助け船は隣人
ぽよよんと跳び跳ねたスライム。その動きは鈍く、マルでも交わせる程だった。しかし慌てて避けた為体勢を崩し倒れてしまう。今から笛を吹こうにも、怖くて手が震え笛を掴めず、その隙をスライムは見逃さなかった。
「きゃぁああっ!」
再び高く弾み襲い掛かる。もうダメだと諦めかけた時、スライムが歪な形へと凹む。
「ぷきゅきゅきゅっ!」
なんとも可愛らしい鳴き声。スライムは打撃には強く、直ぐに元の形へと戻ろうとしたが、その前に何度も木のこん棒が振りかざされる。
スライムの中心部にあるコアと呼ばれる赤い核。そのコアをこん棒で砕かれ、コアは色を失いスライムは動かなくなった。
いったい何が起きたのか。恐怖と混乱で動けないマルを、こん棒の持ち主が見下ろす。
「お前な。スライムぐらいで怯えるならこんな所来るんじゃねーよ」
歳はマルと同じくらいの少年。赤毛のくせっ毛に生意気そうな目付き。こん棒を肩に乗せ、未だ腰が抜けているマルにため息をつく。
「ババァがうるせーから来てみたけど、お前俺に感謝しろよ。俺が来なかったらスライムに食われてたぜ」
食われてた。
その光景が目に浮かんだのか、ぶるりと肩が震える。この少年の言う通り、少年が来なかったらあのままスライムの餌食になっていただろう。言うなれば少年は命の恩人である。マルはその場で頭を下げ、お礼を言った。
「助けて頂いてありがとうございました」
「ババァがお前が心配だ、助けに行けってうるせーからな。もう用が終わったんなら帰ろうぜ」
まるでマルを知っているような素振り。少年とは初対面なはずなのにだ。
「私のこと、知ってるんですか?」
「俺と同じ歳で、隣に1人で引っ越してきた錬金術師の卵だろ。昨日ババァから散々聞かされたぜ」
「隣にって、じゃあ」
この少年はマルのアトリエの隣にある、服屋のおばさんの子供。話によると、酒場のマスターからマルがヒナサギ草原に向かったと聞かされ心配になったらしい。配達から帰ってきた息子に、マルの様子を見に行くよう頼んだのだ。
ヒナサギ草原は狂暴なモンスターはいない。いるとしてもスライムのみ。錬金術師になるつもりなのだから、スライムぐらい自分で何とかできるだろうし、少年は様子を見に行く必要はないと思った。
しかし乗り気ではなかったが、店番をさせられるよりはマシと判断し、どんな見た目なのかを聞きマルを探しに来た所であの場面である。
「たく、お前本当に錬金術師の卵なのか? スライムぐらい倒せよな」
「モンスター避けの笛を持ったんですが、吹くのを忘れてしまって」
「お前バカ?」
呆れ顔の少年に苦笑いで答えるしかなかった。直ぐ様帰ろうと言ったが、生憎マルは腰が抜けており立てない。おぶるなんて面倒だと、少年はマルの腰が直るのを待つことにした。
申し訳ないと思いつつ、その間自分の周りに生えているイタ草を摘んでいると、見覚えのある草を目にする。
「これ……ドクジ草だ」
緑色一色の辺りに、小さく生えた青色の薬草。ドクジ草という。これは毒を中和する効果を持っており、主に食中毒や毒に犯された者を治すことができる。猛毒などには効果は薄く、軽い毒にしか効き目がないのが難点ではあるが、早々一般家庭が猛毒に犯されることはないので、通常使われるのはこのドクジ草なのだ。
マルは解毒薬が作れるかもしれないと、その薬草を摘もうとしてハッと手を低く。思い出したのだ、師匠の言いつけを。
ドクジ草は素手で触れれば被れる。この薬草が最初に発見された時は毒草と言われていたのだが、とある錬金術師がこのドクジ草を使って解毒薬を作ったことにより、薬草と判断された。毒を持って毒を制すとはよく言ったものだ。
それだけに、解毒薬を作るのにはそれなりの知識と調合技術を要求される。今のマルにそれだけの技術はない。されど……
「何事も経験、ですよね」
例え失敗しようともそれが経験となる。失敗を恐れるな。臆病風に吹かれて何も出来ないことを恐れろ。そう話す師匠の言葉を思い出し微笑み、手袋をはめてドクジ草を摘み取ると、イタ草とは別の編みカゴにしまう。
そうして薬草を集めているうちにマルは立ち上がることができるようになり、少年と共にタザム村へと帰ることにする。マルが薬草摘みに夢中になっている間、少年はスライムを2匹退治しており退屈はしていなかったようだ。
「今日はありがとうございました。えっと、あなたがいなかったら死んでました。本当にありがとうございます」
