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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第一章 ルール・オブ・ヴィジョン
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第六話 不思議を謳う緑の人

 メリュジーヌと名乗った紅玉の女は、その優美な腰を曲げてレフォリエに手を差し出した。


「さあ、こちらへおいで。あなたが望むところに連れて行ってあげましょう」

「望むところ?」

「ええ。帰りたいなら帰してあげる、他のところへ行きたいのならそうしなさい。もうどこへ行こうと咎めるものはないのだから」


 いきなりそういわれても、すぐに「家へ帰る」とはいえなかった。

 このまま帰れば養父とココワにまた会える。しかしそれもつかの間。生け贄が生きて帰ってきたとなれば、何が起こるか想像に難くない。

 可能性は三つだ。生け贄がいなくなったため今年は中止したか、まだ審議の途中か……新たな生け贄を選んだか。


「あのさ、わたしが落ちてからどれだけの時間が経ったか知らないんだけれど。今年の生け贄ってもう来たの?」


 もしもココワが来ることになったらどうしよう。上目使いにメリュジーヌに問う。


「いえ、そんな話は聞いていないわね。でもあなたの生死がわかるのには当分かかるでしょう。森が開かれるのは今宵だけ。そういう約束だもの、今年の生け贄はなしでしょうね」

「それで、平気なのか? もし集落のみんなが死んでしまうなら、わたし」

「あら、あら。余計な心配ですわ。三十六の集落が毎年生け贄を捧げるのは、そうした思わぬ事故に備えてのこと。数は十分足りるはず。だから好きな道を選んでいいの、優しい子」


 そこまで聞いてようやく胸をなでおろす。ココワも自分も、本当に助かったのだ。

 かといって、安易に家に帰るともいえなかった。

 生きているとわかれば、たとえ故意でないとしてもどんな扱いをされるかわからない。

 レフォリエだけならいい。もし老いた養父が冷たい仕打ちを受けたら?

 優れた技術で一目置かれる養父だが、他者の助けなしに生活するのは難しい。

 ならば、このまま生け贄としてのレフォリエは死んだままの方がよい。

 下を向いて頭をひねるレフォリエの手を、メリュジーヌが今度は自分からすくうようにとった。


「悩むのも無理ないわ。でもあなたのことをわたくしに決められるのもいやよね。少なくとも村に戻る気がない様子ですから、少し歩きます」

「どこに? ここはどこにもつながってないように見える、だって地面の下だ。人の住む地上を通るわけにもいかないんじゃないか」

「ええ、ええ。広く平らな大地の上は人間のものと女王は決めました。だから深く暗い大地のなか、厳しく荒々しい岩の上は我々のものなのですよ。川を沿って歩くから、その間に考えなさい。水を伝って、大海蛇の泳ぐ深海の国でも、鬼の住む山の国でも行けるから。そこから人の里へ連れて行ってもらえばいい」


 メリュジーヌはそういって、魔女の家の近くからレフォリエを遠ざけていった。

 奇妙な青緑の木々のあいまをぬって、どこかへまっすぐ向かっていく。

 気を許すまいと思うのだが、なぜか魔女に対して感じたような警戒を抱くことができなかった。

 気を抜くとチラチラとおかしな世界に目を凝らしてしまう。


「気になるの?」

「見たこともないものばかりだから。あの、青緑の木は何? 木に巻きついている実は?」


 そっと手を握り返し、ときめきのまま質問が小さな口からまろびでた。

 メリュジーヌはまなじりを下げて木の実のひとつをとった。

 素直に木の実を見てしまうのは、彼女に養父が重なったからだろうか。


「食べられるの?」

「人には食べられないと思うわ。これ、妖魔の死体だもの」

「……死体? こんなにきれいなのに。いや、こんな形なのに?」

「人だって生きるために生け贄を捧げ、働いて食べ物をえるでしょう。わたくしたちだって役目は背負うし、生きるための糧は自分たちで手に入れるわ。この木の実は、息絶えた身を木の実に変えて、川を流れる水を吸い上げながら魔力をため込んだもの。生きていけるぐらい世界を明るく照らしてくれるし、その光の魔力は空気に溶けて妖魔にとっての栄養になってくれる」


