第九話 女王殺しの夜
人間の子どもにしては、不思議なものをたくさん見てきたつもりだった。
紫色の木、水の体を持つ女、竜。不可思議なものを数えればきりがない。
しかし、目の前の光景は違った。女神の泉。近いはずなのに初めて訪れたそこに、レフォリエは声を失った。
「すごい、根っこが見える。丸見えだ。白くない、普通の木なのに。木の根っこってこんなになっているのか!」
空中にいるうちからきゃあきゃあ騒ぐレフォリエに、彼女を乗せたヴァラールは頭が痛そうに唸る。
恐ろしいほど透明な水は、この世のあらゆる不浄と最も遠いものに見える。
背の高い木々が泉を囲っていた。魔力に浸った地下世界の木々と違う『健康的』な乾いた薄茶の幹。
濃い灰をかためたような色は清涼な泉の気配を損なわない。
雨によって汚れの落ちた朝。
鳥が安心して歌うことのできる安置。
悲しみをため込んだ曇天も、まぶしい陽光を遮ることのできない晴天も、ただ過ぎ去っていくだろう。荒ぶるものをなだめ、穏やかに沈めるひんやりとした空気。
侵されえない鉄壁の平穏だ。
不可思議ゆえの神秘ではない。
純然たる自然だから感じる姿。個の生物では抱えきれないものすべてを受け入れる、圧倒的な安心感。寛容。
神々しい。思わずそう思う。人がここに神の姿を描いた気持ちがわかる。
「口調ばかり大人ぶっても、やはりまだまだ子どもだな」
はしゃぐレフォリエにヴァラールは水を差す。
他の妖魔は素直なのに、どうしてこういうところでひねくれるのか。
レフォリエはヴァラールと妖精たちを比べて、唇を尖らせた。
「綺麗なものを綺麗だといって、何が悪いんだ?」
「……みながみな、それをお前のように喜びと思えればよいのだがな」
悲しそうにため息をつくヴァラールの気持ちがレフォリエにはわからない。
やたらレフォリエを子ども扱いするヴァラールに、レフォリエは早く大人になりたいと思っていた。だが、大人になるとは綺麗なものをみて、嬉しいと思えなくなってしまうことなのだろうか。
それは少し嫌だった。
「降りるぞ」
短く呼びかけるヴァラールの声音に、レフォリエは首をかしげた。
泉に入って、その底にある「封印」の上に魔女の杖を突き刺す仕事。
ヴァラールが飛び込めば、いっぱいのおけに沢山の果物を沈めた時のように水があふれる――というのは滑稽な想像にすぎなかったが。
空をゆく構造を持つヴァラールがわざわざ水中にいくことはない。だからヴァラールは水際で待ち、レフォリエが一人で泳いでいくと決めた。
なのに、まるでヴァラールの低い声は、今朝から鋼のように固かった。
泉のそばに立ち、まずレフォリエは靴を脱ぐ。
はだしになって、そっと足先を泉につけてみる。
ひんやりとした、流れる水の感覚。胸いっぱいの水の匂いに、レフォリエの内面もまた静寂に包まれた。
いつか、集落で投票をした夜を思い出す。
泉は隅々に至るまで恥じることなく明らかにされ、輝かしく正体をあらわにしている。
だが、静寂に宿る神とはこのようなものであったかと。
泥が水にとけ、蜘蛛の子が一斉に逃げたように水底へ沈んでいった。
「じゃあ、わたし行くけど。帰ってくるまでそこにいてよ、絶対だからな」
「お前こそ、きちんと浮き上がってこい。死体では仕事が終わらない」
「あっそ」
あくまで子ども扱い、しかもレフォリエより魔女の仕事が終わらなくなることへの心配に、小さく舌を出す。
レフォリエは服を着たまま腰元まで一気に入り込んだ。
冷気が体の芯を貫く。それでも嫌な気分ではない。
