あなたの2番目に大切な記憶をいただきます。
あなたの2番目に大切な記憶をいただきますが、よろしいですか?
おきまりのセリフだ。魔女はテーブルはさんで向かいに座る初老の男に尋ねる。この男の記憶が美味いかどうかはわからない。たいてい歳を重ねた人間が持つ記憶には深い味あることが多くハズレは少ない。男が頷くと、魔女は鈍い光を放ちながら、赤毛の幼い少女の姿から一瞬で漆黒の髪のオトナの女に変わる。男は両目を大きくあけ大きく背を反らし何とも言えないうめき声放つ。
魔女はしなやかに右手をかざす。左右に上下にゆっくりとある文様を書くように。魔女の髪は白銀の光沢を放ち出した。右手を大きく引き上げると、男がテーブルに置いた古い機械式の壊れた時計は、星屑のような光をまといくるくると宙を舞った。失われた部品はどこからともなく現れ、曲がっていたギアは元の形に戻り、ガラスのヒビは溶けてかつての光沢が生まれ、そして、チリチリと時間を再び刻みだした。時計はゆっくりと舞い降り魔女の右手に収まった。
お代は次の新月に頂戴に参ります。ありがとうございました。
魔女はそういって時計を手渡す。男は目と口を大きくあけたまま時計と漆黒の髪の魔女を交互に繰り返し何度も見ている。当然の反応だ。男に声を掛けると饒舌に大きな声で語り始めた。
この時計はな!戦争でな!
うるさい。手の魔法を解き粘液で顔覆い黙らせる。男を抱え部屋から連れ出し、裏の階段を下り近くの河原に運び座らせる。ここに来た事と時計が壊れていた記憶を消す。私は自らにかかる魔法を解く。きめ細かな紫紅色の霧が私の仮の姿である老紳士の身体を覆い魔法が解ける。
艶やかな粘液と、兵馬俑のように毅然と並んだこの茶色の皮膚の突起、太く逞しい後ろ足、全てを射殺す長い舌。私ほど美しく知性あふれるガマガエルはいないだろう。
男が驚いてこちらに注目する。私の美しさに驚愕しているその隙に私は鋭く眼を光らせ一瞬で魔法をかける。閃光が放たれる。男は両手で目を覆いしばらく硬直。しばらくすると、手をおろしながらキョロキョロしている。男に素晴らしくよく通る低音で語りかける。
ゲコ、ゲコ。
なんだ、汚いガマガエルだな。さて、おっともうこんな時間じゃあないか。
汚いだと…?まあいい、無事に効いたようだ。やつの美的感覚など知ったことではない。が、この沸き立つ憤怒はなんであろうか?…さて帰るか。
ビヨン、ビチャ、ビヨーン、ベチャ、
借用している店舗兼居宅の一階出入口にたどり着く。呪文を唱え封印を解く。扉はキシキシと音をたて手前にゆっくりとひら…
ベチャ
扉は私の右側頭に当たり、私に張り付き、私を運びながらゆっくりとひらいた。この扉は喫緊に改造しようと心に誓った。
おかえりー、ビチャってその姿で部屋の中を飛び跳ねないでって何度も言ってるでしょ!、粘液がビチャびちゃーーーって掃除が大変なんだからね!
私はまだ飛んでもいなけりゃ入ってもいない…扉と激しいキスをしただけだ。
斜面に立つこの家は入口が二つある。大通りに面した2階は店、一階は魔女のプライベートスペースと厩、そして一階の出入口をあけ正面にある幅1メートルほどの水槽が私の定位置だ。水は井戸から常に送られており、水槽の上から注がれている。排水はそのまま厩に送られている。狭いが悪くない環境だ。私は一足飛びに華麗に三回半ひねりをしながら水槽に飛び込んだ。とりあえず労働の汗を流すことにしよう。
ぺっ、ぺっ、ぺっ あら泥と、粘液じゃない…もぉう、先に言ってよねぇ
厩には最近(5年ほど前)使い魔になった白馬がいる。魔法はまだ使えないが人語を理解しだした。なぜか雄なのに雌のような言葉遣いだが気にしたら負けだ。魔女はこいつに角と羽を生やそうと企んでいるようだ。どちらか一つでいいと思うのだが… 名は「ミコノス」という。
クロッグ、ちょっと肩もんでーー
「クロッグ」先代より授かったありがたい名前だ。かれこれ200年は生きているこの私を呼び捨てにするこの若い魔女「モリア・レクレイド」。たかだか60歳。先代から引き続きこの魔女に使えて40年。真面目なものの仕事を自分の好き嫌が激しい、効率も悪い、おまけに趣味が悪い…
そもそも、なぜ赤毛の三つ編みのそばかす少女になる必要性があるんだ?
目立たないでしょ?私の本来の姿じゃ美女すぎて国中大騒ぎになるじゃない?
…自意識過剰だ。
普通、変化するなら老婆だろう?先代もそうだったし。
それはちょっとねぇ。当たり前すぎて。
当たり前ってことは、安全性が確保されてるってことだろ?第一少女姿は毎年成長しなきゃ…
まあまあw
まあまあじゃなくてだ。最近は「魔女狩り」も頻繁に行われてるんだぞ。少しは自覚をもったらど…
…ほとんど魔女じゃない子が狩られているよね…
確かに。…じゃなくて!
数日前の話だ。前の町では、本来の20代の姿のため求婚され面倒だったが大騒ぎにはなってないはずだ。その件でようやく変化の魔法をおぼえたのだが。
魔女は基本的に不老不死。不老ゆえ不審に思われないようたまに引っ越しをする。変化が少ない老婆姿を表の顔にしている魔女が多いのはそのためだ。…なぜ少女姿にしたのか…
気持ちよく汗を流したところで人に変化する。この人型にもこだわりがある。目は眼光鋭く、脚は逞しく太く…
ちょっと、まだ?
面倒だが主人の命令に逆らえない。モリアの部屋に行くことにする。部屋は…まあ…ピンクのヒラヒラだ。いつの間に改装したんだ?モリアはピンクのローブ姿で机に向かい灯りをともし「魔女学術総書」を読んでいるようだ。確かこの本のページ数は666万6666ページ。右肩から覗き見る。ページ数は112万6552ページ、タイトルは「白銀の魔女」。先代の話か。
なに覗いてるわけ?
いやそのなんだ、勤勉だなと。
いいから、肩揉んで。
主に奉仕をしていると、首が前にコクンコクンと頷いた。漆黒の髪の主は眠りに落ちたようだ。やれやれ、華奢な身体を抱きかかえベッドに運ぶ。白いレースの付いたふりふりの掛布団をかけ、部屋を後にした。
やっぱりぃ、疲れがたまってるのよ。ここ数日も変化しっぱなしで、毎日お客さんいたでしょでしょ?
ミコノスがまだ起きていた。主を気遣っているようだ。この馬は図体の割には小心で心配性だ。そもそも魔女は人目に付く時間帯は変化してて当たり前だ。モリアはまだ慣れてはいないだろうが、それで疲れてもらっては困る。そして私もずっと変化しっぱなしなのだが、私に労いの言葉はないのだろうか?いつもモリアのおもりお疲れさまとか、後始末お疲れ様とか、そうそう、こいつを毎日ブラッシングしているのはそもそも私だ…
慣れてくれないと困る。
私は厩に向かって毒づいた、そして、水しぶき一つ立てずに水槽に飛び込んだ。