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切り取られた匂い  作者: 本郷透
7/13

明かされ行く過去

 平日だからか、図書館に居る人は少なかった。図書館では音が全て紙に吸い込まれてしまうみたいだった。

 わたしが訪れたのは街で一番大きな図書館だった。蔵書の数は五万を越える、とても広い場所だった。

 到底読み切れそうも無い膨大な書庫から本棚に記された文字を手掛かりに目当ての本を探す。

 医学、化学、生物学、心理学の棚をじっくりと見て回って、必要な本を集めた。しかし読んでみると役に立ちそうな事はあまり書いていない。諦めて一冊ずつ元あった場所に返し、新たに本を探す。

 その時ふと、目に留まったものがあった。──とある雑誌だった。何処にでもあるような、普通の雑誌。多分料理のレシピか何かがかいてあるんじゃないかな。

 何気なく手に取って開いてみる。そこにはフレーバーの特集があった。料理に必要な香りについて、それなりに詳しく載っていた。

 立ち読みでさっと中身に目を通してもう少し何か無いかと周りを見回す。すると雑貨についての雑誌が目に留まった。表紙の写真はアロマキャンドルだった。そういえばナツメがお母さんにアロマで催眠術をかけたとか言ってた気がする。

 わたしはその雑誌も手に取って読みふけった。


 匂いを嗅ぐ事は人を含む動物の主本能の一つです。動物は匂いを、食物の腐敗や敵の存在を察知する護身として、また交尾期にメスが匂いを発散するという生殖活動(種族保存)の一環として身に着けてきました。

 混雑した場所で気分が悪くなったりする事がありますが、それは無意識に周りの人を排除しようとする本能が働いたことにより発散された体臭が原因である事が原因であると大学期間の実験結果によって明らかにされています。


 ────。


 ──自然界における良い匂いの多くは身体に良い物質であった事が解ります──。


 ──────。


 ──人を不快にさせたり食欲を減退させるといった効果を持つ匂いもあります。多くの場合は危険を知らせる信号として機能しています。こういった嫌な匂いの効果を利用してガス集の無いガス等はガス漏れを早期発見する為に匂いを付ける事が義務付けられています──。


 ────。


 息を止めると匂いを感じなくなりますが、においの分子は間違いなく嗅覚受容器官に到達します。域を止めると匂いの感覚は働きません。しかしその理由は解明されていません。

 人間は何か匂いを感じるとその匂いを確かめようとします。そしてそれが人体に害を及ぼす匂いであると判断すると息を止めて悪臭による影響を受けないようにします。しかし安全で快い匂いに接すると無意識のうちに体内にたっぷりとその空気を取り込もうとします──。


 ──。

 ────。

 ──────。


 味は単独ではなく香りと一体になって知覚され、この感覚を食品学でフレーバーという。一般に美味しさには味と香りが大きく関連している。


 全て閲覧して得られた情報がこれくらいだった。何の手掛かりにもなりそうにはないけれど、人間が香りを感じるメカニズムくらいは知れたような気がする。わたしが今朝、パンの味がしないと思った理由も何となくだけど解った気がする。

 匂いは結構大事な役割を果たす事が解った。けれどそれとわたしの能力に何の関係があるというのだろう。解らない。関連性が何処にあるというのだろう。

 もう一度読み返してみても強香だの、補香だの、マスキングだのと専門用語が並び、理系でもないわたしは初めて目にする言葉に少なからず戸惑っていた。

 ──帰ろう。

 無意識にそう思って知識を頭の片隅に留めつつ、雑誌を元あった棚へと戻した。

 ──美影さんに教えて貰った方が早いかも知れない。

 そんなずるい考えが出てくるけど、今はずるいとかそんな事言ってられない。時間が無いなら仕方ないのだと言い聞かせる。

 図書館を出ると自然と足は桃李神社へと向いた。

 何も無いボロボロの県道を歩くこと三十分。目的地へと続く石段が見えた。あと少しなんだがこの石段が無駄に長く、わたしのやる気を削ぐ。しかし動かなければ始まらないから何とか一歩目を踏み出す。その後はスイスイと足は動いて、あっと言う間に一番上に着いてしまった。