 メリュジーヌの話にレフォリエは少なからず目をむく。

 人間にとっては神聖で遠いものである泉が、ここでは生活の一部として流れている。

 妖魔にとってそのような摩訶不思議なちからがあるのにも驚いたし、妖魔が生き物のように生きていることにも驚いた。

 泉は自分たちにとって大切なものだと思ったが、思えばそれは彼らの世界にあるものなのだ。妖魔もおとぎ話のなかの生き物でないというのも、ようやく肌で感じ始める。

 存外、自分や人間たちの知らない秘密がたくさんつまっているのかもしれない。


「泉の底からわきあがった水はそのまま海にも流れて、地下の道を通じて他の妖魔ともつながっているの。ああ、だとしたら山の国の方がいいかもしれないわね……山のドワーフは一代目の頃から貨幣を作っているから、まだ人間と交流があるし……」

「あのさ。なんでそんなに教えてくれるの? 人間にあなたたちのことが知られたら、困るんじゃないのか。言ってしまうかもしれないぞ」


 あれこれ話を広げるメリュジーヌの口を慌てて遮る。

 どうしようもなく目が輝いている自覚はあったが、誘惑に負けていうべきでないものに語ってしまったらと思うと聞きたくない。

 唇を抑えがたく歪ませ、眉間に深いしわを刻むレフォリエにメリュジーヌは首をかしげる。


「どうして? あなたは自分たちのことを知ってもらうのが嬉しくないの?」

「あなたは無謀なのか、それとも何か策があるのか?」

「策なんて。あえていうなら、貴女がそんな子ではないと感じるからかしら」

「理由になってないよ……」

「それは仕方がないですわねぇ。でも、わたくしたちだってドワーフが手に入れてくれた人間の細工を見ると心躍るもの。よろしくて? わたくしたちの愛する世界を知って喜んでもらえるのは嬉しい。しかもあなたのこれからの未来を選ぶのに、ここから通る道を選ぶ知識は役に立つ。だとしたら喜んで教える以外にないわ」


 心底楽しそうに小首を傾げて言い聞かせられれば、レフォリエには頷く以外になかった。

 養父だけでなくココワにも似ているとくれば、最初から嫌いになりようがなかったのだ。

 ため息をつけば残っていたりきみ(・・・)もとれて、顔の筋肉が緩みだす。


「地下を通じて他の妖魔が住む地域と交流があるなんて、全然知らなかった」


 口下手なレフォリエでは、そうすることでしか自分の心境の変化を伝えられない。

 しかしメリュジーヌは進む足をスキップとほとんど変わらない勢いで跳ね上げた。


「ええ、そうでしょう? だからこれは貴女とわたくしたちだけの秘密よ。頑張った貴女への褒美。あら、なんだかどきどきしちゃうわね」

「褒美、っていえば、さっき魔女と話してたけれど。わたし、てっきりあの石は魔女の魔法なんだと思った。だから必ず死んじゃうんだって。ただしゃべるだけの石だったの?」


 ずっと気になっていたことだ。

 人間にすぎないレフォリエがどうして魔法を打ち破れることがあるだろう。

 メリュジーヌはすぐには応えなかった。進むべき方向にやや低い枝の幕が張られていたからだ。ちょうどレフォリエの頭に当たってしまう位置だった。

 メリュジーヌは一時枝をどかす仕事に就いた。レフォリエは人ならざる紅玉を抱いた身のどこで、ここまで深い慈愛を育てたのか不思議に思う。


「よし、やっとどかせた。頭を下げて通るのよ、気を付けて」

「うん」


 小さな枝の洞窟を抜けると、水の匂いが鼻をつく。

 大人が一人寝転がれる程度の幅をもった川がささやかな流音を奏でている。

 だがその川の色はうすぼんやりと木の実と同じ青緑にきらめいていた。

 真夜中にともしたカンテラのように、川を中心にドーム状の膜が広がっている。


「どうせふつうの川じゃないと思ってたよ」

「のどが渇いたのなら飲んでもいいのよ? すっかり忘れていたけれど、大冒険したのだもの。少しでも息抜きしなきゃ。あなたたちの集落にも川にも混ざっているものだから、多分大丈夫じゃあないかしら?」


