第七話 眠れる夜の贈り物
レフォリエの手から小さな指輪が二つ、三つこぼれ落ちた。
ツタで編んだそれはどれも中途半端だ。
「くそ、なんか指に刺さった。削いだ皮が刺さりでもしたか?」
材料はメリュジーヌが持ってきたものだった。木に絡まっていた不可思議なツタが枯れて落ちたものだという。
いったいどんな仕組みなのか、ツタは骨のように白かったり、エメラルドのように深い緑だったりする。普通のツタと比べれば頑丈で、ツタというより細く滑らかな枝を加工している気分だ。
時間の感覚を忘れるほどの間、同じくメリュジーヌに渡されたナイフ片手に取り組んでいる。
美しい銀色のナイフでいかにも高級品だが、削るならもっと普通で丈夫なものの方がいい。
青金石の竜:《ヴァラール》が現れた際、うっかり黒曜石のナイフを落としたままなのが心から惜しかった。
「こんなんでいいのかな、本当に」
メリュジーヌいわく、人が妖魔の国に住むこと自体は珍しくないらしい。
もっとも百年に一度単位である、といっていたのでいまいち信用しきれていないが。
何らかの事情で人里にいられなくなった人間が妖魔の国に迷いこむ。そうして少しずつ、少しずつ妖魔に身を変えていく。
「でもここらへんでは比較的そういうお話は少ないから、最初は怯えられるかもしれないわ。だからまずは貴女がどういう人なのか、示せばいいと思うわ。わたくしたちは『心』というものにとても敏感ですので、贈り物なんていいと思うの」
そうほくほく顔のメリュジーヌに手渡されたのがこれだ。
彼女がどうしてここまで優しいのかレフォリエには見当もつかないが、人間にもそういうのがいるように底なしのお人よしなのだと考えることにした。
なんにせよ働かざるは食うべからずというのは理解できる。そして妖魔と人は違うのだから、ここに住む以上、ここに合わるべきだというのも当然である。
だからこうして装飾品づくりに励んでいた。
人間は物質的に栄養を取るが妖魔は『神秘』を栄養にするのだと言う。
それがなんだかわからない。例えば贈り物であったり、物語であったり、感情であったりするらしい。
「一応人間サイズに作ってみたけれど、形はいびつだし、妖魔好みかわからないし」
メリュジーヌの家の一室で、あれこれ模索してはレフォリエはぶつぶつつぶやく。
養父にある程度技を習っているとはいえ、せいぜい七歳のレフォリエの技術は拙い。
趣味で作る分は楽しいが、人(?)にあげるものだと思うとどうにも出来に納得いかなかった。これがもしかして自分の立ち位置を決めるかもしれないとすれば余計にである。
ここに住もうと決めたのはいい。
後から考え直しても、たとえ別の人間の集落に行っても安全とは言い難かった。
海からだって商人は来るのだから、口から口を通じてうわさが届いてしまうかもしれない。
最悪なのはあのソクルタという《御使い》に見つかってしまうことだ。
しかも毎年やってくる《御使い》は交代である以上、三年以内に必ず見つかる。
「今日はひとまず寝るか」
考えてもらちが明かない。こういう時はいくら考えても詰まるだけだ。
諦めてレフォリエは明日に持ち越すことにした。
○
レフォリエは朝日とともに目を覚ます。
用意された寝床は、メリュジーヌのベッドで一緒に眠るというもので、養父とも別のベッドで眠っていた少女としては気恥ずかしい。
メリュジーヌのベッドは大人の女性が三、四人分寝転がれそうなほど大きい丸いベッドであったため、くっつく必要がなかったのでなんとか気にせず眠ることができた。
無防備に幸せそうな寝顔をさらしているメリュジーヌを起こさないよう、そろそろとベットから抜け出す。
そのまま昨日から作業をしていて、使っていなかったという窓際の机へ向かう。
「……あれ!?」
