名もなき勇者、偽りの王子
夜の街道沿い。
野営の焚き火に、三人の影がうずくまっていた。
剣士ユリウスは腹を押さえ、術士セリナは水袋を抱え、盾役ガルドは黙って空を仰ぐ。
「……もう、銀貨も尽きた」
「せっかく魔獣を倒しても、報酬は雀の涙だもんな……」
「それに、兵士の派遣が遅すぎる。村が襲われる頃に来ても意味がない……」
不満と空腹で沈む三人の前に――。
「こんばんは。……どうやらお困りのようですね」
銀髪を月光に輝かせた渚が歩み寄り、後ろから倫太郎とミラも現れた。
思わぬ来訪者に、三人は慌てて武器を取るが、渚の穏やかな微笑に気圧される。
「俺たちは旅の者で……ちょっと話を聞かせてもらえないか?」
倫太郎は“ただの青年”の姿で声をかけた。
夜の街道。
闇を裂くように、焚き火がぱちぱちと音を立てていた。
わずかな火の粉が舞い上がり、星空に吸い込まれていく。
三人の若者は、その小さな火を頼りに身を寄せ合っていた。
彼らの顔は疲労と空腹でやつれ、唇は乾き、腹の音が静寂に響いている。
「……遅い」
ユリウスが木の枝を火にくべながら唸るように言った。
「村に魔獣が現れても、兵の到着が遅すぎる。俺たちが必死に食い止めてる間に、何人が死んだと思う……!」
「兵士は悪くないんだよ……」
セリナがかすれた声で返す。
「遠くから走ってくるだけで限界なんだから。でも……王都が、本当に村のことを考えてるのかって……」
「考えてないさ」
低い声でガルドが断じた。
「俺たちの村の叫びなんて、城壁の中には届かない。……王都の連中は、自分たちの宴と安泰しか見てない」
重苦しい沈黙。
火のはぜる音がやけに大きく響いた。
やがてユリウスが、吐き捨てるように呟いた。
「……王子だってそうさ。アレクシス王子? “ワガママ王子”なんて呼ばれてる奴が、俺たち庶民のことなんて気にするわけがない」
その言葉に、倫太郎の心臓が跳ねた。
胸が強く締めつけられ、呼吸が浅くなる。
(……そうだ。俺はアレクシスだ。少なくとも、この身体は)
(けど……! 俺は高原倫太郎で、あんな傲慢で冷酷な王子じゃない!)
喉までこみ上げてくる言葉を、倫太郎は必死に飲み込んだ。
「それは違う」と叫びたかった。
「今の王子は違う」と弁明したかった。
けれど――。
(……俺がアレクシスだなんて言えないよな。ここはただ、耳を傾けるしかない)
倫太郎は火の向こうの三人をまっすぐ見つめ、小さく頷くだけに徹した。
セリナが力なく笑い、声を震わせた。
「でも……それでも、生きていくしかないんだよね。お金がなくても、誰も助けてくれなくても……」
ガルドが頷き、盾を抱きしめるようにして言った。
「俺たちは弱い。……けど、誰かが立たなきゃ村は守れない。だから俺たちは、やるしかないんだ」
火の光に照らされたその横顔は、ひどく未熟で、同時にどこかまぶしかった。
倫太郎は胸の奥がじんと熱くなるのを感じながら、言葉を飲み込む。
隣では、渚が静かに三人の“心の糸”を眺めていた。
そしてミラは、王子の正体を知る者として、ちらりと倫太郎の横顔を見つめ、唇を固く結んでいた。
焚き火は燃え続ける。
その炎は、小さな三人の誇りと憤りを、確かに照らし出していた。
翌朝。
「ギルバート!」
王子の衣をまとった倫太郎が、堂々と声を張り上げる。
「余は決めた! 国の隅々まで“自ら助け合う力”を育てる! ――冒険者ギルドを設立せよ!」
「な、な……冒険者、ギルド……でございますか!?」
執事ギルバートは耳を疑った。
倫太郎はさらにふんぞり返る。
「兵の到着が遅い? ならば余が“民が自ら剣を取る仕組み”を作らせる! 冒険者を募り、依頼を集め、報酬を払うのだ! これぞ余の新たな制度である!」
(……元の世界で読んだ小説そのまんまなんだけどな!)
内心で冷や汗をかきつつ、倫太郎はワガママ王子の仮面を崩さない。
渚は隣で静かに囁いた。
「良い判断ですわ。これならば、昨日の三人のような若者も居場所を得られます」
数日後、王都広場に「冒険者ギルド・ヴァインベルク支部」の看板が掲げられた。
最初に登録簿へ名を記したのは――
あの街道で出会った、ユリウス、セリナ、ガルドの三人だった。
「これで、俺たちにも……正式な依頼が受けられる!」
「もう、ただの無名じゃないんだ!」
「……守れる。人を、村を」
彼らの瞳に、昨日までの疲労はなかった。
倫太郎はその光景を見つめ、胸の奥で呟く。
(――これでいい。俺が“ワガママ王子”でいるうちは、誰も俺の本心に気づかない。でもこうして、誰かを守る仕組みは残せるんだ)
渚は彼の横顔にそっと微笑みを向ける。
「……心の糸が、また一つ織り合わされましたね」