つかればつかるほど清められる心地がする。
「川をもぐるようにはいかないよなあ」
懐かしい記憶を振り返り、何度も足をばたつかせる。
底の深さがまったく違う。いまさらながら泳ぎも誰かにならえばよかったと後悔した。
「あ、でも大丈夫だから。これでも運動はなんでもできてきたから。大丈夫大丈夫」
「レフォリエ」
「嘘じゃないって、本当だって」
「泥の竜のなかで、過去の記憶に会ったといっていたな。恐らく魔女がつくった魔術に、魔力とともに当時の記憶が織り込まれてしまったのだろうと」
「はん? ぁあ、うん」
なんだ、それを気にしていたのか。
レフォリエは岸に手をかけて、重ねた腕に顎を乗せる。
耳を傾けたレフォリエの表情をヴァラールが覗き込んだ。
「泉の封印は、ずっと昔からあった。俺が騎士であった頃にはあったのだから、確実だ。しかし……」
「しかし?」
「ある事情から、三代目女王も初代ほどのちからはなくてな。それを魔女が補強したのだろう。もしかすれば、水底でも記憶に出会うことがあるかもしれん」
「へえー。驚いて足をつったりするなよ、ってこと?」
「それもあるが。記憶は案外、わざとかもしれん。ああいや、なんだ、それだけだ。おかしなことをいった」
いつになく歯切れが悪いヴァラールに、レフォリエの顔が曇る。
「変なヴァラール」
桜色の唇を尖らせ、ヴァラールに背を向けた。
耳に勢いよく水が入って痛む。自分の肌が一層白さを増して見える。
すべてが青に染まった、小さな世界。
水底には大きな岩と砂利がいくつか、そして自分の顔ほど大きな琥珀が詰まっていた。
集落の川で拾った、あの世にも不思議な琥珀である。
黄昏に蜂蜜をたらして固めた色が、水上からさす陽光を浴びていた。
身体を仰向けにして、太陽を見やった。
だが水中では外界の光景が歪み、輪郭はぼやけて色彩がまぶしく映るだけだった。
――ここって、本当にどことも離れているのだな。
綺麗だ、清らかだ。
そう思っていた場所を、急にひどくさびしく窮屈な場所に思う。
早く終わらせてしまおうと水を蹴る。
封印の『蓋』はあっさりと見つかる。
泉の中心らしき箇所に、戦女神:ザレアンハの彫像があった。
天秤には何も乗っていない。
心なしか青白く染まった肌は艶めかしいほどだった。
あのなかに杖を突き刺せばいい。
そう思った時、背後から何かに抱きしめられた。
首に回ったぞっとするほど冷たい、たおやかな腕。
――亡霊!? 魔女が説得したんじゃなかったのか、君たちのためでもあるのになぜ邪魔を!
振りほどこうとしたが、水中では思うように動かない。
少しもちからを込められたようには感じないのに、腕はますますしっかりしがみつく。
レフォリエの体は彫像の横に沈む。目の前にあるのに届かない悔しさに、必死に手を伸ばす。
「安心なさい。あなたの邪魔はしないわ」
耳元で女らしき亡霊が囁く。肉体を持たぬ声は水中でもあっても明瞭で、レフォリエの耳朶を甘く打つ。
悪戯っぽい、蠱惑的な声だった。
「ただ約束を守るだけよ。魔女が約束した通りに――あなたの生まれを教えてあげる。そしてあなたがすべきことを」
黄金の女の手がレフォリエの目元に伸びる。
ひどく不吉な予感がした。やめろ、やめろ。心の中で叫ぶも、無意味だった。
冷たい色をした掌が、視界を奪う。その指から覚えのある魔力が流れ込むのを感じた。
見知らぬものに触れられる嫌悪感に、レフォリエはぎゅっと瞼をつぶる。
