第八話 疑うに値する友情
満天の空から星々が線を描いて落ちていく。
サファイアやルビー、トパーズが砕けて流れ星になったようだ、とレフォリエは思った。
きらびやかな光景に感嘆のため息をついて、現実逃避をやめる。
落ちているのはレフォリエだ。
泥の竜もまたばらばらになって、大小の泥の塊がすぐそばをよぎる。
運が悪ければ泥に直撃して大けがを負う。運よくあたらなくても地面に落ちれば四肢が砕ける。
だが悲観する気持ちはなかった。
風を切る翼の音。見えずとも遅い来る、内臓が浮き上がるような圧迫感。
青と黄金を練り込んだ輝きが想像のなかできらめく。
想像でないあきれた声がレフォリエを呼ぶ。
「阿呆にもほどがある!」
星々の海をまっすぐに貫いて、ヴァラールがレフォリエのがら空きの背中の下に追いついた。
青金石の鱗が、まっすぐこちらへ向かってくる頭から揺れる尾へと順に光を映す。
しっかりと映像をとらえる余裕はない。鱗の光を追ってレフォリエは必死に手をのばした。
片手が尾に触れ、あわてて両腕でがみつく。
指と指の合間にも泥は絡み、若干動かしにくい。その若干でさえ恐ろしかった。手が滑る、外れる、しがみつく。
今にも腕から力が抜けてしまいそうだというのに。
レフォリエはかれた叫びをあげる。
死にたくない。その一心で腹部にちからをいれ、足を揺らして勢いをつけて一回転した。
体の向きが正しい方向へと直される。空気にけり落とされるように体にかかっていた重みが軽くなる。
ヴァラールの背にとりつけられたくらに、ほうほうのていでたどり着く。
「泥まみれではないか、鱗の合間にこびりつくと面倒だ」
「ご自慢の青がくすむか。そりゃ悪いね」
ヴァラールは鱗に泥が挟まるなどといったが、トカゲに似た鱗では心配するほどにはなるまい。
泥をふりはらうため、レフォリエ首をぶんぶん振った。
完全ではないものの、いくらか泥が落ちてすっきりする。
「助かった……助かった!!」
背伸びがたまらなく気持ちがいい。両手をつきあげて歓喜に浸った。
ヴァラールの変わらない文句が天使の歌声にきこえる。
「わざとやっているのか? まあよい。仕組まれたまがい物とはいえ、泥の竜殺しに免じて許す」
ヴァラールの言葉にレフォリエは下界に目を落とす。
夜空を洗濯したように、大粒の泥玉が先ほどまでのレフォリエのように落ちていく。
大きさの異なる泥の竜は、群れで渦を巻いて悲し気に歌っていた。
ちぎれて、玉になって、朝露と消える。
悠々と泳いでいた巨体がちぎれて失われていくさまは、レフォリエの胸中に空しさをもたらした。
「竜殺し? 違う、そんなんじゃあ」
あの窮屈で先の見えない暗闇から解放された。何度も拒まれた先へ行くことができる。
その喜びは確かだ。
だがヴァラールに認められたはずなのに、嬉しくない。その評価は正当ではなかったからだ。わかっているのに賛美を享受するのは、友としていかがなものか。
レフォリエはハルバードを掲げてみせる。触れるだけで心を乱される妖しの玉を容易く砕いた武器もまた、竜と作り主を同じくしていた。
「多分このハルバードのおかげだよ。魔女が作った竜を魔女の道具で殺したんだ」
「魔女が作った竜?」
「うん。あの竜のなかに宝玉を抱いた女神像があって」
説明しようとしたときだ。
レフォリエは突如、腹部に異変を感じた。ぎゅるるるる。間髪入れず腹の虫が豪快になく。
「あー、えっと。安心したせいだ。うん。わたし頑張ったから、仕方ないだろ?」
自分の実力だけで結果を出したわけでないというだけで、全力を出したのには違いない。
胸を張って空腹を誇るレフォリエに、ヴァラールの鼻から細い煙があがった。
「このまま泉に向かうつもりだったんだがな、俺は」
「いっちゃってもいいよ」
「馬鹿をいえ。腹の減った子どもなど何の役に立つ。溺れられた日にはかなわん、降りるぞ」
「気持ちは元気だし」
「興奮しているだけだ」
腕を振り回すレフォリエの主張を一刀両断し、ヴァラールは下降を始める。
レフォリエは前傾姿勢になって密着した。
ヴァラールの鱗は冷たい。だが爬虫類の例にもれず、意外と簡単に温度が変わる。触れているうちにレフォリエの熱がうつって、生ぬるくなった。
