魔女との遭遇
「なんでこうなった…」
澱んだ空気を漂わす鬱蒼とした樹海。朝の日差しは生い茂った木々に阻まれて、ほとんど届くことがなく、薄暗い。
この日の当たらぬ場所でブツブツと独り言を言いながら、灰色と黒の横縞の囚人服を着た男がさまよっていた。この男は栗毛色のボサボサ頭で、だらしのない感じのする無精ひげだが、男にしては優しい顔立ちで見る者をどことなく惹きつけた。
男は先ほどから物欲しげに周囲を見渡し、しきりに腹をさすっている。男は、ここ2日ほど、野草や朝露ばかりで、ほぼ飲まず食わずの状態だったのだ。
先ほど偶然、飛び出してきたヒキガエルを踏んづけたのだが、空腹のあまり生のヒキガエルを口に入れてしまい、あまりの苦さに吐き出し、放り投げた。
「あぁー、腹が減って死にそうだ。蛙も焼いて食べれば案外いけるかもな。ひょっとすると美味しいかもしれない。捨てるんじゃなかった。そもそも、僕が死罪を避けるために、この不気味な樹海へ逃げ込むこと自体、悪夢としか言いようがない。いや、本当に夢で、途中で目が覚めるんだ…」
過酷な現実から逃避しながら男は樹海の中を歩いていた。時折、よろめきながら歩く姿は哀愁を誘った。
「魔女の隠れ里なんて本当にあるのか? 藁にもすがる思いで噂話にあった樹海に来たんだが…。あったとしても男の僕が受け入れてもらえるか、は微妙なところだ」
男の脳裏には不安ばかりがよぎる。だが、男は頭に浮かぶ不安を打ち消しながら、前へと進む。樹海で野垂れ死にしないためには、もはや魔女の隠れ里に辿りつくしか選択肢がないように思えたからだ。
ドスーン! ドスーン ! ベキッ、バキッ、ドタッ!
地鳴りのような轟音と木々のへし折られ、倒される音が合わさって仄暗い森の中に木霊した。男の進行方向の樹海の木々が倒されたせいで、あたりの視界が開ける。
突如として、成人男性よりも一回りも二回りも大きいゴーレムが男の行く手を遮る。どうやら、この茶色い土くれで出来た不気味で巨大な人形は男を排除すべき敵と認識したようだ。
「どうして、こんなモノがいるんだよ。僕は幻覚でも見ているのか。でも、とりあえず逃げるべきだな。この距離なら僕の足なら大丈夫だ」
一目散に逃げようとしたとき、なぜか男の足が動かない。まるで、凍りついたかのようだ。
「あれ、何で動かないんだ。もしかして、これが影縛りか」
男は冷や汗を流し、動揺している。さらなる窮地に陥り、非情な運命を呪う。
男を排除すべき標的として捉え、戦闘体制に入ったゴーレムの背後から女性らしき人影が現れた。
「逃がしませんよ。あなた、何者です? こんな樹海の奥にまで入り込んで。どうせクローバー教会の手のものでしょう。ここで神の御許に送って差し上げますわ」
灰色のローブを纏った気の強そうな銀髪の少女が男に対し死の宣告をした。大人びた少女の魅惑的な唇から不敵な笑みが浮かび、燃えるような赤い瞳は殺意を感じさせた。
「違う、誤解だ。僕も教会に追われているんだ。魔女の隠れ里があると聞いて、僕も匿ってもらおうとここまで来たんだ。この着ている囚人服を見ればわかるだろう」
「嘘、おっしゃい。今まで、そうやって私たちに近づいて何人の仲間が犠牲になったことか…。前にも囚人に化けた教会の手のものが里に入り込んで酷い目に遭いましたわ。チョコ、構わず踏み潰しなさい!」
腰まである月光のような銀色の長い髪をかき上げ、少女はゴーレムに命ずる。チョコと呼ばれたゴーレムは男を踏み潰すべく巨大な足を上げた。
「待って。あたしのダーリンに手を出さないでほしいの」
白いローブを纏った青髪のボブカットでちょっと頭の弱そうな感じのする少女が呼び止めた。こちらの少女は幼い顔立ちで、可愛らしい唇を固く結び、鮮やかな碧眼から男を守ろうとする強い意思が伝わってくる。
「ダーリンは蛙なったあたしを助けてくれたの」
「マカロン、ということは蛙の状態であの男と接吻したことになりますわね」
「とっても激しかったの。まるで、あたしのことをまるで食べるかのように口の中に入れてくれたの。そして、森の茂みに投げ込んでくれたの」
マカロンと呼ばれた青髪の少女は男を見つめながら恍惚の表情で答える。
「それは本当に食べようとして、不味かったから投げ捨てただけでしょう」
「蛙になる呪いは接吻した上で、叩きつけられないと解けない呪いなの。これは偶然とは思えないの。ダーリンはあたしにとって運命の人なの。だから、フィナンシェ、見逃してほしいの」
「無理ですわ。チョコを力づくで止めてみたらいかがかしら」
フィナンシェと呼ばれた銀髪の少女は大きな胸を震わせ、冷たく言い放った。