大切に想うからこそ、だれもが迷う
この章では倫心と佳純の友情の変化などを描いてみました。
読んで頂ければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
倫心は自室の机に、スマートフォンを持ったまま伏せていた。
親友である佳純からのメッセージに、どう言葉を紡いで良いか分からなくなり、
手のひらの上のスマホを眺めては、裏返す行為を何度も繰り返していた。
『昨日は巻き込んでしまって本当にごめん。色々落ち着くまで、
バドミントンは出来ないかな……。 ちゃんとお母さんを説得するから、
それまで待っててくれる?』
気晴らしに動画サイトを開き、おすすめ動画をぼんやり眺めてみたが、
昨日のことが鮮明に思い出され、その内容がまるで頭に入ってこない。
昨日、体育館。
いつも通り、佳純と倫心はバトミントンとおしゃべりを楽しんでいた。
休憩中、体育館の壁に寄りかかるように座っていた倫心と佳純の前に、
佳純の母、津田千代子が突然現れた。
千代子は倫心に向かって、責めるように捲くし立てる。
「倫心ちゃん、どういうこと?佳純をそそのかしたの?
倫心ちゃんが発達障がいの検査を受けろって言ったんでしょ?」
「あ、あの、私は何も…」
倫心は千代子の勢いに押されてうまく答えられない。
「倫心ちゃんは良いわよね。友達を障がい者にして、変わらず一緒にいれば
自分が理解者だと思えて」
「お母さん、ツグちゃんは関係ないって言ったでしょ!
こんなとこまで来て……。もう帰ってよ」
佳純は疲れたように千代子を止めようとする。
「佳純が倫心ちゃんの連絡先を教えてくれないから、
わざわざ来たんじゃない!」
千代子は佳純の言葉に耳を貸さず、倫心への文句を続ける。
「佳純が仕事が続かないのは、たまたま仕事が合わなかっただけよ。
勝手に決めつけないで」
「お母さん、いい加減にして。私はもう二十六歳だよ。自分で決めたの」
千代子は佳純を無視して、なおも倫心に訴えかける。
「倫心ちゃんには感謝しているの……。他の子たちが佳純から離れても、
そばに居てくれた。なのになんで?倫心ちゃんには友達が沢山いるだろうけど、
佳純には倫心ちゃんしかいないの。対等な友達でいてよ。
佳純を憐れむようなことはしないで」
「お母さん、いい加減にして。なんで分かってくれないの?」
「分かってないのは佳純の方よ。佳純は世間というものを分かっていない」
「世間の前に……私は、まず自分を知りたいの……」
「佳純のことはお母さんが一番よく知っているわ」
「お母さん…。私のためにもう我慢しないで。タイに行って。
お父さん待ってるよ。私はもう大丈夫だから」
「何が大丈夫なの?無職じゃないの」
「…………」
三人は、もはや言葉を見つけられず、重苦しい沈黙が空気を支配した。
十人ほどのバレーボールサークルの団体が、その沈黙を打ち破るように体育館に
入ってきた。賑やかな雑談の声に、佳純と倫心はハッとして時計を見る。
体育館の予約時間が過ぎていたのだ。
倫心は慌ててラケットとシャトルを抱え、体育館を出る。
「お母さん、人が来たから」
佳純は千代子を半ば引きずるようにして連れ出した。
翌週、月曜日。朝。
倫心は結局、佳純のメッセージに返信出来ないまま、
鉛のように重い心を抱えて朝を迎えた。
心は重たかったが、倫心はいつも通りに起床し、身支度を整えて出社した。
会社に着くと、いつものように業務を始める。勤怠管理、健康診断のスケジュール表作成……。
仕事は山のようにある。
プライベートの感情を仕事に持ち込まず、頭を切り替えて目の前の業務に取り組むことは、
社会人五年目ともなると、自分でも驚くほど自然に出来てしまう。
映画のヒロインのように、なにもかも放り出して打ちひしがれていられたら、
どんなに楽だろうか。
社会に適合することで、失ったものもあるのではないかとふと思う。
強くなった分、繊細さを失ったかもしれない……。
佳純の母の言葉を思い出す。「佳純を憐れむようなことをしないでよ」。
感傷が集中を途切れさせる。
倫心はコーヒーを一口飲み、経験力で気持ちを切り替えた。
「香山さん、報告書をメールで送ったのでご確認お願いします」
北岡が報告のために倫心のデスクにやってきた。
「はい。かしこまりました。明日までには返信しておきます。今日のタスクはあと二つですね。
退社までに進捗表に入力お願いします。無理して終わらせなくても良いですからね」
「かしこまりました。いつもお気遣いありがとうございます」
「い、いえ、北岡さんが居てくれて助かってます」
倫心は北岡が自分のデスクに戻る様子を目で追いながら、
さっきの自分の対応は適切だったのかと疑問が湧き、胸の中でモヤモヤとした霧が晴れない。
憐れんでいるつもりもないし、理解者だと奢っているつもりもない……。
でも、そう受け取るかどうかを決めるのは、相手なのだ。
隣の席の田中は、倫心の様子を探るように横目で見ていた。
お昼休み。
「香山さん、たまには一緒にランチ行こうよ?」
「え?」
倫心は田中の急な誘いに驚いた。正直、入社以来、距離感が近すぎる田中の態度は
苦手だった。今まで一度も一緒にランチをしたことはない。
「嫌なの。俺、そんなに嫌われてるの?」
倫心がフリーズしている様子に、田中は大袈裟に動揺する。
「違います。行きます」
倫心は慌てて返事をした。
誰かにこの重荷を分け与えたいという無意識の願いが、
理性を上回ったのかもしれない。
読んで頂きありがとうございます。




