湧き上がる殺意
だが、その後に佐藤は怒りを露わにした。それは、不倫をしていた恵子に対してではなく、自分の為に、いや、ひいては家族や工場の事を想って意見してくれた藤堂を、こんな形で蔑ろにした事に対して、佐藤は憤っていたのである。
佐藤は、藤堂に対して言った。
「ありがとう」
そう言った佐藤は、泉と恵子の居る家の中に入って行ったのである。その時、藤堂はそれが大惨事になるなど思っても見なかった。
そして、あの事件が起きてしまったのである。
数時間後、家から出て来た佐藤。その顔には笑顔が毀れていた。そして、仕事を終えた藤堂の所に来ると、
「やっと、恵子の方も解ってくれたようだ。泉も、もうこの家には来ないと言っていたよ。これも全て君のお蔭だ。ありがとう」
そう言ったのである。その言葉を聞いた藤堂は、
「本当ですか。それは良かった。僕にできる事は、何でも言って下さい」
そう言って微笑むと、家に帰って行った。
しかし、その時は既に二人は死んでいたのである。
そして数日後に、家に火を付けて燃やした佐藤だったのである。
あの時、家の中では、一体どの様な遣り取りがあったのか。
あの時、家の中に入って行った佐藤の目の前に恵子が現れた。
寝室のベッドの上には、泉が眠っていた。恵子は、喉が渇いたのか、冷蔵庫の中にあったビールを一口飲みに行っていたのである。
そんな時に佐藤が帰って来たのだ。何も知らないと思っていた恵子は、寝室に佐藤を行かせまいとしていた。
「あ、あら、お帰り。休憩なの?」
そう言った恵子は、いきなりの佐藤の帰宅に慌てていた。そして次に言ったのは、
「後で工場にコーヒーでも持って行くから、従業員の人達にも休憩する様に言ってきてよ」
笑顔でそう言ったが、そんな恵子をじっと見ていた佐藤は、
「そこで…… 藤堂と会ったよ」
そう言った。それで、全てを理解した恵子だった。そして次に言った言葉は、
「あなたの仕事って、家庭よりも大事なわけっ! いい加減にしてよね」
そう言って、佐藤に喰ってかかったのである。しかし、佐藤は何もしなかった。それどころか、
「そろそろ、二人で頑張っていかないか。お前が工場の経営が嫌だって言うのなら、俺は辞めても構わないと思っている」
冷静な態度でそう言った。しかし、
「何よ、今更。私は、この生活が楽しいのよ。満足しているの。
あなたが、この家を裕福にすればね」
そう言って、佐藤の方を見て嘲笑っていた。そして、
「そろそろ工場に戻らないと、あなたの大事な従業員様達が寂しがっているんじゃないの」
そう言ったのである。
それを聞いた佐藤は、自分のことを言われても腹が立たなかったが、自分の事を考えてくれていた従業員の悪口を言われた事に、強烈な怒りが込み上げてきたのである。
振り返って寝室に向かう恵子の方を睨みつけていた佐藤だったが、その足は台所の方に向かっていた。そして、佐藤が力強く手に握り締めていたのは、長い包丁だったのだ。思い詰めた佐藤は、無意識に忍び足で寝室に向かった時、目の前で裸同然の恵子が泉に抱かれていたのを見てしまったのである。
その後、そのままベッドに傾れ込んだ佐藤だったのだ。
気が付いた時には、とにかく包丁を振り下ろす佐藤の姿があった。
何度となく振り下ろされた包丁の下には、血だらけで既に息絶えた恵子と泉が横たわっていた。布団を被せての殺傷の為に、外には全くと言っていい程声が聞こえなかったのだ。
その後、我に返った佐藤は、浴室に向かった。着ていた作業着も二人の鮮血を諸に被っていたのである。こんな姿では、工場に戻る事が出来ないと思った佐藤は、素早くシャワーを浴びて返り血を洗い落とすと、着替えを済ませて工場に向かったのである。