「おい待てーー! 言いたいことはいろいろあるけど、どうして全裸なの!? さっきまで着てた法衣はどうしたんだ!?」

「おや、誰かと思えばヨシ子さん。来ておったんか。すまんな、朝から騒がしくて」

「話を聞いてくださいよ! あと騒がしい原因は誰だと思ってんの!?」


 一松が境内中に響かんばかりの声で突っ込むと、和尚さまはヨシ子さんへと向き直りました。一松もそれに続きます。当のヨシ子さんはというと、特に驚くそぶりも見せず、和尚さまの身体の一点を笑顔で見つめています。


「おはようございます。あら……まぁ~っ。朝から立派なもの下げて……昔と変わらないわねェ」

「ヨシ子さーーーーんっ!!? 朝から寺で何言ってくれてんですかーーーー!!!?」


 頬を赤らめるヨシ子さんを、一松は困惑した面持ちで見つめます。ヨシ子さんと和尚さまの間に何があったんだろう――そんな事を考える一松の眼前で、突如和尚さまが一松へ、仁王立ちの体勢で向き直りました。

 和尚さまは、何も言わずに手に持ったレアk……プレミアムカードを一番弟子の眼前に突きつけました。カードに敷き詰められた装飾が、太陽の光を浴びてピカピカと輝きます。その瞬間、なぜか和尚さまの下半身で揺れるものも、ピカピカ眩い金色の光を放ちました。一松は、不意に発せられた光を前にカードから、そして和尚さまの下半身からも目を逸らします。


「うわっ、まぶしっ!」

「目を逸らすでない! 一松よ、これはただのプレミアムカードではないぞ! このカードは、以前日本全国の寺社が集まった大イベントで、一握りの者にしか与えられなかった究極のカードなのじゃ! 全国の寺の衆が欲しがる中、わしは直接東京まで行って手に入れて来たんじゃぞ! わしの汗と涙の結晶を子どもらにあげようなどとは、言語道断! 大体じゃな……」

「誰かこの和尚さま(ジジイ)のツッコミ役変わってくれーーーー!!」


 和尚さまが説教を始める中、一松の叫びが境内中に響き渡りました。こうして、大山寺の朝は慌ただしく始まるのです。

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