第三話 清き死の守り人
妖精がまきを配り終え、魔女の伝言を届けに来たのは太陽が真上から斜めに下り始めた頃だった。
魔女の家に赴き、話をしよう。
普段魔女から呼びつけることは皆無に等しい。
気に食わない沼女の言ったこともあって、自然と早足で扉をたたいていた。
「早かったな、逃げなどしないというのに。とっとと入れ」
「では遠慮なく」
魔女の高飛車で理不尽な物言いは今に始まったことではない。
蹴り飛ばすように扉を開け、優雅に揺り椅子に腰かけている魔女に歩み寄る。
だが隣にたち、落ち着くために深呼吸した途端、激しくむせる。
「んんッ、何を飲んでいるんだ?」
とっさに鼻をおさえてしまう。不意打ちを食らった気分だった。
鼻腔の奥で、香しく癖のある匂いが暴れまわっているようだ。
しっぽを踏まれた猫のように顔をしかめるレフォリエに、魔女はくつくつ喉を鳴らす。
「酒。遠いところの飲み物だよ。ワイン、はちみつの巣、薫り高いハーブを等しく混ぜ、水で割る。お子様には刺激が強かったかな?」
「匂いがキツイ。子どもとかは関係ない」
興味本位で一気に匂いを吸い込んだせいで、薄い涙の膜で視界がぼやける。
わかりやすく離れるレフォリエに、機嫌よく肉つきの悪い足を組む。ローブからかかとの低い靴と骨の浮いた足首がのぞいた。
睨みつけようとしたが、なんとなくやめる。
魔女がとげとげしいのはいつものことだ。しかし今日はいつにもまして余計なひと言が多い気がした。
酒の匂いを頭の中で排除するようにして室内を探れば、はちみつの匂いをぷんと嗅ぎとった。
砂糖に比べれば手に入りやすいとはいえ、それでも甘い匂いを嗅ぐと反射的に贅沢だと考えてしまう。
集落の平凡な人間として暮らしていた頃の感覚の名残だ。
甘く栄養にも優れる蜂蜜は古代から重要な食物として扱われてきた。あちこちで大々的な養蜂は行われ、海の民族など蜂蜜酒が大好きでしょっちゅう飲んでいると聞く。
それでも子どもにとっては大切な楽しみ、ときたまのご褒美だった。とろりとスプーンのはじから落ちようとする黄昏色の蜜を口に含んでは、ココワと顔を合わせてとろけるように笑ったものだ。
「いいなあ」
口をついてでた願望に応えてくれる魔女ではない。レフォリエには呑めない酒にいれて嗜むあたり、本当に意地が悪い。
はちみつは食事としてももちろん、薬用にも有用と使い道が非常に多い。そのはちみつを魔女は多量に有している。
それは魔女の使い魔のようによく従う、妖精たちのおかげらしい。
妖精たちは蜂たちとともに秘密の花の洞窟のなかを家にしているのだという。以前見たいといったら、人間には小さすぎて無理だといわれたことがある。
――こんなんでも、森のやつらが滞りなく支えあって働けるのは、こいつのおかげなんだよな。
妖精たちは自分たちで仕事を始めることができない。それが彼らのルールだ。
積極的に仕事をあっせんする報酬として、妖精たちははちみつを魔女に献上している、のだとか。
他の妖魔と比べれば、様々な魔術を用い、薬をつくる魔女の方がはちみつを使う機会が多いのだから不自然なことではない。
だが今の魔女は、疲れて酒や甘味をたしなんでいるように見えた。
もしかしたら、あのあと魔女も沼女といざこざがあったのかもしれない。
だとしたら頭ごなしに否定する気は起きなかった。かといって明らかに気遣えばそれはそれで不機嫌になるのは目に見えているので、レフォリエはほんの少しだけ素直に不満を垂れることにする。
「わたしが嫌がるのがそんなに嬉しいか? いっておくが、飲み過ぎは毒だってミシジャさんが言ってたぞ」
「適量なら薬だ。私の食生活に口出しいないでもらおうか」
見せつけるためにくゆらせるグラスに新しい酒をつぐ。
花瓶と変わらないサイズの瓶のなかには、紫の液体がなみなみと詰まっていた。
小さな色とりどりの花も沈められていて、くちから酒が出ていくたび、酔っぱらったように瓶のなかを泳ぐ。
光の加減で濃淡を変える色合いからも酒の匂いが漂うようだ。すなわち、人を惑わす蠱惑の芳香である。
