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地獄の縁歩き

作者: haya4



1.合歓木ねむのき



 じっ、と目を閉じていると、何処かから、銀河の流れる音がする。誰ぞが星を投げ込む音まで、がしゃん、かしゃん、と、かしましい程なので、僕はついに目を醒ました。じっとりと湿った床から背中を持ち上げると、汗が急に冷えて心地悪い。枕元に活けてあった椿の首が落ちている。僕が、どんどん冷気に侵されていく身体を、湿りきった床に返すかどうか、悩んでいると、「今回は」と掛け軸の烏が喋った。

「今回は随分長く死んでおったな」

 その掛け軸は、黄ばんだ和紙に、むしゃくしゃして墨を叩きつけたら烏の形になった、というような、焦点を合わせるとまあ烏だが、その気がなければただの墨といった感じで、床の間に飾るような代物ではないのだが(そもそも烏の絵面である)、喋るので何となく奉っている。

「騒音を立てているのは何処のどいつだ」

「郵便屋であろう。運びきれないものを、夜な夜なあそこに捨てていくのさ」

「それはけしからん」

「懲らしめに行くか」

「それは寒くて敵わん」

 掛け布団を半纏代わりに身体に巻き付け、庭の方を望んだ。合歓木が盛りであった。さくらいろの花弁が、ふっと息をするように、はた、はたと落ちていた。この合歓木は、僕が床に就く前に植えたものである。大きくなったものだと感慨深い。山ほどの花弁が落ちているので、足を入れたらさぞ気持ちよかろう、きっと綿菓子の踏み心地、我ながら妙案、と思って、さっさと布団を放りだして庭に出た。すると、想定した量の花弁が落ちていない。がっかりして足下を探ると、合歓木の下に銀河の支流があった。ごうん、ごうん、と、遠くでプロペラを回すような音がする。足の裏をざらざらと流れている。花弁はこれにさらわれたのだ。

 ちぇっ。目の前にあった菓子を奪われたような気持ちで、僕はその大木を見上げた。いつのまにか盛りは過ぎていて、からからに枯れていた。しかし僕の目はまだ、花弁の白で焼けており、おお、きっと異人の、青い瞳の視界はこのようなものぞ、とそのすみれ色に白んだ視界で、古木を楽しんだ。

 すると根元に郵便屋が居った。その鞄から、合歓木の花弁が溢れていた。――君、君、夜中に星を捨てるのは止め給え。眠れない。僕がそう言うと、郵便屋はちょいと頭を下げて、僕の方へ向かってきた。烏が床の間でぎゃあっと鳴くのが聞こえた。郵便屋は、紙切ナイフで素早く僕ののど笛をサッと裂いた。オオ、と思う間に、あとからあとから、切れた喉から椿の真っ赤な花弁があふれ出た。郵便屋は走って逃げた。その逃げ道に、合歓木のさくらいろの花弁がぽろぽろ落ちるのを見ていた。

「ああ、殺されてしまった、殺されてしまった」

 烏が喚いた。僕は湧いて出る花弁を押さえていたら、今度は口や鼻からも出てきたので、それどころではない。

 このままでは目からも湧いて出る。僕はじっと目を閉じた。すると銀河の音に加わって、今度は、どこからか、花弁を捨てる音がする。ぼたっ、ぼたっ、ぼたっ。なんだ、あれらももう要らないのか。僕は忙しい中で、ぽっかりとそう思い、彼は次はこの椿の花弁を取りにくるだろうな、と確信にも似た勘を覚えた。

 また暫く死に居ることにする。椿の首が落ちたら起こしてください。







2.烏瓜からすうり




 それはカラスウリの美しい家である。記すまでもなく、カラスウリは烏瓜と書き、ぼんぼりの灯のような、ぼんやりとした白い花を咲かせるものだが、おれが訪ねているのは烏売りの家である。(カラスウリも庭に洒落のように茂っている)

 家屋と家屋の隙間、普通にみれば民家の境界線となっているせまい道を、室外機や朽ちた植木鉢なんかに阻まれながら、そして民家に侵入しているような後ろめたい気持ちに耐えながら進むとその家がある。軒に烏の首が並べてあるのがしるしである。それらはちょうど七つあり、まるで基督教の教会に飾られた受難図の殉教者達のような――とぼけているような、ちょっと驚いているような、参ったなあというような――そういう顔をしている。

 ――何かご用で。

 烏売りがいつの間にか軒に立っていた。ひゅっと背の高い女人で、何故か男の言葉で喋る。ことばが人間性をあらわすものなら、人間性はことばによって輪郭を取られるものである。彼女は顔つきまで精悍である。

 ――これはよう腐らんな。

 ――本人が死んだと思ったら腐り始めまさあ。

 ――なるほど。

 ――何のご用で。

 是非もない。おれはもう少し七つの首について色々聞きたいことがあったのだが、このまま彼女の意にそぐわないことをしていると自分が八つ目になりそうなので、不本意ながら本題に入った。

 ――友人が死んだので、烏を一羽売って欲しいのだよ。

 ――一鳴きからお売りしますが。

 ――いや、一羽欲しい。もっぺん死ぬかもわからん。

 わかりましたご用意します、とあっけなく頷いて、彼女は奥へ引っ込んだ。おれは失礼して軒先に腰掛けて待つことにした。七つの隣の八つ目の位置に座っていると、なんだか首のあたりがむずむすする気がした。こじんまりした庭ではカラスウリが隆盛を誇っている。花はまだ先だろうか。そこらじゅうの壁や石や屋根や植物や烏とかに巻き付いている。思わず感心するほどの生命力である。もし、烏売りの君が、商品探しに手間取ったりしたら、その隙におれも飲まれてしまいそうだ。そういう、猛々しい生命活動は苦手だ。襲われたらあきらめるしかない、天災と熊のような存在である。

 ――こらちをお持ちください。

 果たして烏売りの君が持ってきたのは、仕損じの掛け軸であった。墨がべったり付いている。おれは烏を頼んだのだが。ええ、よく御覧になって下さい、烏でさあ。そう言われてみると、焦点がうまく合えば烏に見えないこともない。

 ――鳴くのかい。

 ――喋ります。

 それはすごい。おれはしきりに感心してしまい、その仕損じ紙を貰い受けた。代は椿で払っておいた。頸の動脈を切るとそこから椿が出てくる夜があるが、これはその代物である。烏売りの君は満足げにそれを眺め回して匂いを嗅いだのち、すべてをぺろりと平らげてしまった。まあ、人の喉から出たものが人の喉に返るのだ、至極まっとうなことでもある。

 ――では、これからもご贔屓に。

 ――ありがとう。

 来た道を戻ろうと、カラスウリの猛々しくもうつくしい庭に分け入ろうとして(来た時よりも三倍ほどに茂っている)、後ろから七つの鳴き声が背中を叩いた。首がわざわざ見送ってくれているのだ。せいぜい腐らぬように、と心の中で返礼をして、おれは掛け軸を小脇に挟んでカラスウリの森を分け入った。

 一寸、狭い森で迷いながら、おれはようやっと敷地の縁へ出で来られた。ふう、と息を付くと、脇のところで何かがもそもそと言っている。掛け軸である。「今回は」


「今回は随分長く死んでおったな」




(地獄の縁歩き)






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