第三話 女王と魔の国
「この国には女王がいる。魔女というものもいるが、今では魔法を使う妖魔の女をそう呼ぶな」
たき火の前に腰をかけた長がゆっくりと口を動かすさまを、レフォリエはぼんやり見つめる。
毎年恒例、祭りの一日目の夜に行われる長による昔話である。
儀式が自分たちにとってどういう意味をもつのか。それを刻み込むために、炎を囲んで一晩じっくり語るのだ。
そして二日目の夜に祈りを捧げ、投票を行う。二日目の晩から三日目の早朝にかけて生け贄を運ぶ。
レフォリエは祭りにはあまり興味がないが、この昔話は好きだった。
しかし今回はゆっくり腰を落ち着けて、とはいかない。
無自覚のうちに、じかに地面に尻をつけ、土を適当に握ったり離したり落ち着きなく手遊びをしてしまう。
長は話を乱さないうちは、そういった細かな態度を責めはしない。
ほんのり紅色に染まった白いひげがもごもごと動く。
「今までに女王は三人いた。生け贄を定めたのは一代目の女王だったが、彼女は君臨すれども人々を支配しようとはしなかった。大地を創造した女神に王たる権利を与えられた彼女は、あくまで人が生きられない極寒の地を、安寧の世界へつくり変えることだけに終始した」
その話はこの昔話の始まりであり、肝でもある。
心の中でレフォリエは長の物語の続きを復唱する。
――一代目女王は奇跡のちからを用い、争う人と妖魔をわけ、食べるための獣と植物を創った。しかし、燦々と輝きながら冷気の風をふぶかせる太陽だけはどうにもならなかった。
かつて太陽は我が身を使い果たすように燃え盛り、夏など夜も空は白く染まっていたという。
そうして生け贄の風習が始まった。
真心を込めた捧げものをすることで、荒ぶる自然を鎮めようとしたという。
祈りの対象となるのは、女王へ王の権利を与え、その後永い眠りについた女神。
太陽はいくつもある女神の分身のひとつでもあったのだ。
女神は大地であり、熱でもあり、太陽なのである。
そのために人を愛する女神からちからを借り、世界を生きながらえさせた。
女神のちからを借りることと、女神の姿のひとつである太陽をなだめることは同義であった。
「今年から祭りに参加したものたちは知らないだろうが、生け贄は《御使い》様に泉まで運ばれ、底へ沈むことになっているんだよ。泉から川を流れてやってくる石たちも、そうした恩恵のひとつなのだろうね。妖魔が住んでいる以上、確かめようがないが……」
炎はゆらゆら蠢いて、時折羽虫のような火の粉を吹き出す。
長とともにたき火を囲んでいるのはみな子どもばかりだ。
幼い子どものなかには、暖かさから生まれた睡魔に誘われ、船をこいでいるものもいる。
そのなかで一際真剣な表情で耳を澄ませている者たちがいた。
今年で七歳の子どもたちだ。
レフォリエには他がどのような心もちで聞いているのかはわからない。
もしかしたら生け贄になることに夢を見ているものもいるかもしれない。
レフォリエは、正直とても嫌だった。死にたくない。
話を聞いて死ぬことを受け入れるのは恐ろしく、聴かずに逃避するのは自分の弱さを認めたようで悔しい。
だから膝の上で指を組み、楽な姿勢になって、黙って聞く。
「神さまに選ばれたのに、死んでしまったのはなぜですか。先代……二代目は長く生きたのに」
そうたずねたのは、レフォリエより少し年上の少年だった。
彼は長に聴くというより、他の子どもたちに聴かせるためにたずねたようだ。
その瞳は疑問と不信の曇りなく、誇らしそうに輝いている。
長はほほえましそうに相槌をうつ。
「それは女王が人の世界にくみするものとして、自ら絶え、次の世代へ繋ぐことを望んだからだよ」
「でも二代目は怖いひとだったんでしょ?」
こわごわ問いを投げた幼い声をちらと見て、思わず目を丸くする。
ココワだった。
彼女は肩に羽織って毛布を胸元でぎゅっと握りしめ、うつむいている。
レフォリエは腰を浮かし、そっとココワと隣へと移動した。
