第三話「御遣い嫌い」
《御遣い》を名乗った女は、止める間もなく大股で歩いてきた。
ずんずんと湯煙を割って迫る影は、アーロンに思考する時間を与えてくれない。
アーロンは女に見覚えがあった。
低音、男のような帽子と服装、短く切った灰色の髪。
三代目女王の《御遣い》のロザリンドだ。
逡巡し、結果として黄金の女を背に庇った。
「早く隠れろ」
黄金の女が驚くのがわかったが、理由は問われなかった。
すっと気配が消える。
直後、険しい顔をしたロザリンドが辿り着く。
濃いまつげに縁取られた琥珀の瞳があたりを見渡した。
蒸し暑い風呂場にあって冷や汗が伝う。
だがロザリンドはあたりを睨め回した末に、アーロンに視線を戻した。
黄金の女は見つけられなかったようである。
「オマエ、確かここの守護者の息子だな。名はアーロンだったか」
「ええ、そうです」
名を覚えられていることに内心驚愕しながら、愛想良く笑顔を浮かべてみせる。
本当は吐き気すらあった。
アーロンは人間が嫌いだ。なかでも《御遣い》は唾棄している。
妖魔がこうして住処と職務を制限され、決まった土地で決まった役割しか選べないのは、女王のせいだ。
人が強かったからではない。
女王のおこぼれで贔屓されているくせに、いかにも正当な権利を受け取っているような顔で生きている人類種は卑怯者に過ぎない。
《御遣い》は最たるものだ。女王の庇護を特別に受けているだけなのに、いかにも偉そうで。
本当はそう思っているのに、女王が健在であり、ドヴェルグが女王に支配されている限り、表向きは今の世界に満足しているようにしていなければならない。
ロザリンドは二、三回またたきをするあいだ、アーロンを見つめた。
かすかに唇が不機嫌に曲がる。
目当ての人物が見つからず、へそを曲げたか。
下僕であるべき妖魔の反抗心を見抜いて、怒りを覚えたか。
心臓の血流が増えて太くなったように錯覚する。重苦しくトクトク血が流れる音がきこえてくるようだ。
「ふん、まあいい。黄金の女を見にいったってのはオマエだな? 他の若いドヴェルグに聞いたぞ。服も着たまんまだし、湯につかりにきたわけじゃねえのはハッキリしてるもんな」
「見ましたけれど、あっという間に逃げてしまいましたよ。捕らえる暇もありませんでした。申し訳ありません」
「ほぉ、そうかいそうかい。もう逃げた後かい」
冗談を聞いたような軽い受け取り方に、嘘を見抜かれたかと不安になる。
参った表情を作り続けるのもそろそろ限界だ。
ロザリンドはつるりとした顎を撫でながら、アーロンを放ってぶつぶつ呟く。
「見つかったぐらいでコソコソ逃げるようなタマかねえ。そもそもそんな奴が風呂につかるか? ああいや、でもエルフの里でも逃げ足速かったって聞いてるしなあ」
「あの……」
「いいや、信じてやる。ただし、レフォリエっつう金髪金眼の女を見つけたらすぐさまあたしに知らせろ」
「はあ」
「しばらく山の人間に世話んなる予定だ。見つけたら風呂入ってようが鉄打ってようが女抱いてようが、全部ほっぽり出して走ってこい」
不意打ちにけしかけられた下品さに、遂に思いっきり嫌な顔をしてしまった。
何が面白いのか、ロザリンドはニヤと笑って身を翻す。
姿が完全に消えてからアーロンは盛大に舌打ちをした。
まもなく、ざぱ、と水をかいて、噂の黄金の女が再び現われた。
彼女は泉から現われた高貴な蛇のように目を細め、アーロンの真意を見抜こうとする。
「どうして助けてくれたんだ?」
「あんたもあの女も嫌いだよ。あっちの方がもっと嫌いだったから、結果として助ける形になっただけだ」
「そうか。なら礼は言わないでおこう」
「あっそ。……はあ、しかし、これはこれで面倒なことになったなぁ」
アーロンはがさがさと己の髪をかき乱す。
妹を悪く言えない。アーロンはアーロンで短気が過ぎる。
考えなしにやってしまった。
黄金の女を見る。彼女は相変わらず敵意のない顔で、当たり前のようにそこにいた。
どういう理由で追われているのかは知らないが、彼女が《御遣い》に捕まって、アーロンの反抗を知られると面倒だ。
女王は寛大だ。少なくともそう見られたがっている王だ。
しかし場合によっては見せしめにされるかもしれない。
