カブリネ洞窟 1
薄暗い洞窟の壁には、所々に星光石と呼ばれる光る石が埋め込まれている。これにより暗闇の中でも足下や前方を照らし、松明がなくとも洞窟内を歩けることが出来るのだ。
ジャッカルの背に隠れるように、恐る恐る足を進めるマル。ヒナサギ草原のような明るい空の下の見晴らしの良い場所ではなく、薄暗くジメジメとした洞窟。不気味な風の音に体をビクつかせるのも無理はないだろう。幸いなのは、この洞窟の中は天井が高くや横幅が広い為、息苦しさは感じられないことだ。
「この洞窟にはどんなモンスターがいるんですか?」
「浅い所だとビットと呼ばれる蝙蝠のモンスターと、リグズリーというネズミのモンスターだな。どちらもレベルは5〜8程度で出てきたとしても問題はない……ところでさっきから何をしている?」
説明を聞きながら、小さな虫眼鏡で辺りを見て回るマルを怪訝な目で見つめる。上を見たり下を見たり、左右を見たりと慌ただしい。眉を潜めるのも無理はない。
「この虫眼鏡は鑑定能力が付いていて、これで銅とか他の素材を探そうと思って」
鑑定眼鏡のミニバージョン。便利だが片手が塞がるデメリットがある。本当なら鑑定眼鏡を持って行きたいところなのだが、鑑定眼鏡は値が張る物で壊れたりでもしたら調合が出来なくなってしまうのだ。
鑑定虫眼鏡ならまだストックがあり、首から下げていれば落とすことはない。折角足を伸ばしカブリネ洞窟まで来たのだ。ヒナサギ草原に採取しに行った時、偶然ドクジ草が見つかったように、銅だけではなく、なにか別の素材が手にはいるのではと考え持って来ていた。
あちらこちらと目を輝かせるマルを、ジャッカルは興味深げに見ていた。彼は護衛の仕事はしたことがあったが、マルのように採取や採掘の護衛をしたことがない。精々街までの護衛ぐらいだ。錬金術に興味はないが、どんな物が見つかるのか興味はある。
「あっ、あれ! あれ銅です!」
虫眼鏡に映った【銅】という文字。モンスターが出てくる気配もなく、歩き続けているうちに段々と恐怖心が薄れてしまったのだろう。ジャッカルを追い越し、洞窟の壁にひっそりとあった銅へと駆け出そうとした時、
「待て!」
「ぐえっ」
ジャッカルによって後ろ襟を思いっきり引っ張られ、蛙が潰れたような声が。苦しげに咳き込み、なにが起きたのか前を見れば背筋が凍った。
マルを庇うように盾となり、己の武器を構えるジャッカル。その目には2匹のネズミがいた。
一般的なサイズではない。マルの腰辺りまであり、まるまると太った巨大なネズミだ。どこがネズミだと叫びたくなるが、似ているとすれば丸い耳と2本の出っ歯だろうか。ふてぶてしさが滲み出ているような細い目付きが、なんとも癪に触るものだ。
「モンスター……。これは、リグズリー?」
「そうだ。そこから動くなよ。あいつらは弱い奴から襲うからな」
それを聞いた途端、岩のように固まり縮こまる。
リグズリーの口から唾液を垂らし、ジャッカルに突進四足でしてきた。真っ先に狙われるであろうマルの前にリュックを投げ、すかさず剣を振り払う。
「はぁっ!」
体型のせいか速さはなく、走る度に鈍い音と揺れる足下。難なくリグズリーの突進を交わし、振り払った剣の刃がリグズリーを襲う。
真っ二つ、とまではいかないが深傷を負わし、流れる動作でもう一匹のリグズリーの目を切りつける。耳障りな叫び声を上げ、痛みでのたうち回るリグズリーに止めを刺した。深傷を負ったもう一匹は逃走しようとするが、ジャッカルはそれを許さず逃げるリグズリーの背に剣を突き刺す。