違和感を抱き、レフォリエは指輪を放り出したままだった机に駆け寄った。
そしてひとつひとつ手に取って、驚愕の声をあげる。
「できあがってる!」
作りかけで納得しないままであったはずの指輪が、ひとつ残らず完成していた。
作り直すたび新しくできてしまった歪みは、曲線が絡まりあった形に整えられて美しさと愛らしさを強調した形になっている。
ツタ以外に材料がなくシンプル過ぎた装飾も小さな野の花が新しくあしらわれていた。指で軽く小突くと軽い音がする。薄く割れた黒曜石を爪ではじいたときに似た音だった。
「勝手にいじってごめんねー、でもきれいだったから」
「ごめんねー、いやだったらあたらしいのもってくるから」
「ごめんねー、許してくれる?」
突如話しかけてきた声にもぎょっとして飛びのく。すると足の脛に椅子のあしが激突した。予想外の痛みにたまらず足首を抑え込んでうめく。
うっすら視界がにじんできたが、魔女の家の前で立てた誓いを思い出して必死にこらえた。
「だいじょうぶー?」
「びっくりした? だいじょうぶ?」
レフォリエの挙動に驚き返されたのか、裏返った声でなお彼らは心配してくる。
その声音と話し方にレフォリエは確信した。
この妖魔の住む地下世界:《落地郷》に連れてきた存在、七人の妖精だ。
「別に、平気。それよりこれ、君たちがやったの」
正直自分が作ったものに無断で手をくわえられたのは気にくわない。
しかしこのまま取り組んでも出口が見えなかった可能性はあった。
魔女の時とは打って変わって穏やかに尋ねかけるレフォリエに、妖精たちがほっと息をついた。
「うん。ぼくたち、そういうのつくるの、好きだから」
「へえ。どうやったの?」
「形はもうだいたいできてたから、こういうのがつくりたかったのかなって整えただけだよ」
「あとねあとね、お花を摘んできて、魔法をかけてかたーくしたの。枯れたら悲しいもん」
「そうなんだ……」
奇妙な花だと思えば、普通の花を魔法をかけて加工した、ということだろうか。
そんな予想をたてながら、できあがった指輪を色んな角度から眺める。
感心した様子で指輪に見とれるレフォリエに気をよくして、窓ぶちの向こう側に妖精たちの顔が現れた。
肥えたリスの如く丸っこいやつもいれば、雪のように儚い容貌のものもいる。
声はそっくりだが見た目はてんでばらばらだ。見た目で同じなのは色違いでお揃いの三角帽子をかぶっているぐらい。
「キミ、ここに住むの?」
黒目勝ちで耳のとがった妖精がきく。窓際に頬杖をついて、随分くつろいだ様子だ。
「まあ、そのつもりだけれど。できるかな」
「できるんじゃないかなー? 魔女さまも昔は人間だったんだから。ただ人間に見かけられて怖い目にあった妖魔もいるから、そういう妖魔は怖がってるかも」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。人間の住むところにもどって、ぼくたちのこといったりしなければ」
「その時はその綺麗な髪を頂戴ね!」
「そうだね、もしくれたならお礼に髪で指輪を作ってお墓に備えてあげる」
我先に話したがる妖精たちは既に随分警戒心を失っているようだ。それだけなら可愛いものだが、言動には価値観の違いを思い知らされる。
レフォリエは唇の端がひきつるのを自覚せずにはいられなかった。
「その時はよろしく頼むよ……それより、この魔法ってわたしでも使えるのか」
「うーん。それは難しいかなー」
「難しいねー。妖魔になればできると思うよ」
「妖精か、ドワーフだったらね」
「そうか。魔法って難しいな」
メリュジーヌはレフォリエが魔女の魔法を乗り越えたこともまた魔法だといったが、案の定ひとが夢見るような魔法は扱えないようだ。
