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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第三章 インスパイア・ビュー
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第一話 幸福な生贄

 さしのばすべき手とはいかなるものか。

 一人の幼い少女を取りこぼしてから十年、ソクルタはずっと考えてきた。

 十年。十年だ。

 一通りの手習いを終え、誰にも懐かなかった地竜:《クルイグ》が寄り添ったことで《御使い》に選ばれた。

 そうして初めての任務に胸を高鳴らせ、各土地をめぐった十四歳の頃から十年。


 

 真白い巨木の城、その奥で、ソクルタはひざをついていた。

 この国の諸民族の両膝をついて跪くという行為は忠誠を示す。

 清純な白と侵されえぬほど深い青の布が重なった衣服に汚れがつくことなど、なんとも思わない。

 ソクルタの両隣でも、同じく御使いである二人がこうべを垂れていた。

 ソクルタは心の目、心の崇拝を何十と続く白亜の階段の上へ向ける。

 頂点にあるのは大きな玉座。そこに腰をかけた小さな影が揺れた。


「森のミシジャが亡くなったそうです」


 いったいどういうつくりなのか、階段上から投げられる言葉はよく響く。

 ソクルタは三代目女王の声を聴いて、伏したまま胸を痛めた。

 完全に困り切った様子で、頬に手をあてて眉根を寄せる顔が見えるかのようだ。

 

 女王を知るものにはよく「あまり女王らしくない女王」だと言われている。

 三代目女王ビアンキは、めったに人前に姿を出さない。

 何かあれば、直属の部下である御使いや魔獣に伝えさせてきた。

 女王の姿が民に広く伝わり、ゆえに支配者として頼りなく思われる――民が不安に揺れることを少しでも防ぐためだった。

 そのために手が届かない部分があること、一部で顔の見えない女王に不信が募る至らなさを、ソクルタは情けないとは思わない。


 娘を失い、その恨みの一念で二代目女王を追い詰めた三代目女王。

 もとはと言えば、彼女はただの平民に過ぎないのだ。

 むしろ、その柔い双肩に乗った重責を思うと、尊敬と感謝の念のみが沸き起こる。


 二代目女王への心配でいっぱいになっていたソクルタの隣で、冷静な問いがあがった。


「女王。恐れながら、ミシジャとは?」


 つっけんどんな口調は、聴く者が聞けば叱咤を飛ばしたかもしれない。

 だがここにいる誰もが彼女がそういう人物であると知っている。

 三代目女王は忌避せずに答えた。


「森の集落に住んでいた、装飾職人です。《レフォリエ》の養父、と言った方がわかりやすいかしら」


 《レフォリエ》、その少女の名前に三人の御使いの顔がこわばる。

 誰にも言ってはいけない、信用できる選ばれた御使いだけに伝えられた、二代目女王の娘の名だ。

 そしてソクルタにとっては、かつて手痛い失敗をさせられた相手でもある。

 どんなに鍛錬を積んでも、あの日を思い出すと形のない苦痛に襲われてしまう。

 女王は続ける。


「三人とも、覚えているようですね」

「ええ、もちろんです。ソクルタが失敗した件でしょう」


 ぶっきらぼうな御使いがいう。

 語気が強いせいで、吐き捨てたかのようだった。

 付き合いの長いソクルタには悪意などなく、ただ事実をいっただけなのだとわかった。それでも唇をかみしめるのはこらえきれない。


「失敗というとそこまで気にすることもないのよ。

 確かに、わたしはあの子の息をとめるよう、指示を出しました。

 しかし生まれや与えられた運命に問題があるだけで、その命に罪はありません。だからせめて、生贄という形で人々の平穏な営みの礎にしようとしました……幸運にも小細工がなくともあの子は生贄に選ばれて。

 だというのに、乱入者によって連れ去られてしまった。何、相手はあの恐ろしい二代目女王の配下。例年のルートからそこにあてはめざるを得なかったとはいえ、延期なり理屈をつけるなりできなかった、わたしの不手際です」


 気にするなという慰め半分、失敗で立ち止まってはいけないという己への鼓舞が半分。

 平民らしさを多分に残す女王は、無理に微笑んでいるかのようだ。


「不幸中の幸い、といいますか。竜と少女はそれ以上人間に危害を及ぼさなかった。無為に戦意の炎をあおることもありません。三年前、竜:《ヴァラール》が人里におりた事件には死戦士(オセロメー)と御使いを派遣せねばと危惧しましたが、長の計らいにより契約が結ばれ、今まで不可侵の条約が守られていたのです」

「それも人質であった養父の死によって不安定なものになった、というわけですわね。十年前の時点でかなりお年を召していらっしゃいましたから、むしろよくもった方でしょう」


 忘れっぽい御使いのために行われた説明を、残る最後の御使いが引き継ぐ。

 

