傷薬の調合とモンスターとの遭遇
翌朝、眠りから覚めたマルはいつもと違う天井を見て飛び起きる。屋根裏部屋を見回し、自分が師匠の下を離れタザム村に来たのを思い出した。
「そっか、私……1人なんだ」
いつもなら朝起きれば水汲みに行き、師匠の朝食を作らなければならない。錬金術を教えてもらう代わりに、師匠の身の回りの世話をしなければならなかったからだ。今日からそれもする必要はない。それはそれで楽なのだが、1人で生活というものに寂しさを感じるのは当然で。
「ダメダメ、一人前の錬金術師になる為にがんばらなきゃ」
寂しさを振りきるように首を左右に振り、朝食を作ろうと着替えを済ませ、朝から調合する為に忘れず初級錬金術師の本を持って下に下りる。
日保ちする芋を蒸かしている間に、パンを切り分ける。これは昨日、酒場マスターが帰り際にくれた物だ。
食べ終えた後、さっそく本を見ながら傷薬を調合する準備を始める。基本的な調合器具は揃っているので、レシピ通り作れば作れるはず。ただし問題は分量が大雑把に書かれていること。これは自分で丁度いい分量を見つけれと言っているのだ。
課題の中に、初級錬金術師の本10頁解読と、Eランクのアイテムを錬成というのがある。傷薬【並み】は本の8頁目に書かれており、錬金術のレベルが低いせいなのか、うっすらとしか見えない。この頁をはっきりと解読するには少なくとも錬金術師のレベルが4は必要となる。
マルの今のレベルは3。経験が少なすぎる。師匠の下で学んだのは知識だけで、経験はまだまだなのだ。本来ある程度の実力を付けてから送り出すものなのだが、マルの師匠は実践主義。ゆっくり教えて貰うのではなく、実践で自分から学んでいくのが師匠のやり方だった。
3年も修行する時間があったのに、もう少しなんとかならなかったのかと疑問を持つ者もいるだろう。しかしそれには事情があるのだ。それはマルの生い立ちに関わるもので、今は伏せておこう。
兎に角レベルを上げるのには調合あるのみ。失敗を繰り返して経験を積むしかないのだ。
「傷薬【並み】を作るには、『水』『薬草』だけ。使う薬草は、傷の治りを早める『ミクレノ草』か『イタ草』の2種類だったよね」
効果が高いのはミクレノ草の方がなのだが、高価な薬草の為、一般的に出回っている傷薬の殆んどはイタ草が使われている。
手元にあるイタ草は全部で5束。早速調合に取り掛かろうと、ビーカーに水を入れる。調合をする時にしなければならい事は4つ。
先ずは換気。
窓を開けて換気を良くしておく。粉の調合をする時は、風で飛ばされないよう注意しなければならない。
2つめは記録をするノート。
何をしたか、何をどれぐらい入れたかなど事細かく記録していかなければならない。失敗した時に何を変えるべきか、何がダメだったのかがわかるからだ。
3つめは自己防衛。
自分の身は自分で守るべし。これは調合や錬成をするうえで絶対にやらなければならないことだ。失敗して悪臭を嗅いで倒れてしまうことはよくあるので、マスクは必ず着用。素手で調合をするなんてもっての他。手袋をはめ準備万端。
最後の4つめは、師匠から貰った鑑定眼鏡。
これがなければ作った薬がどんな出来映えかわからない。ただしかけ続けている間はずっと微量だが魔力を消費するため、長時間は使えない。
鑑定スキルを持っている者なら必要ないのだが、スキルは神様からの贈り物と称される程の貴重なもの。誰でも持っているものではない。
持てないのなら作ればいい。そう言って師匠はマルの為に鑑定眼鏡を作ったのだった。錬金術師がこの鑑定出来る眼鏡を作ったせいで、鑑定スキルを持った者達があまり誉め称えられる事がなくなり、錬金術師を恨んでいるのはまた別の話だ。
