どうすればよかったのか
一人では導き出せなかった大切なことを佳純から教わる場面です。
よかったら、読んで下さい。
「きっと、気づいたら限界だったんだよ」
体育館の高い天井に吸い込まれることなく、
佳純の言葉は倫心にダイレクトに投げつけられた。
倫心はバドミントンにかこつけて佳純を誘い出し、
佳純が共感力に欠ける特性を持っていると知ったうえで、
北岡が無断欠勤をしていることを相談していた。
「私には分かる。一度でも居場所を外から眺めた人間は、
また失うのが怖くて仕方ないの。
必死になりすぎて、自分でも何をしているのか分からなくなる。
気がついたら、限界……」
「どうすればよかったのかな……」
「そんなこと考えたって無駄だよ。ツグちゃんにはわからないから」
「え……でも『困った時はいつでも言ってください』
『無理しないでくださいね』って、
声はかけていたんだよ」
言い出せるような空気感ではなかったという自覚はあったが、
倫心は必死に反論を試みた。
「何それ? そんな言葉で『疲れます』なんて言えるわけないじゃない。
『あなたがいてくれないと困ります』くらいに言ってもらわなきゃ、
怖くて言えないよ」
「……」
佳純なら、建前を剥ぎ取った真実を突きつけてくれるはずだ。
そう覚悟して懐に飛び込んだつもりだったが、
剥き出しの言葉は予想を遥かに超える冷たさで
倫心は心の回路がショートしていくように感じられた。
「佳純」
体育館の入り口から、佳純の名前を呼びながら一人の女性が近づいてきた。
倫心はすぐには誰だか分からなかった。
「お母さん」
佳純が驚いてフリーズする。
「お母さん、何しに来たの?」
千代子は答えず、倫心に向かって責めるようにまくしたてた。
「倫心ちゃん、どういうこと? 佳純をそそのかしたの?
倫心ちゃんが検査を受けろって言ったんでしょ?」
「あ、あの、私は何も……」
倫心は千代子の勢いに押されて、うまく答えられない。
「倫心ちゃんはいいわよね。友達を障がい者にして、
変わらず一緒にいれば自分が理解者だと思えて。
優越感に浸れて、いい気分でしょうね」
「お母さん、ツグちゃんは関係ないって言ったでしょ!
こんなところまで来て……もう帰ってよ」
佳純はあきれて千代子を止めようとする。
「佳純が倫心ちゃんの連絡先を教えてくれないから、わざわざ来たんじゃない!」
千代子は佳純の言葉に耳を貸さず、倫心への文句を続けた。
「佳純が仕事が続かないのは、たまたま仕事が合わなかっただけよ。
勝手に決めつけないで」
「お母さん、いい加減にして。私はもう26歳だよ。自分で決めたの」
千代子は佳純を無視して、なおも倫心を責め続ける。
「倫心ちゃんには感謝しているの……。他の子たちが佳純から離れても、
そばにいてくれた。なのになんで? 倫心ちゃんには友達がたくさんいるだろうけど、
佳純には倫心ちゃんしかいないの。対等な友達でいてよ。
佳純を憐れむようなことはしないで」
「お母さん、いい加減にして。なんで分かってくれないの?」
「分かってないのは佳純の方よ。佳純は世間というものを分かっていない」
「世間の前に……私は、まず自分を知りたいの……」
「佳純のことはお母さんが一番よく知っているわ」
「お母さん……。私のためにもう我慢しないで。タイに行って。
お父さんが待ってるよ。
私はもう大丈夫だから」
「何が大丈夫なの? 無職じゃないの」
「…………」
三人はもはや言葉を見つけられず、重苦しい沈黙が空気を支配した。
千代子の放った「優越感」という言葉が、鉛のような重さを持って倫心の肩にのしかかる。
重力がいきなり数倍になったかのように、一歩を踏み出すのがひどく困難に感じられた。
北岡さんは、毎日この重さに耐えていたのだ。
周囲からの「期待」と「配慮」という名の透明な重圧に押し潰されそうになりながら、
あの不自然なまでに上がった肩で耐えていた。
それに比べて、自分の言葉はどうだ。
「無理しないで」。責任も、覚悟も、具体的な解決策もない、ただの無責任な放電。
倫心は自分の不甲斐なさに、声を上げて泣き出しそうな衝動を必死に抑え、
ただ震える膝を抱えて立ち尽くすしかなかった。
十人ほどのバレーボールサークルの団体が、その沈黙を打ち破るように体育館に入ってきた。
賑やかな雑談の声に、佳純と倫心はハッとして時計を見る。
体育館の予約時間が過ぎていたのだ。
倫心は慌ててラケットとシャトルを抱え、体育館を出た。
「お母さん、人が来たから」
佳純は千代子を半ば引きずるようにして連れ出した。
夜、倫心は自室のベッドで横になっていたが、いっこうに眠りにつけなかった。
体も心も疲れているはずなのに、あまりに多くのことがあり過ぎて、脳が処理しきれていない。
枕元のスマホが、佳純からのメッセージを告げた。
『ごめんね、お母さんがひどいこと言って』
『あと、私も、今まで嫌なことばかり言って本当にごめん』
『ツグちゃんの普通が羨ましくて……』
『私のことは忘れていいから。ツグちゃんの会社の社員さんの力になってあげてね』
『ツグちゃんはいつも私を見てくれた。きっとツグちゃんなら出来るよ』
読んで頂きありがとうございます。




