第十話 鈴はならず
レフォリエは感情的だ。
喜怒哀楽が激しく、堪えるというのが苦手だ。
だがしかし。憎まない。
間違っていると感じることも、逆らうこともある。
だが嫌なのは、それに従って「それでよし」とする諦めだ。相手を「いなくなってしまえ」と願うのは違う。
命は命。義父もココワもメリュジーヌもヴァラールも魔女も。どんな種族、性格においても大切なものだ。
そのレフォリエが、激怒していた。
自分のなかにこんな感情があったのかと驚く。
どす黒く、はらわたが汚れていくようだ。気持ちが悪いのに捨てられない。収まらない。でていってくれない。
生まれて初めての「殺意」だった。
瞳に火事にも負けない強い熱を放つレフォリエに、ソクルタが気づいて振り返った。
その青い目がまるで布団でまどろむ子のように蕩けていて、レフォリエのまなじりがキリリと吊り上がる。
「ソクルタ。何をしてるんだ」
「これは……魔女の遺品を、回収している。妖魔の身体と存在には魔力と神秘が込められており、お守りになる。特に魔女は髪に魔力を蓄え……いや、違う、そうじゃない……これを女王に。彼女のたくらみの証になるから。お知らせせねば……」
「……ふざけているのか……」
ソクルタは額に手を当てて、眠気を払うようにかぶりを振る。
「違う、違う。私は違う」
意味不明なうわごとを呟くのが気にくわない。
それでもレフォリエは、彼女が何をいうのかと待った。
レフォリエはまだ芽生えたばかりの強烈な感情に、戸惑っていた。
このまま、焼け付く感情に自分の大切なものまで燃やし尽くされてしまいそうで、怖い。
魔女を失った悲しみと怒りに震える。
一方で、ソクルタがこの炎を和らげてくれるような「理由」を述べてくれないかと願った。
彼女なりに真剣だったのだとわかれば、許せなくてもいい。
おまえの理屈はわかった。だが私は納得できない。
おまえも私も正しい。ならば殴り合いで決着をつけよう。それで全て精算する。
そういって、すっぱりとした気持ちで戦いを挑める。
「何か言え、ソクルタ!」
炎をバックにして、ソクルタの表情はねっとり暗い影に包まれて見えない。
ただ何度も「違う」という言葉を繰り返す。
見えない誰かに言い聞かせるような必死さに、ヴァラールが警戒して軽く口を開ける。
ドラゴンブレスで焼き払う準備だ。
空気中の魔素を牙の並びで描いた魔方陣で凝縮し、喉の器官で青い炎を吐く。
しかし、ヴァラールが少し大きく息をした時点で、ソクルタは急に顔をあげた。
「わたしが」
打って変わって明瞭な物言い。一刀両断に切り下ろす話し方はやたら刺々しい。
そこにレフォリエはどうしてか、親しみと頼もしさを覚えた。
《ソクルタ》が話す。
「わたしが魔女だ」
瞬間、レフォリエは爆発する。
「貴様」とか「ふざけるな」とか。言葉が出ない。
獣のように跳ねて飛びかかり、馬乗りになって殴ろうとする。
一度つきとばされるままに倒れる。予想していた抵抗はなかった。
それが所詮戦士ではないレフォリエの甘さだ。ソクルタはレフォリエに押し負けたのではない。
一瞬優位になったと勘違いして気が緩みかけた時、腹に鉛をぶつけられたような重い一撃が全身を歪ませた。
背中を地面にくっつけ、「体を固定する土台」をえたソクルタが勢いよくレフォリエを蹴り返したのだ。
ソクルタはレフォリエの攻撃を利用し返すために、わざと倒されたのである。
今度はレフォリエの方が後方へ飛ぶ。
敵意が届くどころか、子をあやすようにかわされ、レフォリエは目を白黒させる。
「やわらかい」とでもいうような奇妙な体術だ。
何度か熱い地面をぐるぐる回転した後、膝立ちでソクルタを睨む。
青い《御遣い》はもうすっくと体勢を整えて、中腰でレフォリエを見つめていた。
乱れた金髪のすきまで、目元に浮かぶ涙は悔しさで浮かんだものではない。
「あんたは……あんたは私とは全然違う考え方と文化を持ってる。だから理解できなくても仕方がない。だからこそ私にはない綺麗さを持った子だって思ってた……」
ソクルタは何も言わない。
唇を真っ青にして、わなわな震わせるだけだ。
レフォリエには彼女の震えが笑っているかのように見えた。
「なのに、なんでそんなこというんだ。どんな存在だって代わりなんているものか。魔女は死んだのか。だったら他の誰もあの魔女を名乗るなんて許されない!」
「ち……が……わたしじゃない……」
「言い訳をするなあああ!」
ヴァラールが止める声が聞えたが、無視して戦斧を突き刺す。
ソクルタもまたおぼつかない足で踏ん張る。また「柔」だ。小さな盾でまた槍先を受け流された。
だがレフォリエの連撃は続く。
