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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第二章 コンジット・ウィッチ
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第五話 災いは退かず

「なんでわたしだけ通れないんだ!?」


 玄関前で頬をふくらますレフォリエに、まず魔女は舌打ちした。

 続いてペシンと両側から頬を叩いて空気を抜く。

 

「ぶべっ」

「杖を置いてこいといったのにマヌケにも持ち帰って帰ってきて、いきなりいうことがそれか? 空をみろ、真っ暗じゃないか。迷惑を考えろ、迷惑を」


 変異の魔術の用意でもしていたのか、腰に手をあてる魔女のローブは薬草の青臭い匂いを発していた。

 歪んだ唇にはいっそ殺気すら感じる。

 すでに地下は空では白い月がぼんやりとまどろみ、夜を生きる鳥の声が控えめに歌うのみ。

 そのなかで突如、門を叩かれ起こされ、かしましいけんかに巻き込まれたのだから不機嫌の極みに至るのもやむなしといったところだ。

 だが統一されていない若者の集団は、魔女の威圧を吹き飛ばすほどのエネルギーがあった。

 

「言われた通りの道を進んだら、わたしだけ通れなくってさ。ほら地図みてよ、地図! この線がひいてあるあたり!」

「壁なんてなかったよ」

「あったんだって、そんなつまらない嘘をつくものか」

「ええー」

「絶対あるんだって! なあ!」


 落ち着いてきたように見えてもまだ子どもだ。

 涙目で否定しあうレフォリエと妖精に、魔女はこめかみをぐりぐりと抑える。


「まだ私が術を完成させていなくてよかったなァ、クソガキども」

「なあ、魔女ならわかるだろ!」

「やかましい! 顔を近づけて叫ぶな! ああ、線といっていたか。まさかあれが発動するとは思っていなかったが、そうか」

「あれ?」

「結界だよ。泉は災害の塊みたいなものだが恵みの源でもある。当然、よこしまな奴らが入ってこないよう守るとも」


 なんでもない風に地図を投げ返す魔女に、レフォリエは声音を落とす。

「わたしが、邪悪だと?」


「はっ。悪、といってもそんなものなんぞ主観にすぎん。定義できもしない悪をはじくなど馬鹿らしい。単に欲深な奴であれば亡霊にふためと朝日を拝めぬ体にされて終わりさ。

 この場合、ちからではどうしようもないもの。例えば病毒、魔による洗脳、あとは呪いを背負うものをはじく」


「じゃあ君の呪いのせいってこと? もう解けたんじゃなかったのか」


 第一、呪いの期限はとっくの昔に終わっている。

 残り香すらも許されないというのか。

 魔女を完全に許せたわけではない。メリュジーヌの件がある。

 

 だがそれにこだわるのは人間だからだということもわかっていた。

 妖魔にとって大事なのは、仕事を全うすることだ。信念を貫くことだ。

 魔女は自らに従って役目を全うした。メリュジーヌもまたそうすることを認めたから、こうなった。

 それに外野が口出しするのは、二人を侮辱することにつながってしまう。

 

