心の糸、そばに在りて
召喚された真導 渚――彼女は現れて以来、まるでここが自分の居場所であるかのように落ち着いていた。
その姿に圧倒されつつ、俺は意を決して打ち明ける。
昨日から胸に溜まっていた、信じられないことの数々を。
「……俺、本当はこの“アレクシス王子”じゃないんです。
日本って国で高校生やってました。事故に遭って……気づいたらこうなってて。信じてもらえるとは思ってませんけど」
自分で言いながらも頭がおかしいと思う。黒歴史まっしぐらな妄言だ。
普通なら鼻で笑われるはず――だが。
「ええ、分かりますよ」
渚は微笑んで、あっさりと頷いた。
「……は?」
「あなたの“心の糸”は、この世界の織り模様とは明らかに違います。無理に隠さなくても大丈夫。あなたは“高原倫太郎”さん――そうですね?」
心臓が跳ねる。あまりにあっさり信じられて、逆に動揺した。
「な、なんで……そんなすぐに……」
「糸を見れば分かります。あなたは嘘をついていない。そして、孤独を恐れている」
優しい声が、心の痛みに薬を塗るように沁みた。
俺は視線を逸らし、頭を下げる。
「……ありがとう、渚さん。あ、いや……“渚”って呼んでもいいですか?」
「ふふ。二人の時だけは、“倫太郎”とお呼びしましょう」
その言葉に、不思議とこの世界に少し居場所ができた気がした。
翌日――王子としての仮面をかぶり直す時間が来た。
豪奢な謁見室に、使用人たちがせわしなく並び立つ。
「アレクシス様! ご用の者は揃っております!」
「お食事の準備はいかがいたしましょう!」
俺はふんぞり返り、わざと王子らしく振る舞う。
昨日の決意を胸に――。
「聞け! 今日から新しい専属メイドを置く!」
「せ、専属メイド……? すでに十人ほどおりますが……」ギルバートが眉をひそめる。
俺は顎をしゃくり、部屋の隅の渚を指差した。
「この者だ! 真導 渚! 今日から余の“身の回りすべて”を任せる! 世話も、心もな!」
場が凍り付く。
侍女たちは青ざめ、ギルバートは珍しく「ふぁっ!?」と声を裏返した。
唯一動じなかったのは渚だけ。
静かに一礼し、落ち着いた声で答える。
「畏まりました。倫太郎――いいえ、“アレクシス様”。この身を、あなたのそばに織り合わせましょう」
ギルバートはポーカーフェイスをかなぐり捨て、一瞬「は?」と固まる。
だがすぐに目を閉じて天を仰ぎ――その表情は雄弁に語っていた。
(ああ、また始まった……突拍子もないご乱心が。今度は謎の美女だ。胃が痛い……)
壁際の侍女たちは小声で囁き始める。
「きゃっ、アレクシス様……ついに愛人を公然と……!」
「なんて綺麗な人……しかも、その……胸が……!」
「銀髪の美女を専属メイドにって、恋人宣言じゃない!?」
「『余の心も』ですって! 聞いた!?」
――違う! そういう話じゃない!
必死の心の叫びもむなしく、好奇心とロマンスに満ちた瞳は止まらない。噂は光速で広がっていくだろう。
一方の渚は、ただ藤色の瞳を細め、小さく息を吐いた。
「……ふぅ。この場の心の糸が荒んでいますね。嫉妬、困惑、好奇心……絡み合っております」
俺は玉座の上で「だよな!?」と心の中で同意する。唯一理解してくれるのは渚だけだ。
「よ、よろしいのですかアレクシス様!」
ギルバートが慌てて進み出る。
「素性の知れぬ者を、専属メイドにするなど……!」
「黙れ、ギルバート。私の決定だ。この渚は誰よりも私を理解している。――そうだろ、渚」
芝居がかった口調で問うと、渚はこくりと頷いた。
「はい、アレクシス様。あなたの心の揺らぎ、手に取るように」
「……っ!」
ギルバートも侍女たちも一斉に赤面した。
待て、違う! 渚さんが言ってるのは比喩! 男女のアレじゃない!
だが、もう遅い。
「ワガママ王子、謎の銀髪美女を寵愛し、専属メイドに抜擢」――
そんな見出しが、王宮新聞の一面に躍る未来がありありと浮かんだ。
こうして、俺の異世界ライフは――唯一の理解者を得た代償に、盛大な誤解とスキャンダルを抱えて幕を開けたのである。
(……大丈夫か、俺?)
玉座に座る背中を、一筋の冷や汗が伝った。