表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

第6話:蒜山の霧と、黄金の「牛」のレクイエム

「……シンジ、この白い液体は何ですの? 雲を搾り取った飲み物なのですか?」

 岡山県最北端、標高千二百メートルの山々に囲まれた蒜山高原。

 慎二のハイゼット(ボロボロだが数馬が夜通しで直した)の助手席で、凛花はジャージー牛乳の瓶を両手で大事そうに抱えていた。

「雲じゃない。ジャージー牛のミルクだ。……ほら、窓の外を見てみろ。あいつらからお裾分けしてもらったんだ」

 車窓の外には、なだらかな緑の丘陵が広がり、茶色の毛並みが愛くるしいジャージー牛たちがのんびりと草を食んでいる。瀬戸大橋の殺伐とした空気とは無縁の、平和そのものの景色だ。

「……可愛い。……けれど、シンジ。あの子たち、少し怯えていますわ」

 凛花のエメラルド色の瞳が、鋭く細められた。

 彼女の「女神」としての直感は、こののどかな風景の裏に潜む異変を察知していた。

「……数馬、例の解析はどうなった?」

 後部座席でノートパソコンを叩いていた数馬が、青白い顔を上げた。

「……瀬戸大橋でバロンが落とした通信端末を解析したよ。彼らの目的……それは単なる破壊じゃない。牛鬼の『魂』を分割し、岡山の各地にある『霊的磁場』に再配置することで、この県全体を巨大な『魔力炉』に作り替えようとしてるんだ」

「魔力炉……? 何のために」

「世界を書き換えるためのエネルギー源にするのさ。……そして、この蒜山には、牛鬼の『心臓』を動かすための『熱源』が眠っている。……慎二、止めてくれ! 前方に異常な熱源反応だ!」

 ドォォォォォォン!!

 突如、高原を包む白い霧の中から、火柱が上がった。

 平和に草を食んでいた牛たちが一斉に逃げ出し、その向こうから姿を現したのは――全身が真っ赤に焼けた岩石で構成された、巨大な「牛型の怪物」だった。

「……牛鬼の分身……いや、『火の眷属』か!」

 慎二は車を急停車させ、デニムの鎖を右手に巻いて飛び出した。

 背後から凛花も続く。

「シンジ、危ないですわ! あの熱、普通の水では消せません!」

 火の牛鬼が咆哮すると、周囲の牧草地が一瞬にして黒焦げに変わる。

 慎二は鎖を振るうが、熱波に阻まれて近づくことすらできない。

「……クソっ、熱すぎる! デニムの鎖が焼き切れるぞ!」

「ふふふ……。オリーブ農家、熱いのは苦手かね?」

 霧の中から、バロンが再び姿を現した。

 彼の横には、見慣れない「黒い杭」を地面に打ち込む作業員たちがいた。

「この蒜山の地熱を利用し、牛鬼の心臓に火を灯す。……君たちのささやかな逃避行も、ここが終着駅だ」

「……言わせとけ! 凛花、指輪の力で冷やせねえのか!」

「ダメですわ……! 瀬戸大橋で力を使いすぎて、今はまだ……!」

 絶体絶命。火の牛鬼が角を下げ、慎二たちに向かって突進の構えを見せた。

 その時。

 慎二の鼻腔を、独特の香りがくすぐった。

 ――青々とした、それでいて濃厚な、植物の油の匂い。

(……待てよ。ここは蒜山だ。ジャージー牛だけじゃない)

「……凛花! 俺のポケットにある、小さな瓶を取れ!」

「えっ、これ……? 『特製オリーブ抽出オイル』?」

「そうだ! それを俺の鎖にぶっかけろ!」

 凛花が戸惑いながらも、オリーブオイルを鎖に振りかけた。

 慎二は、農業高校時代に学んだ「発火点」と「油の特性」を頭に叩き込んだ。

「……オリーブオイルはな、熱に強いんだよ! それに、これは俺が丹精込めて精製した『不純物ゼロ』の極上品だ!」

 慎二が鎖を火の牛鬼に向かって振りかざすと、オイルを纏ったインディゴの鎖が、炎を吸い込みながらも溶けることなく、青い炎を纏う「火炎鎖」へと進化した。

「……熱を、利用したというのか!?」

 バロンの驚愕をよそに、慎二は跳躍した。

 オリーブオイルの皮膜が熱を遮断し、慎二は怪物に肉薄する。

「……食らえ! 蒜山ジンギスカン・スペシャルだッ!」

 青い炎の鎖が、火の牛鬼の首を完璧に捉え、締め上げる。

 オイルの滑らかな動きが、岩石の体を引き裂く摩擦を極限まで高め、怪物の核を粉砕した。

 グララララ……ッ!!

 怪物は光の塵となって霧散し、高原に再び静寂が訪れた。

 バロンは舌打ちをし、黒い杭を回収させると、再び霧の中へと消えていった。

「……待て! バロン!」

 慎二が追おうとしたが、足に力が入らず膝をついた。

「……無茶をしますわ、シンジ。本当に……」

 凛花が駆け寄り、慎二の体を支える。

 二人の距離が、またしてもゼロになる。汗とオリーブの匂い、そして凛花の仄かな潮の香りが混ざり合う。

「……言ったろ。俺は農家だ。……油の使い道くらい、知ってるんだよ」

 不器用に笑う慎二の頭を、凛花が優しく自分の肩に寄せた。

「……お疲れ様ですわ、わたくしの守護者。……ご褒美に、さっきの『ジャージー牛乳』を半分、残しておいてあげましたわよ」

「……全部飲んでなかったのかよ。……ありがとな」

 一時間後。

 三人は、蒜山名物のジンギスカンを囲んでいた。

「……う、旨い……! 命の洗濯だわ、これは……!」

 数馬が泣きながら肉を頬張る。

 凛花も、最初は「羊さんを食べるなんて……」と躊躇していたが、一口食べるとエメラルドの瞳を輝かせ、誰よりも速いペースで箸を動かしていた。

「シンジ! この『たれ』というソース、魔法の味がしますわ!」

「それは蒜山特産の味噌ベースだ。……ほら、焦げるぞ」

 和やかな食事風景。だが、数馬が手に入れた通信端末には、不穏なメッセージが表示されていた。

『計画は最終フェーズへ。ターゲットは、備中松山城びっちゅうまつやまじょう。……「雲海」に沈む、最後の楔を回収せよ』

「……松山城。……天空の城か」

 慎二は窓の外を見上げた。

 蒜山の星空はどこまでも美しいが、その先にある「雲海の都」では、さらに巨大なミステリーが彼らを待ち受けている。

「……凛花。……必ず、あんたの記憶を全部取り戻して、この海と空を元に戻してやるからな」

「……ええ。シンジとなら、どこへでも。……ただし、次の場所でも美味しいものを約束してくださいましね?」

 慎二は力強く頷いた。

 オリーブ農家と女神の「せとうち」救済の旅は、いよいよ核心へと迫っていく。


【第7話へ続く】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