誤解の廊下、茶の香りの室内
和の朝餉を食べ終えた俺、渚さん、そしてミラ。
腹も落ち着いたところで、自然と話題は「どう正体を隠すか」に移っていった。
「……つまり、ミラにも“秘密”を共有してもらったわけだな」
「はい……わ、私で良ければ」
「心強いですわ。では、このことは三人だけの“密談”ということで」
俺たちは机を囲んで、小声で真剣な顔を突き合わせる。
だが――
部屋の外。
廊下を通りかかった侍女たちは、ぴたりと足を止め、耳をそばだてていた。
「ちょっと聞いた!? 王子様、またミラを詰問してるわよ!」
「小声でネチネチと……あれ絶対イジメよ! ほら、渚様まで巻き込んで!」
「うわぁ……“銀髪の愛人”と一緒に圧かけてるのかしら……!」
囁きが囁きを呼び、あっという間に廊下はひそひそ声の渦。
完全に「またワガママ王子の理不尽が始まった」という空気になっていた。
室内。
渚が微笑んで言う。
「……倫太郎。どうやら外に“観客”がいるようですよ」
「えっ!? 聞かれてる!?」
「心配には及びません。――打ち合わせ通り、参りましょう」
ミラもこくりと頷いた。
俺は「変化の杖」を握りしめ、一瞬だけ声をアレクシス王子のものに変化させる。
次の瞬間――俺たちは、いかにも和やかな調子で声を張り上げた。
「いやあ、この“ごはん”ってやつは最高だったなぁ!」
「本当に! こんな優しいお味は初めてです!」
「ええ、“豆の汁物”も格別でしたわ。心が温まりますもの」
廊下の侍女たち。
「……え?」
「なにそれ、感想会?」
「ちょ、ちょっと待って……王子様、もしかして“料理のレビュー”してただけ……?」
ざわめきがどよめきに変わり、最後は一人の侍女が小声で総括した。
「――つまり……あの三人、すごく仲良しってこと?」
場に一瞬、妙な空気が流れた。
室内では、倫太郎が額の汗を拭っていた。
「……あっぶねぇ! 完全に“取り調べ現場”扱いされてたぞ」
「大丈夫です。想定内ですわ」
渚は涼しい顔でお茶を注ぎ、ミラは真っ赤になりながら小さく笑った。
こうして俺たち三人の秘密は――“朝食の感想会”ということで、ひとまず城内に誤魔化されることになったのだった。
その頃、まだ廊下では侍女たちがざわつき続けていた。
「でもさっきまで確かに詰問っぽかったよね……」
「そうそう、急に声が大きくなったし……」
そんな空気を切り裂くように、低い声が響く。
「……何やら騒がしいな」
廊下の奥から姿を現したのは、執事ギルバート。
眉間に深い皺を刻んだまま、鋭い視線で侍女たちを見回す。
「王子の部屋から“詰問”のような声が聞こえたと……本当か?」
侍女たちは一斉に青ざめてうつむいた。
(やばい! 本気で乗り込むつもりだ!)
「アレクシス様――!」
扉を開け放とうとするギルバート。
その瞬間。
すっと横に滑り込んだのは、銀髪の渚だった。
「ギルバートさん。失礼ながら……ただ今、王子様は“お着替えの最中”でございます」
「……着替え?」
ギルバートがぴたりと動きを止める。
「ええ。とても、人目にお見せできる状態ではありません」
渚は淡々と、しかし妙に含みのある声色で告げた。
「…………っ!」
ギルバートの顔が、みるみる赤くなる。
「そ、それは……とんだ無粋を……っ!」
彼は耳まで真っ赤にしながら、くるりと踵を返した。
「し、失礼した! 後ほど参ります……!」
ドタドタと早足で去っていく背中を見送りながら――
室内。
倫太郎とミラは、同時に小声で突っ込んだ。
「着替えって……!」
「……ウソですよね!?」
渚は涼しい顔でお茶を注ぎながら、さらりと答える。
「ええ。ですが、最も効果的な理由でしたでしょう?」
二人は顔を見合わせ――。
次の瞬間、倫太郎は机に突っ伏し、ミラは肩を震わせながら笑いをこらえた。
こうして、危うく正体が露見しかけた状況は、渚の機転で“お着替え中”という方便にすり替えられたのだった。
――だが、問題はその後だった。
「ねえ、今の……聞いた?」
「“お着替え中”って……」
「ちょっと……もしかして王子様の着替えに興味津々で聞き耳立ててたって、思われない?」
「いやいや、そんなつもりじゃ――」
「でも実際、あんなに真剣にひそひそしてたら……」
ひそひそ声が巡り、やがて別の侍女グループに聞かれてしまう。
「えっ、なに? あの子たち、王子様の着替えに興味あるの?」
「きゃっ、やだ! そういう趣味!?」
完全な誤解が誤解を呼び、あっという間に「一部の侍女が王子の着替えに興味津々」という噂へとすり替わっていった。