音もなく座ると、驚いたような目がレフォリエに刺さる。
「暴君だった、ってよくいってるね」
こっちを見るな、話でも聞いていろ。
そんな意図を込め、ココワの質問に言葉を重ねる。
今宵は集落の年長者ではなく、語り手として集団を前にする長は、悲しみに眉根を寄せた。
「ああ。一代目の最大の失敗は、彼女を次の王に選び、王冠をゆだねたことだろう。彼女は美しかったがわがままで、横暴だった。まるで夢見る幼子のようだった」
レフォリエに長がちらりと目くばせする。
どうやら合いの手を求められているらしい。
なんだか、自分の知らない部分まで見透かされているような眼光にあてられて、そっぽを向く。しかし口は動かした。
「どんなふうに横暴……ひどかったの?」
「奇跡のちから――魔法を悪いことに使った。君たちも眠る時、寝床のなかで母の腕に抱かれて聞くおとぎ話は嫌いじゃないね。彼女もそうだった」
長は重たそうに腕をあげ、壁を指さす。正確には、その向こうにある森を。
「妖魔は魔法を使う。しかし人間は魔法を使えない。彼女は人間から魔法を奪い、王と妖魔だけのものにしてしまった。彼女は神に認められなかったのか初代ほどのちからはなかったが、その程度のことはできた」
「なんのためにそんなことを?」
「おとぎ話をじかにその目で見たがった。二代目を知る者は彼女についてそういったそうだ。どういう意味だ、という顔だね? いいかい、人間は魔法を使えない。しかし、魔法のちからがないわけではないんだ。魂のなかにそれは眠っている」
幼い子どもたちが色めき立つ。
おとぎ話のなかの可愛らしく楽しい魔法が使えたら、どんなに楽しいことだろう。
比較的年長の子どもがたき火に気をつけろと慌てていさめる。
しかし、年長の子どもよりも、続く長のため息の方がずっと効果てきめんだった。
子どもたちがいやな予感に息をのみ、おのずと長へ視線を戻す。
「いいかね、明日を生きるものは気をつけなさい。妖魔が人になることはありえない。しかし、人が妖魔になることはある――心が愚かな願いにおぼれ、妖魔の形になった時、わしらの体もまた魔力によってふさわしい形になってしまう。二代目はそういう呪いの種を人々に撒いたのだ」
すると今度は抱きしめあっておびえる。
レフォリエは抱き着いてくるココワを適当にあしらい、長に続きをうながす。
本当にそんなことが起きるのか、半ば半信半疑だったからだ。
「本当に、妖魔になったひとって、いるんですか? それって、悪い子?」
腕に抱き着いているココワがまた聞いた。
レフォリエは気になって、自分より少し低い位置にあるつむじに目線を下げた。
他の子もだが、ココワはひときわおびえている気がした。自分のように不吉な体験をしたわけではないはずなのに、なぜだろう。
「ああ、いたとも。その前に、まず三代目の女王について話そう。今の私たちの生活を守ってくれている優しい方だ。このような恐ろしい女王がどうして三代目に権利をゆずったのか、不思議なものもいるね」
こくんと言葉を話し始めたばかりの幼子が頷く。レフォリエも随分前に同じような反応をした。彼らもかつてのレフォリエと同じように、神話を聞くようなふわふわした気分でいるのだろう。睡魔もあって瞳がとろんとし始めている。起きているのは好奇心ゆえだ。
「ゆずったのではない、勝ち取ったのだ。三代目、今の女王は、妖魔になった人にわが子を喰われた母親だった。母は怒り狂った。そして純粋な怒りに神がお応えになったのだ。母は誰も倒せないはずの二代目に挑み、新たな女王になった。三代目女王となった母は、妖魔たちに決まった場所にだけ住むことを許した。例えば、あの森、商人たちがやってくる海。それでも妖魔がいなくなったわけではない」
ここからが、レフォリエが毎年楽しみにしていたところである。
長は声を一層ひそめ、内緒話の所作で幼子が知らなかった秘密をこぼす。