帰り道の道中、何か話そうにも不機嫌なオーラを纏っていて話しかけられず気まずい雰囲気のままだった。タザム村の入り口にたどり着いたのは日が暮れる頃。お礼を言うなら今だと頭を下げた。
「……リック。迷惑かけたと思うなら、危なかっしい真似はするなよ」
そう言うと、リックと名乗った少年はさっさと自分の家へと戻っていった。
マルはその後ろ姿にもう一度頭を下げ、酒場へと足を向ける。酒場の近くにまで来ると、仕事を終えた冒険者がちらほらと店へ入っていくのが見えた。
「こんばんは。マスターいますか?」
「おお、嬢ちゃんじゃねぇか! どうやら無事に帰って来れたようだな、安心したぜ」
呼ばれてカウンターから顔を出しマルの姿を捉えると、ホッとしたように笑顔で出迎える。その笑顔に足が1歩下がってしまったのは秘密だ。
無事に帰れたことの報告と、おにぎりのお礼を言った後アトリエへと戻る。その前に商店街の食材を売っている店を回った。今日の夕飯は自分で作ろうと思い、そして隣に住んでいるおばさんとリックへのお礼も兼ねてだ。
食材を買ったマルは小さなキッチンに食材を置き、摘み取ってきた薬草の仕分けをする。材料の保管は大切なことだからだ。
保管が終われば調理開始。今日はマルお手製のミートパイ。肉をあまり食べない師匠が認める、マルの自慢の料理。
調合と料理は似ているものがあり、師匠のご飯は全て弟子であるマルが作る。不器用なマルだが、3年間作り続けたおかげである程度の料理は作れるようになっていた。その成果の影に、師匠が作る腹痛薬の完成度と効果が上がったことをマルは知らない。
「出来た! これをお皿に乗せて、と」
手頃なサイズの布に包み、暖かいうちにお隣へと向かう。時間は夕食時。夕飯のおかずになれば、とお店の入り口とは違う玄関のドアを叩いた。
「はーい……おやマルちゃんじゃないか。息子から聞いていたけど無事でよかったよぉ。酒場のマスターから聞かされた時は心配で心配で」
息子のリックから無事に村まで送ったとは聞いていたが、見たところ本当に傷1つないようで安堵した。自分のことのように心配してくれていたおばさんに、マルはこそばゆい感覚に陥る。
「あの、今日はありがとうございました。これ、お礼です」
「おやまぁ、気を使わなくてよかったのに。でもありがたく頂くよ」
焼きたてのミートパイを包んだお皿を渡し、もう一度お礼を言ってアトリエへと戻った。
自分用に作った小さめのミートパイを食べ終え、早速今朝の調合の続きを開始する。依頼の期限がないとはいえ、折角依頼をしてもらったのだ。時間が勿体ないと、傷薬を作る準備をした。
調合台の上に失敗した経緯を書いたノートを開き、イタ草を細かく刻み過ぎないよう切り、すり鉢であまり擦らないようにし、砂時計で煮詰める時間を何度も試し続け、そして出来上がった物は……
◆傷薬【並み】
ランクG
イタ草を適度に刻まれ、いい具合に煮詰められた傷薬。不純物がなく、効力は擦り傷程度ならばすぐに治る。
「やっ……た。初めて、初めてランクが付いたぁあ! 傷薬かんせーい!」
【並み】の完成度でランクはG。錬金術師の卵なら誰もが作れる物で、ここまで大喜びするものではないが、マルにとっては初めてのランク付きの品が出来たのである。喜ぶべきだろう。
出来上がった傷薬を手のひらサイズの丸い瓶に入れ、これでカイトの依頼である傷薬は完了である。
しかし瓶もタダではない。師匠から多少の金額のお金は貰ったものの、働かずにいたらすぐに底を尽きてしまう。傷薬が作れるようになった今、これを収入源にできないかと頭を悩ませる。生活していく上で、お金は大事なものなのだ。
「あ、いけない。完成した調合の行程を錬金術の本に書かなきゃ」
失敗の経緯を書いたものとは別の、分厚い獣の毛で表紙を作り、細かな細工をされた錬金術の本。これはマルが一生をかけて埋めていく白紙の本だ。失敗したものではなく、完成品になった物だけを書くことになっている。
白紙だったページがマルの手で埋められていく。この本は、錬金術師としての誇りと努力の結晶。錬金術師の命といってもいいだろう。
「……私の、私だけの錬金術の本」
最初のページを書き終え、調合器具の後始末をした後、錬金術の本を抱きしめマルは眠る。
明日にはカイトに傷薬を届け、初めての依頼を熟すのだ。その前に病院に行き傷薬の価格を調べ、マルが作った傷薬は売れるのか聞かなければならない。そしてドグジ草を調合し、無事解毒薬は作れるか試すなど、まだまだやることは山積みなのだ。
屋根裏部屋の窓から見える、淡い紫に輝く月の光がマルを見守るように照らしていた。