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切り取られた匂い  作者: 本郷透
6/13

新しい能力

「あ、おかえり。遅かったね」

 玄関の扉を開けると、風呂上りと思われるナツメがパジャマ姿で濡れた髪を拭きながらリビングへ向かっていた。

「ごめん、先に風呂に入らせて貰った。ツバサのお母さん、心配してたよ」

「わかった、ありがとう」

 わたし達は揃ってリビングのドアを開けた。

「ただいま、お母さん」

「つぼみ! こんな遅くまで何処に行ってたの! 連絡位しなさい!」

「ごめんなさい。ちょっと旧市街に行ってたから携帯、圏外だったの」

「何も無い場所に何しに行ってたの?」

 わたしの言葉を嘘だと疑ったお母さんの目付きが険しくなる。

「友達に会ってただけ……。ほら、学校があんなことになっちゃったから、転校するって子も居るじゃない? その子に会ってきたの。今日で──最後だから……」

 わたしは咄嗟に嘘を吐いた。嘘を吐く事に慣れていないわたしは冷や汗が伝う感覚を体験したけれど、お母さんは上手く騙されてくれたみたいだ。それ以上は言及してこない。

「ご飯まだでしょ? 早く食べてしまいなさい」

 お母さんが指差した先には冷めてはいるが夕飯用に用意されたものだった。温め直して食べろということだろう。わたしはご飯とお味噌汁だけを温めて食べ始めた。

「じゃああたし、お風呂先に入ってくるから」

 お母さんはそういってお風呂に入りに行ってしまった。部屋に遺されたわたしとナツメの間には長い沈黙が訪れた。秒針が時を進める音と、わたしが食事をする音だけが部屋に響く。ナツメは一体何をしているのだろう。

 チラリ、と、ナツメの座っているソファに目をやると、彼女の特徴の無い髪の毛の色が見える。しばらく見ていてもその黒い頭が動く事は無い。

「ナツメ、起きてる?」

 思わず沈黙を破った。

「…………」

 しかし返事は無い。寝ているのだろうか。

「ナツメ?」

 近寄って肩を揺するとその体制はぐらりと傾いた。色々な所を歩き回って、余程疲れたのだろう。寝かせてあげよう。

 ナツメが泊まる筈だった部屋に運び込んだ毛布を持ってきてそっとナツメにかける。この分だと明日の朝まで起きる事は無さそうだ。

「ん?」

 毛布の異様な膨らみ方に気が付いたわたしはそこだけをそっと捲った。そこにはナツメの手に握られたスマートフォンがあった。彼女の髪の毛と同じ、漆黒の携帯電話。それにはキーホルダー等の装飾は一切なく、傷も無い新品同然の状態だった。画面は既に消えていて、何を見ていたのかは解らない。でも持っていては壊してしまう可能性がある。

 気を利かせてそれをテーブルの上に置こうとしたけれど、携帯はナツメの手から離れる事は無く、とても強い力で握り締められていた。そこまでして離したくない理由でもあるのだろうか。

「美奈……」

「え?」

 ──寝言だったようだ。誰かの名前の様に思えたけど……美奈って……誰の事だろう……?

 触れてはいけない事の様だった。ナツメが心の奥に仕舞い込んでいる、大切で、繊細な、触れてはいけにない思い出の様だった。

 訊いてはいけない。触れてはいけない。そんな無粋な事は出来ない。

「おやすみ、いい夢を」

 ナツメの寝顔は険しいものだった。

「あれ? ナツメちゃん寝ちゃった?」

 お風呂から上がって、さっきのナツメと同じ様に髪の毛をタオルでわしゃわしゃと吹きながら歩いてきたパジャマ姿のお母さんは、そんな事を言った。

「今日は色々な所を歩いたからね。疲れたんだと思うよ」

「それは貴女も同じじゃないの?」

「そうかもね。──このまま寝かせておいてもいい?」

「うちには男手が無いからね。運ぶのにも一苦労だよ」

 お母さんは何かを追憶していた。お父さんの事は、わたしの所為だ。

「──まだお父さんの事、気にしてる?」

「──そんな事は無いよ。もう終わった事だし、あれは不幸な事故だ。仕方無いことだったんだよ」

 わたしは今のお母さんの顔を見る事は出来なかった。きっとあまりにも痛々しくて、直視なんてしたら一生後悔する。だから目を向ける事なんて──出来なかった。

「ねえ、お母さん……」

「何?」

「お父さんが死んだの──わたしの所為だって──知ってた?」

 ──ガシャンッ!! 大きな音がして、お母さんの手からカップが落ちて、割れた。

 その手は震えていて――顔面蒼白だった。

「し……知らない……。そんな……そんな……こと……。それは……本当なの……」

 恐怖に満ちた目がわたしを捉える。過去を──真実を知る事に対する恐怖が彼女の心を支配している。────どうしてこんな話をしてしまったというのだろう。お母さんはまだお父さんを忘れられずに、過去に囚われている。普段は心を置き去りにして、誤魔化しているけれども、わたしの言葉がきっかけでどこかにあった心が、過去が手繰り寄せられてしまった。でももう後には退けない。

