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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第一章 ルール・オブ・ヴィジョン
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第一話 不吉をささやく石

 太陽にかざした石はレフォリエの目玉ほど大きくて、まるで太陽の涙のようだった。

 川の底から拾いあげた琥珀の表面を、ツゥと透明なしずくが伝う。

 綺麗な琥珀に大きな黒曜石、今日は大漁だ。

 帰ったら父に石の加工の方法を教えてもらおう。

 そう考えると、自然にニンマリと口角があがる。


「ねーレフォリエちゃーん、まだあがらないのー?」


 そんな彼女に、同じく川から黒曜石や宝石を探していた子どもが問う。

 名はココワ。無垢な呼び声に、かたで切りそろえられたココワの黒髪が揺れるのを想像する。

 返事をしようと思ったが、ついつい琥珀に見とれて舌を動かすのを忘れてしまう。

 いくら夏の心地よいせせらぎとはいえ、ずっとさらされていれば手足もかじかむ。

 同じ作業にとりくむ他の子どもたちは、何度も入ってはあがるのを繰り返していた。

 朝方から休まず拾い続けているのはレフォリエだけだ。


「つめたくないのー? ゆび、とれちゃうよー!」

「とれないよ、ココワ。わたし、大人よりずっと元気だもの。ぜーんぜんへいき」


 そんなことより石拾いだ。

 細工師の娘として育てられたレフォリエにとって、こうした作業は苦にならない。

 この集落でとれる石は貴重なもので、集落の重要な収入源だ。

 貢献している喜びと美しいものに触れるときめきに飽きるはずがなかった。

 森の奥にある泉から水を通してやってきたといわれる石たちは、いずれも抜群に質がいい。

 いったいいかなるものなのか。詳しいことはわからない。

 森の奥は妖魔のすみかで、一年に一度の特別な祭りの日以外は足を踏み入れられないのだ。

 その祭りも三日後にひかえている。父の作った装飾品も使われるのだそうで、いつにも増して気合が入った。


「ココワ、やめときなよ。どうせその子、私たちになんかきょうみないんだからさ」

「そうそう。レフォリエならだいじょうぶだって。ゆびがとれてもあしでつかめる」


 積極的に話しかけるココワに向けて、他の子どもたちはそういってくすくす笑う。

 明らかな悪意の匂いを感じ、レフォリエは隠さず舌打ちをする。


「そういうわけだ、心配するな。君たちにできなくてもわたしにはできるから!」


 思い切り言い返してやれば、今度はココワ以外がふてくされる。

 レフォリエはこれぐらいが子ども同士ばからしくていい具合だと思った。

 ここで下手に親や大人がしゃしゃり出てくると面倒くさい。彼らは子どもよりずっと複雑で、色んな醜い楽しみを知っている。

 案の定、休憩を兼ねて「遊びに行こう」と騒いで駆けていく子どもたちの後姿を見送り、ココワはぷうと鳴いた。


「そういうこというから。せっかく美人なのに」

「見た目がなにさ。どうせ綺麗ならこっちの方が確かだよ」


 そういって入れ物のなかから琥珀をひとつ取り出し、ココワの方へ投げる。

 大きさも美しさもこの集落では珍しくないものだ。だからといってつまらないものではない。


「こうやって太陽にかざすと、光が焦げて一等好きだ」


 今しがた拾ったばかりの大きな琥珀をもう一度掲げる。

 ぶぜんとしたココワもレフォリエと同い年の七歳の女の子で、すぐにきらきらとしたきらめきに夢中になる。

 しかもこの集落でとれる琥珀は魔法で造られたような不思議な石だ。

 光に当てれば、こげたはちみつ色のなかに熱い炭の如きほの暗い赤が輝く。

 じっと見つめていたところ、ふと琥珀の中で何かが形を描いているのに気が付いた。


「あれ、なんか入ってる……」


 向きを変え、中身をあらためようとした。

 琥珀のなかに何かが入っているのはよくあることだ。

 三枚ほど繋がって、中心のあたりで固まっているのは鱗だった。

 丸みのある四角形は人の肌にも見えた。

 ちかちかとした橙のきらめきに何度も瞼を閉じる。

 それでも吸い込まれるように目を凝らす。


――そこにはただ鱗を見ようという思いつき以外に何もなく、ゆえにそれは全く突然のことであった――


 目と石がくっつきそうなほど近づけた時、耳元で何かがささやいた。


『お前は死ぬ』


 びっくりして言葉もでない。つるつる手のひらのうえが滑って、琥珀をお手玉してしまう。

 慌ててキャッチしてから振り返る。てっきり心が幼い大人の悪戯だと思った。


「趣味の悪いことをいうな!」


 即座に振り向き、首をかしげる。

 ささやいたのは女の声だった。しかし真後ろどころか、手の届く範囲にすら誰もいない。

 子どもたちはみな、やや離れた場所の草の上でごろごろ転がっている。川に落ちないようにして遊んでいるようだ。


「え、え、レフォリエちゃん、どうしたの?」

「別に。多分気のせい」


 戸惑うレフォリエに、もう一度ささやきが繰り返す。


『お前は死ぬ。三日後に』


 レフォリエは川に琥珀を投げ捨てた。

 ささやく石?

