第5話:瀬戸大橋の咆哮、インディゴの絆
鷲羽山の展望台。
慎二の右手に巻かれた「デニムの鎖」が、夜明け前の紺青の空に鋭い火花を散らした。児島の職人たちが染め上げたインディゴの魔力が、慎二の「守りたい」という意志に呼応して、物理法則を超えた質量を持って唸る。
「……バカな。ただの綿布に、これほどの術式が宿るはずが……!」
ミスター・バロンの余裕が初めて崩れた。
彼は後退りしながら、数馬の喉元に突きつけていた銃を慎二に向ける。だが、その引き金が引かれるより早く、慎二の鎖が蛇のようにしなってバロンの腕を弾き飛ばした。
「数馬、今だ! 走れ!」
「う、うわあああ!」
拘束が緩んだ隙に、数馬は情けない声を上げながらも全力で慎二の元へ駆け寄る。
「慎二! 橋を見てくれ! 牛鬼が……牛鬼の影が、橋脚を侵食し始めている!」
数馬が指差す先。
瀬戸大橋の巨大な主塔に、ドロリとした黒い液体のような「影」が這い上がり、鋼鉄を腐食させていた。橋全体が、巨大な生き物の断末魔のような軋み声を上げている。
「凛花、あれを止める方法は!?」
「……あの影の核を、わたくしの指輪で射抜くしかありませんわ! でも、あんな高い場所……!」
影の核は、海面から百メートル以上も高い、橋の頂上付近にある。
「……なら、飛ばせてやるよ。俺の鎖を信じろ!」
慎二は凛花の細い腰に鎖を優しく巻きつけた。
デニムの鎖は、不思議な温もりを持って凛花を包み込む。
「シンジ……? 待ってくださいまし、まさか……」
「投げるぞ、お姫様! 岡山の空を、特等席で見せてやる!」
「ちょっと! せめてカウントダウンを――っ!」
慎二は全身のバネを使い、砲丸投げのような勢いで凛花を上空へと放り投げた。
青い光の軌跡を描きながら、凛花は瀬戸大橋の主塔に向かって一直線に飛んでいく。
「……狂っているな、オリーブ農家。だが、その無謀さもここまでだ」
バロンが通信機で叫ぶ。
すると、橋のケーブルの影から、レヴィアタンの水上バイク部隊と、さらに上空からは武装ヘリが現れた。
「凛花は通さねえってか……。数馬、お前はここで橋の構造を調べて、弱点を見つけろ! 俺はあいつらを片付ける!」
「無茶だよ慎二! 生身でヘリと戦うなんて!」
「生身じゃねえよ。俺には『児島の誇り』が巻かれてるんだ!」
慎二は残った鎖を鞭のように扱い、展望台から橋のケーブルへと飛び移った。
地上数百メートルのキャットウォーク。足元は吹き抜ける海風で震えるが、慎二の心は不思議と落ち着いていた。
(……この景色を守るために、俺はオリーブを育ててきたんだ。牛鬼だか組織だか知らないが、勝手に汚させてたまるか!)
迫りくる武装ヘリに対し、慎二は鎖を最大まで伸ばした。
鎖の先端が、まるで意思を持つようにヘリのローターを絡め取る。
「……墜ちろ!」
力任せに引き寄せると、ヘリはコントロールを失い、霧の中へと消えていった。
一方で、主塔の頂上に辿り着いた凛花は、恐怖を押し殺して指輪を掲げていた。
「……わたくしの、名は……」
影に飲み込まれそうな橋の上で、彼女の脳裏に、失われていた記憶の最後のピースが嵌まる。
「わたくしの名は、『瀬戸』。この海を鎮め、風を運ぶ、三つの島の乙女……!」
真珠の指輪が、太陽のような輝きを放った。
その光は慎二の鎖と繋がり、巨大な「光の矢」となって、牛鬼の核を貫いた。
オォォォォォォ……!!
海を震わせる絶叫。
主塔を覆っていた黒い影が、朝日に照らされて霧散していく。
それと同時に、橋を締め付けていた巨大な「牛の角」が、ゆっくりと海中へと沈んでいった。
数分後。
朝焼けに染まる瀬戸大橋のたもと。
慎二は力尽き、コンクリートの上に大の字に寝転んでいた。
「……はぁ、……マジで死ぬかと思った……」
「シンジ!」
空からゆっくりと(慎二の鎖がパラシュートのように機能して)降りてきた凛花が、彼の上に飛び乗るように抱きついた。
「凄かったですわ! 岡山の空は、あんなに広かったのですね!」
「……重い。重いって、凛花。……いや、『瀬戸』か?」
凛花は、新調したデニムジャケットの袖で涙を拭い、満面の笑みを見せた。
「……いいえ。わたくし、名前は思い出しましたが……この街では『凛花』でいたいのですわ。シンジが、芋ジャージ姿のわたくしに付けてくれた、この名前が気に入っていますの」
「……そ、そうかよ。勝手にしろ」
顔を真っ赤にする慎二を、数馬がニヤニヤしながら見つめている。
「……慎二、お疲れ様。牛鬼の本体は深海に逃げたみたいだけど、バロンたちも一時撤退したようだ。でも、彼らが諦めるとは思えない。……戦いは、これからかもしれないよ?」
「……勘弁してくれ。俺は明日からオリーブの収穫があるんだぞ」
慎二はため息をつきながらも、隣でキラキラした目で海を見つめる凛花の手を、そっと握った。
「……まあ、いいさ。次の戦いの前に……約束通り、腹ごしらえだ。ここから一番近い、旨い店へ行くぞ」
「えびめし、ですの!?」
「いや、児島まで来たんだ。……今日は『タコ塩焼きそば』にしよう。下津井のタコは、牛鬼より強敵だぞ」
二人の笑い声が、平和を取り戻した瀬戸内海に響き渡る。
だが、海の底では――黄金色の瞳が、再び開くのを待っていた。
【第6話へ続く】




