ある祖父と孫の会話
串田は孫の陽斗が玄関にいるのを見て、思わず声をかけた。
「お、陽斗。どこ行くんだ?」
靴を履いていた陽斗は、振り返ってにやりと笑った。
「じいちゃん、俺、友達と湖に行くんだ。桜見湖」
その言葉に、串田は少し考え込んだ。
昨日、木下が見せてきた写真が、頭の隅をかすめる。ぼんやりと湖に立つ、あの影。
ふと、ちょっとした悪戯心が湧いた。
「そうか。別に止めはしねぇけどな、あそこは変な話があるだろ」
「変な話?」
陽斗が首をかしげたのを見て、串田は内心でニヤリと笑った。
「お前、湖でふざけたり悪さしたりすると、影が立つって話、聞いたことねぇか?」
「影?」
「そうだ。湖の真ん中に、黒い人影みてぇなのが立つんだとよ。そいつが見えたら、もうおしまいだってな」
陽斗は眉をひそめ、少しだけ不安そうな顔になる。
「なにそれ、マジ?」
串田は肩をすくめて笑った。
「おう、マジだ」
「そんなの聞いたことねぇけど」
「お前が知らねぇだけ。俺は影の写真を見たことがある」
「写真で見るのはいいの?」
「あ? あー、そうだな。写真はいい」
「なんだよ、それ」
陽斗は強がるように笑ったが、その目はほんの少しだけ、怯えているようにも見えた。
「お、怖がってんのか? だったら湖で小便とかすんなよ」
「しねぇよ、そんなこと」
陽斗は靴を履き直し、軽くため息をついた
「でもわかったよ。ビビってねぇけど、一応気をつける」
陽斗は苦笑しながら玄関を出て行った。
串田はその背中を見送りながら、悪戯が少し成功した気分でふっと笑った。
いくつになっても、悪戯というのは楽しいものだ。
串田は小さく息をつきながら、リビングに戻った。テーブルには木下と飲みに行ったときのレシートが置きっぱなしになっている。それを見て、またあの写真のことを思い出した。
「しかし不思議なもんだよな、あの影」
独り言のように呟くと、煙草に火をつけた。煙が天井に向かってゆらゆらと立ち昇る。
そういえば、自分が子どもの頃も、町には変な噂がいくつもあった。たとえば、裏山に入ると帰り道が分からなくなって、一晩さまよい歩く羽目になるとか、夜の神社で拍手を二回以上打つと狐に化かされるとか、今思えばくだらない話ばかりだったが、当時はやけに真に受けていたものだ。真偽なんて関係なく、面白がって話が広がっていくのが世のの常だ。幼い頃はとくに、自分もその一端を担っていたと思う。
串田は煙をくゆらせながら、窓の外を見やった。
「ま、気をつけて遊んでくりゃいいさ」
ただもし、あんまり陽斗が怖がるようなら、菓子でも買ってやって謝ろう。そんなことを考えながら、串田は新聞紙を広げた。