その目を突き抜け、通り過ごし、脳みそに映像が流れ込んだ。無慈悲に、八つ当たりのように。
○
ぽた、ぽた。薄く灰がかった世界樹の床に鮮血が垂れる。
「だれか」
血の持ち主である女が誰何の声をあげた。
豊かな黄金の髪が歩むたびにカーテンのように揺れる。丁寧に手入れをされているのだろう艶やかな髪は乱れているが、それさえ妖美であった。
しかし見事な黄金の一部は暗くくすんでいる。固まった黒い血の色。
「エラヴィア女王!」
腰を曲げ、よろよろと壁伝いに歩いていた女に呼びかけるものがあった。
鎧を着た男が青いマントをなびかせて、一直線に向かう。
短い髪は黒に近い濃厚な青。窓の下を通った時、その髪が差し込む月光に薄い金を帯びた。
あっという間に近づいた男が女に腕をさしだせば、女もためらう様子もなくしなだれかかる。
「ヴァラール、ああ、よかった。オマエが来てくれて。しかし、エラヴィアはダメ、と何度言ったらわかるのかしら」
一代目女王:アルゲイアの娘にして二代目女王:エラヴィア。それが黄金の女の正体であった。
己の母を思わせる部分をひどく嫌う二代目女王は、誰にでも己をエラヴという愛称で呼ばせたがった。
こんな時にまでこだわるエラヴに、ヴァラールと呼ばれた人間の男は眉を下げる。
困ったような、安心したような苦笑だ。
「申し訳ありません」
真っ先に飛び出た謝罪に、エラヴは笑う。
「でしょうね」
「は」
「謝ることなどないわ、あなたがよくやってくれたことぐらいわかるもの。女王を倒したあの女を、さらに家臣が倒したら、わたしの面目は丸つぶれよ」
「なるほど。おっしゃる通りです」
「わかっていっているの、あなた?」
エラヴはからからと笑い声をあげ、すぐに苦痛のうめきをあげる。
限界がちかづいていた。
「はー……もうだめね、わたし」
「そんなことはありません」
「嘘はつかないで頂戴、面白くないわ。見た目は普通だけれど、中身がねえ。もうだめなの。曲がりなりにも女王ですから、長持ちしてますけれど?」
「はい。申し訳ありません」
「そんなことよりも、ひどいと思うわよね? あーあ、まさかそこらの女がわたしの終わりになるだなんて、思いもしなかった」
真っ青な瞳が天を仰ぐ。ぜえぜえと息は浅く、短い。軽口は意地を張っているのに過ぎないと、ヴァラールは理解していた。
慰めも浮かばないヴァラールに見つめられながら、エラヴは数瞬、その青い瞳で虚空を見つめる。
「ねえ、ヴァラール。母親って、そんなに強いのかしら」
「エラヴ様?」
エラヴの投げた言葉はあまりに彼女らしくなく、ヴァラールはいぶかしむ。わがままで、子供っぽくて。何かと母親を気にして、反発していたのがエラヴだ。
己の名を呼んだヴァラールにエラヴは微笑み、足の向きを変えた。
「ヴァラール、こっちへ来て頂戴。あなたに任せたいものがあるの」
そういわれればヴァラールにはついていくしかない。
這うように歩くエラヴの後ろを音もなく追う。
その手には一本の剣が握られていた。
女王がドワーフに命じて作らせた『聖剣』。
決して朽ちぬ二つの物質、黄金と世界樹の枝を打った一本の美しい剣だった。
ヴァラールやドワーフの趣味もあり、シンプル、だからこそ頑丈なつくりをしたロングソードである。
さきほど窓から見下ろしたとき、結界の周りには多くの人々が敷き詰めていた。
世界樹で作られた城には女王の強力な結界が施されていたが、その命が弱った今、新たな侵入者がいないとも限らない。
二代目女王に死をもたらした女を、今はグラヘルナが足止めしているがそう長くは続かないだろう。