レフォリエはますますむせた。どうにも鼻がよすぎるらしい。涙目で文句を言う。
「昼から飲むなんてだらしないやつだな。そんなことより、さっきのはいったいなんだったのか説明してもらおうか」
「ふん、焦るな。やつは亡霊。泉を守る妖魔だ」
ワイングラスをくゆらせ、魔女は余裕綽々とした態度を崩さない。
レフォリエのしかめ面を肴にほくそえむ。そのままローブのうちから二つの石を机の上に並べた。
炎を閉じ込めたような琥珀、透明な黒さをたたえる黒曜石。
嫌な気持ちも吹き飛ぶ。見慣れた懐かしい石たちにレフォリエは思わず歓声をあげてしまった。
「知っているだろうが、どれも泉の底からとれる。こいつもな」
匂いを避けて遠回りし、石を手に取って眺めるレフォリエの前に魔女が握りこぶしを差し出す。
石かと思って興味津々で、魔女から差し出されたものを受け取った。
硬い感触に期待いっぱいに掌を開く。
「あれ、これ……鱗か? それも竜の」
そしてほんの少し拍子抜けした。
ヴァラールによじ登るたび見ているつくりだ。自信があった。
それはそれで貴重なものではあるが、日頃よく触れているだけあって満足とはいかない。
だが魔女は左右に首をふる。
「あたらずも遠からず。蛇の鱗だよ」
「はあ、蛇」
「泉の底に住んでいる、まあ、ヌシとでもいおうかね。ちょいと特別なものでな」
魔女は同じく机上にあった黄ばんだ太い蜜蝋を滑らせ、鱗の真下に持ってきた。
空中で魔術を紡ぐ文字を描くと、ぽっと小指の爪ほどの炎が灯る。
火の光をあてられた鱗は、放射線状に七色の輝きを放った。
緑だと思った次の瞬間には艶めかしい桜色になり、赤を視界にとらえたと思えば乳白色になって躍る。
虹のように目を楽しませるきらめきに、今度こそレフォリエは感嘆の声をあげた。
「貝殻の裏かオパールみたいな色してる。こんな色をした蛇が?」
「ああ」
「そりゃあ、面白いけれど。なんでこんなものを見せる? わたしはあの沼女と沼女のいっていたことをききたい」
「はあ? 私が貴様のためにただ綺麗な石っころを見せただけだとでも? ン? そんなわけないだろう。あいつらが守ろうとしているのがコイツなんだよ」
魔女は右から順に、三つのかたまりを指先でとんとんと叩く。
興味深いことを聴いているはずなのだが、魔女の物言いのせいでいちいち気が散る。
まるで情報を与える側と引き出す側で、刃を向け合って戦っているような気分だ。
有用な知識を与える代わりに刃を投げる。レフォリエはその刃を的確にはじき、欲しい情報だけを冷静に掴み取らねばならない。そういう勝負である。
ようやく酒の匂いになれてきて、レフォリエは椅子をひっぱって魔女の向かい側に座った。
あちらがやる気なら、こちらもやる気になろう。
魔女の返答は続く。
「泉っていうのは無論、毎年生贄を沈めているあそこだ。人間のあいだでは、女神にいわれのある場所……だと言われているようだな」
「《御使い》がそんなことをいってたような」
「あいつらからすればそっちの方が都合がいいんだろう。それは半分嘘で、半分本当だ。なんだっけ、女神が昔水浴びをしたところだっけ? 本当にそんなことがあったのかは知らん。だがあの泉には世界樹の根が密集している箇所なのさ」
「世界樹? 女神が眠りにつく際、大地を支えるためにすべてへ根を張り巡らす巨木に姿を変えたっていう」
ふんと魔女は嘲笑う。
そこまで女神に対して深い信仰心を持っていないことが読み取れる、冷めた笑いにレフォリエはパチパチ瞬きをした。
魔女が誰にでも嘲笑的にふるまうのは知っているが、まさか女神に対してまでそんな風にふるまう存在がいるとは考えたこともなかったのだ。
つくづくレフォリエと魔女の感性は異なる。
魔女は新説を疑う学者のような目をして、地図の中心に描かれた世界樹の上に指を移動した。
「本当にそこまでなのかは怪しいが、世界樹がただの木でないのは確かだ。代々の女王もそいつをくりぬいて作った城に住み、根を通じて各地を監視しているくらいだからね」
「そんなことをしてるのか!?」