 こんなことは初めてだ。


「えっえっ、いいの!? すっごく大きかったじゃない! どこか尖ってて切っちゃったの?」

「うっかり落とした、気の迷いだから気にするな」


 気が動転してちぐはぐなことをいっている自覚はあった。

 それより、ひとまず琥珀を手放すと声は聴こえなくなったことに胸をなでおろす。

 だがまだ呼吸が苦しい。

 血がおかしな流れ方をしている気がした。胸騒ぎがする。

 無性に養父に抱き着きたくなった。

 ばしゃばしゃと流れを踏み、岸をあがる。

 鮮やかに揺れる草を柔らかく踏む。青い匂いが鼻をつく。


「レフォリエちゃん?」

「わたし帰る」


 ようやく返された、あまりに簡素な返事。外野で見守っていたココワ以外のこどもたちがこれ見よがしにため息の音を響かせる。

 いつものことだった。

 微笑みひとつ返せないレフォリエの性格は知られていて、一人の少女を除けば誰も話しかけない。

 返事の仕方がわからないのは事実だ。だからそう思われてもどうでもいい。

 レフォリエがどこから来たかもわからない捨て子であることも疎外感に拍車をかけていた。

 何もかもがどうしようもないことである。

 背中越しにココワが叫ぶ。


「ねえ、落としたならひろおうかー?」

「いらなーい!」


 振り返らずにぶんぶん手を振る。嫌な思いをさせたのではとほんの少しだけ後ろ髪をひかれた。

 ただ、なんとなくレフォリエは駆け足で帰り道を急いだ。

 レフォリエは走ることも得意だった。

 足をのばし、前へ前へと跳ねて走る。

 男どもにも鹿の如き健脚、そして美脚とたたえられる足である。

 とにかく急いでいたレフォリエはあっという間に家にたどりついた。


「ミシジャさん、ただいま」


 屋根に芝生を植え付け、地中から飛び出したようにも見える家の戸を叩く。

 勢い余って、頭上に黄緑の芝がぱらぱら落ちた。

 そう間をおかず、白く染まった髭を生やした老人が顔を出す。

 彼はレフォリエの姿を確かめると微笑んで、そして顔をしかめた。

 レフォリエの息はあがっていないが、頬は赤く染まっている。

 白魚の腹と同じ色をした肌の様子がいつもと違うのを養父は見逃さない。


「何かあったのか?」


 こくりとうなづくレフォリエの肩を抱く。

 ふしばった太い指は暖かい。何千何万という石を削った荒れた肌に、レフォリエの動悸が少しおさまった。


「なかに入りなさい。拾ってきたものをおいてから、お前の石を持っておいで」

「でも」

「焦って話しても、この老いた耳には伝わらんよ。今にも泣きだしそうじゃないか」


 口調はおだやかだ。ひとことひとこと言い聞かされ、レフォリエはいつのまにか二度目のうなづきを返していた。

 いわれるままに石を材料をまとめておいておく棚へしまう。

 そして自分の寝床のすぐ近くに置いておいた、削りかけの黒曜石を持ってくる。

 新月の夜が乗り移り、肉をたやすく断つ切れ味を秘める石である。


「ここ座るよ」


 椅子をひきずって養父の横に置く。

 何も言われなかったので、そのままレフォリエは椅子のうえであぐらをかいた。


――たいへんなときは、落ち着いて好きなことに取り組め。そうすれば自然と魂がないでいくものだよ。


 レフォリエの感情が高ぶった時、養父はいつもレフォリエにナイフを握らせる。

 するべきことが目の前にあるとき、それが危うければ危ういほど、人の心もまた磨かれるのだと。

 ゆっくり時間をかけて整えているのは、養父が作るのとは似ても似つかない不格好で簡単なナイフだ。

 ちからを込めすぎれば石を無残に壊してしまい、油断すれば自分が傷つく。

 最初は急いていた気持ちが少しずつ、少しずつ落ち着いてくる。


「さて、今日はずいぶん早く帰ってきたな。どうしたんだい、明日が待ちきれなくなったのか」


 何も言わないうちから養父が話しかけてくる。

 自分が口下手なのは養父が話し上手すぎるせいなのかもしれない、と理不尽なことを思う。

 苛立ちは何も口だけが理由ではなかった。

 養父は安心させようといったのだろうが、かえってその話題はレフォリエの神経を逆なでした。

 まるで的外れなのに、レフォリエの不安ど真ん中を打ち抜いている。

 ここまで胸がざわつくのは、明日から始まる祭りとその準備があるからだ。

 明日は子どもは夜に族長からたき火を囲んで物語を聴く。

 明後日はみなでおいしいものを食べ、夜に神へ祈りを捧げて終わる。


「違う。どうせ騒いで、誰かがいなくなるだけの祭りだろう。言ったら怒られるけどさ。好きでやってるなら別にいいと思う」

「ならどうしてそんなに不貞腐れているんだ?」

「今年だからだよ。特に今。嫌な感じだ。さっき、変な琥珀を拾ったからね」

「変な琥珀……この時期にか」

「しゃべる石だよ。三日後に死ぬっていわれたんだ」


 奇妙な石のささやきを告げたとたん、養父の目がかっと見開かれた。

 眉間と鼻のしわが一気に深くなり、白目の領域が広がる。

 思わず肩がはね、気恥ずかしさにさっと顔をそらす。


「あんな石、初めて拾った。森から流れてくるものだからおかしなことじゃないのかな。色々住んでるんだろ、竜とか、魔女とか」

「死ぬと? そういわれたのか」

「え、うん」

「……レフォリエ。決してそのことを誰にもいってはならん、誰にもだ。せめて祭りが終わるまで、貝のように口を閉じろ。気がせいたなら、心のなかで石を削ってこらえなさい。いいね」


 鬼気迫る様子に嫌な気持ちが膨れ上がる。

 ただ断る理由もないので、レフォリエは三度頭を縦に振った。

 きっとそれが自分を守るためなのだというぐらい、すぐにわかったから。

 本当なら嫌がる理由は何もない。

 だから、「本当にそれでいいのだろうか」と思ったのは、きっと自分の悪癖なのだ。

 悩む余地はない。


 祭りの三日目は、儀式の日だ。

 ――生贄の。

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