絶命した二匹のモンスター。慣れた手付きで剣に付いた血を拭い鞘に戻す。早すぎる展開にマルは立つことは愚か、声すらも出なかった。
それも無理はない。最初の戦闘で出会したスライムは、血を流すこともなくリックはこん棒で戦っていた。血生臭い戦いはこれが初めてなのだ。
「……い、……おい、卵!」
「っ、はい!」
呼び掛けに遅れて返事をすれば、呆れたような顔をされる。
「この先もモンスターは必ず出る。毎回放心されては困るぞ」
「すいません」
「……必要ならこれを取っておけ。俺には必要ないからな」
しょんぼりと肩を落とすマルの前に差し出されたのは、とある素材。食い入るようにそれを見つめ手を伸ばし、鑑定虫眼鏡で確認。
■獣魔の毛皮【低品質】
ランクF
リグズリーから取れた毛皮。触り心地も通気性も悪く臭い。
1メートルサイズの獣魔の毛皮。低品質でランクも低いが、確かにこれは錬金術に使える素材だ。まだ何に使えるかもわからない。それでもレベルが上がり、錬成出来るようになった今、何かに使えるようになるのではないかと考えた。
獣魔の毛皮とジャッカルを何度も見て、本当に貰ってもいいのかと訪ねる。これはジャッカルがリグズリーを倒して得たもの。無償で貰うのは気が引けるのだ。
「言っただろ、俺には必要ないと。それに今は仕事中なんでな」
護衛中は護衛に徹する。素材が欲しければ空いている時間に取りに行くか、討伐や採取など個人で行う依頼の最中に取るらしい。
欲を出すこともなく、男気あふれるジャッカルに尊敬の眼差しを向ける。
「ありがとうございます!」
「もう1体も直に素材に変わる。それが終わったら銅を取りに行くといい」
ジャッカルの背後に倒れているリグズリーが、みるみる光の粒子へと変わる。粒子は洞窟内の魔素と交わり消え、その場に残ったのは獣魔の毛皮だけ。
「本で読んで知っていたけど、初めて見ます。これが魔素還りなんですね」
魔素還り。
モンスターが住み着く場所には魔素で満ちあふれている。魔素とは魔力が籠った空気。モンスターが命を落とすと肉体は魔素へと変わり、その場にはモンスターの一部だけが残る。そしてその魔素はまた新たなモンスターを生み出すのだ。
これが魔素還り。それは物質にも当てはまり、魔素が多く含む場合で採取や採掘をすれば、通常より早いスピードで同じ物が現れる。当然その場合魔素は薄まるのだが、時間が経てば自ずと魔素は増えるという仕組みなのだ。
マルは獣魔の毛皮を丸めると、次に銅があった場所に向かう。ジャッカルが周囲を警戒している間、つるはしで銅の周囲を叩けば簡単に銅は採れてしまった。
■銅【並み】
ランクF
洞窟や鉱山で採れる鉱石。加工しやすく食器や装飾品、武器などに使われる。
「やった! 銅ゲットです!」
「ああ。さあ時間が惜しい。進むぞ」
「はい!」
初めて採掘出来た喜びにテンションは上がり、手のひらサイズの銅を眺めては頬を緩ます。奥に行けば行くほど上質の鉱石が手に入ると聞き、歩いては銅を見つけて採掘するの繰り返し。リグズリーやビットとの戦闘は避けられないが、そこはチェルシー折り紙付きの実力を持つジャッカル。それほど苦戦することなく進むことが出来た。
「ビットからは牙が取れるんですね」
「稀に翼が手に入る。ん、彼処が今日の根城だ」
ジャッカルが指差した場所は、簡易テントが張ってある所。冒険者ギルドがこの洞窟で探索する冒険者の為に、予め用意していたテント。時折新しい物へと代えてくれる為、それほど傷んではいない。
銅などの素材が入ったリュックをテントの中に置き、焚き火を灯す。今日は此処で一夜を明かし、翌日にもう少し奥へ行ってから引き返す予定だ。