どこからどこまでが「人の魔法」の範囲なのか予想が難しい。あてにしない方がよさそうである。
「えっと、君たちさ」
「なにー?」
「もっとつくるー?」
「一晩おいてくれたなら、眠っている間につくったげるよー」
「それとも一緒に作る? 作る?」
レフォリエから窓を開け放って話しかけると、一斉に七人の妖精が机の上になだれこんでくる。
彼らは態勢を整えようともせず、ごろごろ転がって目をらんらんと光らせた。
「雪にはしゃぐ犬みたいだ……」
「いぬー?」
「いぬってなに?」
「ルーガルーみたいな?」
「あれ、いぬじゃなくて狼男じゃなかったっけ」
「耳がついてて、毛がふさふさ」
「可愛いってこと?」
「いや、それほどでも」
「照れますな」
うっかり口を滑らせても妖精たちはころころ笑って喜ぶ。
てっきり妖魔とは恐ろしいものとばかり思っていたのに、毒気を抜かれてばかりだ。
レフォリエは乾いた笑い声をあげて、完成した指輪を指先でつまんで彼らの眼前に差し出す。
「わたし、ここで暮らすためにわたしの仕事を見つけなくちゃいけないの。見たと思うけれど、今のわたしではあそこまでが限界。それでも大丈夫だと思う?」
妖精たちはしばらく黙りこみ、自分の頬を両手で挟んで考え込み始めた。
そしてしばらくすると、リーダー格らしい丸い妖精が頭を上下に振った。
「うん。正直、あれで満足する妖魔は少ないと思う」
「そうか」
わかっていたとはいえ、自分の作るものが喜んでほしい相手に喜んでもらえないというのは、傷つく。
落胆するレフォリエに妖精は続けた。
「でも、ぼくたちが手伝っていいなら大丈夫かも」
「ちょっと、いいの?」
丸い妖精を黒目勝ちな妖精が咎める。
「うん。ぼくたち、魔女さまのお手伝いをするのが仕事だけれど、たまにしかないからすっごく暇なんだ。それにぼくたちは、完成させることはできてもものをつくることはできないんだ」
「うん。誰かの作りかけじゃないとだめなの」
「お仕事ないのは、つまんないね」
「ものをつくるほうが面白いよねー」
「だいじょーぶかな、怒られないかな?」
黒目勝ちの妖精だけはやや反対していた。しかしレフォリエが視線を向けると、ちらちら指輪を盗み見しているのがわかる。
「じゃあ、わたしがつくって、君たちが完成させる、でいいのかな」
「いいよ! 図面とか、完成予想図とか、おいておいてくれればもっといいかなー」
「一緒に相談しながら、どういう風にするか決めるとかは? わたしが何もしないのも申し訳ないし、教えて貰ったりできたら嬉しいんだけれどな」
「それは、どうしよう……魔法使ったりするし」
「でも、できることが増えると、新しいモノも考えられて、お役立ち?」
「一緒に考えればもっと楽しく作れるかな、ぼくたちでもどんなものにするか考えられるかしら」
ほんのひとときの沈黙がなかったものになりそうなほど、妖精はぎゃあぎゃあ盛り上がりだす。
他人のちからを借りるのは忍びない。だが意外にも出会いに恵まれたことにレフォリエは脱力して椅子に座りこんだ。
やがて騒ぎに叩き起こされ、メリュジーヌも瞼をこすりながら寝室から這い出てくる。
「あら、あら。どうしたの? グラヘルナのとこの妖精ちゃんたち?」
「メリュジーヌさんおはよー!」
「ぼくたちお仕事することになったよー」
「おなかすいた」
「あらあら、それは素晴らしいわね! レフォリエちゃんもおなかすいてるでしょう? 今ごはんつくってきちゃうからね。人間の料理なんて久しぶりだから腕がなるわ」
緑の髪にあちこち癖を残したまま、口に手のひらを当てて嬉しそうに笑う。
こうしてレフォリエは、妖魔の国の一員になっていったのだった。
そして次の運命の時は、忘れた頃にやってくる。妖魔に短く人に長く、平和に慣れる程度の時間――実に、七年後のことであった。