 不満を抱くこともある。それでもレフォリエは妖魔の純粋な性格を尊敬している。

 だから魔女の指示であろうと他者のために動けることに、自己を肯定する喜びすら覚えていたというのに。

 レフォリエは複雑な感情にこぶしを握り締める。

 しかめっつらの眉間を見咎め、魔女は折れそうな指でむき身の卵のような額を小突く。


「小娘が、年齢不相応にしわなどつくるな」

「だって」

「だってェ? 貴様がこの私に口答えなど十年早いわ。別に貴様を呪ったのは私一人ではなく、その呪いがいまだ解けていないということであろうよ」


 声もなく、「そんな」という形に口がぱくつく。

 レフォリエは何もしていないのに、いったい誰がいつ呪ったというのだ。


「理不尽だ」

「世の中そういうものよ。大人になる前にきっちり覚悟をしておく前準備だとでも考えろ」


 魔女は身をひるがえし、一度家内に戻る。

 彼女を迎えた室内は月明かりに照らされた野外を超えた黒がしきつめられていた。

 見れば、窓は閉じ布が張られ、天窓も同じ加工が見える。

 室内に一切光が入らないよう、出かけている間に作業をしたらしい。

 あかりがなく、危険を感知するための五感のひとつ、視界が封じられた空間には本能的な恐怖を覚える。

 奇怪な魔女の魔術に目線を奪われるレフォリエに、闇のなかから魔女が声をかけた。


「ところで、結界にぶつかってすぐ帰ってきたのか?」

「まさか。お日様が顔を出したばかりの頃から、瞼こすってベッドに沈むまでずっと叩いてたわ」

「貴様らしい。とっとと区切りをつけて帰らんか、馬鹿者」


 あくまで馬鹿にする調子を崩さない魔女にレフォリエは唇を尖らせた。

 真剣に参っているというのに、心が沈み込む暇がない。

 以前呪いを解いたから軽いのかもしれないと、魔女に言われる前からその解決法を否定する。


「結界も呪いもわからないんだもの。どうすればいいのさ。あんなのは何度もできないってぐらい、わたしにもわかる」


 黄金の粒子で描かれる魔法。あれが人間の魔法であり、呪いを打ち砕き、ヴァラールを縫いとめたものなのだというのはわかる。

 しかし、二度使ってみてはっきり感じていることがある。


 あれを意図的に発動するのは無理だ。

 遊ぶことが仕事だった頃、起きては食べ、野原を駆けずり回り、疲れ果てるまで川や集落で遊び、深い眠りにつくのが日常であった頃。夜ごと寝床のなかで養父にきかされた物語のなかに、こんな話があった。


 三本の矢を与えられた男の話。

 男は飛ぶ鳥も落とすとたたえられる狩りの名手の息子だった。

 周りには

「あの狩りの名手の息子ならば、さぞ素晴らしい手ほどきを受けているのだろう」

「いつかきっと父を超える狩人になるに違いない」

といわれて男は育つ。

 しかし父の教え方は他の狩人と変わらぬ凡俗なもの。男は耳で助言をとらえ、目で父の技をよく見るものであったから同年代の狩人よりぬきんでた実力をもつものの、周囲の期待に届くほどではなかった。


 ある日、無邪気な責め苦に追い詰められた息子は、父に狩りの真髄を問う。

 父はそれに応え、息子にまず一本の矢を与えた。

 黄金の矢じりをもった、名手とはいえ一狩人にすぎぬ父にはあまりに豪奢な矢であった。


「昔、わたしは森で狩りをしたときに羽根を傷つけた一羽の鳥を助けた。するとそれから太陽が七度のぼった朝、助けた鳥がくちばしにくわえて持ってきたものだ。森にすむ女神からの褒美であると」