それを許されることがレフォリエにはとても嬉しい。
おろしたてのシーツのように優しく撫でる風に、ようやくレフォリエは柔らかな笑みを浮かべたのだった。
○
たき火を囲むのは初めてではない。
しかし、青いたき火、竜と過ごす夜は初めてだ。
ぱちぱち木がはぜる音を聞いていると、眠たくなってくるのはなぜだろう。
眠らずにいられるのは、興奮の余韻と空腹のおかげだ。
そんなレフォリエの前には小さな獣の死体がいくつか転がされていた。
ヴァラールがレフォリエのために狩った食料である。
「嬉しいけれど、こんなに食べられるかなあ」
「ほとんど俺の分だ」
「そんな、みんなして独り占めか」
決してレフォリエに自分の甘味を渡そうとしない(どころか煽ってくる)魔女を思い出し、口をとがらせる。
口ではそうはいっても、今度は納得がいった。
レフォリエは短時間で行われた狩りに対し、手伝うこともなかった。
ヴァラールが後ろから吠え、ウサギが逃げ出す。ウサギの上に向かって逃げる習性から、ヴァラールは行き先を予測してあっさり獲物をしっぽで木にうちつけた。
強かに打たれたウサギはひとたまりもない。
日頃レフォリエが狩りをすると、ウサギであっても途中でわざと大きく跳ねて足跡をとぎらせるなどして、騙されることもある。
竜のように大きな図体では、他に被害を出すことなく獲物を狩るのは難しいのでは? そう思っていた時期もあったが、そんなことはないのだ。
「冗談だよ。ありがたくいただきます」
レフォリエはまだ生暖かいウサギをもちあげ、ナイフを手に取った。
下腹部からナイフを差し込み、のどのあたりまで切り上げる。
いつもなら、こうして血抜きで取り除いた内臓は一緒に狩りをした妖魔に渡す。
レフォリエは真っ赤な血をしたたらせる内臓を掌にのせ、ヴァラールに向けた。
「食べる?」
しかしヴァラールは無言で丸焼きにした獣を大きな口に放り込んで咀嚼する。
変なところで人間じみた趣味の残る竜である。
「お好みじゃないってね、はいはいわかりましたよ。何にも返せなくて申し訳ないんだけれど、火をかしてくれる?」
肉を包んでいた毛皮のコートをはがされたウサギを頭上に持ち上げる。
間髪入れず青い炎の線が頭上を走った。
「どうも」
肉の焼ける匂いに腕を下せば、こんがり焼かれたウサギの丸焼きが出来上がっていた。
血の匂いより肉に刺激された食欲が勝る。
よく狩りを手伝うよう頼んでくる狼男がこの場にいれば、ウサギ肉を熟成させられないことを惜しんだだろう。「食らう」「狩をする」ことを意味とし、存在を保つ栄養とする狼男にとっては、味の良しあしも重要項らしい。
残念だが、ウサギを抱えて泉に向かうつもりはなかった。
その場でかぶりつく。あつあつの肉をほおばる。
「あち、あち」
やけどしそうな熱さに舌で転がして味わう。
あふれる肉汁に口元がほころんだ。たき火も相まって軽く汗ばむ。
頬や首元にこびりついた泥がぬかるんで気持ち悪い。
「なんか、疲れた。蒸し風呂はいりたいなぁ、もう」
「帰ってからにしろ。汚れならいやでもそのうち落ちるわ。泉の底に杖を置いてくるのだろう」
「ああ、そっか。自然に落ちるよね」
唇を親指の腹で拭う。
食事を始めると気が緩む。一緒に食べる誰かがいれば余計にだ。
もっとも、きっとそれを見越して、ヴァラールはレフォリエが空腹を満たすまで話題を出さずにいたのだと思った。
たき火の前でひざを抱え、ぬるい炎を甘受する。
犬のように地に伏せるヴァラールも動く様子がない。今は一休みして、英気を養うときだ。泥や水のなかを泳ぐのは、とても体力を使う。
青い炎の揺らめきを見つめていると、身も心もほぐれていく。
身体を休めるあいだ、とりあえずレフォリエは先ほど話しかけた泥の竜について話すことにした。
「魔女さ、やけに素直に送り出してくれたけれど、多分わたしたちが無事に結界を抜けられるってわかっていたんだと思うよ」
「わざわざ俺を呼んだのだ、当たり前だ」
自信満々なヴァラールに笑う。頼もしいことこのうえない、という小声のつぶやきをヴァラールはからかいだと受け取っただろうか。