やはり《御遣い》は気にくわないので、大して後悔はしていないが。
アーロンは再三、天を仰いで、黄金の女に向き合う。
「あんたじゃ不便だね。名前、なんていうんだい」
「レフォリエ」
「わかった、レフォリエ。俺は今、あんた……いや君を助けたと思う。そうだよね」
「そうだな?」
「お礼は言わなくてもいいけれど、俺のいうことをきくぐらいのことはしてくれるべきだ。そうだろう。俺は君を助けて、少し良くない状況になったんだから」
「遠回しだな。結論からいっていいぞ、それで決めるから」
欠片も萎縮しない。ふてぶてしいにも程がある。
何をいっても通じないと嫌と言うほど理解した。諦めたアーロンはびしっと美しい女のひたいを人差し指でさす。
「あーもう。とにかくだ。あんたがあの《御遣い》に捕まったら困る。うろちょろして多くのドヴェルグに見つかりまくるのも迷惑だ。これから俺の家に来てもらう。勝手に動くのもだめだ、いいね!」
◇ ◆ ◇
土の壁に手を当てて、緩慢に一歩ずつ進む。
アーロンの裾を掴んでいるだろうレフォリエに、振り返らぬまま忠告を飛ばす。
「離したら、どうなろうが俺は知った事じゃないからな」
「はいはい、気をつけるよ。それにしてもここはどうしてこんなに暗いんだ」
裾越しに細かな動きまで伝わって、レフォリエが天井に顎をむけたのがわかった。
ああ、と気のない返事をする。
二人が歩いているのは、アーロン達家族の小さな領地――つまり家であり、仕事場だ。
守護者であり、山のドヴェルグ達のなかで最も優れた職人でもある父の領地は、一等質がよい。
作業に集中できるよう、他より奥まった場所にある。
「光が邪魔なのさ」
「あかりのない世界に行き続けた生き物は目が退化するときいたことがある」
「俺達のどこが盲目に見えるんだ、君の目って節穴だったりする?」
「ああ、そういえばドヴェルグって優秀な職人なのだっけ。そりゃ目に関しちゃ優れてるか。私達は明るく美しいものの価値はすぐにわかるが、そうなる前の原石は石ころに見えてしまうものだ」
てっきり女王の庇護があるからと、庇護の薄い妖魔を見下してばかりだと思っていた人間が賢しげなことをいうと思わず、面食らう。
「媚びか?」
「で、なんで暗いんだ?」
「……あっそう。は、別にたいした意味なんて。鉄をうつのに、光があると熱の色合いを見誤る要因になるからってだけ」
「熱?」
「炎の色。鉄の変化。ありのままを見るのに余分に眩しいものは邪魔でしょ。ぼくらは価値を見抜いてるわけじゃない、必要なもの以外を見ないようにしてるんだ」
「ほおおーん。いや、面白い話じゃないか。使うばかりで作る側はよく知らんかったからなあ」
レフォリエの物言いは、本心からか馬鹿にしてのものか判別しづらい。
ドヴェルグであればわざわざ説明するまでもないことなのが、ますます疑いを深める。
くちのすべりがよいのは、他者へ教えるという行為の面白さゆえに過ぎない。
目をきりりとつり上げて気を引き締め、裾をクイと引っ張った。
「ほら、土の匂いが変わった。近いぞ」
携えた火のないランタンで、玄関のあたりをカンカンと叩く。
いち、にと間を置いて、反対側から全く同じ調子でカンカンと返ってくる。
間髪入れずにカンカンカン、三回鳴らす。
合図を受けて、鍵が外された。
どう説明したものかと悩みつつ入れば、目の前をどたどたと妹のシグが騒がしく駆けていった。
「親父ぃー! 兄貴が帰ってきたから、あかりつけるかんね!」
作業場にこもっているのだろう父を待たず、シグが魔術を使う気配がした。
部屋中に置かれたランタンが一斉に太陽色の炎を宿す。
ランタンのガラス越しに、親を同じくする炎同士が共鳴して震える。
カタ、カララ、カタン。硬質なハーモニーが奏でられ、アーロン達の帰宅を歓迎した。
「シグ、ただい」
「おかえりっ! って、えええうそでしょ兄貴が女つれて帰ってきた! しかも肌が白い! 耳が丸い! え、人類種!?」
挨拶をさえぎって、シグが興奮がちにそばかすのある鼻をひくつかせる。
こうなったシグはいくらいっても、しばらくうるさい。
前途多難さに、アーロンは形容しがたい悲鳴をあげた。




