第五話「乗り手と竜、あの日の少女」
「うちのバカか、貴様は!」
《御使い》は背負った盾に光弾を受け、天高く跳躍する。
暴風をものともせず、見事に利用した彼女は、再び鞭をふるう。
ふるわれた鞭は今度は逃れることなくヴァラールの足首をつかんだ。
ソクルタは強風にばらつく青い髪をなでつけることもなく、ヴァラールの太い足首に飛び乗った。
飾りっ気もなく一文字に結ばれていた《御使い》の口元が挑戦的にほころぶ。
「いつかを思い出すな。あんな小さな女の子がこんな場所に乗ったのか」
「嫌なら降りろ!」
「お断りします」
ヴァラールは身をよじる。
普通の人間ならたやすく吹き飛ぶ。ドラゴンの背に乗れるような人間は、レフォリエのような天性の才能がある人間か、余程の修練を積んだものぐらいであろう。
だが彼女も流石《御使い》である。
振り回されるまま振りほどかれた、幼い日の少女はもういない。
迷いない手つきで、ヴァラールの鱗に手をかけた。
するすると足首、太もも、背とのぼっていくさまは、木に巻きつく蛇のようであった。
ヴァラールの背にたどり着いたソクルタは、しかと丸い瞳を瞬かせたあと、肩をすくめる。
「なんだ、いないのか」
いうなり、ソクルタはもう用はないと立ち上がる。
暴風のなかでたやすく直立したことにぎょっとした。
風よけの魔術でも使っているのかもしれない。
彼女がこの数年間で積んだ鍛錬に、敵ながら関心する。
そんなヴァラールに気づかず、大地をぐるりと見渡しながらソクルタの嘆息が風新野って流れていった。
「全く。命が惜しいのか、奇天烈な生き方をせずにいられないのか、わかりませんね」
「お前のようなクソまじめには思いつかん手法だろうて。しかし、かの日と比べればお前もばかになったものだ」
その一点においてのみ、ヴァラールはソクルタをみても腹が立たなかった。
レフォリエと同じ。年数を経て成長し、たださかしいだけでない愚かさを覚えた少女。
ソクルタは初めて敵意の薄い言葉を投げかけてきたヴァラールに、生真面目に眉を寄せる。
「言っている意味がわかりません。偉大なる先達よ」
「さてな」
今のソクルタは空のなか、森のうえ。
うつむけば木々の先が刃の如く天をむき、足元を支えるのは敵対してきた相手の肉のみ。
「随分、余裕があるのですね」
「俺が尾をふるえばすぐに落ちるぞ」
「でしょうね。背に立つぐらいはできても、貴方はクルイグのように素直で可愛くはありませんから。私ではとても乗りこなせますまい。
しかし、つまりは。わたしとて一人ではないということをお忘れですか?」
わたし自身が生き残ることなど、重要な問題ではない。
◇ ◆ ◇
レフォリエは焦っていた。
ただ、今度は以前ほど予想がついていないわけではない。
(ソクルタたちがヴァラールを追わず、ここに残る可能性はあったわけで)
ない可能性とある可能性で、より「面白い」方に賭けただけだ。
落ち着いてみればそう思う。
とにかく、敵が追わずに残るとは十分にありえる判断だった。
レフォリエは分厚い肉の壁越しに魔獣の息遣いを感じながら、慎重に懐に手を伸ばす。
本当は妖精達を呼ぶために残しておいた貴石だ。
(私は内臓、私は内臓)
内臓の音をきくなんてことは、たとえ魔獣であっても無理なことだ。
レフォリエは己に暗示をかけ、勇気を奮い立てる。あるいは蛮勇を。
「こっちだ、《クルイグ》」
声を吹き込み、足音から《クルイグ》がいる方向性を予測して、獣からそれた瞬間に傷口から放り投げる。
『こっちだ、《クルイグ》』
繊細な魔力操作は、最近習い始めたばかりで苦手だ。
しかし優れた道具というのは、効果が優れているというだけでなく、使いやすいという点でも一流であるらしい。
魔女に与えられた貴石は、レフォリエでも扱うことができる。
声に魔力を込めて吹き込めば、貴石が同じ言葉を繰り返す。
(よし、うまくいった! やるじゃないか、私)
満足感に笑みを浮かべ、切り裂いた腹からこっそり貴石を投げる。
力仕事の方は得意だ。最小限の動作で、美しい放物線を描いて遠くへ転がっていく。
『こっちだ、《クルイグ》』
貴石のこだまに反応して、大きな足音が響く。
クルイグだ。
ヴァラールと違って人の言葉を使わない点からも、クルイグがある程度動物よりのドラゴンであることは予想がつく。
違和感ぐらいはあるのか、クルイグは慎重な足取りで偽物の声へ向かおう――とした。
「オマエがきいた声は嘘だぞ、クルイグ! しっかり探せ!」
張りのある声が天から降り注ぐ。
(なっ、なんで空にいるんだ!?)
まさかソクルタが天を飛び、ヴァラールの背からすべてを見渡しているなど予想もしていなかったレフォリエは目を見開く。
「おのれ! なんて面白いことをしやがって!」
これではすぐに見つかってしまう。
前転の要領ではらわたごと獣から抜け出す。
ソクルタが石が投げられた箇所に目当てをつけ、魔獣に指示をだすのとほぼ同時であった。
振り向かずに走る。
主人の頼もしい命を受け、《クルイグ》は咆哮した。勝利を確信したかのような力強さに舌打ちする。
レフォリエの健脚をもって、庭のような森をかけぬけるとしても、逃げ切れるか?
スリルによる高揚半分、生々しい恐怖半分に腕をしっかりと振って
前へ前へと足を動かす。
「ヴァラールっ!」
お前が何もしないはずはない。
無根拠な信頼を込めて、レフォリエもまた喉が張り裂けんばかりに大声を出す。
彼の青金石の尾が宙を切り裂く音がした。
強請っては背にまたがり、空の旅を楽しんだレフォリエは、それによって受ける風の重みを知っている。
鉛の波に飛び込むようなものだ。
瞬きもせず空を見上げる。
少女が、落ちていた。豆粒のように小さい、だが澄んで輝く青い瞳と目が合った。