ヴァラール自身、グラヘルナが来るまでの時間を稼いで退くしかなかったのだから。技術も何もない「ちから」に、一撃を返すことすらままならなかった。
ぎゅ、とヴァラールはつかを握る手に力を込める。
幸い、襲撃者の気配はまだなかった。まだ欠けたところのない、長い廊下を歩む。
エラヴはひとつの扉の前で歩みをとめた。
複雑で瀟洒なツタ模様の扉は、その頂点が大人がまた大の大人が縦には並べる高さの天井に届くのではないかというほどだ。
そこは城の最奥、女王の部屋の近くにあった秘密の部屋だった。
女王にもっとも近かった三人の家臣:ヴァラール・グラヘルナ・メリュジーヌですら近づくことを禁止された大広間である。
「開けて頂戴」
「は」
もはや手で触れることも疎ましいのか、声だけで命じる女王にヴァラールは応えた。
決して錆びや傷みに侵されることはないといわれる世界樹でできた扉は、悍ましいほど真白い。聖遺物に触れるかの如く恭しく、緩慢に扉は開かれる。
そして扉の向こうにあったものに、ヴァラールは声を失う。
髪と同じ色をした瞳が揺れる。その顔は部屋の内部からうっすら照らされていた。
「エラヴ様、これは――妖魔の卵ですか?」
部屋全体に張り巡らされたツタ。優雅に咲き誇る小さな花たち。それらは以前、女王が視察に向かった森で見たものによく似ている。
しかしその光は白銀の光の膜をまとった黄金で、藤型に連なる花の合間から不釣り合いな大きさの実が太さ下がっていた。
妖魔どころか、人間の子どもがまるまるひとり入ってしまいそうな、卵形の実。
「いいえ。よく似ているけれど違うわ」
立ち尽くすヴァラールの横をすりぬけて、エラヴは実のひとつにふれた。
ぶどうをもぐのに似た動作で、その実を切り離す。手馴れた様子だった。
「これはね、全部わたしの子どもなの」
「おっしゃる意味が、よく」
「子どもが要ると思ったのよ」
たぷんと揺れる実を抱く姿は、シルエットだけならば赤子を抱く母親のよう。
ヴァラールは羊水代わりの何かの液体がたっぷり入った実のなかに、黒い影が躍った気がした。
おりまがった四つの手足――人の赤子のような。
「わたしは、女王の権利を母から受け取ってしまった。自分の断固とした意志ではなく、流されただけ。当然のものとして受け取っただけ。それは女神の祝福に沿わないもの。だから、だめだった」
それは民の誰も知らない秘密だった。
始まりの女王とその娘だけが知っている、この世界の仕組み。その一端を垣間見る形で、信頼の末、二代目が抱く一代目への憎悪の理由を明かされたのは三人の家臣のみである。
何故、今そのようなことを? ヴァラールはそう疑問をありありと顔に浮かべ、精一杯の礼儀正しさで向き合う。
「うかがっております。ゆえに一代目を超える女王になることを、あなたは切望した。人から魔法を奪ったのも、一代目が人間をひいきしたせいではばたく権利を奪われた妖魔とバランスをとるため。
ですが、一体どのような目的で子が必要なのですか。母君と同じことをなさるおつもりなのか。それに恐れながら……父は?」
加えて、これは人間の子どものうみかたではない。
首を回して周囲を見やるヴァラールに、実をもったエラヴがしずしずと近づく。
「一度受け取ってしまった以上、やりなおしはできない。だから子どもに託そうということよ。不満だけれど、その点ではあなたの言う通り、憎い母の真似事かもしれないわね。でも詳しいところは違うのよ?