「あの森には妖魔が住んでいる。勿論大人に言われて知っているだろう。だが、それだけではないのだ。とても特別な妖魔が、あそこには彷徨っているのだよ」
「竜だ!」
血気盛んな男の子がこらえきれず歓声をあげる。
隣にいたませた少女に思いきり頭をはたかれるが、長は低く笑うのみ。
「そう、竜、ドラゴン。あの森には竜が住んでいる。彼は二代目女王の家臣だった。たとえ嫌われ者の女王でも寂しかったのかもしれないな。多くは二代目亡きあとは人の道に戻ったが、なかでも女王に信頼されていた三人の家臣は踏み外したまま戻ってこなかった。騎士、学者、召使だ。騎士は竜となり、学者は邪悪な魔法使いになり、召使は蛇となって、王都から遠く離れた神秘の森に飛んで行ってしまった、といわれている」
魔法使いと蛇は森の奥深くに住んでいて、誰も見たことがない。
だからレフォリエは竜が見てみたかった。
姿は見たことがなくても、森の奥で大きなものが動いただとか、鳴き声を聞いたとかはたびたび聞く話だったからだ。
おとぎ話が遠い世界の光景でも、竜だけは確かにいるのである。
入ってはいけない。死にたくない。でも、見てみたい。
「そうおびえるな。たとえ彼らでも女王の戒めは破れない。森にさえ入らなければ安全だ」
そう改めて慰め、長は腰をあげる。
「いてて、わしも歳だの……。さて、話はこれでおしまい。正直にいって、死への恐怖がお前たちにもあるかもしれん。悪いことではない。そして安心しなさい。このように、生け贄はみなのためである。恐怖に耐え、愛と誇りという美徳をもって神に仕えるのだ。そのような素晴らしい魂を神が愛さないことがあろうか。必ずみもとにお前たちを呼び、慈しんでくださる。今生においても三代目女王がお前たちに祝福を望むことだろう」
優しく微笑みかけ、ひとりひとりの肩にしわくちゃの手をのせてから、彼もまた我が家へ帰っていく。
その小さな背中を見やって、レフォリエは長を恐ろしく感じた。
朝に海の集団から怒りを向けられた人物と同一人物とは思えないほどだったからだ。
「ねえ、レフォリエちゃん」
レフォリエのそれとは違う恐怖をはらませた呼びかけで、はっと我に返る。
ココワが強く腕をつかみ、目に涙をためていた。いつもの彼女らしくない。
「……どうかしたのか」
話も終わり、ようやく言葉を返す。
とたん、せきをきったようにココワの大きな瞳からぽろぽろしずくが落ちていく。
「どうしよう、どうしよう」
「だからどうしたんだと聞いている。そんな調子じゃ何をいいたいかわからない」
レフォリエだって自分だったらと思うと怖いのだ。
そうするつもりじゃなかったのに、冷たい声音が飛び出す。
「ごめん、ごめんね……でも、あたし、おばけになっちゃうかも」
「おばけって、妖魔に? なんで?」
「だって、あたし悪い子だもの。生け贄になるのが怖いよ、水の底なんて行きたくない。きっと手足がとれちゃう。でも、でも、言ったら怒られる」
べそをかいて本音を絞り出すココワの姿に、レフォリエは不意の痛みを感じた。
おなかの下と胸の上あたりが、きゅうと絞められた感覚がする。
「そんな、…………」
「そんなこといったって」。まるで他人事な返事を飛ばしかけ、飲み込む。
ふと、自分の指がひざのうえをうつろにつかんでいるのに気が付いた。いつも黒曜石を磨いている場所である。
――そうだ、こんな時は心の中で石を磨くんだ。
養父の助言を冷静な部分へたぐりよせ、落ち着くように、不要な気持ちをそぎ落としていく。
すると、気が付いてしまった。
「わたしが、こんなことがしたいわけがない」
「え?」
いきなりの発言に、ココワがすっとんきょうな顔をした。
レフォリエは先ほどの長の真似をして、ココワの肩に手をのせる。落ち着いてくれればいいと思った。
「いい、これからわたしがいうことをお父さんとお母さんにいって。他の子にもそうしてもらう。そうしたら、子どもと子どものいるひとはわたしに投票するはずだから」