第九話 神敵
「貴方の人格を押しつける……私の体に、成り代わる気なのか? どうしてこんなことを?」
腹部をおさえ、ソクルタはうめいた。
こっそり手を腰の後ろにまわし、自分用の剣をとる。
魔女もソクルタと同じ体勢になって、部屋中にくつくつ笑いを広げていく。
その乾いた粘土のように白い唇は歪んでつりあがって、不自然に痙攣していた。
声も奇妙に甲高い。気色ばんでいるようでもあり、悲しみに打ち震えているようでもあり、歓喜に涙するようでもあり。
混沌とした感情のにじむ得たいのしれない様子は明らかに正気でない。
「誰もエラヴの復讐をしないからだ。メリュジーヌは子どもを優先して、ヴァラールにいたっては! なんたる。裏切り者め。そもそも三代目が来なければあいつもやらなかった? でも結局やったんだ、大嫌いだ、ヴァラールめ」
ここにはいない者どもへの怒りを吐き捨てる魔女を観ていられず、ソクルタはいさめようと一歩前へ出る。
「落ち着いてください。貴方は賢者、森の魔女だろう。本当の貴方はもっと思慮深いはず――」
「ほざけ小娘!」
ソクルタが声をかけた瞬間、仮面をべりっと剥がしたかのように笑みが消え、憤怒の形相に変わる。
魔女は黒い髪を振り乱し、ソクルタに血走った目を向ける。
「本当の私? 思慮深いィ? 貴様は私が魔法の権威か何かのように思っているようだがな。完全な勘違いだぞ、それは。私は魔法なんか大嫌いだ」
魔女が魔法を否定する。
衝撃的な告白に、ソクルタは異常な状況におかれているのも忘れて目をむいた。
一方、魔女にとってその告白はずっと胸の内に秘めてきた想いだったのだろう。
興奮しきって天を仰ぎ、大声で嫌悪の叫びをあげた。
「いいかあ!? 魔法なんて理不尽の塊だぞ!
反逆の意志による世界への干渉力、世界を育むための女神からの支援? ふざけんな!
みんな生きにくいなか一生懸命やってるんだ。そりゃあ意思さえあれば世界を変えられるっていうなら、努力しても埋められないものがあるやつなんかには奇跡にも神のみわざにも思えるだろう。希望だろうね。
けど、普通の人間は、そこを文明のちからでどうにかしてきたんだよ! 自分がダメでも、一生懸命なにがどうできてどう動くのか勉強して、研究して。つぎに受けついで、いつか未来の誰かが今より幸せになれるよう祈りを託す。
そうして今は今なりに、大切な人たちと明日を生きようとふんばってんだ! ないなりにさあ!
それを魔法は一気にひっくり返しちまう。努力はあるさ。けど創意工夫ってもんがない。
ある程度ルールを重ね、ちからを借りることができるのは、魔術、まじないだ。
特別な意志を持つ奴がただ頑張るだけ、一生懸命になるだけで世界が変えられたら、つまんないなりに小さいことからコツコツやってた奴らがあんまりじゃあないか。
意志を保ち続けるのもしんどくて、強力な意思を抱けることも大変なことはわかってる。でも、ずるいだろう!」
興奮したせいか腹から血が噴き出す。
元々色白の肌はもはや青い。目だけが鮮やかに爛々と輝く。
「そんなのにエラヴは殺された! 我が子を妖魔に殺された母の怒りが、意思が、あまたの妖魔を集め、魔術の研鑽を積んでいたはずのエラヴを殺した! 魔法、魔法! 女神の祝福! そんなものさえなければッ! そんな理不尽が襲い来る世界なんて嫌い、嫌い嫌いきらいきらいだいっきらい! こんな世界滅んじゃえばいいんだッ!」
どんどん幼子めいて感情を噴出させる魔女。
その言葉のなかにあったあらゆるものへの憎悪に、ソクルタは声音を落とす。