例えばこの腹で育てて生むのでは、時間がかかってしまう。それじゃあ、本当にちゃんとやり遂げられる子に託せるか、不安だわ。
だったら、たくさん産めばいい。
なかでももっともこの世界の魔法に適した子どもを選べば、より確実になる。
そのために魔力をため込んで、木の実のように産み落とす妖魔のやり方がてっとりばやかったのよね。
《父親》役もこれ以上ないくらい上質だし?」
そんなことを悪びれずに語る。
ヴァラールは悟った。この場に垂れ下がる実すべてが女王の子どもなのだ。
その父親――否、片親は、場所が証明している。
ここは世界樹。女神が大地を支えるために姿を変えた場所のなかなのだ。
「計画違いは、いま死にそうだってことよ。だから今、託す」
女王は実を高く掲げた。
リン、と空気が張りつめるのを感じる。
一瞬の浮遊感。そして空気中の魔力が活性化され、黄金の粒子となってきらめく。
「わたしはこの子を呪う。我が子よ、その生涯をかけて、女王を殺すものであれ。そうして完全な女王となって、母の愛した人間ではなく、妖魔こそが平穏に暮らす世を!」
世界の支配者たる女王の呪い。それが小さな命に刻まれる。
運命に宣誓は示された。
粒子は膜をすり抜け、赤子の胸部に集う。止める間もなかった。
エラヴはほっとしたように、また笑った。
そのまま扉を開けた時と寸分違わぬ場所で見守っていたヴァラールへ振り返る。
「これで、わたしは終わっても願いは続く。あとは守り育てるものがいればいい」
「メリュジーヌ、ですか。あれは逃亡のために荷物をまとめておりますから、もうすぐやってくるかと」
ヴァラールはこてんと首を傾げた。
衝撃はいまだ頭のすみに鈍痛のように残っている。
だがまるで世間話のような返答ができたのは、そればかりではなかった。
ヴァラールは、周りがそうみるとおり、女王の理解者であり賛同者であったのだから。
人ならざる手段こそ驚いたが、それが女王の意思であるならば受け入れる。それほどまでに一代目の呪縛から、エラヴが解放されたがっていたことを知っていた。その一心不乱さに惚れたのだ。
当たり前の様子で会話を返すヴァラールに、エラヴはにっと歯の見える笑顔を作る。
「勿論メリーにも頼むわ。でも、グラヘルナにも、あなたにも頼みたいと思っているの」
「え、俺、じゃなくて、私にもですか? 暴力をふるうしかのうのない男ですよ」
「守るのにぴったりじゃないの」
「……成程」
全幅の信頼のもと寄せられた願いに、ヴァラールは小さく頷く。親愛なる女王の思わぬ頼みに、少なからず感激してか。その声は震えていた。
女王は満足げに声音を明るくした。こちらも震えている。ヴァラールとは違い、痛みと、薄れゆく意識のためだった。明朗な行動は魔法で無理に保たせているに過ぎない。
「よし、いいわね。いいわよ。そのしっかりとした腕で抱いて、しっかりと。名前は、レフォリエ。よいわね」
畳み掛けるように実を差し出す。
ヴァラールは何度か迷ってから、小さな実、その中にいるだろう赤子を受け取った。
「レフォリエ、ということは、姫ですか」
「ええ。わたしに似て、きっと美人よ。お嫁にもらっても構わないわよ?」
悪戯の成功した少女のような顔をして、エラヴは背を向けた。
ヴァラールがどんな手つきで、どんな顔で赤子を受け取ったかなど確かめぬまま。
くるくる動き回るさまは女王としてふるまっていた頃と何も変わらない。
命の灯が完全に消える時まで、己らしく振舞い、絶えていくつもりなのだろう。
次の瞬間。その笑顔が、ひきつる。かたまって、壊れた道具のようにきしみをあげる。
二代目女王エラヴは、茫然と己の胸に手を伸ばした。
優美な指が撫ぜた双丘は、椀のような程よい大きさと曲線を描いている。
慎ましやかさと淫靡さが共存する女の部位は、エラヴに相応しい。
恐れられながら、男女問わず見とれる器量よし。
その薄衣の向こうに隠れているだろう谷間のあたりを、鋭い切っ先が食い破っていた。
白銀の刀身から苺を絞ったような赤いしずくが垂れる。
「ヴァラール?」
戸惑う二代目女王は愚かではあるが馬鹿ではない。
二代目女王がヴァラールの髪とよく似た夜明けの色だからと柄にあしらったラピスラズリの深い青。その青に赤い線がつたっていく。
女王への忠義がけがれていくさま。そうとしかエラヴは理解できなかった。不可解な現実を信じることなどなおのこと。