「美影さん、居る?」

「──どうしました? ツバサさん。何か知りたい事でもあるんですか?」

「うん。わたしの能力について、知っている事を教えて欲しいの」

「ツバサさんの方がよく知っているのではないですか? ツバサさんの感覚でしょう?」

「そうだけど、わたしには解らないことも多いの。あなたは絶対何か知っている。それで必ず何かをわたしに──わたし達に隠している」

「──そう思う根拠は──あるんですか」

「何も無いよ。強いて言うなら、直感。人間の直感って、案外バカに出来ないんだよ」

「────解りました。私が知っている事をお話しましょう。でもその前に、貴女のお父様のお話を聞かせていただけますか? 私の話には確信が持てない話も少しだけですがあります。その話の根拠になるかもしれません。お願いします。教えてください」

「解った──」


 わたしの父は、わたしが幼い頃に他界した。雪が降る、真冬に、わたしの所為で死んだ。

「お父さん、わたし、雪遊びがしたい!!」

 この地域ではあまり雪が降らないから、わたしは雪が珍しくて仕方なかった。雪遊びに憧れるのも無理はなかった。

 父の実家は北の、豪雪地帯とも言われる程雪が降る場所だった。しかしその雪の多さの所為か、広いはずの庭は埋もれ、遊べる場所なんて無い。道幅も狭くなっていて、道路に出てしまうととても危険だった。

 それでもどうしても遊びたいと思ったし、子供の頃の自分の自制心なんてたかが知れてる。

 わたしは父に懇願して、近くの神社に連れて行って貰うことにした。あそこはとても広くて雪かきもされている。適度に積もった雪で遊ぶには丁度良い場所だった。

 神主も居ないその神社に父と祖父と、そして叔父達と共に行った。わたしには歳の近い従兄弟なんて居ないから、大人に遊んでもらうしかなかった。

 到着してしばらくの間は無邪気に雪と戯れていた。しかしそのうち、境内に何かが居ることに気付いた。

「お父さん、あれ何?」

「見てはいけないよ。アレは怖いものなんだ。近づいてはいけないよ」

 そう言われても、理解できなかった。「それ」は丁度人間のような形をしていて、母と同じ位の背丈だった。真っ黒で確かに人とは違っていたけれども、座って何かを考え込むように動かない。そんなものが危ないだなんて、子供がそこまで思考が働くわけが無い。

 わたしは父の言いつけを破って、「それ」に話し掛けた。

「ねえ、何しているの? 一人ぼっちなの? お友達は?」

 ──今思えば人に対してもエグイ事を言ったような気もする。

「それ」は答えなかった。動かずにじっと俯いていた。

「ねえ、お話しする時は人の目を見ないとダメなんだよっ」

 わたしは大人に言われた事に従わない「それ」に注意をした。無垢な子供らしく、大人の言いつけは絶対という様に、言った。

 それでも、「それ」は動かなかった。ムッとしたわたしは少し大きな声で言った。

「お話しする時はちゃんとお顔見ないといけないんだよっ! 言いつけ破るのは悪い子なんだよっ!」

 この時のわたしも既に父の言いつけを破っているわけだが、子供は自分に都合の良いことしか言わない事だってある。この時のわたしはまさにそうだった。

 肩を揺すると影はいきなりぐわっ、とこちらを見た。

 一瞬ではあったけれど、その時は時間が止まっていたような気がした。二つの赤い目がわたしを真っ直ぐに見ていたのだ。生気のないその目が怖くて、吸い込まれてしまいそうで怖くて、目に涙をいっぱいに溜めてその場で動けなくなってしまった。体験したことのない金縛りにでもあったかのように、全く動けなかった。

 どれくらいお互いの目を見ていたことだろう。あの真っ赤な目は今でも覚えている。いいや、忘れることなんて出来ない。あの時の光景は一枚の写真の様にはっきりと鮮明に今でもすぐに思い出すことが出来る。