舌の上で転がすように慎重に言葉を味わう。
話すのに、口内にたまった唾が邪魔だった。
もはや、この壊れた魔女に遠慮はいらぬと床へ「ぺっ」と吐き出す。
どこも怪我をしていないのに、唾はぬらぬらと赤いものを抱いていた。
「母の怒り……そんなものがなければ?」
ソクルタの鱗に触れたのは、「世界よ滅べ」という呪詛ではなく。
三代目女王への侮辱だった。
「その母性こそが、あの御方が王たる由縁。頂点に立ったというのに悲しみにご尊顔を陰らせる雲。それあってこそ、民は女王の慈愛の雨を受け、平和を享受できるのだ。
それをくだらぬとは。貴様は狂っている。
女王は神の代理人! そして女神が世界樹に姿を変え、女王こそが世界の形を描く支配者である以上、今世の民にとっては神そのもの同然。
この世に在るものに許されるのは王への賛美と服従のみ! 汝は神敵なり、殺すべし!」
魔女にとって二代目女王が、世界そのものであるのと同じだ。
ソクルタにとっても三代目女王の尊厳を貶められることだけは許せない。
一線を明確に超えた瞬間、今まであった迷いを捨て去ったソクルタを魔女は嗤う。
「狂信者めが!」
腹をおって嗤う魔女の顔面をソクルタは円盾で殴りつけた。
真っ正面から押し出されるように殴られた魔女は、真後ろの壁に背中を叩きつけられる。
ソクルタはウサギのように飛びかかった。
魔女に馬乗りになって漆黒の髪をわしづかみ、床に押しつける。
「二代目にとらわれる異端者よ。愚かな妄執から救ってさしあげる」
静かでしっとりとした呟きが魔女の鼓膜に滑り込む。
心からの信仰に満ちた殉教者の声音。
本気で三代目こそが正しいと信じ、二代目を愛する魔女を間違っているとおもいこんでいるからこそ出せる響きに、魔女は下品に舌を出す。
完全に組み敷いた魔女を、ソクルタは容赦なく追撃した。
シンプルだからこそきらびやかな盾で、頭蓋を割らんと振り下ろす。
短剣によって、魔女の人格がソクルタの意志を上書きしてしまう前に、殺してしまおう。
そんな考えなどなかった。
ただただ女王の敵を殺す《御使い》としての行動だった。
「だから、貴様らはバカだと言うんだ」
一切の抵抗をしない魔女が動く。
「とっくの昔に手遅れなんだよ。世界を守りたいなら、エラヴを殺すべきじゃなかった」
泣きそうにわめいて、魔女はだしっぱなしだった――魔方陣のかきこんだ舌を噛みちぎった。
なくなった舌がぴちぴち床で踊り、呪文を紡ぐ。
「炎眼の使い魔よ、我が砦を天へ送れ!」
それがやってくるまで三秒もかからなかった。
窓を、壁を、天井を突き破り、ソクルタをここまで案内してきた目玉の使い魔がとびこんでくる。
炎の体をもった使い魔達はしずくが落ちるように家中に降り注ぎ、その身を散らしていく。
そのまま火種となって燃えやすいところから根を下ろし、近くに落ちた炎と繋がって、またたくまに巨大に育つ。
己の命を認識してすらいない使い魔達は命令通りに自爆する。
使い魔の矢。それは魔女を押さえつけ、無防備な背をさらしていたソクルタを襲う。
鋭く突撃し、炎は突き刺さるようにソクルタの白い肌に吸い込まれ、無残な色に染め上がる。
だが彼女は叫び声ひとつあげなかった。
「こ、のことを……女王に……」
お伝えせねば。魔女が何かよからぬことを企んでいると、女王にお教えできるのはソクルタだけなのだ。
炎にまとわりつかれ、肉を焼かれながら、立ち上げる。
見下ろせば、魔女は打ち上げられた魚のように倒れ伏し、微動だにしない。
完全に事切れていた。