焚き火を囲み一息つく2人。どちらもお喋りではないため、自然と沈黙が続く。ジャッカルは慣れているのでなんとも思わないが、マルの場合は違う。なにか話さなければと焦りモゴモゴと口を動かすも、良い話題は浮かばず項垂れる始末。
自分の対話能力の低さに落ち込むマルを気にしてではないが、ジャッカルはふと頭を過った疑問をぶつける。
「なぜ錬金術師になりたいと思った? 錬金術は偉大だが、本来はなろうと思ってもなれるものではないだろう。金のある貴族や富豪のような家の出ならわからなくもないが、卵からはそんな感じはしないからな」
「ははは……」
ジャッカルの質問を苦笑いで返し、燃える焚き火をジッと見つめる。当時の自分を、そして初めて師匠に出会った時のことを。
まるで昨日のことのように聡明に思い出せる、マルの宝物のような記憶。あの時師匠に出会っていなければ今のマルはいない。それどころか生きていたかも定かではない。
「聞かれたくなかったか?」
「いえ。……初めて師匠と出会った時、偶然見たんです。師匠が錬金術を行っている所を。魔法のように不思議でキラキラしてて、一目で惹かれました。だから師匠が私に錬金術を知りたいかと聞いてくれた時、すぐに飛び付いたんです。私も師匠のような錬金術師になりたいって思って」
「そうか」
口元を綻ばせながら嬉しそうに語るマルに目を細める。自分も似たような気持ちを知っているからだ。
「ジャッカルさんはどうして冒険者に?」
「実力があればのしあがれるからだ。それに、個人で出来るからな」
今は駆け出しの冒険者のため、ベテラン冒険者のパーティーに入り色々教わっている最中だ。いずれはパーティーを抜けソロか、気のあうカイルと共にパーティーを作る予定らしい。
モンスターと戦うのは怖いが、仲間を作れるのは羨ましいと思うマル。錬金術師は孤独だ。師の下で学ぶが、その後は独りで錬金術を研究していく。ジャッカルのように、誰かとパーティーを組むことはない。今のマルは剣を振るうことも魔法も使えないのだから。
「そろそろテントに入って寝ろ。明日の昼過ぎにはカブリネ洞窟を後にする予定だ。朝は早いぞ」
「はい。おやすみなさいジャッカルさん」
誰かにおやすみと言ったのは何日振りだろうか。タザム村に来てからずっと独りの夜を過ごしていたマルは、傍に誰かがいてくれる安心感の中、薄い毛布にくるまって眠りについた。
「このまま何事もなく帰れればいいがな」
火の番をしながら、周囲に気を配り思い更ける。予想通りのモンスターの出現率。そして意外にも従順に着いてくるマル。当初は恐怖で泣きわめき、すぐに帰ろうと言い出すのではないかと思っていた。
しかし1度目の戦闘から、周囲を警戒しつつ素材を見つけては目を煌めかせ、モンスターが出現すれば直ぐ様リュックの後ろに隠れる。ここでお節介をかき、余計な手を出されては困るのはジャッカルなのだ。
後ろに隠れているからこそ、モンスターは前衛で戦うジャッカルに牙を剥く。されどマルが手を出せば、ビットのような空中を飛ぶモンスターは真っ先にマルから襲い掛かるだろう。そうなっては戦い辛いのが明白だ。
浅い場所とはいっても此処はモンスターがはびこる洞窟。明日はもう少し奥に行くのだから気を抜く訳にはいかないと、ソッと目を閉じる。
ビットやリグズリーならば自分の手を焼く程ではない。されど万が一にでも、中間モンスターが出てくれば怪我は免れないだろう。その時の為に、瞑想の中で戦闘のイメージを叩き込む。これが杞憂であればいいと願いながら。
しかし残念ながら、ジャッカルの心配は的中することとなる。