ある教室での出来事
ある日の休み時間、陽斗は教室の隅で、集まった数人の同級生に得意げに話していた。
「だからさ、桜見湖だよ。湖に影が立つってやつ。俺、この前じいちゃんから聞いたんだ」
陽斗の声はひときわ大きく、クラスメイトたちの好奇心をくすぐる。
「なにそれ、こえー」
「本当かよ?」
「影が立つってどういうことだよ」
興味津々の顔が並ぶのが気持ちよかった。自分だけが知っている不気味な話。それを披露して、みんなが驚いたりざわついたりするのが、たまらなく誇らしかった。
陽斗は、祖父から聞いた話を語った。湖の真ん中に黒い影が立つ、ふざけたり悪いことをすると祟られる。
もちろん、みんなは驚いたり笑ったりするばかりで、信じきってはいない様子だったが、それもまた楽しかった。
そのとき、一人の女子が控えめに声をあげた。
「あの、私も、聞いたことあるかも」
皆が一斉にその子を見る。
「うちのお姉ちゃんが言ってた。あの湖で自殺した女の子がいて、その幽霊が出るって」
教室が一瞬静まり返った。
陽斗の胸がドクンと鳴る。
「お姉ちゃんは、中学のとき先輩から聞いたって言ってだけど」
「本当かよ! 本当に幽霊が出るのかよ!」
陽斗が詰めように言うと、女の子は身体を振るわせて頷いた。
「う、うん。その先輩が幽霊を見たって、お姉ちゃんが言ってたから。幽霊が本当にいたんだって、そうきいた」」
その瞬間、陽斗の中で何かが繋がった気がした。
あの影は、じいちゃんの作り話なんかじゃなかった。本当にそういう話が、この町にはあるんだ。何日か経つうちに、自分の中でもう薄れかけていたはずの恐怖が、突然、熱を持って蘇ってきた。
「じゃ、じゃあ湖に立つ影って、その自殺した女の子の幽霊ってことか?」
陽斗のその言葉に、教室の空気が一瞬ざわつく。
「え、じゃあ、呪われるって、その幽霊のせいなのか?」
誰がが言うと、子どもたちが次々と、自分たちなりのつじつまを合わせるように口々に話し始める。
「そういえば、前に湖で霧に迷ったやついたよな」
「それも幽霊の仕業かもしんねぇ」
「こわ、湖もう行けなくね?」
陽斗は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。さっきまで半ば作り話だと、自分の中で処理し終えていたものが、急に現実味を帯びてきた。目の前に、唐突に事実だったという証拠を突きつけられ、得体の知れない恐怖が腹の底に広がっていく。 心臓が早鐘を打ち、手のひらがじっとりと汗ばんでいた。