 長い時間その目と目を合わせていたけれど、ある瞬間にそれは終わった。父がわたしを突き飛ばしたのだ。

 その後、雪に倒れこむまでの一瞬の間にわたしの目に映った光景はスローモーションの様にゆっくりと、そして鮮明に脳裏に焼きついたのだった。

「それ」が人の形を崩して、父を飲み込んだのである。

 雪に埋まった直後、今度は反対方向に身体が動いた。

「つぼみ、お祖父ちゃんの言う事、ちゃんと聞けるね?」

「うん」

「お祖父ちゃんのおうちまで急いで走って帰りなさい。この時間だったら車も通らないから、道の真ん中を走ってもいい。とにかく早くおうちに戻りなさい」

「でも、お父さんが……」

「お父さんの事はお祖父ちゃんに任せて。つぼみは何も考えなくて良い。おうちに帰ることだけ考えて、走るんだ。いいね?」

「うん……」

 今にも泣きそうな孫の顔を見た祖父はこの時どんな心情だったのだろうか。


 その後わたしは祖父に言われた通り、家に向かってただただ走った。雪道に慣れていないから途中で何度も転んだし、雪に塗れた。それでもあの赤い目を思い出すと怖くて、転んだ時の痛みを忘れて走った。

 祖父の家に着いて玄関の扉を開けると靴を脱いで居間に居る母に飛びついた。母の姿を見た瞬間に安心して、今までの恐怖や痛みを思い出してしまったのだ。

 この時の母の顔は見なかったけれども、きっと驚いていたに違いない。大人達と一緒に出掛けた筈なのに娘だけが一人痣だらけで走って帰ってきたのだから。

 でも母はこの時は何も言わなかった。

 わたしは疲れてそのまま眠ってしまったらしい。目が覚めた時には祖父も叔父も帰宅していた。けれどもただ一人、父の姿だけが無かった。

「お祖父ちゃん、お父さんどこ?」

 わたしがその質問を口にした途端、その場の空気が凍った。大人達は口を閉ざした。そうしてそのままはぐらかされたままだった。

 けれども後で祖父がこっそりと教えてくれた。

 父はあの黒い影に飲まれて、戻ってこられないのだと。その時はまだ父が死んだなんて思っていなかったから、いつか帰ってくるものだと思った。

 そしてその事は母には内緒だと言われた。祖父とわたしだけの、秘密だと。

 わたしは小学校を卒業するまで――正確には祖父が他界するまで、その真相を知らずに過ごしていた。

 しかし祖父がわたしに宛てた遺書には全ての真相が記されていた。

 そうしてこの力が忌むべき物だと知った。そしてこの力を隠す事にした。けれども運命というのは残酷で、わたしを孤立させた。視る力と眠らせる力の所為なのかは定かではないけれども、わたしに関わる人は血縁者以外全員が不幸になる。

 その事実から派生したくだらない噂話があった。

「雪白つぼみの赤い左目を見た者は呪われる」

 恐らく不幸になるという部分が呪いなのだろう。

 わたしはそのうちに左目を眼帯で隠す様になった。そして青い右目だけで生活する事にした。始めのうちは距離感が掴めなくて何度も怪我をしたし、小さなものを壊した。けれどもそのうち普通に生活出来る様になっていった。


「そうして九十九君に出会った」

 わたしは必要無い事まで話し始めた。


 その後、偶然眼帯の紐が切れて普通は視えない店が見えた。九十九くんとエリーに出会った。世界が回る事を知った。

 無意識の願いの集合体、それがエリクシア・トワイライトという人形だった。願いが意識を持って人の形を象った。それでもわたしはあの子の事が好きだったし、九十九くんとももっと一緒に居たいと思った。でもそれは叶わなかった。

 無意識の願いが暴走を始めた。エリーの意思とは関係なしに、エリーは巻き込まれた。それを止める術はわたしの右目にしかなかった。でもわたしの右目には強くて古い、封印が施されていた。それを解く為に九十九くんは命を差し出した。短い間だけど楽しかったその場所まで失う事になるところだった。その店の主はエリー。主を失った空間は壊れるだけだから、そこを守るためにわたしは主になった。その空間と契約して、そこに縛られることを選んだ。