「恥ずかしいことでもしてるのか? 別段、部屋の隅でがたがた震えなくたっていいぞ。初代はともかく、今の女王にそこまでのちからはなかろうよ。重要なのは世界樹の根、つまり『ちから』もまた密集しているという
点さ」
魔女は今度は袖の下に手を入れる。
ゆとりのあるくちから丸まった紙を取り出す。広げると石を四角において重石にした。
日焼けしたそれは地図であった。
色々書き込まれているが、残念なことにレフォリエは設計図や取り引きに必要だとされた最低限の文字しか知らない。
だからほとんどは読むことはできなかったが、海岸部に教えられた覚えのある地形を見つけた。
そして石も地図も入っていたというのに見かけの変わらないローブに目をむく。
「いったいその黒ローブにどんだけ入ってるんだ」
「魔術で拡張してある。やらんぞ」
「なんでも手元に置いておきたがるとは、ずぼらにもほどがある」
「ええいやかましい! そんなことよりここを見ろ。このマルで囲んだのが泉と同じパワースポットだ」
「読めない」
「海辺の海上神殿、平原のストーンサークル、山の太陽石祭壇。他にも幾つかあるが主要なのはこのあたりか。聞き憶えは」
「ない」
鼻で笑われた。
魔女の鼻をつまんでやろうかと疼く指を懸命に堪える。短く切った爪が机をがりっとひっかく。
「七歳でこっちに来たんだからしようがないじゃないか」
「そう思えばそうなんだろうなあ」
「で! パワースポットが! 何!?」
「おうおう、吠えるな」
顎を引いて見下す魔女に微笑む。
犬歯をむき出しにしていたかどうかは知らない。
「先ほど言った通り、世界樹は女神が姿を変えたものだ。あらゆる存在に神秘のちからは宿っているが、こいつは別格。なにせ女王の権能もまた女神に由来する通り、女神の魔力はそのまま世界に直接影響を及ぼせるたぐいのちから、ということになる」
すぐそばにそんなものがあると知り、久しぶりに冒険心が踊った。
レフォリエはいらつきはひとまずおき、黙って先をうながす。
魔女はつまらなさそうに口角を下げ、地図に目を落とした。
「生け贄が捧げられることになるのも、このパワースポットであることが多い。女王以外の人間でも女神の残滓に接触できる場所だからな」
「へえ。すごい場所とは教えられていたけれど、そんな事情があったのか。おきてがあるとはいえ、よく誰も近づかなかったものだな」
「当然、そんな場所が安全な場所であるわけがない。ちからが渦巻くパワースポットの深部では、たいていこいつが潜んでいる」
「こいつって、さっき言っていたヌシか」
「そうだ。貴様を呪った時、琥珀のなかに入っていたのもこの鱗。いわば『ちから』が可視化されるほど凝り固まってできた生き物がヌシ。確かアレにはあったんだろう? 女王の魔獣、地竜:《クルイグ》。成り立ちとしてはヴァラールよりあちらに近しい」
そこまで話してワインで乾いた唇を湿らせる。
説明するのが億劫らしく、嫌味ったらしく虚空に向けてため息までつかれた。
「ヌシは日頃、泉の底にある『蓋』と呼ばれる封印の向こう側、大地の殻の下にいてな。これが生け贄が死んで抜けでた魔力を使った、それなりに頑丈な封印なんだが、ごくたま微量に抜け出したり、暴れたりする」
「足元でデカブツが暴れているなんてことがあったら、いくらわたしたち人間でも分かる気がするけれどなあ」
「おや、貴様らは普段からヌシの存在にかかわっているぞ? 黒曜石はあいつらが暴れた際のすさまじい熱からできたもので、琥珀は体の一部が剥がれて生命力を失ったもの。そいつが水を通して人里に流れるわけだな」
「わたしたちは死体を加工していたのか」
「嫌悪の必要はない。貴様の愛用しているかばんだってもとは獣の死体じゃないか」
「知ってて扱うのと知らずに扱うのとじゃ、天と地ほどの差があるだろう」
なんてことないように言うが、魔力への接し方を知らない人間からすればぞっとしない。
おかれた琥珀の表面に触れるも、ただの石にしか見えなかった。
これがもとは得体のしれない生き物の一部で、自分たちはそれを石だと思って加工し、身につけさえしている。
