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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第四章 セルフ・パニッシュメント
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第一話「祭壇の震え」

 アーロンが立っていた地面が、赤子に腹を蹴られた母のように揺れた。

 山の下に造れられた地下都市の遙か遠い天井から、パラパラと粉のような欠片が落ちる。

 地震は大きかったが短く、拍子抜けするほどあっさりおさまった。

 周囲にいた同胞達がざわざわと声をかけあう。それも、もう慣れてしまったのか、二言三言で手を振り合って別れていく。


 アーロンは一見涼しい顔で、土欠片で汚れた酸化鉄赤(ベンガラ)色の髪を軽く払った。

 誰も見ていないとわかっている賢しさを宿した唇だけが、憎々しげに歪む。


「気味が悪い」


 呟きを咎めるものはいない。

 きっと聞いても笑い飛ばすか、逆に深刻に考え込みすぎるだけだ。

 サンダルをはいた足で地面をかく。


 ここのところ急に地震が増えた。

 もともと他の地域に比べると多い方だったとはいえ、目に見えた変化である。

 落ち着きかけた時に限って不意打ちで揺れるのは気分が悪い。

 快活に振る舞う太く熟した鍛治屋が岩めいた皺を刻む。神がかりの技をもつ神経質な諸君の心がささくれ立つ。

 日に日に空気が悪くなるのをひしひしと感じて息苦しい。


 しかもアーロン青年を含めた同胞達は人間ではない。ただの妖魔でもない。

 土という土に親しむ種族、ドヴェルグ(ドワーフ)であった。

 そのドヴェルグ達をして、大地がぐずっている理由に検討がつかない。

 開き直って笑うか、予想不能な事態を嘆くしかできないのだ。


 だが、アーロンは他のドヴェルグと少し事情が違う。

 彼には、彼とその親族だけには、心当たりがある。

 ゆえにアーロンが抱く不安は他のドヴェルグより具体的で、深かった。

 沈痛な面持ちで、地表近くにある祭壇の方向を睨む。

 強張(こわば)った肩を、アーロンのそれより一回り小さい、しかし女性にしては分厚い手がなぜる。


「兄貴、これさ、生け贄送ったところで間に合うのかな」


 妹のシグリーズルである。

 意味もなく父親似の三白眼を右往左往させて挙動があやしい。アーロンと同じベンガラ色の髪が馬の尻尾のように振れた。


「シグ、やめなさい。同胞達の耳に入ったらどうするんだい」

「でも」

「不用意にあおるような真似は慎め。どうしても不安なら、あとで一緒に父さんのところまでついていってあげるから」


 そういうとシグは露骨に顔を歪めた。


「兄貴が聞いてきてよ」

「だめだ。おまえが自分で聞きなさい」

「うう。だって無口で怖いんだもん」


 この調子では、面と向かって問うぐらいなら何も言わないだろう。

 年齢の割に子どもっぽい側面を残す妹に、アーロンは静かに頭を痛めた。


「けれどね。きこうと思ったら父さんしかいないよ。わかるだろう」


 シグをたしなめながら、アーロンはまた、ここからでは直視できない祭壇を見やる。

 そこと父に、アーロン達が他のドヴェルグと違う事情があった。

 父は祭壇で行われる生け贄の儀式を管理する《守護者》なのだ。


 この国では、女王によって土地が四つにわけられている。

 異なる文化と気風を持つ土地だが、そのわかれめとなったのは場所だった。

 年に一度捧げられる生け贄の儀式場である。


 人にとっては祈りの儀式であり、妖魔にとっては世界を保つ封印を守るためのもの。

 森、海、平原、山に一つずつ。順に、


 魔女と亡霊が死と静謐によって守る森の聖泉。

 獰猛な歌姫魚(セイレーン)塩水馬(アハ・イシュケ)の巣窟たる海上神殿。

 誇り高さゆえに容赦のないエルフとハーピーに監視された平原の天空城。

 そして、ドヴェルグと蜘蛛(アラクネ)の導きがなければたどり着けない太陽石祭壇。


 アーロンは、太陽石祭壇を守るドヴェルグの息子であった。

 守護者とは妖魔のなかではそれなりの尊敬をもたれる存在なのだが、(シグ)には効き目が薄いらしい。

 伴侶のように金属を自在に鍛えるが、生身の女を愛することに関しては棒立ちの木偶の方が幾分マシという具合だったのだ。

 一体どうやって母を射止めたのだろう。

 いつもは母が父と兄妹をとりもつのだが、今は卸した武器をメンテナンスするために海へ出かけてしまっている。


 そういうわけで、ここしばらく父と娘の会話もない日々が続いている。

 守護者の身内であるシグは箱入り娘なせいか、どうにも甘い。

 