ヴァラールがいなければ泥の竜に切迫することはかなわなかった。
それもあって竜殺しなどというたいそうな言い方がしっくりこないのかもしれない。
勝利の要因が見つかるたび、浮かれた心がなぎ、穏やかになっていく。
「そうじゃなくって。あの泥の竜のなかに見たことのない女神像があったんだ。太陽神によく似た、でも違う、天秤をもった女神。天秤におかれた文字の刻まれた黄金に触ったら、昔の会話みたいなのが聞こえてきた。ヴァラールは知ってる?」
魔女と見知らぬ若い女の会話。
レフォリエが説明した像の特徴に、ふむ、とヴァラールは記憶を探った。
「天秤か。秩序と戦の女神:ザレアンハかもしれんな、海に近い集落ではよく信仰されている。一昔前は太陽神と同じか以上に信者が多かったものだが、妖魔と人のすみかがわかたれて以降はめっきり減った。あいつらしい趣味だ」
「あいつって魔女?」
「他に誰がいる。ザレアンハは二代目女王の頃にもっとも信仰を集めた女神。あの頃は妖魔と人が衝突することも多かったからな。二代目も太陽神よりザレアンハを気に入っていた。今はすっかり生ぬるい平穏の時代、戦女神は不要というわけか」
ますます栄える太陽の女神と、忘れられようとしている戦の女神。
秩序は既に新しい女王によってもたらされた。
信仰の変化は、二代目女王の残り香がこの世から薄れていくさまでもある。
妖魔から身を守るために武器を持たざるを得なかった時代。勝利は切実な願いだった。
心から祈りを捧げられた女神も、平穏が終われば用済み。武器は農具となって、戦いは遠のく。祈りたいのは豊かな未来。
元は二代目女王の騎士であったヴァラールにとっては、面白くないようだ。
「本当に知らんのか?」
「うん。いろんなお話は集落の長に聞いたけれど、覚えていない」
確認されると、知っていると答えたくなるのを抑えた。
若い世代から知らされた事実に、ヴァラールは天を仰いだ。
ヴァラールが生きていた頃と常識が変わっていくさまに動揺したのかもしれない。
レフォリエはまた鼻から煙を出すヴァラールを片目に、骨に残る肉をちまちまそぎ落とし、口に運ぶ。
その時代に生きていなかったレフォリエが口を挟めることは何もなかった。
「不思議。信じる神様なんてずっと変わらないんだと思っていたよ。でも、いろんな神様から、そういう二代目女王様らしい神様を象るなんて二代目女王と魔女って仲がよかったんだね」
「仲はよかったな。身分も恐れもない。まるで友人、気の置けない幼馴染のようだった」
「あのひねくれ者の魔女と友達みたい、って想像つかないや」
「だろうな。直接見たものでも夢か幻ではないかと疑うものは多かった」
暴君と呼ばれた二代目女王。意地の悪い魔女。似た者同士、話があったのかもしれない。
おとぎ話のなかで、記号のように思っていた彼らが生きたものとして伝わってくる。
レフォリエは身を乗り出し、問いを重ねる。黄金の髪がたき火で青く照らされ、火花のようにチカチカ瞬いた。
魔女の正体はいかなるものか。それは泉に杖を沈めた後、レフォリエが魔女に対してとるべき態度に大きく影響する。
平穏を守るためにおとなしく手伝っているが、魔女がメリュジーヌを死に至らしめたのは変わらないのだ。
「昔から魔女はあんな性格だったの?」
「ああ。今も昔も、これからもあいつはかわらんだろうよ。陰気で頑固で、執念深い仕事人間だ。いや、今は仕事妖魔か」
「悪い人だった?」
「その質問にはおおよそ意味がない」
決断の理由になるかもしれない。そんな期待を込めた質問の返答は、曖昧だった。
「魔女は人の頃から、人間であるにも関わらず魔術に傾倒していた。それも誰も知らない異邦の術にも手を出してな。ひどく不気味がられていたのだ。そこを女王に気に入られたわけだが」
「変人だったんだ」
「ありていに言えば。悪人というよりは、その通り。その知識に助けられたものもいたのだ」
人であった頃の魔女。グラヘルナという名の学者は、周りの人々からすれば異物であった。未知とはそれだけで恐怖。
好き好んで誰も知らない技を扱うグラヘルナは未知そのもの、脅威とみなされるのも致し方ない。