「お父さんが死んだの、わたしの所為なの。──わたしがあの時、あんなものに話し掛けていなければ、お父さんは死ぬ事なんて無かったんだよ……」

「嘘……嘘、嘘、ウソ……!」

「本当だよ──。わたしは──わたしが──お父さんを殺してしまったの……」

 お母さんは下を向いて何やらブツブツと言っている。

「──おばさん、大丈夫です。これは悪い夢です。明日の朝には何もかも元通りで、いつも通りの生活が戻って来ますよ」

 どうしていいか解らず、唖然としていたわたしの後ろから、声がした。見るとナツメが起き上がっていた。お母さんにそっと近寄り手を取って、これは夢だと諭していた。そしてそのまま手を引いて部屋を出て行った。取り残されたわたしは床に散らばったカップの破片を集めた。

「痛ッ……!」

 心ここにあらずという状態で破片を集めていた所為か、指を切っていた。人差し指からドクドクと流れる赤い血液はわたしに現実を実感させる。

 ここはわたしの居るべき場所じゃない。そんな匂いがする。ここにはわたしの匂いが無い。わたしは居てはいけない。

「──どうしておばさんを追い込む様な真似をしたの?」

 リビングの入り口にはナツメが寄り掛かって腕を組んでいた。その目には怒りの色が伺えた。

「話してくれるよね?」

 その鋭い目はわたしに真っ直ぐに向いていた。

「──わたしのお父さんが事故で亡くなったって話はしたよね?」

「ああ」

「それ、本当は事故じゃないんだ。昔──七年前の冬にお父さんの実家に行ったの。この目の力、お父さんの家系から遺伝したものだからさ、お祖父ちゃんもこの力に理解があったんだ。それで、近くの神社に遊びに行ったの。わたしとお父さんで。ここら辺じゃ雪なんてあまり降らないでしょ? だから雪遊びする為に広い場所に行かないと行けなくて。それで遊んでたら神社の境内に何だか黒い人みたいなものが座ってたのを見つけてしまったんだ。あの頃は怖いものだって認識が無かったからわたしは話し掛けた。何してるの? って」

「それでその影に殺されたっていうのか」

「そう。それはまるで影みたいで、わたしを取り込もうとした。そこにお父さんが割り込んでわたしは助かった。わたしはその後駆けつけたお祖父ちゃんに逃げる様に促されて走って家に帰った」

「それでおじさんは帰らぬ人ってわけか……」

「うん……」

「それで? どうしておばさんはあんなに取り乱したりしたわけ?」

「お父さんの家がそんな血を継いでるって事は言ったよね? でもお母さんの家系は一般的なものなの。だからその能力に理解なんて無かった。そんな話しても信じる訳無いでしょ? だからお母さんには嘘を吐いたの。丁度その影を退治する為に神社が壊れてしまったから、その崩壊に巻き込まれたって言ってね」

「そうしておばさんは真実を知らないまま今まで生きてきたって事か」

「後はナツメの想像に任せるよ」

 全てを話し終えるまでには時計の針が日付を越えていた。

「どうしておばさんに真実を話したの? おばさんがまだ過去に囚われてるって気付かなかった訳じゃないでしょ? それなのにどうして──」

「──いつか、知らないといけない事だったから……」

「だからって話す時期を間違えてるだろ! どれだけ人を傷つけたいんだよ! 触れられたくない事だってあるに決まってる! 真実を知らずに生きていく方が幸せだって場合もある!」

 ナツメは声を荒げた。

「嘘の世界で生きるのは、端から見ていて辛いことだよ……」

「我侭だ……!! そんなのは当事者の我侭だ!!」

 ナツメの言う事は尤もだった。

 わたしはタイミングを間違えた。結果的にお母さんを深く傷つけてしまった。もう悲しませたくないと思ったばかりだったのに。それなのに……!