 呆れにあっけらかんととんでもない石を投げられて、すっとんきょうな悲鳴が漏れた。


「光った水を飲めって!? 瓶にでも入れたら飾り物になりそうだけれど」

「光ってるのは水じゃなくて底よ。明るくて歩きやすいでしょう? わかりやすいのが一番だわ」


 そういってメリュジーヌは膝をつき、手のひらで(わん)をつくる。

 一口飲んで見せるが、やはりいきなりは難しい。

 だが人の体は考えなしで正直だ。言われると、急に悲惨な口内の状態に気づく。

 竜にさらわれた時に浴びた風でカラカラ、魔女の家の前で転んだ時に砂利も大量に入っている。気にしないでいたものがうっとうしくなってきた。


「じゃあ、口のなかを洗うだけ。洗うだけだから」


 恐る恐る光る川のなかへ指を浸けた。

 確かに、すくった水は集落の川の水と全く同じ無色透明だ。

 メリュジーヌの言ったことを思い出して、川の底に目を向ける。

 白くて太い何かが微動だにせず、ぎゅうぎゅうに詰まっている。

 蛇にしては鱗がない。薄くしわがあるように見える。なんだかわからなくて見入っていると、またメリュジーヌが教えてくれた。


「あれは根よ」

「根っこ? 植物の?」


 昔、ココワが家に飾るのだと野草の花を掘り出していたことがあった。

 彼女の母が、植物には根っこというものがあって、それで大地に抱きついて、母乳代わりの水を貰うのだと言っていたのだという。

 食べ物がもらえなくなるから切ってしまうと枯れてしまう。だから生まれた場所の土も一緒にもっていって、大事に育てるのだと。

 また会えるかわからない友人の顔に、瞼をそっと伏せた。


「花の根っこは見たことあるけれど、こんな太くて大きなのは見たことないよ」

「木の根っこよ。とっても大きな、ね」

「……何の木?」


 それまで嬉々として知識を授けていたメリュジーヌがいいごもったのが気になって追求する。


「ああ、そういえばさっき、貴女に……そう、しゃべる石がどうとか言ってたわね。聴いたことがあるわ。話から察するに、グラヘルナ……魔女が生け贄選びのために流した予言の石でしょう。魔女の死の魔法がかかった悲しい石」


 露骨に話題を変えられ、レフォリエはきゅっと唇を結ぶ。

 いくら親切に見えても、変なところで隠し事をするのだ。


「簡単よ。とってもおおざっぱにいえば、貴女は魔法を使ったのだわ」

「嘘だ。わたしは人間だよ」


 つっけんどんに言い返す。メリュジーヌは眉を八の字に曲げ、レフォリエを持ち上げて体の向きを変えさせる。

 そろそろ出発だということらしい。


「それともわたしは妖魔になったの? 悪い子だから?」

「悪い子だからなんて、とんでもない。貴女はとっても勇気にあふれた子。でなければ魔女の前から逃げ出していたわ。そして優しい子よ。そうじゃなくて、ええ、そうねえ……」


 形のいい顎に手を添えて、少しの間考える。

 また手をつながれたレフォリエは、黙々と川のそばを歩いた。

 足元から淡い光に照らされてちょっとだけまぶしい。


「えっと、二代目と三代目女王のお話は、知っているかしら?」

「毎年、集落の長が話してくれるよ」

「あら、そんなことをするの? しっかりしてるのねえ。それなら話が早いわ。確かにわたくしたち妖魔が使うような細やかで自由な魔法は、人間には使えない。でも、考えてごらんなさい。だったら三代目女王はどうやって、二代目女王を打ち破ったのかしら」

