第二話「本当はすごいハルバードくん」
「じゃああたし、先に帰ってるね」
シグはあまり興味がなかったのか、自宅に戻ってしまった。
鷹揚に頷いて、若いドヴェルグに案内されるまま温泉へ向かう。
光虫の入った籠を下げた通路と脱衣所を通り過ぎ、着の身着のまま湯煙たつそこへ足をふみいれた。
着衣のまま現われたアーロンに利用者達が怪訝な顔でみてきたが「人間の女は?」ときけば、すぐ得心いったと揃って同じ方向を指さした。
ドヴェルグ達の風呂は基本的に混浴である。
ともに熱い鉱石を打ち、肉体を酷使する老若男女が汗を流している。
憩いの場にあって、騒々しい喧嘩の類いは御法度だ。
しかし気が緩むからこそ、大抵は婦女が製造のコストカットや軽量化などのおしゃべりに花を咲かせ、男連中の新技術やら古代技術やら浪漫に盛り上がる声が響く。
それが「人間の女がいる」と示されたほうへ近づくほど、静かになった。
水滴ひとつ垂れる音がやけに湿気と煙に満ちた一角にしみる。そこだけ人知れぬ深層から空間をまるごと切り取って運んできたようだ。
ぴちゃん、ぴちゃん。
濡れた足音と、溢れては座れていく水の流れをきいていると瞑想をしているような心地になってきた。
アーロンは他者に振り回されるのが嫌いだ。
ちっと舌打ちをして息を吸う。
神秘のヴェールじみた薄く白い煙に、金箔をふったような色が混じったのが見えた。
「そこの君」
声をかけても反応はない。
無視されたと判断して近づく。不自然に濃かった湯気も意味がなくなる。
なだらかに丸い肩と浮き上がった肩甲骨が現われた。
クセのない金髪は高く結い上げられ、白いうなじが目に飛び込んでくる。焼きたての白魚の腹めいた色だ。
「何か用?」
人間の女は振り返りもせず、そういった。
尊大に風呂のふちに両腕をのせてふんぞり返り、長くはりのある足を悠々自適に組みかえる。
自分こそがこの空間の主だといわんばかりだった。
実際、彼女のまわりだけやけにすいている。ぽっかりと見えない壁があるかのようだ。
それがまた妙にしっくり似合う。
アーロンは口元をひきつらせながら、彼女の真後ろに立つ。
輝かしく天使の輪を描いていた女の頭上に、土の匂う影が落ちた。
ようやく女は反応して、アーロンを見上げてきた。きょとんとした瞳。髪と同じ黄金色。
鉱石を愛するドヴェルグとして思わず惹きつけられてしまう。
(見とれる? 人間の女に?)
アーロンが少なからず動揺していると、女は邪気のない口調で諭してきた。
「そう不安げに睨まなくていいぞ。別に悪さをしようってわけじゃないんだから」
「はあ?」
偉そうな言い方だ。態度といい物言いといい、一体なんなのだ。
あきれかえって言葉もでない。
目をむくアーロンをみて何を勘違いしたのか、女は続ける。
「悪さをしようにも、ここが何をされたら困るのかも知らないし」
アーロンに睨まれても黄金の美女は微動だにしない。
「温泉とか初めてみたから入りたくなっただけ。ヴァラールがやたらいいものだ~っ自慢してくるから。でも確かにいいじゃないか、温泉。うちの森にも一個欲しい。掘れば出るかな」
「森とこちらでは環境が違う。無理だ。いやそうではなく」
「そうなのか。ンン、ならヴァラールに火を吐いてもらって暖めて桶にためれば楽に入れるかなあ」
「そうではないといっているだろ!?」
感情が高まりすぎて声がひっくりかえってしまった。
完全に気が休まってぼーっと空を見ていた彼女だが、アーロンがしびれをきらして怒鳴ると「やれやれ」と息を吐く。
手の届く範囲においていたらしい銀色の長物を掴む。
長物の先端にひっかけ、一緒に置いておいたらしい布を引き寄せる。
「まあなんだ。あんた達もうるさいし、いい加減でてやろう」
変わらない妙な上から目線にカチンと来たが、反論するよりも先に彼女が湯をあがってしまった。