しかも人を追い詰め、妖魔にちからを貸すこともあった。
だが感謝もされた。例えばゴーレムを城の門番にし、夜であるにも安堵して眠れぬものがいないようにした。
襲い来るものがあれば、命なき道具たちが生者の代わりに盾となり、時間を稼ぎ、救うこともあった。
「誰かにとっては恐ろしい悪だった。間違いない。だがあれは手段を培い、やりたいことをやりたかっただけだ。悪行を成そうというのとは、まったく異なる。是と思ったならば、ためらわず人助けもするのだ」
「じゃあ、メリュジーヌを殺したこと、気にしないべきだと思う?」
ヴァラールに問うのは筋違いだとわかっていてもきいてしまう。
魔女を親しげに語るヴァラールへの苛立ちと、悩みから解放されたいという甘え。
子どもっぽい自分を自覚せずにはいられない。
しかしこれには、いつものように呆れられることがなかった。
「いいや。気にしろ。ずっと、胸に秘めておけ」
「なんで?」
ヴァラールの語る魔女の人柄を聴けば、魔女は悪でもなければ善でもないように聞こえる。
本当は、メリュジーヌが決めたことにレフォリエが口出しをしていいとも思っていない。
だから素っ頓狂な声をあげてしまった。
女子の甲高い声に眉らしき箇所をひそめ、ヴァラールは鎌首をもたげた。
「疑う気持ちがあるのだろう? なぜそれを取り下げようなどと思うのだ。許したくないのなら、許さなければいい」
「でも、ハルバードとか、助けてもらっていることもいっぱいあって」
「ならばそれは感謝すればいいのではないか? 人が抱く感情がただ一つなどありえまい」
「それでいいのかな……」
「知るか。俺にのぞんでも、お前が何をよいと思うかなどわからんわ」
この話はこれでおしまい。
柔らかい言い方をすればそう受け取れる動作で、ヴァラールの鼻先がレフォリエの額をつっついた。
本竜はこづいたぐらいの気持ちかも知れないが、レフォリエは真剣に痛かった。体格差を考えてほしい。
額を押さえてうめくレフォリエを無視して、ヴァラールは前々から言っていることを念押しする。
「なんにせよ、裏切られたかもしれない、という感覚は、覚えておいて損はない。特に魔女に関しては」
レフォリエは上目使いにヴァラールを睨む。
魔女をかばうようにしたり、疑ったり。いったいどちらなのか。
自分に知らされていない事情で、随分振り回されている気がした。
子どもだと思って似合わない気遣いをしているのではないか。そう思うとむかむかする。
「ヴァラールってなんでそんな魔女を疑うの? それもわからず警戒しろっていわれてもね。ヴァラールの方を疑いたくなるよ」
「奴が俺の友人だからだ」
ヴァラールというのは、矛盾せずには生きられない生き物だとでもいうのだろうか。
レフォリエはぽかんと口をあける。
「言っている意味がよくわからない」
「ふむ。俺はてっきりお前が俺に求めたのもそれであると思ったのだが。友人とは、信頼することのできる存在という意味だろう」
「……疑ってるんだよね?」
「ああ。あいつが俺たちに何故このようなことをさせるのか、真実を語っているとは思えない。
グラヘルナ――魔女は、戦える女だ。目的のためならば常に精神の余裕を維持し、行き先を示す羅針盤を調整し続ける。背中は任せられないが、尊敬に値する。何か目的があるなら途中でやめることはない。
今も何かの企みがないとも限らん。だから必ず疑う必要がある、と信じられる」
「そういう信頼って、アリ?」
「大有りだ」
大振りに頷くヴァラールは、どこか楽しそうだった。
レフォリエは友情とは幸せになれるものだと思っている。もしやヴァラールにとって、幸福になれる友情とは今まさに語った関係なのかもしれない。そう思いいたると、胃が痛くなるようだった。
だが、ヴァラールと友達になりたいという気持ちが揺らがないあたり、素養はあるのだろう。
見えない先に疲れ、希望の種に小躍りし。
そうして和やかにひと時の休息は過ぎていった。
泉にたどり着いたのは、壁に阻まれていなければ妖精たちとともにたどり着けていただろう時刻。
翌日の昼前であった。