 これで的を撃ちなさい。真ん中を狙って放つのだよ。


 たった一本しかない尊き矢に息子は震え上がった。

 もし打ち損じたら。あてずっぽうの方へ向かって、なくしてしまったら。

 それでも父のすること、何か意図があってのことだろうと男は矢をつがえた。

 呼吸すらままならぬ緊張のなかで放たれた矢は、まるで吸い込まれるように木の幹に打ち付けられた的の中心を射抜いたという。


 喜ぶ息子に、今度は父は三本の矢を与えた。

 どこにでもある、普段使いのみすぼらしい矢である。

 また同じことをせよという父に、息子は自信と余裕をもってうなづいた。

 しかし、今度はその三本すべてが外れてしまったのである。


 油断したのだ。真ん中を射抜いたことで、打てぬはずがないと舞い上がってしまった。

 一本目を外しても三本あるというのも拍車をかけた。


 レフォリエは自分もそうなるのではないかと恐れていた。

 あの時、絶対に戦わねばならない、そう思ったから魔法がちからを貸してくれたのだ。

 もしも魔法が働いてくれなくても、レフォリエはヴァラールにぶつかっていっただろう。

 どんなに傷ついて、苦しんで、その傷跡に一生苦しむことになったとしてもだ。

 レフォリエにはあの時しかなかった。覚悟と切望があったからで、いざとなったら魔法に頼ろうという子心構えでは絶対に人間の魔法は味方してくれない。

 そういう確信があった。


 魔女は嗤う。 


「ふん。いつも通りにすればよい。頭の回転など期待しておらんわ。貴様らしく、足りぬものがあるなら過ぎたるもので破れ。そう、例えば此度なら、ヴァラールを呼ぶとかな」

「ヴァラール?」

「竜は妖魔のなかでも魔の王の如き存在だ。それに、これに関しちゃ奴に責任があるともいえる」


 魔女はいやいや家から出てきた。

 そして材料を庭に並べ、火をつけだした。

 夜闇にも飲まれず真白い煙がもうもうとふきだす。


 すっかり聞きなれた力強い羽ばたきが聞こえてきたのは、暖かなたき火にあてられて船をこぎ始めたときであった。

 木々の上で静かにうたっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。


「何用だ」


 ヴァラールは緩慢に二本の足を地につけた。

 風圧でたき火がくずれる。

 魔女のローブもめくれあがり、火花が散るような音を立てて前髪とともにフードが後頭部に届くほど舞った。

 垂れがちな大きな瞳と少し太めの眉が軽くはねあげられる。


「のろしに気付いてくれてよかったよ」

「あんなに高くまでのぼるように、しかもこの時間帯となれば、否応でも気づく。性悪め」

「そんなことにもきづけないほど脳みそまで魔力塊だったらどうしようって心配してたのさ」

「俺を侮辱するために呼んだわけではあるまい」

「わかりきったことをいうでない。ほら、貴様のお嬢さんがお困りだ、騎士のエスコートはまだお忘れでないかな?」


 ヴァラールの鱗の上で二つ三つ、蒼い火の玉がうねって燃え盛る。不機嫌の表れである。

 レフォリエはそれを見て魔女と竜のあいだに躍り出た。


「レフォリエ?」

「頼む。あの向こうに行きたいんだ」


 そのためにヴァラールのちからが必要なのだとしたら、レフォリエは伏して頼む。

 意志をこめ、まばたきもせず見上げるレフォリエに、回転してふくらみ始めていた火の玉が散る。

 ヴァラールはいつものように、岩のようにかたくなな声で警告した。


「魔女の言葉を信じるな。奴は毒を仕込むものだ。昔からそうだった」

「嘘などついたことなどないがね」


 よせばいいのに口をはさむ魔女にヴァラールは吠えた。

 荒い鼻息のまま、今度はレフォリエの方へ鎌首をもたげる。


「何故? どこへ行こうというのだ」

「泉へ。わたしじゃ結界を抜けられないんだ。呪いがかかっているせいだっていわれた」

「そうともよ。まじないや小道具では結界をごまかすことはできない。川の水を田にひくことがあるだろう、あの結界もまた、泉の魔力をひいてつくったものだからな。単純明快に強力よ」


 二人の言い分を聞き、ヴァラールは大きく息を吸う。

 そしてため息をついた。炎交じりの息を浴び、レフォリエの前髪から軽く焼ける匂いがした。


「どうしても、か」

「どうしても。知りたいことがあるんだ」

「別段、魔女のためではないと。それはお前が心に決めたことであると。肌を焼かれ、玉のような命を危険にさらしても構わぬ。そういうのか」


 遠まわしに、結界を抜けるというのが危険を伴う荒業だと告げられる。

 魔女の言うレフォリエの過ぎたものといえば、当然力づくだ。

 相手が参ったというまで首元に食らいつき続ける諦めの悪さだ。

 幸い、レフォリエには図々しさとあきらめの悪さに関しては一家言あるつもりである。


「もちろん無事に帰るとも。わたしは頑丈だし、努力だってしてきた。なにより、一度決めたら徹底的にくずおれるまでやってみなきゃ、腹の虫がおさまらない(たち)でさ」


 ほんのちょっと茶化して笑みを浮かべた。

 眉をさげ、瞳が黄金に輝く。子どもっぽい、しかし熱に浮かされただけではない表情は、子どもと大人の境にある少女の鏡のようだった。


「そうか。お前がそういうのなら、どのような手段をもってしてもいずれたどり着くのだろう。ならば今、ともにいったほうがはるかにマシというものか。

 一度たどりつくべき地を定めたら、突き進むのがお前というもの。それはもう、うんざりするほどわかっているからな」 


 ヴァラールは翼をたたみ、首、そして比較的座りやすいその箇所を差し出す。

 レフォリエは破顔するのをこらえられない。すでに彼女の足は、十分にすらりと長く伸びていた。


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