生命力がないということは安全なのだろう。
複雑な思いで美しい石を眺めるレフォリエにそれ以上慰めの言葉をかけず、魔女は説明を続けた。
「そいつを見張り、いざとなれば討つための守護者が亡霊だ。ヌシに飛び出してこられた日にゃあ女王が城の守りを捨ててすっ飛んでくるかもしれないのだから、奴らも必死よ」
「ヌシがやばいんだっていうのはわかった。じゃあなんで持ち場を離れて亡霊が? わたしを殺したがっていた理由もわからん」
煙に巻かれたことは何度もある。
拳で軽く叩いて遺憾の意を示すと、今度は魔女が眉間にしわを寄せる。
きげんを損ねている場合ではないとわかっていても少しすっきりした。
「せっかちめ!」
「あんたが冗長なんだ」
「物事には順序はあろうがよ。あいつらが出てきたのは当然、封印のためさ」
「はあ」
気のない返事に青筋をたてる魔女はぐいっと酒を一気にあおる。
以前それで倒れた人間を見たことがあるレフォリエははらはらするも、魔女は青白いほおに赤みをさすことはない。
「では、お待ちかねの亡霊について授業してやろう。礼はたっぷりするがいい」
「わかった。指輪がいいか、アンクレットがいいか」
「甘味で構わん。蜂蜜が好ましい」
けんか腰ながら気楽な会話の投げつけあいに、ヴァラールか妖精がこの場にいれば、「本当は仲がいいな?」と話を混ぜ返したに違いない。
あいにく、ここには二人きりだった。
「で、まず言っておくが亡霊は貴様に会いにきたのではない。私に相談に来たのだ」
「相談? 泉になにかあったと?」
女神に連なるちからとなれば、想像もつかぬほど恐ろしいものであると予測するのは簡単だ。
もしも何事かあるのなら妖魔達に避難を呼びかけねばなるまい。
口元をおおって脱出法の思案に耽りかけるレフォリエを魔女は手で制す。
「随分前から予兆はあってな。少々ヌシがやんちゃし始めている。それを抑え込むための相談に来たのだろう」
「魔女は亡霊ではないだろう? 何故、君に?」
「私が亡霊の統率者にして、生みの親だからだ」
「なんだって?」
「死した妖魔や生け贄を魔術によって亡霊に変化させる。そうして泉を守り、森の代行者を務めてきたものこそが私、魔女。どうだ? 謎がひとつ解明されて快感かね?」
平たい胸をそらす魔女は自慢気には見えない。だがそれを当然のことと考え、誇りを持って仕事を遂行するものの目だった。
魔女にもそういった誇り高さがあるのに驚いた一方で、レフォリエの脳が回転を始める。
若者特有の想像力の豊かさを交えたそれはおぞましい光景を映し出す。
メリュジーヌに似た亡霊。
自分を殺すはずだったという言葉。
つまりメリュジーヌは魔女の手によって殺され、亡霊にされた。
レフォリエもまたそうするつもりなのではないか。
「わたしは死なないぞ」
鋭い返答に魔女は落胆しなかった。
「私がメリュジーヌを殺したんじゃない。あいつの願いを叶えた代償として、亡霊にしたんだ」
「メリュジーヌはあんたが好きだったのに」
「私もだよ? だから信頼して、今の亡霊の代表をあいつにしている。といっても、肉体をともなって生きていた頃とは精神構造も在り方も違っているがね。記憶はあるが思い出ではなく記録として有しているにすぎない。会って話した通り奴は亡霊でしかない。実質、別人だ」
胸倉をつかみあげられなかったのは、怒りと悲しみを自責の念がせき止めてしまったからだった。
たまらなく悔しい。
魔女とメリュジーヌの間にあるものに、レフォリエが口出しする権利などないのだ。
何も知らないのだから。
錆びた歯車のように不自然に動きを止めたレフォリエの顔を、魔女が下から覗き込む。
ローブの下に隠された魔女の素顔は存外、童顔の愛らしい顔立ちをしていた。
「どうしてここまで教えてやったかまでは、察しがついているか?」
「………………」
「黙り込んでいちゃわからん。特別サービスだ、懇切丁寧に教えてやろう」
「なんだ、何がしたいんだ」
「レフォリエ――魔女にならないか」




