隣人の胃袋をつかめ
タザム村3日目。成功した傷薬を持って病院を目指す。商店街から外れた場所にあるらしく、道行く人に聞きながら歩いていると真っ白な建物が見えてくる。
木造の1階建。病院の看板を掲げているので目的地は此処で間違いない。玄関の扉には【シルヴァーナの診療所】と書かれており、マルは何度も扉を叩く。
「………誰もいないのかな?」
いくら昼前だからといっても、病院が開いていない時間帯ではないはずだ。しかし扉を叩いても人が出てくる気配も物音もしない。困り果てた時、漸く扉がゆっくりと開いた。
「あのっ、薬を」
見せてください。そう言おうとする前に、中から出てきた人物から漂う強烈な臭いに言葉が詰まった。
「おぉえぇぇっ……気持ち悪、飲み過ぎた」
闇夜のような漆黒の長い髪を垂らし、切れ長の深緑の瞳は虚ろげ。色白どころか真っ青の顔色の悪さ。甘く異性を誘惑しそうな膨らみのある口からは、思わず鼻を摘まみたくなるような酒の臭い。間違いなく二日酔いである。
素であれば美女であろう彼女も、二日酔いの姿ではその美しさも半減以下。白衣を着ているということは、彼女はこの診療所の医者なのだろう。気分が悪そうに扉に寄り掛かり腕を組む。
「なに、怪我でもした? 唾付けときゃ治るでしょ」
とても医者の言葉とは思えない。
酒の臭いを漂わす医者に引きぎみになるが、マルは傷薬を見せて欲しいと頼み、自己紹介を踏まえて自分が作った傷薬が売れるかどうかを聞いてみた。
「あー、あんたがマスターが言ってた錬金術師の卵。中散らかってるけど入れば」
頭をガシガシと掻き、診療所の中へと招き入れる。中は確かに散らかっていた。控えめでもなんでもない、本当に酒瓶で散らかっているのだ。
医者が使う机と患者が座る椅子。薬品が並ぶ棚に、簡易ベッドが2つ。必要最低限の物だけしかない殺風景だが、白一色で統一されていて清潔感がある診療所だ。今は酒瓶が転がっているので汚いが。
「あー怠い。あ、適当に座っていいから。で、作った傷薬ってどんなの?」
二日酔いで喉が渇くのか、コップに入れた水を勢い良く飲み干す。ぷはーと口を拭う姿は豪快の一言。マスター曰く、品性を母親のお腹の中に置いてきてしまったらしい。見た目が美人なだけに非常に残念だ。
「これです。品質は【並み】でランクはGです」
マルが持っている鑑定眼鏡とは少し柄も形も違うが、同じ能力を持つ眼鏡をかけてジッと傷薬を見つめる。そこはやはり医者だからか、真剣な目付きだ。
「……なーんだ、本当にただの傷薬か。それも【並み】でランクG。どこにでもあるやつだね」
「……すいません」
初めてランクが付いた傷薬を作れて嬉しかった気持ちが、みるみる萎んでいく。確かに彼女が言うように、この傷薬はどこにでもあるものだ。
悪いことをしてはいないのだが、ついつい謝ってしまうのがマルの癖。
「これなら銅貨15枚ぐらいかな。せめてランクFが付くものだったらよかったんだけど」
品質とランク。これは商品を見定める上でとても大切なものだ。品質は効力に影響する。良い状態であればあるほど高い効力を発揮し、ランクはその商品の価値の高さを示す。傷薬は出回りが多く、簡単に作れてしまうので最低ランクの位置にある。ただ、用途が多くある為値段は少し高めだ。
「売ってくれるなら買うけど、一度にたくさんは無理。もっと品質を高めるか、別の薬なら買い取るよ」
「別の薬……例えばどんな物でしょう?」
基礎的な知識は教えて貰ったが、豊富な薬品を全て把握しているわけではない。マルの問いに医者は、薬品棚に置いてある薬学書を手に取りマルに渡す。作り方は書いてはいないが、どの薬がどんな効力を持つのか書かれているもので、マルは興味津々に内容を読み始めた。
「……こんな薬まであるんだ」
「薬といっても様々。私が欲しい薬は鎮痛剤と解毒薬。そして二日酔いの薬! これは絶対に欲しい。特にいまぁぁあっ!」
自分の叫んだ声が二日酔いの頭に響いたらしい。医者は頭を抱えて唸っている。
鎮痛剤と解毒薬。これは今のマルにはかなり難易度が高いと言える。解毒薬の場合はドグジ草が手元にある為、作れなくはないが失敗する可能性は極めて高い。鎮痛剤に至っては作り方すら知らない状態だ。
地道にレベルを上げ、初級錬金術の本を読めるようになるしかないのだ。ただ鎮痛剤や二日酔いの薬は、中級錬金術の本に載っている為、作れるようになるのは先の話で。