 ナツメはそのまま寝室に戻って眠ってしまった。

 リビングに残されたわたしはただ黙って集め損ねたカップの破片を見ていた。


 気が付くと真っ白な空間に立っていた。音も色も風も光すら無いその場所に、わたしは一人ただ立っていた。

『貴女は間違えた』

 背後から声がした。振り向くと黒い長髪の女性が立っていた。誰にも似ていない、最早人である事を疑う程の美貌を持っていた。

『貴女は父親の死について母親に伝えるべきではなかった。しかしやってしまったことは取り返しがつかない。それこそ人一人の運命を大きく変えてしまう事だってある。直接手を下さずとも、間接的に言葉だけで命を奪う事だって出来る』

「お母さんは──大丈夫なの!? 死んじゃったりしない!?」

『それはこれからの貴女次第よ。貴女にはそれを防ぐ方法を教えてあげる』

「ど──どうやって!? どうやってお母さんを救えば良いの!?」

『貴女に宿ったその力──香りを操れば良いのよ。貴女は香りを自在に操る事が出来る。その力を秘めている。貴女はそれを貴女を想う人の為に使えば良いの』

「わたしの──ちから──」

『間違ってしまった行動の責任は、その力で償いなさい──』

「待って! まだ──!!」


 白い世界──幕を閉じた──。


「あれは──夢だったの?」

 白い世界と黒い女。まるでホラーだ。怪談にしては時期が早いのでは無いだろうか。

「おはよう、貴女このままここで寝ちゃったのね。ナツメちゃんはちゃんとあの後布団で寝たみたいだけど?」

「お──母さん? お……おはよう……」

「顔洗って着替えて来なさい。朝ごはん用意してあるから。あたし今日から仕事なのよ」

「ご、ごめんっ」

 わたしは飛び起きて部屋に戻ると着替えて再び降りてきた。時計の針は既に七時半を示していて、お母さんは通常ならもう出勤している時間だ。こんな時間までわざわざ居てくれたのは昨晩の出来事が関係しているのだろうか。

「じゃあ、行って来るわね」

「行ってらっしゃい」

 お母さんが居なくなると、部屋の中も静まり返る。トーストを齧るサクッとした音と時計の針の音だけが木霊する。トーストの良い香りが────。

 香りが──しない……?

 手にした食べ掛けのトーストを見ながら自分の嗅覚を疑った。そういえば何も──。

 もう一口トーストを口に含む。やっぱり──やっぱり、味がしない。というより、匂いがしない分、解らないのだろうか。

 何にせよ、図書館に行って調べれば解る事だ。

「おはよう。ツバサ。おばさんは?」

「いつも通りだったよ。いつも通りに出勤した」

「催眠術は上手く行ったみたいでよかった。あ、ボク、朝はコーヒー派だから」

「催眠術?」

「そう。言葉と、アロマを使ってちょっとね。アロマは眠らせる程度しか使ってないけど、それがよく効いたみたいだね」

 ナツメは何事も無かったかのように自分で淹れたコーヒーを啜りながら話を進める。

「今日はどうするの?」

「わたしは──ちょっと出掛けてくるよ。この家の鍵は預けるから、好きにしてていいよ」

「いや、ボクは足が痛くてあまり動けないから今日は家から出ないよ。だから鍵はツバサが持ってて」

「わかった。じゃあわたし、食器片付けたら行くから」

「ボクの分は気にしなくていいから。ちゃんと片付けておくよ」

「そう? じゃあお願い。行ってきます」

 家の事を誰かに任せるというのは初めての事だけど、それでも信用できる人だから全く不信感は無い。

 家を出て商店街を路地裏に抜けて近道をする。下手をして道を間違えると逆に遠回りだけど、わたしは慣れているから問題ない。迷わず目的地に辿り着ける。

 いつもの見慣れた灰色の道だけど、今日は少しだけ違っていた。道に、赤い跡が着いていた。飛び散った液体の様なその跡は、あるものと、そこで起こったある事実を連想させるには十分で、わたしはその乾きかけた飛沫に恐怖すら感じていた。

 しかしその事実を認めたくない一心でそこを駆け抜ける。呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が速くなる。走っているだけが理由では無い事は明白だ。

「これは──無臭化?」

 そういえばさっきからあるべきはずの匂いがしない。べっとりとコンクリートにこびりついた血にあるべき、鉄の匂い。それがしなかった。何事も無くそんなことが起こるというのは考えにくい。ともすれば自分に宿った能力が原因と考えるのが妥当だろう。

「匂いを消すことも出来るなんて……」

 自分の能力の限界は一体何処なんだろう、と疑問を持ってもおかしくは無い。しかし試そうとは思わない。ただ無限の力を手に入れたような、そんな感じがした。

 そしてある一つの考えが頭をよぎる。

 ──この力を使って鍵を探し当てる事が出来るのではないか──。

 それは危険な賭けだった。可能かどうかも解らない、もしかすると時間を無駄にしてしまう行為かもしれない。それは他の皆が鍵を探し出したとして、わたしの所為で無駄になる可能性があるということだ。命を賭けて手に入れたものを、わたしの勝手な行動で無駄にするなんて事は出来なかった。

 それにそもそも鍵がなんだかも解らない。解らない物の匂いなんて、解る筈がないのだ。無謀かも知れない。やめよう。今は余計な事はせず、情報を集めよう。

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