先ずはイタ草を刻み、すり鉢で擦った後鍋で煮詰める。焦げないよう時折水を加えながらしゃもじで混ぜ、煮詰まったら水で冷やす。冷えたら水を適量加え完成。
「できたーー!」
なんとも簡単に出来てしまったが、出来映えはどうなのだろうか。鍋の中にある傷薬を鑑定眼鏡で見れば、
◆傷薬【粗悪品】
ランク外
荒く刻まれ煮詰め具合も中途半端で、水の中の不純物が混ざり粗悪品となった。これを傷口に塗ると激しい痛みを伴い、治りが遅くなる。
どう見ても失敗である。
「失敗だーー!」
ガックリと肩を落とし、この傷薬を作った工程をノートに書く。失敗は成功の元だと誰かが言った。同じ失敗をしなければいいのだ。そう自分を励まし、調合器具を洗い再びイタ草を手に取った。
「荒く刻んだのがダメだったんなら、みじん切りにすればいいのなか? 煮詰め具合もあまり良くなかった見たいだし、もう少し煮詰めてみよう」
みじん切りにしたイタ草をすり鉢で擦り、再び鍋の中へ。煮詰めている間に、水の中にある不純物を取り除こうと、ろ過をすることにした。
何度か繰り返すうちに、水の透明度が増しこれなら大丈夫だろうと思った矢先、
「焦げてるー!」
ろ過に夢中になっている間に、鍋の中で煮詰めていたイタ草は焦げていた。この時点で失敗である。
「うぅぅ……もう1回!」
水のろ過はし終わったので、今度こそは成功させようとイタ草をみじん切りにする。すり鉢で擦った後は鍋に入れ、ゆっくりかき混ぜながら煮詰めていく。
砂時計を見ながら最初より長めに煮詰め、水で冷やして適量の水を加える。みじん切りにし十分に煮詰めたせいか、最初の傷薬より粘り気が出てきた。
傷薬っぽいと頬を緩めるが、作っているのは傷薬なのでぽい物ではダメなことを気付いて欲しい。
「かんせーい! どれどれ〜今度こそ成功してますように!」
祈りを込めて鑑定眼鏡をかける。
◆傷薬【粗悪品】
ランク外
細かく刻まれすぎて、薬草としての効力を低下させたイタ草を、少し煮詰め過ぎた傷薬。不純物はない。
これを傷口に塗ると小さな痛みが持続し、治りが遅くなる。
どう見ても失敗である。
「また粗悪ひーーん! でも、水の不純物は取り除けたから一歩前進だよね? うん、まだまだこれからだよ」
どんなに失敗をしても、挫けないのがマルのいい所。錬金術とは失敗の繰り返し。何度も失敗しては試行錯誤して完成させるのだ。錬金術師とは忍耐である。と、何処かの錬金術師が言っていたらしい。
再びイタ草を手に取りマルの調合は続く。そしてついに……
「イタ草がなくなっちゃった」
残り2束あったイタ草も失敗してしまい、もう材料がなくなってしまった。薬草を取り扱っているであろう、病院へ買いに行かなければならない。そこでふと思い出す。酒場のマスターが言っていたことを。
『欲しい素材があれば教えてやる』
確かにそう言っていたのだ。イタ草は国中に生えている薬草。きっとこのタザム村の周辺にも生えているに違いない。しかもその情報をタダで教えてくれるのだ。活用しない手はないだろう。
師匠から多少金銭を受け取っているが、依頼を達成しなければ金は貰えない。調合に自信がない今、出来る限り出費は抑えたいと思うのが普通で。
時刻は昼時。昼間は食堂として開いていると聞いていたマルは、急いでお風呂に入ってアトリエを出た。
商店街は昨日より人は少なく、あまり活気はない。のんびりとした雰囲気の商店街を歩き進み、昨日は荒くれた声が聞こえた食堂は静かで、代わりに隣の冒険者ギルドが騒がしい。
冒険者が出入りしているだけではなく、依頼をしに来るお客もいるようだ。
「こんにちはー。マスターいますか?」
「おう、昨日の嬢ちゃんじゃねぇか。昼飯食いに来たのか?」
「教えて欲しいことがあってきました」