「ま、なんか作ったらまた持ってきてみな。薬じゃなくても、なんか治療に役立ちそうな道具とかお酒なら大歓迎だから」
こめかみを押さえながら白い歯を見せて笑う医者。余程酒好きなのだろう、二日酔いで頭を悩ませてもまだ酒が欲しいと願う。酒を飲んだことがないマルが作れるようになるのはいつになるやら。
「今日はありがとうございました。お医者さま」
「あー、それやめやめ。様付けされるほど偉くないから。この村の子供達にはシルヴァ姉さんって呼ばれてるからそれで呼んでちょーだい」
診療所の入り口で見送りに来たシルヴァは、手をヒラヒラさせて診療所の看板に【本日終了】の看板を被せる。まだ昼前であるにもかかわらず終了。それもどう見ても仕事はしていなかったはずだ。
「閉めちゃうんですか?」
「二日酔いが酷いから診察できる気がしない。それにこの村は平和で、皆健康だから風邪ひとつ引かないんだよ。おかげでいつも閑古鳥だ。来るとしたら仕事でヘマやった冒険者ぐらいだね」
だから【並み】の傷薬はたくさん必要としなかったのだろうか。薬を必要としないのは良いことなのだが、これでは傷薬で生計を立てるのは難しそうだ。
診療所を出た後は昼食を食べに一旦アトリエへ。
師匠の家から持ってきた薬草が載っている本を読みながら、片手には昨日の残りのミートパイ。行儀がいいとは言えないが、時間が惜しいのだ。
「うーん、私が取り扱えそうな薬草は……なかなか見つからないな。傷薬の品質を高めれるよう実験を繰り返しながら、レベルを上げていこう」
どれも扱うに難しそうなものばかりで諦める。調合に焦りは禁物であり地道な努力が必要なのだ。
カイルに傷薬を届けたいが、昼間に酒場にいるとは考えにくい。仕事終わりに来ると考えて夕方頃に酒場に行くのがいいだろうと考え、傷薬の調合をしようと思った矢先、アトリエの扉が叩かれた。
「はい……あ、リック」
初めてのお客にドキドキして扉を開けたら、そこには不機嫌な表情のリックが突っ立っていた。
「これ。昨日はご馳走さん」
そう言って手渡したのは皿と折り畳まれた布。昨日マルがスライムから助けてくれたお礼にと、ミートパイをあげた時に使った物だ。
「わざわざありがとうございます。美味しかったですか?」
「まあ悪くなかった」
視線をずらし答えた後は沈黙が続き、なんとも微妙な空気が漂う。
『悪くなかった』とは美味しくなかったのだろうかと不安にかられるマルだったが、気にする必要はない。リックは15歳。思春期で反抗期の時期なのだ。
「……お前さ、またヒナサギ草原に行ったりするのかよ?」
「え? そうですね、薬草は調合に必要なので行くつもりです」
「ふーん。なら、護衛がてら一緒に行ってもやってもいいぜ。ダダじゃねーけど」
視線は未だに合わないまま、マルにとっては願ったり叶ったりの申し出だがダダではないという言葉に警戒してしまう。手持ちのお金を考えれば、あまり高額な費用は出せないからだ。
「……昨日作ったやつ。また作ってくれんなら行ってもやってもいい」
「え?」
なんてことはない。リックはマルが作ったミートパイが気に入ったのだ。
驚き立ち尽くすマルに、気恥ずかしさで少し苛立ち軽く舌打ち。
「だからミートパイが報酬だって言ってんだよ。店番するよりかマシだしな」
戸惑っていた顔がみるみる笑顔になっていく。ミートパイを報酬にリックはマルの護衛を買って出た。これでイタ草を採取しに行くときは問題ないだろう。「ありがとうございます! 料理は得意なのでたくさん作ります!」
「へー、他はどんな料理作れんの?」
自分の料理のレパートリーを思い出しながら指で数えて教えていく。その中にリックの興味を引くものがあった。
「サザの肉詰めと後はデザートに……」
「サザの肉詰め? 作れんのかお前」
「え? はい、作れますよ」
サザの肉詰め。サザと呼ばれる野菜の中に肉を詰めて煮込む料理である。サザは種が多く取り除くのに手間が掛かり下処理も面倒なのだ。煮込みすぎると固くなってしまう為、少し作るのが難しい。
しかしサザと肉の相性は非常に良く、酒のつまみとして酒場では出されていて、リックの好物の1つであった。
「ふーん。ま、村の外に出掛けるんなら声かけろよ。暇だったらついて行ってやる」
「ありがとうございます!」
「あと、その敬語やめろ。同い年なんだからタメ口でいい」
敬語で話すのはマルの癖なのだが、「う、うん」と頷くと話はそれだけだと言って帰って行った。
こうしてマルは、見事隣人のリックの胃袋をつかんだのである。