第六話「悪い戯びの火種の日」
アーロンは、ひやひやした空気が鼻孔をかすめる気配で目が覚めた。
足先がきゅうっと縮こまる。
ドヴェルグは低血圧なのだ。
寝床から出たくなくなる寒さとだるさが、今が朝だと教えてくれる。
すっと起きられた時よりうんと早い朝だ。
「ん……」
小さなうなり声をあげ、重い瞼を開く。
眼を開いたはずだが、見えているはずの光景は何も頭に入ってこない。
だがすぐそばをあたたかいものが通り過ぎる感覚がした。
きゅっとしまった褐色の足とぽこんと丸い踝、赤みを帯びたくすんだつま先。
「……」
睡魔に負けて閉じかけた瞼をなんとかこじ開ける。
「ああ、全く。子どものような妹なんだから」
◆◇ ◆
――一番下の棚を開けてから、戻して。その右上の引き出しを二回引く。
息を殺し、シグは父の仕事場を見渡す。
一番下の棚を開けてから、戻して。普通の棚であればまるでおかしな挙動だろう。
しかし、父の棚ならそれでよかった。
羽織った上着を首筋に寄せ、冷えて白く染まる息を隠そうとする。
うろ覚えの『手順』を終えれば、引き出しの一つからパコンと小気味いい音が響いた。
軽快な破裂音は祝いのラッパのようだ。
シグは満足そうににんまり笑い、部屋の外にいたレフォリエに手招きをする。
「昔、教えてもらったんだ。大事なものはここにいれてある、他の引き出しをいじらなきゃ開けられない特別製なんだって。あたしがこれを触るのは初めてなんだけどさ」
その目は未知への期待感で猫のように輝いている。
音のした引き出しへ手をかけた時、ほんのわずかに俯いたのは、罪悪感か。
とにかくシグは引き出しを開けると、そこから紙の束を取り出す。
「ほら、これ! これさえあれば祭壇に――」
「いけないよ、お馬鹿さん」
突如、不意打ちで投げられた言葉に、シグはせっかくとった紙を落としてしまった。
アーロンは寝起きの不機嫌な相貌でゆっくり近づき、慌てて拾おうとした紙を横取りする。
「《花嫁衣装》のデザイン図。たとえ手に入れたところで、未熟なお前に作れるはずがない」
ふん、と鼻を鳴らす。
丁寧にたたみ直して、アーロンは無言で二人を見ているレフォリエに声をかける。
「君のせいで妹が不要な興味を持った」
「ああ。まあ、そうかもな」
「違うよ兄貴、あたしがやらせてって言ったんだ。だってあたし、死ぬまでイイコでいたくない……」
レフォリエを庇おうとするシグを、アーロンは冷たく一瞥する。
「だろうね。だから馬鹿だといったろ。それとこれとは違う。これは妹に『そうしたい』と思わせるきっかけを与えたことへの文句だ」
つっけんどんな言い方には隠しようもない苛立ちがあり、シグを黙らせるには十分だった。
いつもの彼女なら言い返すだろうが、今回ばかりは自分が悪いとわかっているらしい。
「はあ。それに腕だけじゃない。これには特殊な材料がいる」
地図を慎重に、完全に元通りに戻しつつ口ずさむ。
「ドヴェルグと蜘蛛化生は共生関係だ。何も侵入者を襲うだけじゃない。彼らの紡ぐ糸は鋼鉄より勁い。それでいて軽いうえ、魔から生まれたものゆえ魔術も込めやすい。
太陽祭壇は凄まじい熱気と炎の聖域だ。
常に炎と土に近しい僕達ですら圧されるんだ。
人間がいこうとすれば、ただ呼吸をするだけでもこれをまとっていなければたちどころに死んでしまう」
加えて、と、アーロンは何もない己の胸元を嫌みったらしく指先で叩く。
「完成済みの衣装は、これとは別の衣装棚に保管されている。開けるには父さんが四六時中ぶらさげている鍵を使わなくっちゃいけない」
「う」
「いちかばちか、自力でつくろうとしたのかもしれないけれど、時間の無駄だね」
はっきり突きつける。
シグは思いっきり渋面をつくったが、何も言えない様子で犬のように唸った。
ただレフォリエだけが涼しい顔をしている。
「まあ、なんとかなるだろ」
と言いたげな目だ。
どこまでも澄んだ黄金色に、アーロンはこめかみをぐりぐりいじる。
そして溜息をついた。
「――はあ。その通りなんだが」
「え?」
脈絡のない独り言。そして続いた言葉に、シグは悔しさも忘れてぽかんと口を開く。
「俺もその気になったってこと。
勘違いするなよ。どうせシグのことだから、一晩たったらカラっと忘れて、また冒険を夢見るのだろうからね。
俺が見ていないところで勝手されるよりは傍にいた方がマシってだけだから。どうせ行ったところで何もできやしないんだしね」