夜の仕込みをしていたマスターに、マルはイタ草が採取出来る場所はないかと聞く。
「イタ草か。その草なら彼奴もよく1人で取りに行ってたな。村の東の入り口から真っ直ぐ道沿いを歩け。分かれ道に看板があるから、ヒナサギ草原の方へ向かえ。あそこならイタ草が生えている」
名前を忘れないようメモをし、早速行ってみようと駆け出すマルを慌ててマスターが止める。
「バカやろう! 準備もなしに行くな! ヒナサギ草原は村から近いがモンスターが出ないわけじゃない。あそこはスライムの縄張りだからな」
スライム。
モンスターにもランクが存在する。最強のモンスターはSランクに分類され、最弱なのはFランクとされていて、このモンスターのランクによって冒険者が討伐出来るか計るのだ。
スライムはランクF。初心者の冒険者でも簡単に倒せてしまうが、戦闘経験も知識もないマルが戦うのは無謀だ。
「師匠からモンスター避けの笛を貰っていたので、取りに行ってきます」
「あとは採取用の大きな鞄かリュック必要だろ」
普段使っている肩かけ鞄では、素材で重くなった時に歩きづらくなるもの。確か持ってきていた荷物の中に、大きめなリュックがあったはずと思い出し、採取する時間が少なくなるのが嫌で全力疾走でアトリエへと戻った。
屋根裏部屋のクローゼットに掛けられた、素材がたくさん入りそうなリュック。イタ草を採取した際、傷まないようイタ草を纏める紐と正方形の編みかごをリュックに入れ、首に師匠から貰ったモンスター避けの笛をぶら下げる。
「あとは、喉が渇いた時の為の水筒と、汗拭きタオルぐらいは持っていこう」
あまり荷物が多くならないよう、必要最低限の物だけを持っていく。そして東の入り口に付近にたどり着くと、マスターが風呂敷に包んだ小包を持って立っていた。
「これは俺からの餞別だ。歩きながらでも食べられる握り飯が入ってる。初めての採取なんだろ? 本当なら冒険者を雇えと言いたい所だが、ヒナサギ草原に護衛なんて聞いたことねぇからな。気を付けて行け」
至れり尽くせりとは正にこの事。顔に似合わず世話好きで、以前此処にいた錬金術師の卵にも同じように接していたに違いない。
こうして、マスターに見送られ、マルのたった1人での採取が始まったのだった。
タザム村に来た時に馬車で通った道沿い。田畑が続き、遠くにいくつもの山が見えるのどかな風景。4月ともあって、暖かな風が心地いい。
暫く歩き続ける事約30分。マスターが言っていた看板を見つける。【ヒナサギ草原はこちら】と書かれた矢印に従い進むこともう30分。やっと目的地の場所にたどり着いた。
青々とした草原。風になびかれ揺れ動く草むらの中に入り、イタ草を探し始める。
「あった! あ、こっちにも! これだけあれば失敗しても大丈夫だよね」
雑草に紛れながらイタ草を見つけ出し、夢中になって摘み取っていく。
それがいけなかったのだ。
ウキウキと編みかごにイタ草を入れるマルの背後に忍び寄る影。草むらの中からぽよん、ぽよんと可愛らしい音をさせた何かがすぐ傍までやって来た所で、漸く気付く。
「え……ぇえええっ!? なんでスライムが!?」
薄黄緑色をした幅1メートル、高さ50センチ程のスライム。初めて見る生きたモンスターに、血の気が引いていくように青ざめる。
モンスター避けの笛を持っていたマルに、なぜスライムが寄ってきたのか。その答えは簡単。
「あっ……、笛を吹くの忘れてた」
どんな万能な道具も使わなければ意味はない。モンスター避けの笛を吹かなければ、その威力は発揮されないのだ。
「や、やだっ、来ないでっ!」
いくらランクFの弱いモンスターだとしても、何の武器も持たない丸腰では命を落としかねない。恐怖で小刻みに震えるマルに、スライムが襲い掛かった。