「聴くに素晴らしい技の持ち主でもあったとか。こと。海以外では熟練の技は研鑽者のみ持ちうる宝。その精神力、高潔さ、賛美せざるを得ません」


 たおやかな話し方で続けられた内容に、ぶっきらぼうで忘れっぽい御使いがかみつく。


「カミッラ、何故は反逆者の芽を育てたかもしれん男を褒める?」

「あら。たたえるべき崇高さに、反逆と従順は関係ありませんわよ。ロザリンド」

「二人とも、女王の御前ですよ!」


 あわててソクルタはいさめようとした。

 誇り高い女王の使いらしくない会話を、まさにその目の前で繰り広げていると思うと、体中から火が出そうだ。

 だが二人の先達はお互い何が悪いのかわからないといった様子で、いじけた子どもそっくりの表情でにらみ合う。

 おろおろとするソクルタの頭上から、小さなくすくす笑いが降った。


「いいのですよ。かわいい私の娘たち」


 王座よりパンを焼くかまどの前の方がしっくりくる相貌が、三人をほほえましそうに見守っている。

 たちまち三人はかしましく騒ぎかけていた口をつぐむ。


「あら、よいといったのに。ちょっと残念だわ。でも、そろそろ本題に入りましょうか。

 ソクルタ、こちらへいらっしゃい」

「はい」


 自らの名を呼ばれ、ソクルタはどう答えたものか逡巡した。

 三代目女王に名前を呼ばれると、胸の底がじんわりと暖かくなる。

 ソクルタにとって、女王は冬の凍えた山小屋で燃える暖炉だった。

 同時に恐怖する。

 こうしてわざわざ玉座の前に集められたうえで呼ばれたからには、何か大事なことなのだろう。

 

 お役にたてる。嬉しい。

 また失敗したらどうしよう。怖い。


 相反する感情がせめぎあい、口からこぼれたのはひとことだけだった。


「あなたへ、ふたつの宝物を与えます。

 まずはわけみの短剣を」


 王座まで続く長い階段に足をかける。

 その青い頭頂部に女王はゆったりと話しかけた。

 ソクルタがたどり着くには時間を要するだろう。ただでさえ規則正しい連なりを何十と重ねる段数だ。それをソクルタは、修業に耐えかねる巡礼者の如く鈍い足取りで登っていた。

 本人も本意でない、無自覚の歩みだ。

 女王は御使いの迷いを責めない。子守唄に似た口調で、ひざ上においた宝物について語る。

 鈍い銀をくすみひとつない銀色が光る。かたや灰に浸したようにおもく重く、かたや光をかためたかのように輝かしく。

 光を放ったのは、同じ銀だが異なる色をした短剣と鈴であった。


「これはドワーフが鍛え、私が魔法をかけたもの。突き刺した使い手と刺された相手の精神を一部つなぎあわせ、みえないちからを奪える魔剣です」


 ますますソクルタは顔を渋くする。

 それでも女王が自分のためを思って与えようとしている。受け取らないわけにもいかず、また、受け取らない理由がなかった。

 女王のもとにたどり着き、音もたてぬようにしてひざをつく。

 女王もまた、刃と音色が風を裂くまいかと心配するかのようにゆっくり銀の宝を差し出す。


「しかし、よくよくたしかめて使うこと。奪えるのはひとりに一度だけだから」

「わかりました」


 ソクルタは瞼を閉じ、恭しくうつむいた。両の掌を上へ向け、明確な存在感をもった宝の重みを感じる。

 はたからみれば冷静、生真面目そのものの表情であったろう。

 しかし内心はおびえでいっぱいだった。何もかもが見た目以上に重く思われた。

 短剣は間違いなく二つと存在しない逸物だ。しかも宝物はもうひとつある。

 くわえて、ソクルタはなぜか、そのもうひとつ、白銀の鈴の方をより畏れ多いものであるかのように感じた。


 短剣の輝きは金すら二つにわけるのではないかという鋭さ、武器としての強さをまとっている。

 職人と人の熱と願いが詰まって溶けた、最上級の造りをもっていた。

 必ず大切なものに刃を突きつける武器。確かに恐ろしい。

 だが、鈴のきらめきはあまりに清らかだった。


「次に白銀の鈴を。この鈴は世界樹の枝を溶かし、魔術を施して作った特別な鈴。問いかけに相手がうそをつけば、清涼な音色があなたの耳朶をうつでしょう。あなたの心でわからぬものは、これで確かめなさい。

しかし頼りすぎてはだめ。これは道具、人の心を理解は理解できないわ」


 女王は鈴を指先で転がして言い聞かせる。

 ソクルタはますますこの美しい鈴への恐れを深めた。


 例えば、森を吹き抜ける一陣の風が心を過ぎ去ることを避けられるものがいるだろうか。

 同じだ。銀の鈴もその銀も清さ、無垢さ、純粋さ、あらゆる透明に満ち満ちた無を秘めている。

 あらゆる嘘、あらゆる悪心と秘密。防ぐ意志すらすり抜ける精錬な音色の方が、刃よりも深い傷を残すのではないか。ソクルタには思われた。


「最後に、私からあなたへの頼みごとを。

 竜と女王の血をひく少女。彼と彼女が平和の脅威とならないか、あなたの足でおもむき、その青い瞳で見定めて。私はここから離れられない。

 そして彼らがもしも脅威になりうると思ったならば、この短剣で彼らのちからを奪うのです。あなたならきっとわかるでしょう。私と同じ、黄金の魔法のちからです。無為に突きまわすことはないと思ったならば、無理せずに戻っていらっしゃい。いいわね、無理は、だめよ」


 女王が最後に役目を言い渡す。

 それは十年前によく似た、十年前と比べて優しい役目。

 二度も言い含めるのは、失敗にいたく落ち込んだ幼いソクルタを思い出してのことだろうか。

 一番初めの、一番大きな失敗と挫折を思い出し、ソクルタの血の気が引く。

 ソクルタは鈴と短剣を持ち直し、はっきりと答えた。 


「必ずや」


 答えなど最初から決まっていたのだ。

 それが女王の望みならば。女王がソクルタに望むなら。

 断る、などという選択はありえない。


「確かに私は未熟な《御使い》です。ゆえにあなたへ感謝を。このソクルタめに、過去の失敗を取り戻す機会をくださったことに!」

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