(いや、しかし。シグののんびりも心配だが今は地震か)


 あとでシグを引きずって父をたずねようと計画する。

 アーロンの悪い企みに気づいたか、シグがおびえて一歩ひいたときだ。



 兄妹を真実に近づける嵐は全く唐突、理不尽に訪れた。

 大地からではなく青い空から。



 二人のほうへ一人の若いドヴェルグが走ってきた。

 髪を振り乱して酷い慌てようだ。

 特に誰に会おうとしているわけでもなく、ただ慌てているだけという走り方だ。


「ちょっと君。そんなに慌ててどうしたんだい」

「ああ、アーロン、大変なんだ!」

「地震でどこか壊れた? まさか鍛冶場?」


 あそこには命より大事なものが山ほどある。

 保護の魔術をかけたところで安心などできない。

 あわてふためいていた若者は、アーロンがたてた最悪の予想と現実を比較して「今はまだマシ」と思い直せたのか、僅かに頬の筋肉をゆるめた。


「鍛冶場じゃない。今日もまだ一応地震の被害はないよ」


 鍛冶場ではない。場所をさして否定したということは、どこか重要な場所で何かがあったといっているも同然だ。


「ならどこで?」

「温泉」

「……なんだ。大袈裟な態度をしているから惨事かと思えば」


 前言撤回。重要な事件があったのではないらしい。

 火山が多いこのあたりでは、熱い水が湧き出る場所はいくつもある。

 常に汗と汚れと生活をともにするドヴェルグにとって憩いの場だ。


 おおかた女性利用者の反感でも買って逃げてきたか。

 くだらない心配をしてしまったときびすを返す。


「おまえが想像しているようなのじゃないって!」

「俺が想像しているようなのって? どうせ変な話なんだろ」

「確かに変な話なんだ、けど!」


 死んだネズミを見るような目で見下すアーロンの服をひっぱり、その温泉があるらしい方向を指さす。

 聞き流そうとしたアーロンだったが、若いドヴェルグの報告は今度こそ彼を驚愕させた。


「いつの間にか温泉に知らない人間の女がいたんだよ!」

「人間? 馬鹿な。人里近くならともかく、こんな奥まった地域に? アラクネーが徘徊してるんだぞ」


 アラクネーは守護者としての役割を抜きにしても、織物に関してドヴェルグと協力関係にある。

 食べ物や空気等から摂取した魔素を紡ぎ上げ、特殊な糸にするのだ。

 それによって様々な魔法の道具を作ったり、材料を他種族に分け与えたり。

 種族的に温度に敏感なため、自分達の衣服をつくるためにも常に魔素を収穫する。


 魔素の性質によってできあがりも変わるため、山における妖魔の領域ほとんど全てで、いつであろうと代わる代わる動き回り続けているのだ。

 休んでいる間も魔力となる餌を捕獲しようと巣をはるので、油断ならない。

 ただの人間であればアッという間に捕まって、死ぬまで生気を絞られてしまう。

 儀式の期間でもなければ人は絶対に近寄らない。

 

「こんな人間一人じゃこれないような険しい山に」

「だから大変なんじゃないか。見た目は黄金のような美しい女なんだけれど……」

「引きずり出せば?」

「やろうとしたさ。そうしたらとんでもないちからで投げてくるんだ。放っておけば他の奴らと一緒にくつろぐものだから、いっそ放置した方が安全な気すらして。どうすればいいのか誰もわからない」


 困り果てている様子に、アーロンは隠しもせず眉間に谷を作った。

 誇り高い妖魔が小娘ひとりに情けない。


「わかった。とりあえず父に報告する前に、その愚かな勇者の顔が拝みたいから案内してくれないか」


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