「でもそれも美影さんに無理矢理引っ張り出された所為で終わってしまった。空間との契約は破棄されて、わたしは追い出された。あの場所はもう帰ってこないんだよ」

 わたしはいつになく言葉に嫌味が籠もっているというのを自覚していた。別にそんな事言うつもりも無かったけれど、無意識のうちにそんなキツイ言い方になってしまった。

「──すみません、ツバサさん。貴女が大切にしていたものを無碍に扱ってしまって、本当に申し訳ないと思っています」

「もういいの。それよりどう? わたしの能力について、解る事を話してくれる?」

「ええ。貴女のお父様のお話で確信が持てました。貴女の能力はその嗅覚です。お話を聞く限りではやはりその目の力は遺伝だと思います。お祖父様もお父様も同じような力がおありだった様なので……。ですからこの世界に来てから宿ったのはその嗅覚というか、匂いを操る力だと思います」

「匂いを──操る?」

「はい。貴女は恐らく、匂いを消すことも、強めることも、変える事も可能であると私は考えています。使い方によってはとても危険な力である事は間違いありません。その力は多分──」


 ──どんな生き物でも殺せます。


「そんな──」

「いいですか、嗅覚というのはどの動物も生き残る為に使用してきた道具なのです。それを使い物にならなくするというのは野生動物の場合、少なくとも敵の匂いを感知出来ないという事なので死に直結します。それに食べ物の腐敗臭を嗅ぎ分けられず謝って食べてしまった場合、その生物は食中毒で死にます。そんな風に動物を殺すのは容易いです。そしてこの人間社会には匂いの付いた毒性の強い気体が多く存在します。それを感知出来ないのではそれらを吸引して死んでしまいます。だからツバサさん、貴女の能力は、使い方を間違えてはいけない種類のものなのです」

「人を──殺せる力なんて──」

「いらないと言ってはいけません。それにまだ続きがあります。貴女の能力は人が感じる匂いを個々に操る事も出来るでしょう。例えば、貴女にしか感知出来ない様な匂いを作り出す事も出来ますし、他の人が感じる匂いを貴女だけ遮断する事も出来ます。勿論、特定の人間にのみ嗅がせる事も出来ます」

「そんなの──使い道が無いよ……」

「そうは言っても宿ってしまったものは仕方無いのです。その力を受け入れて、共存していくしか貴女に残された道はありません」

「そんな──」

 そんな言い方って──あんまりだよ──。

「──じゃあ、もう一つだけ教えて欲しいことがあるの……」

「知っている範囲でお答えします」

「わたしのお父さんを飲み込んだ影の正体って──何?」

「…………」

 美影さんは口を噤んだ。

「知らないなら、いいの。解らないなら、それで──」

「──私です」

「え?」

「その影の正体は、恐らく私です」

「────」

「梓を生き返らせる為に、貴方達には能力に目覚めて貰う必要がありました──。だから、過去に細工をしたんです。目覚めるきっかけになるように、と。酷い事をしたのは解っています。今なら何て愚かな事をしたのだと自分を責めてもいます。当然許される事だとは思っていません。憎むなら憎んでください。それだけの事を私は貴女にしたのですから──」

 ────わたしの中で、何かが壊れた。切れた。崩れた。

「気にしなくていいよ。過去は受け入れて生きていかないといけない。そうでないと前に進めないもの。もういいの。反省してくれているなら、わたしはそれで十分。もう二度とそんな事しないって解ってるから。──ありがとう、美影さん。色々と教えてくれて。頑張って鍵、探してみるよ」

 わたしはそう言って神社を後にした。


 許せない。──許せない許せない許せない許せない許せない──!!

 わたしから家族を奪うなんて──。わたしから二度も大切なものを奪うだなんて──。そんなの許されていい筈が無い。

 わたしの心は恨みや怒り、そして憎しみ等の様々な感情が混ざり合って燃えていた。

 ──復讐する。わたしはアイツに、全てを奪った元凶に、報復しなければ気が済まなかった。

 アイツの望みは何か。そんなの決まっている、この世界から抜け出す事だ。

 それには鍵が十二個必要だ。誰かが欠ければその鍵も見付からない事になる。つまりは誰かを殺してしまえばいい。何、一度殺した位では死刑にはならない。日本では二人以上殺して初めて死刑。大丈夫、上手くやれば無能な警察には見付からない。

 わたしはもう一度図書館に向かった。化学の本を読みながら、必要な知識を蓄積していく。そうして頭の中には一つの計画が出来上がっていった。


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