突きがダメなら斧で横なぎに払う。かわした瞬間を突く。防がれれば押して体勢を崩す。
ソクルタの回避は巧みだ。風を捉えるかのように衝撃が通らない。
しかし風は嵐に呑まれるもの。
怒りはレフォリエを極限まで戦いに集中させた。
腕の振り方も、腰の回し方も、刃の降ろし方も。失敗と同時に自己分析する。
どうしてあたらなかったのか。どこが惜しかったか。ならばどうすればもう一押しできるのか。
ほとんど身体の感覚と脳のひらめきが直結していた。限りなくタイムラグもなく、凄まじい速度で学習する。
持ちうるわざすべてを相手を断つ未来を目指して、研ぎ澄ます。
動き回れば動き回るほど、一連の攻撃がひとつの舞踊のようにスキマなく繋がっていく。
ぴっ、とソクルタの右頬に線が走った。血の玉がぷくりと浮かび、線を描いて滑り落ちる。
防ごうと動こうとした直後、左の頬がぱっくりと裂けた。
ソクルタを襲う凶刃が絶え間なく襲う。ろくに足場を踏み直す時間もどんどん短くなる。
「どうして! なんで妖魔は簡単に死ぬんだ! 死ななきゃいけないようなことをしたのか! メリュジーヌもみんなそう、命をかけなきゃ何一つ変えられない、守れない――なあどうなんだ、魔女は何を守ろうとして犠牲になったんだッ!?」
「……ちが……」
「また私のせいかッ!?」
攻撃を見切るのを諦めたソクルタが、正面から盾でぶつかった。
両手でハルバードを構えていたレフォリエは、そのまま柄の部分を前に出した。
盾の突進をまとも受け、全身がびりりとしびれる。
雨水を吸った岩がぶつかってきたように重い。
相手はレフォリエとほとんど同い年の、繊細な美貌を持った少女のはずなのに。
ここまで強くなるのにどれだけ努力したのか。
そんな少女がこのようなことをするのに、鼻がツンと痛む。
こぼれかけた鼻水をすすりかけた時だ。唐突にレフォリエと密着していたソクルタの目がぐるんと白目をむく。
「思い上がるなッ!」
また、あの棘の言葉だ。
ソクルタが腰を落とす。しまったと思った時には、ソクルタが一歩後ろに下がっていた。
押し合っていたレフォリエはバランスを崩し、前のめりに倒れかける。
その横っ面に金属の円盾が振るわれる。
目の前がガチガチと明滅する。
視界が暗くなって、わずかな浮遊感。と思えば、頬に火と氷をいっぺんに詰められたような激痛と土の味が広がった。
気持ち悪くなって吐き出せば、血が飛び出した。
擦り傷になった鼻から血が胃に流れ込み、口から捨てられたのだ。
咄嗟に体を動かそうとするも、まだ混乱しているのか手足がうまく動かない。
黒ずんだつま先が近寄ってくる。
やられる。
ひやりとしたが、レフォリエの目と鼻の先までやってきた足が、ぐらりと揺れた。
とっさに見上げると――ソクルタが自らの頬を殴っていた。
「は……?」
「きき、たい、ことがある」
盾のない手のひらで、がんがん頬を殴る。
切れた頬からあふれた血が、拳でなでられたことで、顔全体に塗りつけられる。
青い髪、白い頬、真紅の血化粧。骨を砕かんばかりにおのが顔をひたすらに殴打する。
奇妙極まる光景に、流石のレフォリエもあっけにとられた。
虚につけこむようにソクルタは問う。
「貴方に、王の力は、あるのか?」
王。何をいっているのだろう。
レフォリエは動揺のまま、反射的に「ないっ!」と叫んだ。
女王の娘ではあるが、王になった覚えはない。
答えながら、襲われないすきに飛び退いて立ち上がる。
傷つけられた野生動物のような逃げ方だった。
そのまま様子のおかしいソクルタをじっと観る。
しかし、何もわからない。目につくものもなかった。
全身が炎と炭、土をかぶって、どこも汚い。何百年も茨の城に閉じ込められていた姫がボロボロのドレスで抜け出してきたみたいだ。
唯一かけらの曇りもないのは、ソクルタの腰のあたりで揺れている白銀の鈴くらいだ。音は鳴らない。壊れているのだろうか。
不自然なほどまばゆい色はレフォリエのハルバードにそっくりだった。
レフォリエには、それが女王が《御遣い》に託した宝物――世界樹の枝を溶かして作られた、嘘をつかれると音の鳴る魔具とは知らない。
だから素直に、彼女にとっての真実を教えた。その意味など少しも理解せずに。
レフォリエが迷いなく応え、鈴が鳴らないのを認めたソクルタは
「――そんな――」
底のない穴に落ちるように呟いて、脱力した。
武器を構えた腕がおろされ、全身すきだらけになる。
途端、レフォリエの体が反射的に動いた。
ハルバードの切っ先が、ソクルタの中心を穿つ。
胸、ど真ん中。
ソクルタは真っ青な瞳を見開き、よろよろと手のひらでかばう。
勢いをつけて引き抜けば、心臓が脈を打つたび、太い筋を描いて血が流れ出た。