「我が愛馬も既に逝きました。あなたから賜った宝剣が最後に殺すのがあなた自身とは、皮肉なこともあるものです」
童虐の石。そう名付けられた剣を、ヴァラールは最後まで聖剣と呼ぶことはなかった。
耳元で囁く声は甘い。心から主君への親愛に満ちている。
「かつて『太陽の地に生まれた海辺の子』――そのように呼ばれたわらべを城に招き、育ててくださったこと、心から感謝しております。
いかなる理由であろうと、すべてのちからを横暴にふるって突き進む御姿は私の信念そのものでした。戦い続ける者、痛みを得ても進み続ける決意を抱ける者がいるのだと。それは私が死ぬまで私の背中を支えるでしょう」
「ヴァラール、なぜ。裏切るはずがないのに」
主君を賛美しながら、剣を押し込む。
エラヴの口元からも血が溢れ出した。
「文字を教え、食を与え、鎧を与え、馬を与え。誰よりも荒々しい騎士となったとき、二つとない剣まで作った」
「勿論。変わらぬ崇拝と恩義をあなたに捧げるという誓いは不滅です」
骨を折り、内臓が押しつぶされることもいとわず、女王の願いにしたがって敵を薙ぎ払う騎士。
不器用な騎士は行動と言葉じりの音色で忠義を示し続けてきた。
今も言葉の端ににじむ思いは変わらない。行動だけが違う。
「オマエ、なにをしている、ときいているのだ!」
「わかりませぬか。我が唯一の女王よ、あなたにとどめを刺しました」
驚愕と憤怒に麗しい尊顔を歪めるエラヴは、ようやくヴァラールの意図を理解しだす。
そうだった。
彼は、一代目の頃から人間とつながりがあり比較的安全だった山の民として生まれながら、争いを好み、穏やかに過ごすということに耐えきれなかった少年だった。
愚かなまでにまっすぐで、己を曲げられない性根。そこが気に入ったのだ。
ならばこの行動も、ヴァラールの信念によるものなのだろう、と。
「私に姫殿下の守護者たれとお望みなのでしょう。不肖ヴァラール、謹んでお受けいたします」
「そうか。オマエ、なんと。愚直にもほどがある」
「――で、あれば。幼子の守護とは、心健やかに、争いなき世に生かすことを願うことと存じます。あなたが子にかけた呪いはそれとはまるで異なるもの。ゆえに、あなたを、殺す」
女王から与えられた願いを、ヴァラールの思いうる最善の方法で実行するために。
そのために自分を殺そうとしているのだと理解して、エラヴはどうしようもなかった。ただ清冽に笑う。
――そこまでやっておいて! 会話の返事ができないほどつらいくせに!
エラヴはヴァラールの剣に貫かれたまま、糸が切れるように息絶えた。
人間とは比較にならない生命力をもつ女王の最期を確認して、ヴァラールはようやく剣を引き抜く。
真一文字に唇を引き締め、赤く染まった刃をぼんやりと眺めた。
やがて近づいてくる軽い足音を耳に止め、重いためいきをゆるゆる吐き出す。やった、やってしまった。
それでもやりきらねば。まだ赤子は呪われている。
片腕に抱いた赤子に視線を向け、眉間にしわを寄せて意識を集中する。だが何も起きないのを認め、弱く首を振った。
「俺のちからでは呪いを解くことはできないか。女王は弱れど死すまで女王。だが命を奪ったのは半分は俺なのだから、少しは女神の御力を賜れよう」
剣を床に突き刺す。
同じ物質でできた剣は堅牢な床に深く、深く突き立った。もう二度と己ではこの剣をふるうことはないという思いの表れのまま。
あいた手でヴァラールは実をしっかりと抱えなおす。
いつかこの実の膜が割れたとき、生まれ出るだろう赤子。不安定な命は見た目以上に重い。
二度と変わることのない生涯の命に、ヴァラールは目を細めた。
小さな命にヴァラールはすぐに決断する。
まだ新しい女王にわたっていなかったちからが自分へ移ってきていた。そのちからを、使い切る。
「俺はあなたを呪いましょう。姫殿下、レフォリエ様。あの方の呪いを打ち消す呪いを。あなたの人生が平凡な喜びに満ち、暖かな家族の愛を受け、信頼すべき友を得て、健やかに生を謳歌されますよう」
王のちからを捨てた男と、女王に願いを託された家臣たちは、その信念を貫くために人を捨てた。
決して変動することのない生き物。妖魔へ。そのなかでも何者よりも力強きもの、思いがかなうまで戦い続けるものであるために。