みじんも恥じる様子のない、あまりにも堂々とした仁王立ちである。
潔すぎて、アーロンは彼女が何をしたのかわからなかった。
「ざぱん」という音がしたなー、と思った時にはもう遅かった。視界に女の全体像がとびこんでくる。
見れば見るほど、人とは思えない造形美だ。
天才的な芸術家が掘り出した彫刻に命が宿って動き出したと言われても頷いてしまう。
黄金の髪は純金を溶かしたよう。すっと通った鼻梁を挟む瞳は、光を受けて輝きが変わる。
湯につかっていた時はあたたかく満ちた月の色だったのが、こうして見下されると、燃え盛る太陽の剣の如く鋭利に見えた。
控えめな胸は優美な曲線を描き、吸い付きたくなるような品がある。きゅっとした腰のくびれは人魚の歌姫のよう。
仁王立ちによってへそのラインが見事にそれているのがまた美しい。
小綺麗に整えられた爪はつるりと艶めいた桜貝のそれだ。
優美を好むエルフあたりが見たら鳥籠に囲おうと色めき立つのが目に浮かぶ。
適度な脂肪と筋肉のついた太ももは女の柔さと戦士の勇ましさを同時に孕み――
まじまじと見つめてしまってから、素っ裸の女のからだを直視してしまったことにきづく。
「こ、この恥知らず!」
堪えきれずに真っ赤になった顔を片手で隠してしまう。
褐色肌のアーロンの赤面は酷くわかりづらいだろうが。
かといって完全に目をそらすわけにもいかず、指の隙間からチラチラと盗み見る。
その間に服を着るなりすればいいのに、何故か立ったままアーロンをがっつり見つめてくる。何故だ。
「ああもう服を着ろッ」
「ン、いいのか。ずっと見てるから動くなといわれているのかと」
「どうしてそこだけ従順なんだ!?」
声をあらげても手はどかせない。
なるべく肉体を見ないように見張っていると、着替えながらも器用に抱えている長物に目がとまる。
くすみひとつない澄んだ銀色の武具だ。
しかし若輩者ながらドヴェルグのアーロンには、長物が見たままの銀製の武器ではないことがすぐにわかった。
(あの戦斧、まさか神鉄か!?)
伝説の金属にもオリハルコン、ヒヒイロカネ、アダマントと色々あるが、神鉄はこの国に住まう人間にとっては特に重大な意味をもつ。
文字通り神の鉄。
女神は吹きすさぶ雪と氷の国を命あるものの地にするため、世界樹へと姿を変えた。
神鉄とは、その世界樹の枝を加工したものだ。
決して壊れず、どんな風雨にも侵されない。
この世で最も穢れた血さえ、輝くまことの鉄を曇らすことはあたわず。
あらゆる材料のなかで、人の身を超えた災厄をも防ぐ魔除けの神秘を抱く、という。
世界を守っている女神の神体に傷をつけるなど恐れ多い。
伝説の金属で比較的身近でありながら、使うことのできない神鉄。
守護者である父が神鉄で出来たお守りを見せてくれたことはあるからなんとかわかった。
実用品として加工されたものを目にするのは生まれて初めてだ。
(その神鉄で出来た武器を、ものを取るのに使ったのか)
くらっとめまいがする。
「お前は、本当に……どれだけふざけた奴なんだ」
蚊の鳴く声で絞り出された悲鳴に、着替えを終えた女が遺憾そうに眉をひそめた。
「ふざけた覚えはない。わたしはただの旅のものだ」
「お前のような旅のものがいるか! 第一どうやって入ってきた。ちからづくで追い出すぞ」
腰に下げた短剣に手を回す。
至って平凡な質の鉄で出来た剣だ。神鉄と打ち合えば欠ける確信がある。
いくら生身の女に見えても、油断ならない。
なるべく冷たい視線で貫く。
しかし女はあっさりアーロンの刺々しい目を受け流すと、アーロンの向こう側に目をやった。
「ああ、来たか。早かったな」
感心したように言った時だった。
温泉の入口から、低音の女性の声が響いた。
「《御遣い》である! ここに黄金の女はあるか!」