「それは三代目女王に女神が祝福を与えたからだって言ってた」


 話をする間、自分よりずっと背の高いメリュジーヌの顔を見上げていると首が疲れる。

 下をむくと川の光が目に刺さる。だからレフォリエはひたすら前を向いた。

 暗い向こう側によくよく目を凝らすと、何かが歩いているのが見えた。

 尻尾のあるトカゲと人が混ざったようなもの、角の生えたもの。火の玉、動く木の人形。それらは歩いてくる二人に気づくと、そそくさと家らしき建物に入っていく。


「あながち間違っていないわね。でも一番の理由は、三代目女王が二代目女王を打ち倒したいと望む気持ちが二代目女王のそれを上回ったからよ。貴女の生きたいという思いが、魔女の願いを上回ったように」

「ふうん」

「つまり、貴女がとても頑張った、ってことよ」


 そういわれて頭を優しく撫でられる。悪い気はしなかった。

 やがて川は三叉に別れ、メリュジーヌが立ち止まる。

 話を続けたかったレフォリエも息を止めた。

 いよいよ決断の時だ。


「右に行けば海、左に行けば山。真ん中は森、この地下の外に繋がっているわ。海の妖魔は話を聞かないけれど、人々は勇ましく誇り高い戦士。きっと貴女と気が合うでしょう、でもなるべく妖魔を傷つけるのは控えてくれると嬉しいわ。山は貴女の住んでいたところと同じように物を作ったり、家畜や食物を育てる穏やかな場所よ。休みたいならそこにしなさい。仕事以外では人とかかわらないけれど、もしかしたらドワーフと気が合うかもしれないわね。その時はオウガに出会わないよう注意して。彼らはとても美しい人の姿をしているけれど、血気盛んで荒々しくて、ドワーフとよく喧嘩するから」


 どの土地も魅力的に聞こえた。

 レフォリエはその光景をひとつひとつ想像してみて、眉をひそめる。

 どれもとても美しいけれど、ひとつ人間らしくないことを思ってしまったからだ。


「ねえ、本当にどこでもいいの?」


 改めてメリュジーヌに確認する。

 その真剣なまなざしを受け、メリュジーヌは神妙に花のようなかんばせを向けた。


「ええ。どこへでも、自由に。一番幸福にはばたける場所へ」

「じゃあ、うん……そうだな……」


 あとで後悔しないだけ、十分に迷ってレフォリエは繋いだ手を強く握った。


「じゃあ、ここがいいな」

「ここ?」

「ここ。妖魔の住む、森の地下」

「どうして。恐くはないの? さびしくないの? ここには貴女と遊んでくれる人間のお友達はいないのよ」


 あくまで自分に向けられた言葉に、レフォリエの意志が固まる。

 もしも本当に許されるなら、一人ぐらいそんな人間がいてもいいのではないか。そう思う自分がいるのだ。


「想像してみた。楽しそうって思ったのが全部妖魔の国だったんだ。おかしいな、って思ったんだけれど、今更人間の世界にも行けないしさ。もしも生きているってわかったら、どんな迷惑がかかるかわからないもの。人間って石みたいに余計なことばかり話すもの、どこにいっても秘密をばらしたりばらされたりしないか不安だな。じゃあ、ここがいい。貴女がいるここが」


 わがままな自覚はあった。でもご褒美をもらうなら、面白い方がいいと思ったのだ。

 あの魔女はとても恐ろしかった。この紅玉の女は怖くない。先ほど隠れた何か達もそうだ。

 本当は、存外自分たちはうまくやれることだってある。もしそうなら、どんなにすてきだろう。


「本当に、いいの?」


 繋いだ手に手を重ね、膝を折って確認するメリュジーヌの瞳がレフォリエを貫く。

 そのなかには明るい輝きと戸惑いが混じって揺れていた。

 決してしなければいけない選択ではない。

 しかしこの先の自分を左右する大事な選択だとわかっていたから、安全より、一番面白い道をとることに決めたのだ。魔女の予言も乗り越えた自分なら、きっと大丈夫。

 レフォリエはしっかり首肯してみせた。


――それに、ひとつ心残りもある。


 自分を助けてくれたあの竜に、まだお礼を言えていない。

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