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ある男の不幸

 夜の公園は、冷たい風が草を鳴らし、街灯の光がぼんやりと足元を照らしている。

 成村昭典は、フードを深く被り、ふらふらと人気のないベンチへ近づいた。寒さと空腹で足取りは重く、視線も虚ろだった。

 成村は、かつて小さな印刷会社の社長だった。必死に働き、社員を家族のように思っていたが、経営は思うようにいかず、さらに社員の一人による横領が発覚したことで会社は一気に傾いた。

 結局、会社は倒産。多額の借金を背負い、妻と子どもにも見放され、成村はすべてを失った。

 行くあてもなく、気づけば世の中の隅っこが寝床になっていた。

 ふと、ベンチの上に何かが落ちているのが目に入った。

 成村はそれを拾い上げる。

 それは、ナイフだった。

 黒い柄のシンプルな折りたたみナイフ。よく見れば、柄の部分に小さく『A.N』とイニシャルが刻まれている。

 成村は周囲を見回した。誰もいない。柄に刻まれた『A.N』の文字をもう一度見つめる。 自分の名前は成村昭典。頭文字は、まぎれもなく『A.N』だ。

「へへ、こりゃ俺のもんだな」

 彼はポケットにナイフをしまいこみ、静かにその場を離れた。


 それから数日後。


 成村は、空き地の片隅で、他のホームレス仲間と口論になった。きっかけは些細なことだった。残り物のパンを巡る言い争い、古びた毛布の場所取り。それでも、今の成村には、そうした小さな苛立ちが積もり積もっていた。

 酒が入っていたのも悪かった。冷え切った体に流し込んだ拾いものの焼酎が、鈍い怒りを増幅させていく。

「てめぇ、俺のモンに手ぇ出しただろうが」

 怒鳴り声が響き、周囲の空気が凍りつく。

 相手のホームレスも引く様子はなく、互いに肩を張り、睨み合いが続く。

 成村の心臓は荒く波打ち、こめかみが脈打つ。

 気づけば、成村はポケットの中のナイフを握りしめていた。

「うるせぇんだよ」

 ナイフを突き出したのは、ほとんど反射的だった。

 刃が肉を裂く感触と、相手の呻き声が生々しく耳に残る。

 騒ぎはあっという間に広がり、警察がやって来た。

 ナイフを持って立ち尽くす成村の腕を、警官が強くねじり上げた。

 成村はただ、茫然と捕まっていった。頭の中が真っ白だった。人生の底を這いずり回っていたはずの自分が、さらに深い底に沈んでいく感覚だけが、鈍く身体を包み込んでいた。 誰にも助けられず、何も守れず、最後には自分の手で破滅を引き寄せた、

 その事実だけが、重く、どうしようもなく成村の胸を締めつけていた。

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